第三話 藍の印に相見え

「お前たちに次の任務だ」
 おんぼろ長屋こと時雨組しぐれぐみの本拠地に着いた早太はやたに、頭は開口一番そう言った。早太の隣には笑顔の千鳥ちどりが立っていて、任務と聞いて嬉しそうに両手を上げている。
 正直何故千鳥が喜ぶのか、早太にはわからなかった。
 早太が脅しも同然の手口で時雨れ組に引き入れられたのは、つい一月程前のことだ。偶然千鳥に助けられた早太は何故か彼女に気に入られ、結果的にはまんまと相棒にされていた。それまで彼は時雨組という存在そのものを知らなかったのに、だ。術師じゅつしによる対術師専門の警護団、それが時雨組。早太は術師ではないのだが、持ち前の体力と爆薬のおかげで何とか仕事を全うしていた。
 いや、実際は彼の体力も爆薬もその力を発揮する必要がなかった。
 初めての仕事は頭の姪を護衛するというものだったし、その後幾つか任せられた仕事も見張りや護衛と簡単なものばかりだった。時雨組の象徴である藍の羽織が威力を発揮しているのか、絡んでくる者すらいない。正直もっと厳しい仕事だと思っていただけに、拍子抜けするくらいだった。
 だから何故千鳥が喜ぶのかわからないのだ。次の任務といったって暇なだけのつまらない仕事に決まっているのだ。それでもちゃんと貰えるものは貰えるのだから、割のいい仕事だとも言えるが。
「今度の任務はな、五の組と一緒にやってもらう」
「五の組?」
 続く頭の言葉を、早太は不思議そうに繰り返した。別の組と共同で仕事をした経験は今のところない。時雨組にはいくつかの組が存在しているらしいが、早太はろくに顔を合わせたこともなかった。時雨組には専用の長屋があって、そこに行けば組の者たちが多く暮らしているという。しかし早太は以前住んでいた長屋にそのまま残っていたから、彼らとも顔を合わせる機会がなかった。だからいるという事実を知っているだけで、まともに挨拶したことすらない。
「ああ、そうだ。嬉しいだろう? 千鳥」
「やったー! ありがとうお頭のおじさん。最近忙しいみたいでさ、全然会ってなかったんだよね」
「ああ、そりゃあ、そうだろうな」
 しかしどうやら千鳥の知り合いはいるらしい。頭がいかにも人の良さそうな顔で笑うのを見て、全ては千鳥のためかと早太は納得した。白い鉢巻きに藍色の羽織、焼けた肌に快活な笑顔の頭は、見た目と反して要注意人物だ。が、千鳥には甘いという弱点があった。久しぶりに会わせてやろうと、そういう心意気に違いない。
「まずはことと合流してくれ、今日ならいつもの長屋にいるから。あ、そうだ早太。お前もそろそろみんなと一緒に住んでみろ。お前一人離れてると、使いを出すのも面倒なんだよなあ」
「え?」
「問答無用だ、わかったな。部屋は空けといてやるから」
「はあ」
 そう、こんな調子に頭は勝手なのだ。まだ八つの千鳥には優しいが、大人でしかも男である早太には容赦ない。かといって逆らうこともできず、渋々早太はうなずいた。下手に反抗して後で痛い目を見るよりは、素直に従っておいた方が色々と楽だ。
「よし、じゃあ早速行こう! ね、早太」
「おう」
 術師とはとんでもない奴らばかりだ。そんなことを思いながら、早太は伸ばされた小さな手を握った。千鳥の手は喜びに興奮したのか、ほんの少し汗ばんでいた。



 時雨組専用の長屋は綺麗とは言い難いものだった。近くの長屋や店と比べても手入れが行き届いてなく、所々には背の高い雑草まで生えている。とはいえそれなりの大きさがあるし、少し歩けば店の並ぶ通りにも出られるしと、住む身となれば割と便利そうではあった。井戸もすぐ傍にあることを考えれば悪い条件ではないだろう。
 だがそれよりも何よりも、早太の目を奪うものがあった。
 古びた問の前では、一人の若い女が待ち受けていた。黒い髪を頭の上で一本に結わえ、藍色の羽織を着た二十歳ほどの女。そう、待ち合わせた相手は実は女だった。体格は華奢な方だろう。背丈は普通の娘とあまり変わらないが、肌は人形のように白い。しかし何より挑みかかるような黒い瞳が印象的だった。まず、間違いなくそこらにいる女ではない。自らの強さを信じ切った瞳が、早太へと真っ直ぐ向けられていた。
「琴ねえ!」
 そんな中、早太の手を離して千鳥が走り出した。頭も言っていたが琴というのが彼女の名前なのだろう。その女――琴は飛びついてきた千鳥を見下ろすと、ほんの少し目元をゆるめた。そういう表情は年相応らしくて可愛らしい。もっとも藍の羽織を身につけているのだから彼女だって時雨組の一員で、つまり術師なのだが。
