神技隊選抜調査における裏引き継ぎ資料

 君は技使いかい? 違う? それならよかった。
 私か? 私は技使いだ。いや、同じ技使いと括るのもおこがましい程度だがね。少しばかり明かりを灯したり、火をおこすことができるだけだ。ちょっと便利というくらいさ。君の想像しているような技使いとは違う。あんな風に空を飛んだり結界を生み出したり傷を治すことはできない。
 いきなりこんな部署に回されてしまい、さぞ残念に思っていることだろう。それでも仕事なので、引き継いでもらわなければならない。
 もう、こんなおっさんには厳しい仕事でね。いや、体力的にきついというわけではないんだ。相手にするのが若者なので……なに、君もそのうちわかるさ。
 神技隊というのは君も知っているだろう? そう、あの何のためにあるのかいまいちよくわからない五人組だ。異世界へ派遣される青年たちのことだ。
 その選抜を行うのが、この多世界戦局専門部の役目とされている。一年がかりだなんて馬鹿馬鹿しいだろう? どうしてこんなに手間暇を掛けているのか、私は知らないままここを離れることになりそうだよ。
 愚痴ばかりですまない。君の主な仕事を大雑把に説明しよう。神技隊最終候補者たちの身辺を探ることだ。具体的には何を探るのかって? 人柄やら何やらを確認するのが目的だ。
 技使いの中には……非常に残念なことに、人格的に問題のある者もいてな。よく見知った者たちの間で生活している分にはどうにかなっていても、見知らぬ異世界で、初対面同様の仲間と、しかも五人という少人数での活動、となると破綻を来す例があるんだ。
 いや、そう難しく考えなくてもいい。短時間で全てが把握できるとは誰も思っていない。ごく一般的に取り繕うことができるかどうか、それを確かめるだけでいいんだ。
 もう一つ重要なのは、恋人の有無の確認だ。パートナーや子どもがいないことは、各長からの情報が入る。だが恋人までは把握できていない。
 ……そんな顔をしないでくれ。過保護な親みたいだろう? これはまあ、かつて神技隊選抜の際に、恋人たちを引き裂いてしまったがために起きた悲劇が原因なんだ。この多世界戦局専門部にしこりの様に残ってしまっているんだ。
 実はこれが厄介でなあ。人柄に関してなら、旅行客の振りをして道を聞くなり色々方法はあるんだが。恋人の有無を見ず知らずの人間に話すような奴は皆無だ。君もこれから苦労することになるだろう。
 ここに、私がまとめた裏の報告書がある。――裏だ。多世界戦局専門長官やその補佐に提出するような表の書類ではない。私の覚え書きのようなものだ。特に困惑した事例や、印象的だった事例を中心に載せている。
 それでは資料を持ってくるので、それまでこれでも読んで待っていてくれ。

