白の垣間見 3

 セレイラが時間稼ぎに出ている間、リーツはケイチをつれて隠れながらドームの外を目指していた。
 鍵を返していなかったのが幸いである。人目にさえ付かなければ、ケイチを外へ連れ出すことは造作もなかった。
「本当に大丈夫なの? 僕はお母さんたちの所へ帰れるの?」
 思い出したように尋ねるケイチの頭を、リーツは撫でる。灰色の廊下には人気がなく、ただ遠くから聞こえるざわめきに追い立てられているような心地がした。
 全てを話して、保護してもらうべきじゃないのか?
 宇宙船が動くという保証はどこにあるんだ?
 決心を鈍らせる理性の声がリーツを追いつめる。だが同時に脳裏をよぎるのは、最後に見た両親の後ろ姿だった。
 研究だからと、仕事だからと、そう言って去っていった大人たち。それを恨めしく憎らしく思っていた幼い頃なんか、彼はすっかり忘れていた。
「研究者であることと、いい人であることって、両立できないのか?」
 口の中で転がした言葉は、誰の耳にも拾われず空気へと溶けていく。
 悩みながらも走るリーツの目に、ドーム外へ通じる扉が見えてきた。知らない者が見たなら普通に通り過ぎるだろうその横には、もこもこのコートが用意されている。
「これを着るんだ、ケイチ」
「え、ええーっ? でも大きいよ、これ」
「何も着ないよりはましだ。外は寒いぞ?」
 リーツはそのぶかぶかのコートをケイチに着せた。いや、正確にはかぶせてくるめた。自分もコートをきっちり着込むと、コートその物にしか見えないケイチを抱きかかえて、リーツは扉へと鍵を差し込む。
 ドームの外には、先ほどと変わらない茶色に染まったすすけた大地が広がっていた。そのことに驚いたのか、コートの中からケイチは顔を出し、不思議そうに目を白黒とさせている。
「これが惑星イルーオの真の姿さ」
 そう説明しながらリーツは壁づたいに宇宙戦艦のあった方へと向かっていった。息を殺しながらしばらく進んでいくと、どこからかかすかな話し声が聞こえてくる。彼は足を止めた。
「すると何だ、あれはホワイティング合金でできていると言うのか?」
「ええ、そうです。ですから取り扱いは慎重でなくてはならないと思います。一度資料を取りに行かなくては」
 それは第一期研究長のしわがれた声と、凛としたセレイラの声だった。簡単な調査が終わったところで、一度研究室にでも戻ろうという話らしい。
 それだけセレイラは信頼されているのか……。
 確かに第一期の研究をする者はほとんどいない。今でも十分少ないが、志す者がほとんどいないとなればこのまま廃れていくのも必至だった。そんな中で彼女、セレイラは、期待の新人なのであろう。
 まさか彼女が裏切るなんて、予想してるはずがない。
 声は次第に遠ざかっていった。そしてついには全く聞こえなくなる。しかし彼は用心して、しばらくはそこに身を潜めていた。
 よし、もう大丈夫だろう。
 そう判断すると、彼はケイチを抱えたまま全力で駆けだした。向かうのは宇宙戦艦、その壊れかけた出入り口だ。できるだけ足音を立てないように、だが速くと心の中で唱えながら、彼は一直線に走っていく。
 もう少し。
 彼がそう安堵した時だった。切り裂くような声が彼の鼓膜を震わせる。
「不審者がいるぞ!」
 それは後方から聞こえてきた。肩越しに振り返ると、研究者の一人らしい若い男が声を上げている。第二ブロックの扉からてっきり出ていったものと思いこんでいたが、どうやらまだ残っていたらしい。よく考えれば、宇宙戦艦の位置からその扉までは少し距離がある。
 早まったと後悔したが、後戻りはできなかった。無事ケイチを帰さなければ、怒られ損である。
「だ、大丈夫なの!?」
「大丈夫、だからしっかりつかまっててくれ」
 動揺するケイチに、リーツはそう答えて走り続けた。後ろからはざわめきと、小さな悲鳴がかすかに耳に届く。
 これは……セレイラの声?
 振り返りたい衝動にリーツは駆られた。だが止まれば最後と言い聞かせ、彼は走り続ける。
 宇宙戦艦は最初見た時と同様、半分程土の中に埋もれていた。入り口も同じく、半分口を開けた状態で土の中にめり込んでいる。
「さあケイチ、とにかく中にはいるんだ」
 暗闇を怖がるケイチの背中を押し、リーツは背中を気にしながらそう言った。ちらりと振り返れば、走り慣れていない研究所員たちが顔を真っ赤にしてやってくる姿が目に入ってくる。
「で、でも……」
「とにかく入るんだ。それから何でもいいからボタンを押して、とにかく扉を閉めるんだ」
 自分の言ってることが無茶苦茶だとリーツはわかっていた。しかしこれといった術もないため、それ以上のアドバイスはできない。
 ここに来る前だって扉は開いていたはずなんだ、ケイチが入れたんだから。それでも無事辿り着けたんだから、ちゃんと戻れるはずだ。
 ケイチを何とか中へ押し込むと、彼は後ろの研究所員たちを見やる。後十秒もすれば追いついてくるだろう。彼の背中を冷たい汗が流れた。
「お願いだから飛んでくれっ」
 知らずに口からもれる言葉。
 リーツは船を背にして、いざというときはくい止めようと足に力を込めた。
「お願いっ、ケイチをアースへ帰して!」
 研究所員たちのさらに向こうから、セレイラの声がする。
 彼も祈った。
 ケイチをアースへ、親のもとへ。何も知らぬ少年を、母なる大地へ。
 刹那、船の周りを淡い光が包み込んだ。
 白一色に覆われていた船体の所々がエメラルド色に光り、そして次の瞬間には薄紫色の輝きが全てを覆い隠す。
「ケイチ!?」
 リーツは叫んだ。慌てて振り返るがあまりのまぶしさに目を灼かれ、彼は腕を顔の前に掲げる。
「お願いっ!」
 セレイラの祈りが彼の耳に届いた。
 だが何が起こっているのか彼には全くわからなかった。ただ漠然と、ケイチが助かったという不思議な安堵感を覚えていた。
 光が収まると、クレーターを残して船は跡形もなく消え去っていた。



