white minds
第一章 異変-1
やや細長い部屋には家具がびっしりと並んでいた。狭さを感じさせないようにと工夫された白い壁も、その大半がそれらで埋まっている。
そこには二人の男女が座卓に向かっていた。だがこれといった会話はなく、時計の刻む音と書類を繰る音だけが、部屋の中を満たしている。
「なあリン、最近あいつら音沙汰ないと思わないか?」
そんな中茶色い髪の男――シンが、ふと思い出したように顔を上げてそう問いかけた。書類から目を離し、呼ばれた女――リンも頭をもたげる。
「あいつらって誰? 北斗たち? それとも違法者さんのこと?」
聞き返す彼女は書類の上面を撫でて、頭を傾けた。癖のある黒い髪がふわりと揺れる。
「どっちもだ」
シンはさも当たり前といった顔をしてそう答えた。彼女は困ったように眉をひそめて、白い天井へと視線を移す。
せいぜい二、三人住むのが限度というぐらいのアパートに、彼らは住んでいた。
シン、北斗、サツバ、ローライン、リン。十七番目の神技隊――第十七隊スピリットの五人である。
普通に考えれば五人が住むなど無茶な話だが、幸か不幸か五人が揃うことは稀であった。日々食費稼ぎに忙しい北斗とローラインは夜にしか帰ってこないし、遊びも手伝ってかサツバなんかは祝日しか帰ってこない。
その代わり神技隊としての仕事はシンとリンが担当していた。技使いとしての能力が高いことがその主な理由だ。
「北斗もローラインも昨日帰ってこなかったもんね。残業かしら? 忙しそうなことで」
苦笑いを浮かべながらリンは頬杖をついた。黒い髪が肩口ではねるのを視界の端に捉え、それを指先でさっと整える。
「あっちの方は音沙汰なくてもいいんだけどなあ」
「そうよね。でもせめて北斗くらい連絡してくれたっていいのに。ないとは思うけど一大事が起きたらどうする気なのかしら」
取り繕うようにシンが手をひらひらとさせると、彼女は眉をひそめたままため息をついた。
派遣から大分たった今でもなお、一番問題なのは五人がいかに上手くやっていくかなのである。
「まだ三年目よ。こんなところで後二年もこんな生活するのよね」
そんな彼女の言葉に、彼は何も言わなかった。
「な、何!?」
突然の爆発音に、リンは慌てて声を上げた。床が細かく振動し、電灯が激しく揺れている。座卓に手を着きながら彼女は何とか立ち上がった。同じく立ち上がったシンは、揺れの中器用に歩きながら窓の傍へと近づいていく。
「爆発か?」
彼は窓を開けるとそこから顔を出した。それに続いて彼女も窓へと駆けより、彼の横から顔を覗かせる。
あちこち視線をさまよわせてみると、混乱状態の人々が同じように外を眺めているのがわかった。皆何が起きたかわからずに、驚いているようだ。
「でも今のは確かに爆発音よね?」
「ああ、しかも技だ。ったく、なんて派手なんだか」
彼は小さく舌打ちすると、開け放った窓から勢いよく飛び降りた。その体はあっと言う間に空中へと放り出される。
ここは二階だ。
だが彼は何のこともなく着地すると、そのまま音の方へと走り出していった。技によるものだ。それは同じ技使いであるリンにはすぐにわかる。
「ちょっと! 誰かに見られでもしたらどうするのよ! もうっ、せっかちなんだからっ!」
走り去る彼の背中に彼女はそう声を投げかけた。だが怒っている場合ではない。玄関へ向かうと、彼女は慌ててその後を追った。
でも、おかしい。
走りながら彼女の胸を嫌な予感が漂った。
普通の違法者ならこんな目立つことはしないはずだ。爆発など起きれば警察が動き出すし、何かとやりにくいからだ。もうけたいだけなら、それこそ秘密裏に行動するのが常である。
違法者じゃない?
しかしそれも考えにくかった。あの音は間違いなく、炎の技が着弾したものだ。神技隊でないなら違法者以外可能性はない。
じゃあ何故?
その理由が見つからなかった。派手に動けばまず間違いなく神技隊に感知されてしまう。
だが考えていても仕方ないので彼女は走った。現場へ行けば、自ずと答えはわかるはずだ。
二人は現場で合流した。そこは幼児が遊ぶための小さな公園だった。しかし昼時だったために人がいなかったせいか、怪我人はいないようだ。爆発の直撃を受けたと思われる遊具の破片が辺りに散乱している。えぐれた地面が白い煙を上げ、焦げついた臭いが鼻を突いた。
「な、なあ、リン」
「う、うん」
しかし、二人の目をひいたのは、それらではなかった。
公園の隅、日陰にもならない弱った木々の間に四人の男女がいた。彼らが囲むその中には奇妙なロープで縛り上げられた男が一人。
彼らの『気』は明らかに通常の人間のものではなかった。技使いだけが感じることのできるこの『気』。大体はその強弱だけで能力の有無がわかる。
彼ら四人の『気』は技使いのものだった。それにあのロープ。発せられる『気』からわかるが、あれは技によるものだ。
二人は彼らが神技隊のメンバーだと確信した。
しかし公の場での技の使用は、やむを得ない場合以外は禁じられているはずだった。いや、絶対禁止に近いくらいである。
一体、どうなってるの?