事例二十四  イダーの青年

 それなりに強い技使いが女性たちに人気なのは、知っているつもりだった。つもりだったのだが、この瞬間までそれが甘かったことを認識せざるを得なかった。
 今回の候補者は二十歳の優男だ。実力が飛び抜けているわけではないが、比較的珍しい「氷系」の使い手であったため、ここまで候補に残ったらしい。
 異世界では、基本的に技の使用は禁じられている。悪影響があるからだそうだ。しかし万が一の場合はやむを得ない。氷系の技ならば、たとえその名残が一般人に見つかったところでそこまで騒ぎにもならないだろう。そういう意味で重宝されていた。
 イダーに住む候補者の青年は、街中よりも少し郊外に出たところにいた。まず難儀したのは、話をするために少女たちの群れを乗り越える必要があったことだ。
 一体何が起こっているのか、理解できなかった。この集団は何なのだろう。怪しい集会所なのかと一瞬は考えた。候補者である青年は、着飾った少女たちの中心にいた。女と見紛うような……というのは言い過ぎだが、確かに見目の麗しい美青年だ。背も高い。
 そんな中こんなおっさんが近づいたものだから、まるで少女たちは汚らわしいものでも見るような視線を寄越してくる。話をするために青年を連れ出すだけでも一苦労だった。まるで略奪者扱いだ。
 助かったのは、この青年が実に饒舌なことだった。慎重に問いかける必要はなく、一を聞けば勝手に十以上べらべらと喋ってくれる。宮殿の者と明かしたら、ますます上機嫌になった。何かの引き抜きと勘違いしたのだろうか? 都合がよいのであえて触れないでおく。
 ――ところで、たくさんの女の子たちに囲まれていたが。誰か特定の子と付き合ったりしていないのかい?
 青年が気分をよくしたところで、切り込んでみる。さて、どんな反応が返ってくるか。
 ――ああ、そうなんです。それが悩みで。誰か一人の子と……なんてことになったら、みんな悲しむでしょう?
 ということは、恋人はいないのか。
 ――だからみんなと均等に付き合っているんです。
 今、聞き捨てならない言葉があったように思うのだが。聞き間違いだろうか。
 ――均等に、というと?
 ――順番にデートして、まあ、そういうことです。
 つまり全員恋人だと? まさかそう言いたいのか? しかも皆了承済みだと? この青年は頭がおかしいのではないか。
 ――そのことはみんな知ってるのかい?
 ――もちろんです。みんな平等に。醜い嫉妬はなしですよ。
 そんな馬鹿な。この青年の夢の話ではないのか。そんなことがあり得るのか。いや、先ほどの少女たちの群れがその証拠か。……何だか段々と苛々してきた。
 ――そのおかげでこの通りの平穏です。理想的でしょう?
 酔狂の間違いだろう。
 ――今日はこれからミアリーとデートなんです。だから彼女、怒っていたでしょう?
 全員怒っていたように思うが。私に少女たちの区別がつくわけがないだろ。……本来、恋人がいる場合は対象外となるが、この青年の場合はいいか。むしろ積極的に引き離してやりたくなる。
 いやいや、ここは冷静に。冷静にだ。感情的になってはいけない。私の役目はただ事実をありのまま告げるだけだ。私情を挟んではいけない。
 ――そうか。私にはちょっとどの子かわからなかったが。
 ――胡桃色の髪を二つ結びにした、ちっちゃくて愛らしい子ですよ。
 やはり記憶にない。
 ――ほら、あなたの上着を破こうとした。
 上着? あのつり目の小娘か! 鉄槌を下そう! ……ではなく、沈着冷静にだ。これは仕事なのだから、感情で動いてはいけない。淡々と報告するのみだ。私にそれ以上のことは求められていない。
 ――あ、そろそろデートの時間なのでいいですか? そうじゃないとミアリーがますます怒ってしまう。
 ――ああ、もちろん。ご協力ありがとう。
 もういい。聞きたいことは聞けた。これ以上話が続くとますます腹が立ってきそうだ。余計なことまで報告書に記載しかねない。また長官から訝しげな視線を向けられてしまう。

