白の垣間見 2

 ドームへと戻り廊下を進んだリーツたちは、誰にも会うことなくセレイラの研究室へと辿り着いた。昼時のはずなのだが、皆どうやら論文に追われて忙しいらしい。昨日は彼も研究室で適当に済ませたくらいだから、大概の者はそうなのだろう。面倒な説明が省けるという点において、それはありがたかった。
 セレイラの部屋は予想通り綺麗だった。きっちり並んだ棚に整頓された本、机の上には数枚の資料があるくらいで、同じ見習い研究者の部屋とは思えなかった。壁の色も窓の位置も彼のものと同じはずなのに、ずいぶんと広く明るく見える。
「そこにあるソファに寝かせて。ベッドになるから」
 彼女の指示に従い、彼は隅にある生成色のソファへと少年を寝かせた。癖のある黒髪から土がこぼれ落ちるが、今は気にしてもいられない。彼女も文句は言わないだろう。
 彼が手を離しても、少年は身じろぎ一つしなかった。単に眠っているだけなら心配ないのだがと、その姿を見下ろして彼は顔を歪める。ショックで気を失っているだけならいいのだが……。
「寝かせたぞ」
「ありがとう。そこにある毛布でもかけておいて」
 彼が腰を伸ばすと、白い紙を手にした彼女はソファの横を指差した。そこには蓋付きの箱が一つ置かれている。傍に寄って開けてみると、中には小さな焦茶色の毛布が入れられていた。ずいぶんと準備がいい。毛布を取り出し蓋を閉めると、彼はそれを少年へと掛けた。彼であれば膝下がはみ出るような大きさだが、この少年には丁度いい。
「まだ気がつかないのね」
 するとすぐ横に彼女が並んだ。難しげな顔をして俯きながら、細い顎に右手を当てている。頷いた彼は、先ほどの宇宙船の様子を思い起こした。研究所では何も感知できなかったとはいえ、中にいた者にはそれなりの衝撃があったのだろう。すぐ目覚めてくれればいいが。
「ってそうだ、医者を呼ばなくちゃな」
「あ、リーツそれはちょっと待って」
「は? 何でだよ?」
「まだ誰もこの部屋には入れないで」
 そうだ、危うく忘れるところだった。この少年を医者に診せなければ。そう思って振り返ろうとした彼の腕を、彼女の手が慌てたように掴んだ。細い腕とは思えない力強さに、彼は思い切り顔をしかめる。まだ何かあるのか?
「セレイラ、どういうつもりだ?」
「この子のこと、他の人には知らせないで」
「じゃあどうやって医者に診せるんだよ」
「だから待ってって。この距離を背負ってきても呼吸だって乱れてないんだから、きっともうしばらくすれば目を覚ますわよ」
「さっきと言ってることが違うんじゃないか?」
 意味がわからない。理解できない。それでも依然として、彼女は彼の手を離そうとしない。彼はもう一度横たえられた少年を見下ろした。
 確かに、今にもどうにかなりそうな様子は見受けられない。しかし何かあっては大変だからと、宇宙船を放ってここへ運び込んだのだ。一刻も早く医者を呼び、そしてあの船のことを中央研究所に報告すべきだろう。ここで待つ理由はない。
「誰かに知られたら、どこから連れてきたんだって聞かれるでしょう? あんな宇宙船に乗ってきたなんてことがばれたら、どうなると思う?」
「……え?」
 彼女は少年を見つめていた。片眉を跳ね上げた彼は、そんな彼女の横顔を一瞥する。あんな宇宙船という響きには確かに何かがあった。妙な予感がした。彼は固唾を飲み込むと、怖々と口を開く。
「どういうことだよ」
「この子がどこから来たのかはわからないけど。でもきっと遠く……おそらくはアースね」
「――は?」
「ここから普通の宇宙船で行くと、一体どれだけの時間が必要か。アースへの直行便なんてないから、近くの星まで行くしかないわね。いや、アースへ出てる船なんてないから、それなりの宇宙船を借りないと駄目か。それを見つけるまでに何ヶ月かかるんだか」
「お、おい、何の話をしてるんだ?」
 彼女の言葉が、これほど理解できないことはなかった。何を話しているのかわからない。どうしてアースなどという単語が出てきたのか、どうして帰りの宇宙船の心配をしているのか。停止しかけた彼の思考では、何も考えられなかった。口をあんぐり開けていると、彼女は呆れた眼差しを向けてくる。
「ちょっとリーツ、聞いてる?」
「聞いてる。聞いてるがわからない。セレイラ、何を言ってるんだ?」
「なによリーツ、ここまで言ってもわからないの? あれはね、第一期の宇宙船よ」
 手にしていた紙を彼女は掲げた。ぎっしり文字で埋められたそれには、一枚の写真が貼り付けられている。一見しただけでもかなり古そうな資料だった。彼女の言葉から推測するに、それは第一期のものなのだろう。写っているのは何かの破片だけだが、第一期の物ならそれでも十分価値がある。
 そう判断すると同時に、あり得ないと彼は否定した。否定したかった。あの宇宙船が第一期のものだなんて、そんなものがこの星に現れるだなんて信じられない。そんなはずがない。
「まさか……」
 唇からこぼれた言葉も震えている。情けないほどだ。だが神妙に頷いた彼女は、嬉しそうに口の端を上げた。
「間違いないわ。あれは第一期の――つまり、魔法を動力源とした古代の宇宙船よ」
 彼女の声は歓喜に満ちあふれていた。それも仕方あるまい。彼女はここイルーオでも数えるほどしかいない、第一期の技術を専門とする研究者なのだ。いや、正確には研究者見習いだが。