「琴ねえ、琴ねえ、今回一緒のお仕事だって!」
「そうよ、千鳥。今日はこれから仲良く馬鹿者退治よ」
「ずっと会えなくて寂しかったよー」
「ごめんね、千鳥。何故かこの一月の間きつい仕事が連続でね。もう大変だったのよー。隣町とかそのまた隣町まで行かないといけなかったり。もうあのお頭、今度こそ息の根を止めてやりたいわ」
 表情からその内心は伺えないが、琴の言葉はまるで呪詛のようだった。瞳の印象と違わず、はっきりものを言う性格らしい。千鳥はころころと笑いながらそんな琴に抱きついていた。そういった発言はいつものことのようだ。琴の指が千鳥の髪を軽くすく。
「それであなたが、千鳥の相棒ってわけね」
 すると突然、彼女の双眸が早太へと向けられた。これだけ意志の強い瞳に見つめられると、何故だかにらまれているような気分になる。早太は何とか首を縦に振り、反応を待った。琴はゆっくり千鳥を引きはがし、その銀の髪をまた撫でる。
「なるほど、あなたが術師でもないのに時雨組に入ったお馬鹿さんね」
「なっ……! お、俺はあのお頭に――」
「わかってるわ、言いくるめられたんでしょう? 脅しも同然の手口で。それはわかってるのよ、大概みんなそうだから」
 正直琴が何を言いたいのか、早太にはわからなかった。怒っているのか呆れているのか、それとも早太を試そうとしているのかもわからなかった。ともかく今早太にも理解できることは、琴が頭を嫌っていることと千鳥をかわいがっていることくらいだ。それ以外はあれこれ考えても推測にしかならない。
「この一月、あなたたちの仕事は楽だったでしょう?」
「え?」
「そのはずよ。本来なら均等に分配されるはずの仕事、かなり私たちに回ってきたはずだから」
「え? ええっ!?」
 けれども続く琴の言葉には、さすがの早太も動揺した。確かにその通りで、暇だと思うくらいの仕事しか回ってきてはいなかった。初心者だからだろうかと思っていたが、よく考えればあの頭がそんな親切心を持っているわけがない。ならば何故か? そうする理由は何か? 朧気ながら早太にも事情が飲み込めてきた。
「ひょ、ひょっとしてあのお頭、あんたを怒らせるために……?」
「でしょうね、そうでしょうね。ついでに言えば次期お頭の腕前でも試そうと思ってるんじゃないのかしら。本当迷惑だわ」
 琴は腕組みをすると不敵に微笑んだ。言葉のわりに満足そうな笑顔で、早太は首を捻る。やはり彼女はよくわからない。術師だからだろうか? それとも彼女だからだろうか? そんな中一人楽しそうな千鳥は、琴の周りをぐるぐると回っていた。その銀の髪が生き物のように跳ねている。
「よかったわ、千鳥の相棒がお頭に騙されてなくて」
「は、はあ? ……ってまさかそれを確認するために?」
「当たり前でしょう? あのお頭、一見人の良さそうな顔してるんだから。可愛い千鳥が大変な目に遭うようなら、私は手段を選ばないわよ。あのお頭相手だって勝ってみせるわ」
 琴はそう言うと握った拳を胸の前に掲げてみせた。どうやらあの頭も実は強いらしい。一人勝手に宣戦布告する琴を見つめながら、早太は苦笑いを浮かべた。早太にそんな意気込みはないし、そのための力もない。松の木という妙な老人にもらった爆薬くらいしか、彼の武器はなかった。
「ねえねえ琴ねえ、たつにいはー?」
 すると一人会話に加われなくて不満だったのか、千鳥が頬をふくらませながら琴の着物を引っ張った。いつもよりも子どもらしい仕草に、何となく早太は和む。気のせいか琴の前にいると、千鳥も気がゆるんでいるようだ。頭の前でも甘えているが、それとはまた別の安心感を抱いているように見える。
「竜はもう先に潜入して動いてるわ。私たちはそこへ乗り込むの、今晩ね」
 琴はそう言い切ってまた不敵な笑みを浮かべた。竜というのはおそらく琴の相棒の名前だろう。何故一人なのかと思ったら、既に動き出していたのだ。かなり手際がいい。
「まずは打ち合わせね。早太、千鳥、今回は私の言う通りに動いてもらうわよ、いい?」
 お頭同様問答無用の口調で、琴はそう告げて笑った。早太はうなずきながら、何故だか沸き起こってくる不吉な予感に一人怯えていた。



