white minds 第二部 ―疑念機密―

第六章「疑惑と覚悟が交わりて」2

「ん? ああ、神技隊か」
 雪を足でかき分けてリンが近づいていくと、ラウジングは面を上げた。その双眸には不思議と安堵が滲んでいるような気がした。
 シンはコブシたちと目と目を見交わせ、ゆっくり歩き出す。積もったばかりの軽い雪が蹴散らされ、風に乗って舞った。
「何かあったんですか?」
「いや、大したことではない。ただ、このところの戦闘に不審を抱いた者たちが詰めかけていてな。何かあっては困るからと、私も見張りに向かわせられただけだ」
 端的なリンの問いかけに、ラウジングは素直に答えた。普段なら説明してくれないような話だが、きっとラウジングも気が緩んだのだろう。
 けれども内容は深刻だと、シンは眉根を寄せた。
 魔族との戦闘が繰り返されていることに人々も気づきつつある。その話は以前も耳にしていたが、まさか宮殿にまで詰めかけてくる者がいるとは。普通は各長のところに説明を求めに行くところだ。それはもう、何度も繰り返されたのだろうか?
「詰めかけて? 今の人たち全員がですか?」
「ああ。どうやらナイダの谷の近くに住んでいる者たちだったようだ。もしかしたら、先日の戦いを目撃したのかもしれないな。さすがに空は目立つ」
 ラウジングがまた嘆息すると、深い緑の髪がフードの隙間からこぼれた。シンは相槌を打ちながら空へと一瞥をくれる。
 生き残ること、皆が無事でいることにばかり気を取られていたが、その問題もあったか。
 ナイダの谷に近いといえばバインの住人だろうか? 町外れに住んでいる者ならば、気づいてしまったとしても不思議はない。あれだけ派手な戦闘があったのだ。
「まさか魔族が攻めてきてるなんて話はできないですもんね……」
 独りごちるようにリンが口を開いた。現実が知れ渡ったら人々はどのような反応をするだろうか? 想像するのも怖い。少なくとも混乱は必至だ。
「ああ。そもそも魔族という存在を説明できる気がしないしな」
 低く呻いたラウジングはそう答えた。それはどうだろうかと、シンはつい反論したくなる。
 自分たちとて、魔族という存在は知らなかった。ついこの間までは何も知らされていなかった。それでもこうして戦えるようになったのだから、説明できないというのは嘘だろう。
 ――ただ、一筋縄ではいかないのは確かだ。戦闘を見た者、気を感じた者ならともかく、何も知らぬ遠くの人間たちにとっては、全く実感の湧かない話に違いなかった。
「でもこのまま有耶無耶にするのは難しそうですね。不信感は残っているでしょうし。また他の人が押し寄せてくるかも」
 憂いに満ちたリンの声が、シンの鼓膜を揺らした。彼女は人々が去って行った方へと視線を向ける。
 遠ざかる人々の気には、依然として不満の色が滲んでいる。次の戦闘があれば、人々は動き出すかもしれない。
 その時は巻き込まずにいられるだろうか? シンにはそれだけの自信がなかった。まだまだ自分の身を守るだけで精一杯であることを、この間思い知らされたばかりだった。



「レーナ、もう大丈夫なの?」
 梅花が中央制御室に入ると、そこには予想外の人物がいた。モニター下のパネルに向かいながら考え事をしているのはレーナだ。入室するまで気づかなかったのは、彼女が気を隠しているからだった。
 ぱたぱたと走り寄りながら、梅花は周囲へと視線を巡らせる。一階部分にいるのはレーナだけだが、二階部分にはよつきの気がある。この時間の当番だろうか? 幸か不幸か、その他に人影は見当たらない。
「ああ、オリジナル。うん、ずいぶんと回復した」
 振り返ったレーナはいつものように破顔した。顔色も普段通りだったが、気を隠している点が気に掛かった。まだ不安定なところがあるのを気づかれないようにしているのではないか。そう疑ってしまうのは、心当たりがあるせいか。
「本当に?」
「本当本当。……どうやら、丸二日寝ていたらしいし」
「今日までずっと眠っていたの? それならそうなるわね」
 レーナをまじまじと見つめつつ、梅花は素直に驚きを表情に乗せた。レーナたちは寝なくてもよい存在だと聞いていた。そんな彼女が二日間も眠っていたというのは、それだけの疲労だったということか。
「うん。寝過ぎて混乱するというのは初めてだ」
 レーナはさらりとそう告げたが、混乱していたようには見えなかった。
