white minds 第二部 ―疑念機密―

第四章「甘い勘ぐり」6

 彼が剣を構えるのとほぼ同時に、レンカの手のひらから青い矢が空へと無数に放たれた。精神系だ。これで魔族も無視はできなくなったはず。彼が柄を握る手に力を込めれば、基地からホシワたちが飛び出してくる気が感じられた。
 間髪入れず、空でも動きがあった。上空に浮かんでいた気の幾つかが、突然膨らみ出す。まさかその高さから攻撃を仕掛けるつもりか? まだ肉眼では確認できない。
 しかし滝もこんなことで動じたりはしない。レンカの気が、背後から駆け寄ってくる仲間たちの気が、一斉に膨れ上がる。このチームは補助系の使い手も多いから、結界に関しての心配は不要だ。
 案の定、すぐに頭上に透明な膜が生み出された。そこへ赤と黒の矢が次々と降り注ぐ。耳障りな高音が響き渡った。雨のように降る矢は、全て結界によって霧散する。やはりこれだけの距離があると攻撃も単調だ。防ぎやすい。
「滝、来るわ。後ろ」
「おう」
 レンカの警告に頷いて、滝は後方を振り返った。と、その視界に忽然と緑の男が現れる。若葉色の髪を揺らした、幼い顔立ちの青年。想像していたよりも華奢な体躯だ。眼光鋭くこちらを睥睨した男の手に、黒い刃が生み出される。
「ちっ」
 舌打ちした滝はそのまま強く地を蹴った。シリウスたちも使うこの手の瞬間移動――転移は、魔族も使えるのか。そのことをすっかり忘れていた。
 構える緑の男へと、まずは叩きつけるような一撃を加える。滝の剣と男の黒い刃が触れ合った瞬間、再び不快な高音が轟いた。
 この手の武器と技が接触した時特有の音だ。おそらく相手の刃は破壊系だろうが、それでも剣先がぶれることもなかった。まるで普通の剣同士での戦いかのような感触に、自然と口角が上がる。なるほど、これが余計なことを考えなくてもよいという意味か。
 怯んだ男が一歩後退ろうとするのにあわせて、滝はそのまま踏み込んだ。剣先で黒い刃を弾いた勢いそのまま、男の腕目掛けて突き出す。悲鳴が空気を裂いた。
 この魔族は、技の力で押し切る戦いに慣れているに違いない。あからさまに動揺する男を見据え、滝は横へ飛びつつその胴を薙ぎ払った。
 まともな反撃もできずに、男の体は草原へと落ちる。血しぶきが頬に跳ねる感触があったが、かまわず滝はそのまま振り返った。男の気は見る見る間に小さくなっている。もう技を放つような力はない。
 戦況はどうか? 日暮れの草原では視界が悪い。それでも茜色の空の下で、レンカの手から青い光弾が複数放たれるのが見えた。
 それらが真っ直ぐ進む先にいたのは、黒い影のような男だ。いや、よく見れば深い藍色の衣服を纏っていることがわかる。その体が突として傾ぐ。誰かが足下を狙ったのか? ホシワがよく使う手だ。
 ふらついた黒い男へと、レンカの青い光弾が直撃した。声なき悲鳴が空気を振るわせる。
 精神系の攻撃はやはり魔族には効果的だ。震える手を伸ばした男の体が、そのまま地へと落ちる。潰された長草が乾いた音を立てたような、そんな気がした。
 ついと、レンカがこちらを見た。滝は首を縦に振り走り出した。背後にあった緑の男の気は、いつの間にか消えている。そして今まさに、レンカの光弾を食らった魔族が光となって空気へ溶けていくところだった。
 思っていたよりも呆気ない。だがそのことを喜ばしく思うだけの余裕などまだなかった。