 日の沈みきった山の中、その奥にある小屋の中からは男たちの談笑が聞こえていた。酔っているらしく時折罵声が飛び交い、何かを倒す音までする。中は悲惨なことになってるだろう。
 その小屋から少し離れた茂みに、早太たち三人は潜んでいた。先頭で様子をうかがっているのは琴だ。鋭い視線で辺りに注意を払いながら、突入する機会を慎重にうかがっている。
『いい? 全員取り逃がさず掴まえるのよ。今日のはあいつらも単なる酔っぱらいのはずだから、そんなに難しくはないわ。ただ一応術師には違いないから、油断だけはしないでね』
 昼間の打ち合わせで琴はそう説明した。今回の相手は隣町で悪さを働いている術師らしい。そこでは札師ふだしが存在しないためなかなか札が手に入らず、かなりの高値で取り引きされていたということだった。
 札師は札を作ることのできる唯一の者だ。術師が術を使うためには札が必要で、故に札や札師は重宝されていた。実は千鳥もその札師で狙われる危険性もあるのだが、こうして時雨組に入っていたりする。彼女が札師であると同時に術師だからだ。これはかなり珍しい例らしい。
 そんな風に札師も札も希少な存在であるため、札はもともと高いものだった。その上札師もいないとなれば言わずもがな。だから隣町での値段は、まず一般の術師は買えないくらい途方のないものだった。そこへつい十日程前に現れたのが彼ら悪党だ。彼らはその数少ない札を全て奪い取った上で、さらにとんでもない額でそれを売り始めたのだ。まだ被害は少ないようだが、彼らが他の町にも手を出し始めたらやっかいになる。だから今のうちにつぶせというのが、頭の命令らしかった。
「千鳥、早太。合図したら飛び出して。早太は千鳥抱いて行くのよ、いい? で、動けない奴らから縛り上げて。千鳥は片っ端から相手をうち倒せばいいから」
「おう」
「わかった」
 琴の指示は迅速だった。慣れているのかと、聞かなくともわかるくらいに冷静だった。早太の心臓は早鐘のように鳴っているというのに、それなのに彼女の横顔には感情が見られない。千鳥はといえば久しぶりのまともな仕事が嬉しいのか、ややはしゃぎ気味だ。
 男たちの声がひときわ大きくなる。何か起きたらしい。すると音もなく立ち上がった琴が懐から何かを取り出した。暗闇の中でも、その指先に一枚の紙があるのがわかる。
「行くわよ」
 言って琴は走り出した。千鳥を抱え上げた早太は、その後ろをついていく。小屋の中からは依然として男たちのわめき声が聞こえていた。だが早太たちに気がついたわけではないらしい。琴は地面を蹴り上げると、扉を足蹴りしてそのままぶち開けた。羽織がはためき音を立てる。
「何だぁ!?」
「誰か来たぞー?」
 間の抜けた男たちの声は、次の瞬間悲鳴に変わった。琴に遅れて小屋に突入した早太は、すぐに千鳥を地に降ろす。先に侵入した琴は予想外にも札は使わずに、男たちを昏倒させていた。それに倣ったのか自由になった千鳥も、喜々とした様子で酔っぱらいのみぞおちに一発喰らわせている。
「お、おいおい……」
 呆気にとられつつも仕事はしなければならない。早太は背負っていた袋から縄を取り出すと、男たちを縛り始めた。唯一の男であるはずの早太が、一番地味な仕事をしているというのは情けない。
「早太っ!」
 すると背後から琴の声が鼓膜を叩いた。はっとして振り返れば男が一人、ふらふらしながらも早太に向かって小刀を振り上げているのが目に入る。
 まずい。
 彼は焦った。が、無意識に体は動いていた。小刀が振り下ろされる前にその懐に飛び込み、男もろとも地面に転がり込む。武器を持っているとはいえ、相手は酔っぱらいなのだ。男はあっさり小刀を手放し、くぐもった息を漏らした。放られた小刀を、早太は慌てて拾い上げる。
「危ねぇ」
 思わず安堵のため息を漏らしそうになったが、まだ任務は終わってないのだ。琴が一人肘で男を昏倒させると、その向こうでは跳び上がった千鳥が寝ころんだ男の腹の上に着地していた。かなり、えぐい。嘔吐するのも無理ないだろう。もっとも既に床はこぼれた酒と倒れた男たちに埋め尽くされていた。油断すれば足を取られる。しかし琴は器用にその中を動き回り、次々と男たちを伸していた。
「千鳥!」
 だが千鳥の方はそうもいかなかった。単純に足の長さのせいだろう。別の男をうち倒した千鳥は、その足下に倒れていた男につまずきよろめいた。そしてまともに酒の海へと突っ込む。そこへ寝ころんでいた赤ら顔の男の腕が伸びるのを、早太の目は捉えた。千鳥はまだ立ち上がらない。