疑問に首を傾げたリンは隣にいるシンと顔を見合わせた。違和感が胸の内を覆い尽くしていく。こんなことは、今まではなかった。どう考えても変である
その時、後ろから誰かの叫ぶ声がした。
「お前ら神技隊だろ!? 何やってるんだっ!」
二人が振り向くと、そこには男女三人の姿があった。
銀髪に童顔の男、金髪の女、そして威嚇するような目をした黒髪の男である。彼ら三人からも強い気が感じられた。おそらくこの爆発を聞きつけてきた神技隊の一員だろう。
「ああ、やってきてくれましたか」
叫びを耳にして、四人の内一人の男が振り返った。癖のある金髪に穏やかな瞳。いかにも物腰柔らかといった風体の男性である。
彼は笑顔だった。警戒してしまう程の穏やかな笑顔だった。シンとリンは顔を見合わせ、ことの行く末を見守る。
「そういうあなたたちも神技隊ですよね?」
金髪の男がそう問いかけた。三人組はどう答えるべきか迷ったらしいが、決意したのかゆっくりと首を縦に振る。相当注意して気を隠さない限り、技使いと一般人との区別はすぐにつくのだ。隠しても無駄であろう。
「そこのお二方もそうですよね?」
今度はリンたちの方へ、金髪の男は視線を向けてきた。二人はうなずいて言葉の続きを待つ。次に男が何を口にするのか全く予想ができなかった。
「ちょうどよかったです、神技隊の仲間を探していたところなんですよ。あの、どこかで話をしませんか?」
すると彼はまるでお茶に誘うような声音で、そう問いかけてきた。
探していた。
それは予想外の台詞だった。
神技隊はそれぞれ別々に活動している。違法者を取り締まり、送り返すことだけが仕事なのだ。連絡を取れとも何とも言われてはいない。
「ああ、でもここにいてはまずいですね。場所を変えないと」
彼はおそらくリーダーだろう。そうつぶやいて辺りを見回した。確かにこのままここにいれば野次馬に見つかってしまうし、そのうち警察もやってくる。無世界の人間に影響が出るのは最も問題なことだった。
「でも、話って何? それってメンバー全員いないとまずかったりする?」
だがあごに手を当ててうなる金髪の男に、リンはそう問いかけた。それではっとしたらしく、穏やかな瞳がリンたちの方へと向けられる。
「そうですね、全員揃っていた方がいいですね」
「やっぱりそうなの。でも私たち全員揃うのは……明後日ぐらいなのよね」
さすがに北斗たちは今夜は帰ってくるだろう。だがサツバは無理だった。言葉通りどんなに早くても明後日だ。そう告げるリンに、男は困った表情をする。
「オレたちも、ま、あさってぐらいだったら揃うな」
すると三人組の一人がそう言って近づいてきた。緑がかった銀髪の、やや幼さの残る青年だ。
どうやら神技隊だと信じて警戒を解いたらしい。神技隊の名をかたる違法者、という可能性も捨てきれないが、だったらこんなところに長居するのは危険である。即刻に去ろうとするだろう。
「それでは二日後にまたお会いするということでいいですか?」
「オレらはいいけど、なあリン」
「ええ」
シンとリンは目を合わせた。話さなければならないことがあるとなると、不思議と緊張してくる。
「じゃあ時間は……午前六時くらいがいいでしょうか?」
「そうね、一般人に聞かれる可能性は低い方がいいでしょうし」
リンは同意し、それから内心でため息をついた。夜遅く帰ってきたサツバをたたき起こすのは一苦労だろう。そう考えるとちょっと憂鬱になる。もっとも困った時はシンに押しつければいいだけの話なのだが。
「ではそういうことでお願いします。ああそうですね、まず名乗っておくぐらいしておきましょうか」
ほっとした顔をして、金髪の男がゆっくりと一礼した。先ほどから妙なくらい丁寧な対応である。
「わたくしはよつき、第十九隊ピークスのリーダーです」
彼はそう言って穏やかに微笑んだ。第十九隊ということは、ついこの間この無世界に来たばかりというわけだ。まだ一ヶ月程だろう。
話ってのは派遣される時に言い渡されたってことね。
なるほどと胸中で相槌を打ち、リンも軽く会釈した。同じく隣のシンも軽く頭を下げている。
すると続けてピークスの残り三人も前に出てきた。大柄な男と長い髪の青年、ショートカットの少女である。
「同じくピークスのコブシです」
「たく、です」
「コスミです」
三人は次々とそう名乗り出た。
覚えきれない予感を感じつつも、リンは小さくうなずく。後で名前くらいメモしておいた方がいいかもしれない。
「オレは第十七隊スピリットのシンだ」
三人が一歩下がると同時に、シンはそう自己紹介した。その彼の一瞥に気がついて、リンはにこりと微笑みかける。
「私も同じく、スピリットのリンよ」
彼女は軽く頭を下げて、残る三人組へと眼差しを向けた。それにあわせて、一人前に出てきていた銀髪の男がにんまりと笑う。彼はおどけたように手をひらひらとさせた。
「じゃあ、最後はオレたちだな」
その言葉に誘われるように、残りの二人も近づいてきた。仕草といい声の調子といい、どことなく幼さを感じさせるものがある。単なる性格のせいか顔のせいか、ともかく調子者といった印象が強い青年だった。
「オレは第十五隊フライングのラフトだ。こん中では一番先輩だな」
彼はそう言って、にっ、と笑った。第十五隊ということは、今活動している神技隊の中でも最も先輩だ。ひょっとすると見た目よりもずいぶん年上だったりするのだろう。リンは先行き不安なものを感じながらフライングの三人を見る。
「オレはゲイニだ」
「わたくしはヒメワですわ」
すぐに残りの二人もそう続けた。いまだにゲイニの視線が険しいのが気になるリンだったが、ここではあえて胸の奥にしまっておく。
「では、二日後にこの場所で。その時詳しい話をします」
よつきの言葉を最後に、皆は解散した。