 これで二人。空へと一瞥をくれて滝は瞳をすがめた。上空の気が減っているか? もしかしたらあの転移をまた使ったのかもしれない。しかしそれならそれで、気の動きが感じられるはずだが。
「ホシワ、そっちに一人来る! カエリ先輩のところには二人!」
 レンカの声が響いた。彼女は転移の気配も即座に掴むことができるらしい。さすがの魔族も、直接上空からの攻撃では意味がないと踏んだのか。降りてきてくれるのなら、滝としては願ったり叶ったりだ。
「滝、また後ろ!」
「おう」
 次々と転移で降り立ち、こちらの戦力を分断させる作戦か? ならばできるだけ早く各個撃破が望ましいだろう。もう少しすれば他の仲間たちも駆けつけてくる。
 足を止めて滝が振り返ると、白い獣の姿が視界に入った。思わず息を呑んだ滝は、次の瞬間はっとする。
 そうだ、魔族は必ずしも人間の姿をとっているとは限らない。それはシリウスが口うるさいほどに忠告していた。これは若干戦いづらいと、滝は歯噛みする。
 けれども腹を据えるしかない。やることは同じだと、滝は低く構えた。白い獣は熊と鹿を足して割ったような姿で、無世界で見た大型犬ほどの体格だ。その青い瞳がぎらりと輝き、滝を捉える。
 ――来る。直感を信じて、滝は左へ飛んだ。同時に、彼がそれまで立っていた空間を、獣の腕が横切った。鋭い爪の先に黒い光が宿っているのが、視界の端に映る。あれをまともに食らうのはまずいだろう。おそらく破壊系だ。
「滝!」
 そこへ背後からレンカの声が響く。頷いた滝は無理せず、そのまま後退した。その横を青い矢が複数すり抜けていった。白い獣目掛けて突き進む一陣の風のようだ。
 着地した獣の目が輝くと、その前方に透明な壁が生み出される。結界を張る際は動きが止まるのかもしれない。癖なのか?
 薄い透明な膜によって、精神系の矢が弾かれていく。それでもかまわずレンカはさらに矢を放った。その意図は滝にも読めた。だから矢を追いかけるよう、一気に跳躍する。
 白い獣の目がさらに強い光を帯びた。その気に滲んだのは躊躇いだ。結界を解くべきか否か。獣は前者を選んだようだった。透明な膜が消えると同時に、右方へと跳躍する。
 滝は左手を伸ばした。咄嗟に放ったのは雷系の光弾だった。ばちりと爆ぜるような音を立てたそれは、獣の前足をかすめる。
 びくりと一瞬跳ね上がった獣の頭目掛けて、滝は剣を横薙ぎにした。かろうじて切っ先が届いたようだった。開かれた獣の口から咆哮が上がる。その真っ白な体が草むらへと落ちていった。
 滝はさらに踏み込み、払い上げるように胴を切り裂いた。今度は声もなかった。血しぶきを上げながら緑の中へと沈み込んだ獣は、寸刻の間も置かずに、そのまま光の粒子となって消えていく。
 足を止めた滝は、額の汗を拭いつつ後方を振り返った。レンカが胸を撫で下ろしている姿が見える。が、問題はそのさらに向こうだ。ホシワたちは無事だろうか?
「いや、もう大丈夫か」
 踵を返そうとしたところで滝は足を止めた。レンカが何故安堵の息を吐いているのか、ようやく理解する。
 いつの間にやら、草原には大勢の仲間たちが駆けつけていた。その中には青葉たちの気もある。滝が急ぐよりも、彼らに任せた方が早い。
「上空の気はもうなくなったわね」
 こちらへと近づいてきたレンカが、空を見上げながら呟いた。滝もそれに倣って気を探ってみる。彼女の言う通り、遙か彼方で蠢いていた気が消え失せていた。いつの間にか全員が転移で移動していたのか?