 だが気づくこともある。起きたばかりのレーナがこんなところにいるのに、アースがいない点がおかしい。二日も眠っているくらいの状態だった彼女を、こうして一人にしているはずがないのに。
「……アースと何かあったの?」
 他に仲間たちがいないことを再度確認しつつ、梅花は単刀直入に問うた。よつきに声が届いているかどうかは微妙なところだが、聞こえていたところで彼は不用意に話したりはしないだろう。その点は信用がおける。
 するとレーナは大きな瞬きをし、それから考えるよう天井へ一瞥をくれた。その仕草だけで、何かがあったというのは明白だった。
 もちろん、伝わっているというのはレーナ自身もわかっているだろう。つまりこれは、何をどう口にすべきか検討しているだけだ。
「うん。混乱してちょっと」
「ちょっと?」
「失言、かな?」
 小首を傾げたレーナを見ていると、先日突然青葉に「可愛い」と言われた時のことを思い出す。困ったように微笑むレーナの姿は、おそらく、客観的に見て可愛い。それは顔の作りの問題ではなく、表情や仕草全てを含んだものだ。
 そう考えると胸の奥がむずむずとしてくるのを、梅花は慌てて抑え込んだ。今はそれよりもレーナのことだ。
「何かまずいことでも言ったの?」
「そこまで……ではなかったはずなんだが。離してくれない気配だったから逃げてきた」
 首を捻り続けるレーナを、梅花は凝視した。それはどういう意味での失言だったのだろう。考えてはいけないどつぼにはまったような心地になる。
 アースの話をする時のレーナは可愛い。それは梅花の目から見ても明らかだった。特別何かが明確に変わるわけではないのに、全体としての違いは顕著だ。
 となれば、当のアースが気づかないはずもないだろう。ここまではっきりしているのに、何故レーナが逃げているのかがわからない。
「でもレーナがここにいるのはすぐに予想できるわよね」
「そうだな」
「追いかけてくるとは思わないの?」
「追いかけないように言っておいた」
 梅花はため息を吐きたい気分だった。言っておけば守ってくれるというその自信はどこから来るのだろうか? もっとも、現に追いかけてきていないのがその証拠かもしれないが。
「私、時々あなたがすごくよくわからないわ」
 何をどう表現すればこの感覚が伝わるのか見当がつかず、結局梅花はそう告げた。自分と似ていると思う瞬間もあるが、こういう時には違いを感じる。
 レーナはある種の絶対的な信頼を、アースに対して持っている。時にそう感じることがある。それが一体どういう類の信頼なのか、梅花には杳として知れなかったが、そういった感覚を抱けること自体はなんとなく羨ましく思えた。
「わからない方がよいこともあるぞ。――われはアースを利用しているだけだから」
 何と答えてくるかと思えば、レーナは困ったように微笑んだだけだった。気が感じられたら、少しばかり寂しさが滲んでいるだろう笑みだ。そこで梅花ははたと気づく。だから気を隠しているのだと。
「ところで、われが寝ている間に何か起こらなかったか?」
 そこでレーナは話題を変えた。彼女が本当に確認したかったのはそこだったのだろう。だから中央制御室に来たに違いない。
 しかし生憎この時間、滝は仮眠中のはずだった。しばらく十分な睡眠が取れていなかったので、レンカとリンが無理やりそう仕向けている。
「いえ、大きなことは特に」
「小さなことは?」
「魔族らしき動きはないみたい。そういう意味での心配はないわ。ただこの間の戦闘が、どうやら近くの一般人に見られていたみたいなの。何が起こってるんだって、宮殿に詰めかけていたそうよ」
 レーナが知りたがるような情報を、梅花はできる限り思い出そうとした。梅花が把握している限りでは、この二日間、怪しい気の動きはなかったように思う。宮殿にも確認してみたが、同様の返事だった。
「それはまた別の意味でまずい事態だな」
「ええ。次の戦闘の際に、巻き込まない保証はないものね」
「それもあるが」
 と、顔をしかめたレーナは顎に手を当てた。先ほど印象に残った「可愛さ」は、もうどこかへと消え失せていた。いつも通り、普段通りの彼女だ。
「他にも?」
「いや、何でもない。ただ神の奴らがまた余計なことをしなければいいんだがな」
 レーナが何を懸念しているのか、梅花には予測がつかなかった。他の星で何か経験があったのだろうか?
