白の垣間見 1

 研究室に入ったリーツは、その埃臭さに咳き込みながら何気なく机へと目を向けた。するとその上に、普段はないものが置かれていることに彼は気づく。
 それは無造作に置かれた鍵だった。鈍い色をしており、貧弱な机の上でその存在を主張している。
「ああっ、今日は当番の日かよ」
 彼は顔をしかめて、ゆっくりと机の前へ歩み寄った。しわの着いた白衣が揺れ、埃をさらに巻き上げる。
 その鍵は見回りの際に必要な物だった。いつもは手渡しだが、いなかったので勝手に置いていったのだろう。彼は寝癖の残る髪をかきあげて、盛大にため息をつく。
 相方はいつも通り、セレイラであろう。
 そう考えるとますます憂鬱だった。
「まいったなあ、昨日思いっきり喧嘩したばっかりなのに」
 彼は昨日彼女と些細なことから口論となり、喧嘩別れしたところであった。今朝は顔を合わせてないため、もちろん仲直りもまだである。
「確か前の見回りは……四日前じゃなかったっけ? あーあ、よりによってこんな時に」
 今にも崩れ落ちそうな書物と何枚もの金属板の隙間から、彼はその重たい鍵を救い出した。机の上はかろうじて手をかけるスペースがあるくらいで、あとは古びた書物に覆われている。
 彼はそのまま研究室をあとにし、薄鼠色の廊下を歩いていった。窓から見える景色も灰色その物で、陰鬱な空気をかもし出している。
 彼の通うこの研究所は、イレイ連合でも有名な数少ない中立研究施設だった。惑星イルーオを丸ごと利用し、他の星とは物理的にも政治的にも一定の距離を保っている。研究所やその他の生活に必要な設備は、全て巨大なドームの中に収まっていた。それが一つの街を形成し、研究者たちはそこから出ることなく生活している。
 だが問題もあった。ドームの外はいわば手つかずの状態で、荒廃した大地が広がっているのだ。空気はあるにはあるのだが、人口太陽から遠いため常に氷点下の世界である。それでも時にはドームを外から点検しなければならない。それはいつも、見習い研究者の役目であった。
「この間は二ブロックだから……今日は三ブロックか」
 彼は三ブロックの出入り口へと向かい、重たい足を運んだ。寝癖のついた銀色の髪を後ろで束ね、頬を軽くはたく。
「気温は……氷点下二十度。まあいいところかな。ってセレイラの奴、まだ来てないのか。拗ねてるのか?」
 ドームの外へ出るにはここ中央研究所か、第二、第三、第四研究所に設置してある扉を使うしかなかった。その鍵は研究所内でのみ保管可能である。彼にしてみればどう考えても適当に作ったとしか思えない扉だったが、一応重要なものなのだ。そのため緊急時以外、鍵は一本しか持ち出してはいけないことになっている。
 つまり彼女を待つしかないわけだ。彼はさらに憂鬱になり、小さく息をこぼす。
「リーツ」
「ん? あ、セレイラ」
 そんな彼へ背後から澄んだ声がかかった。胡桃色の髪を無造作に流した女性が、醒めた瞳のままそこに立っている。二十歳になったばかりのはずだが、最近は以前よりずっと大人な雰囲気をかもし出していた。それはおそらく立ち振る舞いのせいだろう。彼は手をひらひらとさせて彼女を見る。
「一人で勝手に行かないでっていつも言ってるでしょう? あなたの部屋に行ってもいなかったから、探したのよ」
 セレイラはそう言いながら足音を響かせて彼の隣へとやってきた。そして鍵を奪い取るようにすると、軽やかに背を向ける。背が高い彼女の顔は彼のすぐ横にあったが、その表情は陰になって見えなかった。だが声には怒りが滲み出ている。
 彼はいなすように手を軽く振りながら、適当に相槌を打った。振り向かない彼女を一瞥して、彼は扉の傍にかかっているコートに腕を通す。
「悪かったよ。ほら、さっさとすませよう」
 いつまで怒ってるんだよ、という苛立ちを何とか押し殺し、彼は肩越しにそう答えた。振り返った彼女は一度片眉を跳ね上がらせ、それでも反論はしないで同じようにコートを羽織る。