「千鳥っ」
 もう一度名前を呼ぶと、早太は一気に跳躍した。足の速さにはそれなりの自信がある。早太は男の太い腕を蹴り上げると、びしょびしょになった千鳥を抱え起こした。転んだのが不快なのかそれとも酒を浴びたのがまずかったのか、紅い顔の千鳥は眉をひそめている。
 小屋が狭すぎる。いや、小屋の大きさの割に男たちが多すぎると言うべきか。男を伸せば伸すほど身動きが取りづらくなった。特に千鳥には大きな障害だろう。
 縛り上げた者たちを外に出すべきか、そう早太が迷った瞬間だった。
 風が、小屋の中を吹き抜けた。かなりの熱を持った風に、まだ倒れていなかった男たちが悲鳴を上げる。それは早太たちまでは届かなかったものの、肌を刺激する程度の力はあった。
 けれども琴は、その風の中にいながら平気な顔をしていた。いや、彼女は風の中にはいなかった。熱風が器用にも彼女を避ける様は、まるで彼女が風そのものを纏っているかのように見えた。おそらく彼女も少し熱い程度だろう。すると千鳥の口が小さく、何かをつぶやいた。
「竜にいだ」
 喉を焼かれた男たちが次々と、首を押さえながらうずくまり始めた。そのおかげで小屋の向こう壁に立つ誰かの姿が、早太の目にも明らかとなる。それは男のようだった。左手にぐったりした悪党を引きずり、右手には札らしきものを手にしている。早太たちと同じ藍の羽織を纏った青年だ。髪も瞳も、ここ瑠璃の国では一般的な艶のある黒色をしている。
「竜!」
 最後の一人をうち倒した琴が、顔を上げて彼の名らしきものを呼んだ。青年――竜は悪党を縛る縄を引きずりながら、彼女へと近づいていく。
「琴、お疲れさま。こっちはこれで全部だ」
「こっちもこいつで終わりよ」
 二人の会話からすると片は付いたらしい。早太は自分の羽織を千鳥の肩にかけながら、状況を把握しようと辺りに視線を巡らせた。確かに、起きあがりそうな男たちは残っていない。縄で縛られた者、酔いつぶれた者、熱風に喉を焼かれた者、気絶した者。ただ死人は出ていないようだった。
「お疲れさま、早太、千鳥」
 すると男たちの間を飛ぶように移動しながら、琴が二人の方へと近づいてきた。そして転んで酒まみれになった千鳥を見下ろすと、片眉を跳ね上げさせる。
「もう千鳥、だからはしゃいじゃ駄目だってあれだけ言ってたのに。あなたの悪い癖よ?」
「……ごめんなさい」
 叱られた千鳥はしゅんとした様子でうなだれた。こんな彼女を見るのは初めてだ。札師という希少な存在のためかそれとも子どものためか、千鳥はあの頭にさえかわいがられている。護衛をしている時だって、依頼主さえ彼女には甘かった。飴玉やら何やらをもらったりしている様を、早太も何度か目にしている。
「いい? 千鳥。あなたは強いわ。術師としてもかなりの腕だし、術を使わなくたって身のこなしもいいし。けれどもね、あなたはまだ子どもなの。体力とかそういう面もあるけれど、まだ他にも足りないところがあるのよ」
 琴は言いながら懐から白い布を取り出した。ついで彼女が左手に取った札へ目を落とすと、そのわけのわからない文字が光を帯びる。札が青いことから考えると水の術だ。おそらく布を濡らしたのだろう。琴はそれで千鳥の顔を拭きながら、ちらりと早太を見上げてきた。
「はい、早太。ぼさっとしてないで竜の手伝い」
「……は?」
「全員縛り上げないと駄目なんだからね」
「あ!」
 早太はそれをすっかり忘れていた。よく考えればまだ安心はできない。彼らが今札を持っていないとは言い切れないのだ。危険な芽を一つでも多く摘むためには、何もできないようにきつく縛り上げる必要がある。
 竜は既に男たちを手際よく次々と捕らえていた。年は早太よりも少し上といったところだが頼もしい。落ち着いた眼差しで淡々と仕事をする横顔には、男前と呼ぶよりはもっと穏やかな印象を受けた。
 これがきっと本来の時雨組の姿なのだ。あの頭よりもよっぽどこの二人組の方が、『対術師専門の警護団』という仕事を全うしている。
「すごいな」
 自分にだけ聞こえる程度に、早太は小さくつぶやいた。


 これが時雨組でも伝説と称される、五の組の二人との出会いだった。

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