 ただしレーナがこの地球の事情に、どこまで通じているのかは不明だ。宮殿という場所の立ち位置までは、さすがに理解していないだろう。
 そこまで考えたところで、梅花は重要な事実を伝え忘れていたことに気づく。まず真っ先にレーナに話すべき事柄であったのに。
「そうそう! 実はミケルダさん経由で情報が来ていて」
 慌てて手を打つと、レーナは不思議そうにこちらを振り返った。ミケルダという名前だけで、彼女なら何か察するだろうか? 梅花は少しだけ声を潜める。
「この間、宇宙でもう一人の五腹心が動いていたみたい。シリウスさんが交戦したって話よ」
 隠しても意味のない情報だが、それでも大きな声を出すのは憚られた。もう一人の五腹心。その存在が確認された意味に、気づけない者はいないだろう。
 五腹心イーストが目覚めたというだけでも上の者にとってはかなりの衝撃のようだった。それからあまり時間が経っていないことを考えると、先行きは暗い。
「もう一人? ああ、レシガか」
「そうみたい」
「なるほど、五腹心が降りてきたというのに、道理でシリウスが駆けつけてこなかったわけだ。やはり示し合わせて動いていたな。そうなると、どちらが陽動だったのかが問題だな。いや、どちらも陽動だったのかもしれないが」
 合点がいったとばかりに頷いたレーナは、顎に手を当てつつモニターを睨み付ける。揺れる髪の軌跡を目で追いながら、梅花は眉をひそめた。
 五腹心がさらに蘇ったというのに、レーナはまるで動じていない。それどころかさらにその先の問題について思考を巡らせている。これも彼女の予測範囲内ということだろうか。一体どこまでの最悪な事態を想定していたのか。
「陽動って、どういうこと?」
「今回の来襲の目的だ。挨拶のためだけにイーストが地球に降り立つのはおかしい。別の目的があるんだろうとは思っていたが。しかしレシガがそんなに表立って動くというのも変な話なんだ。彼女は目立ちすぎるから」
 レーナの説明が、梅花にはすぐにぴんとこなかった。その言葉を噛み砕きながら彼女は考える。
 つまりレーナは、当初はイーストたちの動きが陽動であり、その裏でレシガが何かを企てている可能性を考えていたのか? しかしレシガがシリウスと交戦するに至ったことで、その線がかなり薄くなったと。
「本気でレーナを勧誘しに来た……わけじゃあないわよね?」
 ゆっくりと梅花は首を捻る。するとモニター越しの空が視界に入った。写し出された空は見事な青で、その清々しさが逆に胸の内に巣くう不安を浮き立たせるような気がしてきた。まるで嵐の前の静けさだ。
「ああ、あれか? 明らかについでだろう。神の疑心暗鬼を引き出せたらよいなとか、あとはアスファルトが反発しないように注意を払っているといった程度だ。イーストはそういう奴だから」
「そういう奴?」
「来る者は拒まぬ。誰でも受け入れる。それでいて仲違いが起きぬよう、最大限に配慮する。あれはイーストの戦略なんだ。最初から五腹心の配下であった魔族は一握りしかいない。そんな中でいかに統率を生み出すかというのが、彼らの課題といっても過言ではなかった」
 レーナの口ぶりは、元々梅花が抱いていた印象とは真逆の事態を示唆していた。あれだけの実力の持ち主だから、圧倒的な力でもって押さえつけていてもおかしくはないのに。どうやら魔族内にも複雑な事情があるらしい。

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