「セレイラ、処分はどうだった?」
 第五会議室――別名牢獄と呼ばれた部屋で、リーツは硬い椅子に腰掛けていた。この殺風景な部屋には同じ椅子が三つ、そして今にも壊れそうな机しか置いてない。
「自宅謹慎、二週間だそうよ。あなたは?」
「俺は一週間」
「あら、あなたの方が短いのね。何だか気に入らない」
 冷たい扉を開けて入ってきたセレイラは、空いている椅子の一つに腰を下ろした。散々説教されたのだろう、不満そうな顔は子どもっぽい印象を与える。
「それで……その、見習い卒業の話は?」
「ああ、一年はお預けだそうで。まあ一生お預けといわれるよりはましだけどね」
 彼女は髪をほどくと、首を軽く横に振る。解き放たれた胡桃色の髪は軽やかに舞い、彼の視線を奪った。
「そ、そうなのか……」
「そういうリーツはどうなの? 何か言われなかった?」
「いや、どうせまたセレイラにそそのかされたんだろうって言われて。それだけさ」
「あららー幸せな身分だこと。羨ましいわね」
 彼女は口の端をかすかに上げる。彼はばつが悪そうに視線をそらし、この部屋唯一の窓から外を眺めた。
 ホログラムの空は既に藍色に包まれ、もう世界は夜なのだと告げている。所々に灯された明かりはほのかに揺らめき、温かな色合いを与えていた。
「そういえばセレイラ。俺、研究所長に言われたんだけど」
 先ほど不思議そうに口にされた問いかけを、彼はふと思い出した。その横顔をじっと見つめると、どこかいたずらっぽい瞳をして彼女はゆっくりと振り返る。
「なあに?」
「ケイチのこと。ちゃんと話してくれればもう少し考えたのに、って。別に何も知らない少年を拘束する気なんてないからさ、って」
 そう彼が口にすると、彼女はくすくすと笑い声をもらした。わけがわからない彼は首を傾げ、彼女の答えをじっと待つ。
「そうかもね。まあ音信不通のアースへ子どもを帰すのは相当難しいと思うけど」
 彼女は立ち上がった。軽やかな足音をたてながら窓辺に近づくと、そこから彼女は外を眺め始める。なお怪訝そうな彼の眼差しを受けても、彼女は振り向かなかった。
「リーツ、第一期の魔法には、何が必要だったかって知ってる?」
「え? そんなの、俺が知ってるわけないだろう」
 外を見つめながら彼女は問いかけてきた。首を横に振る彼に、彼女はおもむろに双眸を向ける。
「思いよ。第一期の世界を支えていたのは、思いを力に変換する技術なの」
「え? ……まさか!?」
「そう、だから試してみたの。ケイチを少しでも早くアースに帰すには、それしか方法がないからね」
 開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだった。彼は唖然としたまま、彼女の妖艶な笑顔を見つめる。
「そのためにケイチや俺を利用したのか!?」
「さあどうでしょうね? でもケイチも無事に帰れたし、私も満足な結果が得られたし、結果的には良かったんじゃないかしら」
「俺は何も得してない! それに、ケイチがちゃんとアースに帰れたかはわからないだろう?」
 彼も椅子から立ち上がった。心の奥からぷすぷす音を立ててわいてきた怒りが、その拳を震わせる。微笑む彼女を彼は真っ向からにらみつけた。
「帰れたわよ。だってあの宇宙船は女神が守る船だもの」
「女神?」
「薄紫色の光は、女神の力の証。あの船はアースに残された、女神のものだったのよ」
 それはおとぎ話の中のことだと、彼は声を上げようとしてはっとした。だが実際彼は見たのだ、あの船が輝き、そして消えるのを。
「神話は神話じゃなかった。実在した、技術だったのよ」
 得意そうに告げる彼女の瞳は輝いている。それは好奇心に溢れる子どもの持つ輝きだった。彼は微苦笑を浮かべ、整えられていない銀色の髪をかきあげる。
「そういえば俺たち、喧嘩してたんだっけ?」
「そうよ。おとぎ話にばかり夢中になるのは変だ、そんな後ろ向きなことばかりしてるから性格がひん曲がるんだ、ってあなたが言うから」
「……」
「その考え、撤回する気ある?」
 彼女の口元が妖艶に上がる。彼は考えあぐねて、すっと視線を逸らした。
「まあ、保留ってことで」
「ちょっと何よそれ、リーツ!」
 静けさの支配するはずの部屋に、怒声が響き渡る。
 それからしばらく続いた口喧嘩がかたりぐさとなることを、二人はまだ知らない。

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