「この私が見間違えるなんてことはないわ」
 彼女の瞳には力強い光が宿っている。こういう時は何を言っても無駄だと、彼は経験上知っていた。下手に口を挟まない方が話が進むくらいだ。
 世界は二度滅んだと、一般的には言われていた。だが研究者たちに言わせれば、世界は三度滅んでいた。
 一般人には知られていない、第一期と呼ばれる時代がある。世界には未知なるエネルギーが溢れており、それを利用した技術が全ての土台となっていた。だがそれがある時を境に忽然と途絶え、第二期へと突入する。
 第二期は核エネルギーを中心とした時代だが、これは核戦争により終わりを迎えていた。馬鹿馬鹿しい戦争だったと聞くが、その発端を知る者はいない。そして残念なことに、その時代の技術の大半は今は失われたも同然だった。
 第三期も同じように、些細なことで始まった戦争により技術が失われている。取り戻しかけていた知識も、あやふやなまま残されただけだった。
 そして現在は、それらの失われた技術をかろうじてつぎはぎにした、技術のない時代だった。研究者たちは失われたものを再構成するのに躍起になり、今も没頭し続けている。イルーオの研究者たちもだ。
「でも第一期は……神話の中の話だろう? 魔法についてはまだ実証されてない」
 未知なるエネルギー、幻の力をもとにした技術など、探究している者は少数だった。これだけ研究者が集まっているイルーオでさえそれは同じだった。
 それは神話の中の出来事で、空想の力で、たとえかつては存在していたとしても、再現することができない意味のない技術だ。もちろん実際に幾つかそれを裏付けるような欠片が見つかってはいるし、彼女のように専門に研究する者もいる。そんな時代などなかったと、彼も否定したいわけではなかった。
「ええ、みんなそう思ってるみたいね。でもあの船は間違いなくホワイティング合金でできてたわ。見たことがあるし、触ったこともあるもの。あれは第一期のものでしかあり得ない」
 できるだけ穏便にその旨を伝えたかったのだが、彼女は再度深く頷くだけだった。その合金の名なら彼も何度か聞いたことがある。詳しくは知らないがこの研究所でしか保管されていない貴重な物で、とんでもない力を秘めているらしかった。彼女が触れたこともあるとは初耳だったが。
「わ、わかった。あの宇宙船が第一期のものだってことはとりあえず認める。だけどそこでどうしてアースが……地球が出てくるんだ?」
 それでもまだ彼女の言葉が理解しきれず問いかけると、大きなため息を吐かれてしまった。専門である彼女の思考に追いつけるわけがないのだが、口喧嘩しても仕方ないので文句は飲み込む。顔をしかめるのも彼は堪えた。
「呆れた。リーツってば、本当に第一期のことは何も知らないのねえ。あんな物が手つかずのまま残ってるなんて、アース以外に考えられないじゃない。ホワイティング合金の欠片だって、何百年前だかアースから飛び出してきた宇宙船の中にあったのよ」
 彼女の口からさらなる説明が飛び出した。何か言い返す代わりに、彼はその星の名を記憶の中から引っ張り出す。研究者であれば誰もが耳にするものの一つだ。
 現在アースと呼ばれている惑星――地球は、未知なる星としてある意味有名だった。そこに住む人間は絶滅したとも噂されており、試みてはいるもののいまだに交信が取れていない。そこから外へと飛び出してきた者も、ここ数百年は皆無だった。
 確かにアースにならば、あんな宇宙船があってもおかしくはないだろう。そう言われれば彼も納得ができる。そしてようやく、先ほどの彼女の言葉が理解できた。
 ホワイティング合金の欠片が厳重に保管されているくらいだ、あの宇宙船も同じ道を辿るだろう。そうなるとこの少年が帰るためには、別の宇宙船が必要となる。そしてそれには途方もなく時間がかかるということだ。アースまで行けるような高性能な宇宙船を、そう簡単に借りられるとは思えない。
「ってまさか――」
 そこまで考えたところで、彼女の考えが読めた。と同時に愕然とした。まさか彼女はあの宇宙船でこの少年を帰すつもりなのか? そんなことをしても平気なのか? もし後々他の者に知られたらどうなるのか、彼には考えたくもない事態だ。
「おい、セレイラっ」
「何も言わないで。目覚めたこの子から話を聞いて、そして考えましょう。それからでも遅くはないじゃない」
「でも確かお前、もうすぐ見習い卒業じゃ――」
「もしもただ巻き込まれただけだったとしたら、どうなると思う? この子の親はどう思う? この子が帰った時、まだアースに家はあると思う?」
 彼女の静かな問いに、彼は答えることができなかった。やせ細った体にぼろぼろの服を着た少年は、決して裕福な生活は送っていないだろう。平和な世界にいたとも思えない。少なくともイルーオよりは混沌とした星のはずだ。
「だからせめて、この子が起きるまでは待っていて欲しいのよ。それくらいはいいでしょう?」
 そう言われると反論はできず、彼は何も言わずに小さく頷いた。二人はしばらくそのまま、規則的な呼吸を繰り返す少年を見下ろしていた。

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