 感情的になってはいけないと、身に染みた事例であった。

事例四十七  アールの少女

 調査対象が少女である時が一番やりにくい。今日の相手もそうだった。
 今回の候補者はまだ十七歳。こんなおっさんが話しかけるだけでも警戒される可能性がある。しかも恋人の有無を聞き出すという、変態的で犯罪的で後ろめたい行為にまで及ばなければならない。仕事でなければ投げ出しているところだ。
 ――ああ、あなたが。長が今朝、宮殿の方が来るって言ってましたね。よろしくお願いします。
 それでも予想外に少女がすんなりと受け入れてくれたのは、アールの長の計らいがあったからのようだ。一応、候補者への調査に赴く前に、その旨を長に伝えている。彼がどういう説明をしたのかは全く不明だが、これは助かった。
 ――気持ち悪い質問をされるかもしれないが、気にするなって。
 前言撤回。何かとんでもないことを吹き込んだらしい。
 ――長が宮殿の方に向かってそんな風に言うところ、初めて聞きました。
 しかし、どうやらこの少女は不快な印象は抱かなかったようだ。楽しそうに笑っている。いいのか悪いのか。……何であれ、私は粛々と仕事をこなすだけだ。
 神技隊の中には、少なくとも女性が一人は必要だ。何故なら取り締まる対象である違法者にも女がいるからだ。男が入りづらい場所に逃げ込まれた際に、男性だけでは対処が難しくなる。
 技使いでは、男女どちらかが特に多いということもない。どちらがより強いということもない。だがそれでも候補者に女性を入れるのに難航することが多かった。
 年頃の女性の技使いは実力を隠す傾向にあるせいだ。他の技使いと競うこともしなくなるし、喧嘩をして大技を使うこともなくなる。もちろん、その方が周囲の住民にとっては喜ばしいのだろうが。
 仕方がないので幼少期の記録を参考にして、実力者を炙り出すことにしていた。子どもの頃の話には、なかなか激しいものも多い。きっと掘り起こされたくはないだろう。少女たちの複雑な乙女心――と一度口走ったら、多世界戦局専門長官に冷たい目で見られたが――を考えると、少々良心が咎める。
 ――技使いの恋愛事情を調査してるんですって?
 尋ねてきた少女の瞳からは、不思議と好奇心が見て取れた。アールの長はそんな風に説明したのか。なるほど、それなら率直に尋ねることができる。
 ――私なんかでいいんですか、って聞き返したら長に笑われましたよ。
 ――それは、どういう意味かな?
 実に少女は楽しそうだ。何となく嫌な感触があるのは、気のせいか。それとも経験から来る警告か。
 ――私、もうすぐパートナーができるんです。
 は? 聞き間違い……ではないな。恋人どころかパートナー? パートナーがいる場合は長が報告するはずだが、まだ申請中ということだろうか。しかし、それならそれでやはり長は把握しているはずだ。まさか、それを知りつつ隠していたのか? 謀られた!?
 ――そ、そうか。そうだったのか。
 ――残念そうな顔ですね。すみません。
 長が宮殿のことをよく思っていない場合、たまにこういうことがあるので厄介だった。宮殿に頭が上がらない各長の中には、日頃の鬱憤を晴らす機会を狙っている者もいる。私は何の決定権も持たない下っ端だというのに。
 それにしても十七歳でパートナー。いや、アールは十六歳からパートナーを作ることを許可しているから、何もおかしくはないのだが。それでも愕然としてしまう。
 私たちがいる宮殿では、そんなに若くしてパートナーを作ることはない。恋人がいても、手続きまでは踏み込まない。仕事を覚えるまでは生活のリズムが安定しないことが多いため、というのが主な理由だった。どうやら宮殿の外では違うらしい。
 先日亡くなったばかりの、自分のパートナーのことを不意に思い出した。もう、ほとんどろくに言葉を交わさなくなっていた。昔はなかなか時間が合わないことに苛立っていたが、いつの間にかそんな生活に慣れきってしまっていた。まさかこんなに早くいなくなってしまうとは……。いやいや、そんな過去に浸っている場合ではない。今は仕事中だ。
 ――そういうことなので、恋愛事情なら他の方に聞いてください。あ、もしかして出会いとかそういう話もした方がいいですか?
 少女はにこりと微笑んだ。はっとするも、遅い。瞳を輝かせた少女の口から、止めどなく楽しき思い出が飛び出してくる。とても、口を挟む隙間などなかった。