「とにかく、あいつらと合流しよう」
 詳しいことはわからないが、まずは姿を見せた敵を全員倒してからだ。不意に強く吹き荒んだ風に瞳を細め、滝は歩き出した。



「レーナどうかしたの? 難しい顔しちゃって」
 先ほどからじっとモニターを凝視しているレーナへと、リンはおずおずと話しかけた。なんとはなしに落ち着かない気分になるのは、中央制御室の後ろにアースが陣取っているからだろう。その鋭い眼光が部屋中を見張っているかのようだ。
 謎の圧迫感がこの部屋の中を満たしている。制御室に集まった者たちがたたずんだまま口を閉ざしているのは、その圧力に負けたからだろうか。
 だがリンが意を決したのは、いたたまれなさを覚えたからではない。とにかくレーナの様子は変だった。魔族は全て打ち倒されたというのに、ちっとも安堵しているようには見えない。まるでこれから敵がさらに襲い来ることを予期しているかのようだ。
「いや、数が合わないなと思って」
 こちらは一顧だにせず、レーナは唸るように言った。瞳を瞬かせたリンは、隣のシンと顔を見合わせる。いきなり数と言われても何のことかわからない。神技隊の数? 魔族の数?
「結界の外で反応したのは十一。われも数えた。だが滝たちが倒したのは合計で九だ」
「あ、そこまでちゃんと数えてたのね……」
 思わずリンは短剣の鞘に触れた。上空の魔族が次にどこへ現れたのか、それらを追おうとするだけでリンは精一杯だった。あの転移という技は厄介だ。瞬時に居場所が掴めなくなる。
 しかしレーナが数え損ねるというのも考えにくいとなると、魔族が減っていたという話になるのか。リンは頭を傾けた。部屋の中で黙していた仲間たちの気が、ざわりと揺れるのが感じられる。
「様子見して、逃げ帰ったとか?」
「その可能性はある。情報収集担当ってことだな。……だがそうなると、今殺された魔族は完全に使い捨てということになる。それもなんだか奇妙なんだよなぁ。やっぱりイーストらしくない」
 説明するというよりは自身の考えをまとめるがごとく、レーナはぽつぽつと独りごちた。首を捻る彼女の横顔には、いつもの余裕の色がない。それがさらにリンたちの焦燥をかき立てる。
 レーナばかりに任せていられないのはわかっているのだが、それでも動じてしまう。どうやら知らない間に、彼女の考えを指針の一つとして考えるようになっていたらしい。
「前回といい変なんだ。しかし他の五腹心はまだ蘇っていないはずだ。イーストに進言できる何者かがいるのか……? あのイーストに?」
 逆側へと首を傾げるレーナの後ろ姿は、今までリンが知るものとは違った。魔族との読み合いが始まるのだと、シリウスが以前ぼやいていたことを思い出す。それはこういうことなのか。
 ただ勝てばよいわけではない。追い返せば安心なのではない。相手の考えを推測して動かなければ、後でひっくり返される。
「魔族がこの星のどこかに隠れてるって可能性はないのか?」
 そこでシンが恐ろしいことを口にした。リンの背筋はぞくりと冷えた。やおら振り返ったレーナの顔もどこか浮かない。静かに首を横に振る姿は、得も言われぬ不安を煽った。
「限りなく低いとは思う。というよりも、神の巣で魔族が潜伏するというのはかなりの度胸が必要だ。魔族の気に一番敏感なのは神だ。いくら気を隠していてもばれる可能性がある。もちろん、何らかの技を使えばまず間違いなく気づかれる」
 そう言いつつもレーナの顔が曇って見えるのは何故だろうか。――限りなくあり得ない話でも、考慮する必要があるからか。
 絶対などない。万が一に備えて対策を練る必要がある。それはシリウスも時折口にしていた。きっとレーナも同じ意見だろう。
「だが何にしろ、イーストの考えが読めないのは確かだな。さらに用心するに越したことはないか」
 そこでレーナは息を吐くと、くるりとこちらを振り返った。まるでそれを合図とするかのように、いつもの彼女に戻っていた。余裕と自信を纏った彼女だ。微笑をたたえたまま小首を傾げれば、ふわりと揺れた黒い髪が綺麗な軌跡を描く。
「ということで、まずは戻ってきた奴らの休息準備だな」
 一体何が「ということで」なのか? わけがわからず、リンはまたシンと顔を見合わせた。レーナの思考には時折ついていけなくなる。頭の回転が速すぎるのか、それとも知識量が違いすぎるのか。

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