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絶対回避不可能

絶対回避不可能

 それは、どこからどう見てもダルマだった。
 丸い図体に黒々と墨で描かれたヒゲ、ご丁寧に両目には墨で黒目が書かれている。
 どうして、各務がそんなものをじっと見つめているかというと、好きでそうしているわけではなかった。説明できないが、どこかから突如降ってきたその巨大なダルマが、屋上から降りようと階段の入り口に向かった各務の前に、道を塞ぐように突っ立っているからなのだ。
 各務が屋上に上がってきた時、確かにそれはなかったはずだ。人気のない会社ビルの屋上で一人寂しく買ってきたパンをかじるだけの昼食を摂っている間、各務はずっとぼんやりとだが階段の方をみていたのだから。誰か来た時にいつでも言い訳できるように。
 会社の部署から各務の居場所がなくなったのは、いつからだろう。五十代の半ばを超えても役職につけず、特に秀でたところもなく、黙々と事務仕事をこなすだけの各務を、誰ともなく避けるようになっていた。
 若い頃は水泳にジムにと鍛えたはずの体も、腹がたるみ始めている。
 職を変えるべきだったのかも知れないが、その時期もとうに逃してしまった各務にとっては、惰性で続く仕事も、距離を感じる人間関係も、全てが嫌になってしまっていた。
 ただ、晴れた日に屋上でパンをかじりながら見上げる空だけが、各務の救いだった。
 風が強く、排気ダクトがあるこの屋上は、他の人は好んで近寄らず、各務が唯一落ち着ける場所だったのだ。
 それなのに、ダルマがドヤ顔で階段の入り口を塞いでいる。
 昼休みが終わるまで後十分しかないというのに、これでは通れない。
「誰だ、こんなところに変なものを置いたのは……。」
 怒りを込めて各務が呟いた瞬間、ダルマの頭上に光る何かが現れた。それと共に、頭の中にドスのきいた低い声が響いてくる。

『お主、魔法少女となって、拙者と共に世界を救ってはくれぬか?』

「は?」

 あまりのことに、各務は開いた口が塞がらなかった。今、このダルマは喋ったようだ。しかも、怪訝な内容を。
『じゃから、魔法少女となって、拙者と共に……。』
「俺は男だー!しかも、見ろ、このたるんだ腹、薄い髪、見合いを何十回しても断られる不細工な顔!少女になれるか!少女に!」
 あまりのことに逆ギレした各務に、ダルマは体ごと頷いた。頭突きをするような格好に、各務は身構える。
 ダルマの頭上から、すーっと白いシャモジのようなものが滑り落ちてくる。
 反射的に受け取って、まじまじと見つめると、そのシャモジは妙に鋭角的な気がして各務はダルマにそれを突っ返そうとした。しかし、相手はダルマ。手も足もない。受け取れるはずがない。
「なんだ、これは?」
『三味線のバチである。それを持ち、あたかも三味線があるが如くかき鳴らし、「君は野に咲くアザミの花よ、見ればやさしや、寄れば刺す」と唄うのじゃ。さすれば、見事な魔法少女になれるであろう。』
「エア三味線かよ!?」
 エアギターすらも恥ずかしいこの年になって、エア三味線をさせられ、しかも、変な歌(都々逸)まで歌わされるとは。
 冗談じゃないと、バチを捨てようと手を振り上げたはいいが、各務はすぐに異変に気づく。バチが手の平から外れないのだ。
「なんだ、これは。すぐにとってくれ。」
『それは一度握ると変身せねばとれぬようになっておる。変身してみると良い。それは愛らしいおなごになれようぞ。』
 どことなく期待する様子のダルマを、各務はサッカーの要領で横に蹴飛ばした。そして大股で階段を降りていこうとする。
『良いのか?良いのか?それは決してとれぬぞ?変身した方が身のためではないか?』
 脅す口調のダルマが、どうやっているのか分からないがぴょんぴょんと跳んで各務の後を追いかけてきたので、各務は深く息をついて足を止めた。
「あんたは、俺に何をさせたいんだ?」
 諦めのため息はつきなれたはずだった。それでも、魔法少女という響きが、各務に鳥肌を立たせる。冴えない壮年のおっさんが、子どもがテレビで見ているようなぴらぴらとした軽薄な衣装を身にまとい、何かと戦う……考えただけで吐き気がしてくる。
 何かと……。
「そういえば、俺は何と戦わせられるんだ?」
 子どもの頃戦隊物で見た黒を基調とする敵の気持ち悪い怪人を思い浮かべ、再びげんなりとする各務に、ダルマは胸であろうと思われる部位を張って答えた。
『偽物の魔法少女たちじゃ。』
「いや、間違いなく、俺が一番偽物だろう!」
 即座に切り捨てた各務に、ダルマは赤い顔を更に赤くする。
『拙者が選んだ魔法少女が偽物であるはずがないわ!何を言うか!奴らが偽物なのじゃ!』
「嘘だろう?」
 眉間にしわを寄せて詰め寄られて、ダルマは視線を彷徨わせる。
『嘘では、ないぞ?』
「嘘だな。」
『だって、奴らの持っている術具を奪えば、そなたは更に強くなれるのじゃ。さすれば、拙者は人間に戻れる……。』
「は?あんた、人間だったのか?」
 あまりのことに驚いて目を剥く各務に、ダルマはもじもじと顔を赤くした。
『拙者は江戸時代を生きた浪人であった。仕えるべき主君を探し求め、見つからぬままに死んでいった。その無念が拙者をこうして今に蘇らせた。そのぉ、よく分からぬが、そなたを強くすれば、拙者は何かしてもらえるようなのじゃ。』
「誰に?それ、誰が言ったんだ?あんた、騙されてるんじゃないか?」
 詰問する口調の各務に、ダルマはしゅんとしょげ返った。