 幸せの絶頂にいる少女に話をさせてはいけないと、思い知った事例であった。

事例七十三  バインの青年

 今回の候補者は、反抗期真っ盛りのバインの青年だった。実はバインの長の息子であり、青年と言ってもまだ十代だ。体は十分に大人だが、やはりまだどこか幼い。
 まずは宮殿の人間であると名乗り、長の周囲を調査していると告げて話を聞き始めた。初めのうちは口が重くぶっきらぼうだったが、長への愚痴に付き合っていたところ、徐々に打ち解けてきた。もっとも、ここまでくるのに既に一時間は経過していたが。
 ――そうか、それは大変だろうね。恋人を紹介してもひどい言われようなのでは?
 ――そうそう、そうなんだよ! 子どもっぽすぎるだの何だのとか言ってケチつけてきてさー。紹介しなかったらしなかったで、どこで聞きつけてくるんだか会わせろって言うし。
 どうやらバインの長は過保護らしい。しかしながら、この青年も案外もてるのだな。顔は悪くないが軽い印象なので意外だった。いや、軽いからもてるのか? よくわからん。
 ――苦労しているんだな。
 ――そうなんだよ。そんなことが続くもんだから、最近なんて女の子に声かけても断られてばかり。ひどい話だろー。
 ――では、今は特定の相手はいないと?
 ――いないって。最近はそんな調子で振られっぱなし。親父許すまじ!
 意外とすんなり聞き出せた。これで確認完了だ。あとはできるだけ早く話を切り上げて帰るだけだ。人柄は……まあ大きく問題はないだろう。少々頭の中身まで軽いような気もするが、根は悪くない。交友も広そうだ。もしかしたら、女癖は悪いかもしれないが。
 ――みーんな、オレのことバインの長の息子って目で見るんだよなあ。
 羨ましいかどうかはともかく、それは事実だろう。
 ――オレは普通の技使いなのにさ。なあ聞いてくれよ。この間なんてヤマトの若長と比べられてよー。あ、もう若長じゃないんだっけ? まあいいや。それがひどいのなんのって。
 どうも、話の流れが芳しくなくなってきたな。
 ――親父だけじゃないんだぜー。周りの奴らみーんな。もっと真面目にだとか、しっかりしろだとか好き勝手に言ってくれちゃって。
 ……愚痴が終わるまで、その後二時間掛かった。余裕があれば次の候補者のいるイダーまで足を伸ばそうと思っていたのだが、今日はここまでとした方がよさそうだ。