 中身は前と変わらないな、と彼は心中でつぶやいた。成長しているのは見た目だけで、無鉄砲で勝手なのは今まで通りだ。だが変わらないのは自分もだとそこでふと思い返し、彼は苦笑する。今だってこうやってくすぶって、結局何も言わないのだ。
 分厚いコートでもこもこになった二人は、静かにドームの外へと出ていった。扉を閉めればそこは凍てつく零下の世界。重たい雲で空は見えず、差し込む光も弱く、強い風がすすけた大地を撫でている。
 言葉を交わすことなく、黙々と二人は点検を続けていった。
 早く終わらせるに越したことはない。二重の意味で居づらい空間に、長居は無用だ。
「セレイラ?」
 だが彼はふと、傍にいたはずの彼女が立ち止まっていることに気がついた。立ちつくした彼女は呆然とした様子で、荒野の先を見つめている。
「リーツ、あれ」
 彼女は視線の先へと指先を向けた。彼は不思議そうに瞬いて、その指さす方へと目を凝らす。
 そこに、何かがあった。
 ひからびた大地しかないはずの場所に、何か白っぽいものが見えた。この距離で、しかも肉眼で確認できるということは、相当の大きさなのだろう。
「行ってみましょう」
 彼女が足早に歩き出す。好奇心が騒いだというところだろうが、確かに放っておくわけにもいかなかった。彼も小走りで駆け、彼女を追っていく。
「これは……」
 しばらく歩いたところで、彼らはようやくその白い物体の所へ辿り着いた。
 それは、宇宙船のようだった。
 なだらかな流線型の形は美しく、所々砲門のようなものが見える。だが明らかに着陸に失敗したようで、大地の中に半分程埋まっていた。こんなものが落ちてくれば相当の衝撃があったはずだが、しかしそんな異変は研究所では感知していない。
「宇宙戦艦?」
 彼は声を上げた。話には聞くし映像で見たことはあるが、実物は初めてである。その優美さと迫力に、彼は圧倒されていた。
 でも、こんなものが何故こんなところに?
 彼は首を傾げ、しげしげとそれを見つめる。衝突の際にでもかぶったのか、土が所々にのっており汚れていた。
「扉が……開いてるわ」
 彼女がぽつりとつぶやく。その視線の先には、埋まりながらも半分程口を開けた扉が存在していた。その先は闇のように暗く、中は全く見えない。
「ま、まさかセレイラ……」
「入るわよ、もしかしたら生存者がいるかもしれないんだから」
 彼の危惧は的中し、彼女は迷うことなく中へと入っていった。
 確かにこの惑星は中立だが、中にいるのが善人とも限らないのだ。慌てる彼をよそに彼女の姿は見えなくなる。
「おいっ、セレイラ!」
 彼は彼女を追って、暗闇の中へと身を投じた。傾いだ床のせいでバランスを崩し、彼は慌てて壁にへばりつく。
 宇宙船の中は薄闇だった。目が慣れてくればある程度何があるのかわかり、つまずく心配はなくなる。驚く程何もないその船の中は不思議な空気をかもし出していた。造りはそんなに複雑ではなさそうである。
「最近の宇宙船じゃあないわね」
 彼女が周囲を見回しながらそう分析した。壁に背をあずけた状態で、あちこちに視線を漂わせている。宇宙船の話は彼にとっては専門外だったが、彼女はどうやら知っているようであった。何も答えられない彼などかまわず、彼女はつぶやくように言う。
「埋まってるのが先頭部分ってところかしら。ってことは操縦席はたぶんそっちね」
 斜めになっているため廊下をまともに歩くことさえできない。壁づたいにゆっくりと降りながら、彼女は操縦席の方へと向かっていった。
 いくら何でも危険すぎる。彼は薄闇の中で彼女へと手を伸ばした。
「セレイラ――」
「黙って」
 冷たい声に、彼は口をつぐむ。彼女はそれ以上何も言わずに傾いだ扉へゆっくりと手をかけた。力を込めればそれは簡単に動き、音を立てて開き始める。
 そしてそこには――
「こ、子ども?」
 まだ十にもならない少年が、仰向けになって倒れていた。

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