 刹那。

『見つけたぞ、ダルマ!』
 降ってきた理科室にあるような骨格標本に、各務は本気の悲鳴を上げる。
 続いて階段を駆け降りてきたのは、灰色と黒のいわゆるゴスロリ系のミニのワンピースを着た、輝くように美しい十代半ばの少女だった。
「ドクロ、こいつを倒せばいいのね?」
 少女は持っていたガスバーナーを各務に向けた。
「ひ、火ぃ!?」
 魔法少女じゃないのか!ガスバーナーは反則だろう!
 突っ込みたいことはたくさんあったが、各務は階段を駆け降りて逃げることを選択した。しかし、弱った足に重い体重。もつれた足が滑って、階段から転げ落ちる。
「ビルごと焼いちゃっていいかしら?」
『魔法少女として、それはまずいかな。』
 剣呑なことを言うガスバーナー少女を、骨格標本が止めた。
「じゃあ、焼くのはあのおっさんだけにするか。」
 残念そうに言いながらガスバーナーを手に近付いてくる少女。
『唄え!「君は野に咲くアザミの花よ、見ればやさしや、寄れば刺す」じゃ!』
 青い火をつけたガスバーナーと、床の上に倒れた各務の間に立ち、叫ぶダルマ。
「あら、あなたが先?張り子の体はよく燃えるでしょうね。」
 嬉々としてガスバーナーをダルマに向ける少女に、各務はよろよろと立ち上がり、恥じを捨てた。
「君は野に咲くアザミの花よ、見ればやさしや、寄れば刺す!」
 朗々と唄い上げ、エア三味線をかき鳴らした瞬間、本物の三味線が各務の手の中に現れる。そして、各務の体が光に包まれた。

 光の中から現れたのは、赤い着物に結い上げ髪のお端折りも可愛い十代前半の少女だった。半襟や帯留めにレースが使ってあって、着物はどこか今風で、結い上げた髪にはトンボ玉のかんざしがささっている。

 各務の声に、なぜか顔を赤くしたガスバーナー少女に、各務が変身した赤い着物少女は、自分を見下ろしながら呆然と呟いた。
「これは、魔法少女じゃなくて、和風少女じゃないのか?」
『そんなことを言うておる場合ではない。拙者が焼かれてしまうではないか!』
 ダルマの声に赤い着物少女ははっと我に返り、三味線をかき鳴らす。
 でたらめな不協和音がガスバーナー少女の鼓膜を襲った。
「いや!やめて!その音、キライー!」
 適当に鳴らしただけなのに過剰反応するガスバーナー少女に、赤い着物の少女、各務は「こんなんできくのか。」と驚きつつも、悲鳴を上げるガスバーナー少女の前に駆け寄り、各務は素早くガスバーナーを取り上げた。
 すると、少女は泣きながら座り込む。
 少女の体を光が包み込み、黒いスーツに引っ詰め髪のメガネの四十代半ばのふっくらとした女性へと姿を変えていく。
 その姿は各務のよく見知った人物だった。
「山岸さん!?」
 事務課のお局様と呼ばれている、独身で仕事がばりばりできる彼女の名前を呼び、各務はぞっとした。
 自分は何という相手に勝ってしまったのだろう。
『よくやったぞ。拙者も嬉しい。それでは、次の戦いでまた会おう。』
『悔しいが、新しい魔法少女を探して、もう一度挑みに来るからな!』
 凍りついた各務を置いて、さっさとダルマと骨格標本は用は済んだとばかりに消えていった。
 各務の手からはいつのまにかバチが消え、各務はただのグレーのスーツの冴えない壮年に戻っている。
「か、各務さん、五年前くらいの送別会で、カラオケで、外国の曲を歌ったでしょう?かっこよくて、あれ以来……。」
 どんな嫌味を言われるかと身構えていた各務に、ぽつりと山岸が言葉をこぼした。その頬が心なしか赤いような気がする。
「いや、俺は、年だし、太ってるし、髪も薄いし……。」
「私、音痴だから、声がきれいで歌が上手い人が好きなんです。」

 どうやら、各務が彼女から奪ったのはガスバーナーだけではなかったようだ。

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