 愚痴を止めるのは難しいと、実感した事例であった。

事例八十二  ウィンの青年

 この仕事も長年続けていれば、会った瞬間に色々と感じ取れるようになる。彼の場合もそうだった。ウィンに住むこの青年は、一目見た時から「こじらせてるな」と直感が告げた。
 技使いの中には、能力的には十分であるものの、似た年頃の技使いとの関係や兄弟との関係において、妙に拗くれた劣等感や自尊心を持つようになる者が少なからずいる。この手の人間は虚栄と嘘と本音の区別が難しくなるので面倒だった。
 この青年の場合も、実力は申し分ない。ただ、近くにいた技使いが既に神技隊として選ばれているという事実が、私の記憶にもあった。実力者同士が傍にいたわけだ。それなりの葛藤があってもおかしくはない。
 最初はかなり警戒された。まるで犯罪者を目の前にしたような訝しがり方だった。それでも宮殿の人間であると明かすと何故か警戒が緩んだ。最近の傾向だ。まさか、何のために聞き回っているのか知られているのか? ……いやいや、そんなはずがない。
 ――宮殿の人は妙な仕事まで引き受けていて、大変ですね。
 何故か同情までされてしまった。おかしい。いや、それならそれで仕事が進めやすい。気を取り直していこう。
 ――そうなんだ。こんなおっさんが各地を歩き回らなきゃいけないんだから、ひどい話だろう。疲労困憊だよ。
 ――お疲れさまです。それで、技使いのところを渡り歩いて何を聞いてるんですか?
 あちらから尋ねてくれるのであれば好都合だった。できる限り軽い調子で、また警戒されないように告げればいい。
 ――ちょっとした、まあ技使いの恋愛事情をね。
 けれども残念なことに、青年はわかりやすく顔を引き攣らせた。ああ、こじらせた原因はそこだったのか。これはまずいことになったかもしれない。
 ――そんなことを、ですか? 何のために? 物好きな人もいるんですね。
 ――そう思うだろう? 私にもさっぱりだ。優秀な技使いの子どもが優秀な技使いになるとも限らないのにな。上は何を考えているのやら。
 仕方がないので責任を『上』に転嫁する。確認したい理由なら知っているのだが。
 技使いの実力については、不可解な点が多い。技使いの子どもだからといって技使いになるとは限らない。もちろん、実力者の子どもが実力者になるわけでもない。法則性の見いだせない存在だった。私の両親は共に力のある技使いだったのに、私と来たら……いや、この話は止めておこう。
 ――だが仕事なんでね。仕方なくさ。
 ――へぇ、そうなんですか。
 青年の視線が泳いでいる。よほど触れられたくない部分らしい。さて、どうしたものか。ここを確認しないことには私の仕事は終わらない。
 ――オレには、別に、そういうのはないですから。
 ――えーと、つまり、ぶしつけな質問ですまないが、君に恋人はいないと? 強い技使いはもてるって聞いたんだけどね。
 何気なく、気安い口振りで問いかけてみると、思い切り嫌な顔をされてしまった。別れたばかりなのか、それとも告白して振られたのか。彼から放たれる『気』に不快な色が混じる。
 人間であれば誰もが持っている『気』という存在。そこには感情も反映されてしまう。だが感じ取れるのは技使いのみだし、どこまで感じ取れるかは個々人によって違った。これがまた、技使い同士の関係を複雑にする要因でもあった。
 ――技使いだからって全部がうまくいくとは限りませんよ。
 青年から返ってきたのは、どこかふてくされたような答えだけ。これはまずい。明言してくれないと確信が得られない。どうしたものか。
 ――そういうあなただって技使いでしょう?
 ――私はまっとうな技使いを名乗れるような力は持っていなくてな。
 ――それでも技使いであることには変わりないです。
 青年が何を言いたいのか、察することはできた。気で伝わるだろうと言っているのだ。だが気から感情を読み取るのは、私は不得意な方だった。青年の放つこの複雑な気を解釈することができない。
 ――女なんて面倒だし。一人でいいんです。
 最後に放たれたのは、負け惜しみのような言葉だった。しかし決定的な一言だった。つまり少なくとも今はいない。これで私の仕事は終わりだ。
 安堵すると同時に、まだ若い青年の心を抉っただろうという罪悪感が、じわりと胸に染み込んだ。彼の纏う黒い気が焦燥感を誘う。
 この青年は、もしかしたらますますこじらせてしまうかもしれない。

 そこはかとなく、後味の悪い事例であった。

事例九十一  ジナルの少女

 まさか最後の仕事がこれだとは思ってもみなかった。やりづらいことこの上ない。
 目の前にいる少女に、自己紹介の必要などなかった。この少女は現時点ではまだ多世界戦局専門部に所属している。数少ない同部署の仕事仲間ということになる。そんな相手に対してこの調査が何の役に立つのだろうか? いや、形だけだろう。何故ならこの報告書が提出される先にいるのは、彼女だ。
 ――えーと。
 白い小さな個室で二人きり。全てを知っている少女に対して、一体何をどう聞けというのか。実に気まずかった。
 ――これが最後の仕事ですよね? お疲れさまです。
 戸惑っていると、少女の方から切り出してくれた。何故か、労られている。そんなに疲れた顔をしているのだろうか。確かに、昨夜ヤマトから戻って来たばかりだが。
 ――最後の最後がこんな私ですみません。ご存じかと思いますが、特定の相手はいませんから。
 言葉を選んでいるうちに、先に答えられてしまった。やはり事情を知っている相手はやりにくい。この空気がいたたまれない。
 ――人間性に関しては……ご判断は任せます。
 淡々とそう言われても。当人が読むと知っていて何と書けと?
 ――ああ、私のところに来るんですから、書きにくいですよね。じゃあ問題点なしとでも書き記しておいてください。何がどう書かれていても、きっと私は選ばれるでしょうから。
 まるでこちらの心境が筒抜けのようだった。正直気味が悪いが、しかし彼女の言うことももっともだ。
 異世界へ派遣される神技隊。『上』はその中にそろそろ橋渡し役を置きたくなったのだ。その役割を担うことになったのが彼女だ。この宮殿の事情にも、神技隊の事情にも詳しい人間を送り込むことは、覆されることのない決定事項。こんな些細な報告書は何の役にも立たない。私の最後の仕事には、全く意味がなかった。
 ――最後がこんな仕事ですみません。
 ため息を飲み込むのは難しかった。謝られても困る。上が決めたことなのだから誰にだってどうにもならない。彼女にだってどうにもならない。滑稽で馬鹿馬鹿しいお芝居だ。
 ――それでも、仕事は仕事だ。
 そう答えるしかない。この宮殿で生き残るために身につけた悲しい習性だ。納得しようがしまいが、やるべき事はやらねばならぬ。
 ――そうですね。
 少女がどこか悲しげに、かすかに微笑む。そうか、お互いこの多世界戦局専門部を離れることになるのかと、この瞬間に気がついた。
 長年嫌がらせのようにこんなどうしようもない部署に縛り付けられていた私も、ようやくもう少しだけまともな部署に配属されることになった。それが年老いてきた男へのささやかな贈り物かどうかは知らない。単に、こんなおっさんに尋問を任せるのはまずいだろうという配慮かもしれない。
 ――よし、これで調査は終了だ。
 ――ありがとうございました。
 この空気は何だろう。やるせない。しんみりとしてしまう。何も知らぬ若造が相手であったら、こんな気持ちにはならないのに。最後くらい、余裕の表情で仕事を全うしたかったのに。上はそれも許してくれないらしい。

 やはり事情を知り尽くした人間を相手取るのはやりづらいと、認識した事例であった。

 待たせてすまなかったな。え、もう読み終わった? 流し読みしたのか? 早いな。愚痴ばかりだった? ああ、裏の報告書だからな。いや、覚え書きか。だからそんなものさ。
 実際に提出するものは淡々と、ひたすら淡々と事実だけを書き記さなければならない。そこに私の苦労は一切反映されない。だからこういう風に何か書き残しておかないと、鬱憤が溜まる一方なんだ。
 こんな部署に回されたことをもう後悔しているのかね? それを読んだらそう思うだろうね。だが、実は悪いことばかりでもないんだ。
 君、ヤマトの街は行ったことがあるかい? ウィンは? ジンガーは? イダーは? この宮殿に住む者で、各地を回ることが許される人間など限られている。大抵は強い力を持つ技使いだ。それも事件解決のために奔走しなければならない。便利屋のようなものだ。
 けれどもこの仕事を続けていれば、色々な場所に行くことができる。私のように弱い技使いでも、あちこち巡ることが許される。技使いではない君も同じだ。調査のついでにちょっと寄り道をしたり、珍しい物を口にすることだってできる。息抜きの観光も、名物の食べ歩きも可能だ。
 そう考えると素晴らしいとは思わないか?
 もちろん、仕事は大変だ。腹立たしいこともたくさんだ。他の部署からは馬鹿にされるかもしれない。だがこんな風にちょっとした楽しみもある。まあ、そう考えてみてくれ。まだまだ若い君ならたくさんの刺激を受けることができるだろう。
 ああ、それが全てよいこととも限らないかもしれないな。宮殿の中がいかに息苦しいか、思い知ってしまうかもしれない。外に出るのはさほど嫌いではないんだが。戻る時に辛いのだけがちょっと困っていてね。
 そんな顔をしないでくれ。やってみたら意外と何とかなるものさ。
 健闘を祈っている。