white minds

第一章 異変-3

 そこはとある大きな公園の中だった。犬の散歩によく利用され、お昼頃には昼食を取る者で賑わうそれなりの公園。
 だが今そこにいるのは三人の青年だけだった。通り雨のせいだろう、昼間だというのに鳥の鳴き声くらいで辺りは静まりかえっている。
「おい、サイゾウ。梅花うめかどこ行ったか知らないか?」
 そんな中、一人の青年が声を上げた。大きめの車から出てきた彼は、辺りへと視線をさまよわせている。黒い髪に黒い瞳、割と整った顔立ちだ。
「いや、知らねえ。どっかほっつき回ってるんじゃねえか?」
 答えたのはもう一人の青年だった。茶色い髪は鎖骨近くまで伸びており、それを無造作にかいている。彼はあきらかに面倒そうな顔をしていた。どうでもいいと言いたげな様子である。
「えー!? もうお昼なのに。梅花がいなかったらご飯食べられないよ」
 だが最後に残った青年は、驚きに目を見開いていた。この世の終わり、といった表情で頭を抱えている。二人はそんな彼にうろんげな瞳を向けた。
 三人はともに、第十八隊シークレットのメンバーだった。他とは違って特別な命令を受けている部隊だが、その実情はあまりよく知られていない。
「馬鹿、止められてんのはお前だけ。あいつが止めなきゃ、お前、ばかすか食ってるだろ」
「そうだ、青葉の言う通りだぞ。少しは慎みってものを持て」
「もう、ひどいなあ」
 けれどもその割りにはのんきであった。車から白い華奢なテーブル、椅子を取り出してくると、三人はそこに腰掛ける。
「大体オレらの稼ぎじゃそんなに食えるわけないんだよ」
「わ、わかってるけど。でも食べたいじゃん!」
「じゃんじゃない、じゃんじゃ。今日だって雨のせいでほとんど儲かってないんだし。わかってるか? よう」
「うーっ、僕ばっかり。サイゾウだって結構食べてるのに」
 彼らはひとしきりそんな会話を繰り返した。賑やかなのはよいことだが、その内容が主に食事というところが日頃の実情を物語っている。実際神技隊としての仕事をしつつ食費を稼ぐのはなかなか困難だった。しかも彼らの場合『特殊任務』のため、他の隊よりもさらに厳しい。
 そこへ別の気配が近づいてくるのを、黒い髪の青年――青葉あおばは気がついた。彼は手を高く挙げてひらひらとし、軽く口を開く。
「アサキが帰ってきたみたいだ。おーい、アサキ!」
「ハイ! 何だい青葉?」
 声の先には買い物袋を持った髪の長い青年――アサキが立っていた。人懐っこい瞳をした整った顔立ちである。彼はにこにこしながらやってくると、その袋をテーブルの上に置いた。
「梅花の奴見なかったか?」
「梅花?」
 青葉の問いに、アサキは少し考え込んだ。記憶を探っているようだ。首を傾げながらうなる彼を、青葉は座ったまま見上げる。
「ああ、そう言えばぁ。気になる人を見かけたからとか言って、どこか行っちゃったでぇーす」
 十秒ほど固まってから、アサキはポンと手を叩いてそう答えた。思い出せた喜びにか、顔が輝いている。
「はっ!? き、気になる人……?」
 青葉は思わず素っ頓狂な声を上げ、顔をしかめた。その声の大きさに怪訝そうにしてサイゾウがうなる。
「な、何だよ青葉、急に……」
 彼はうっとうしそうな視線を青葉へと向けたが、当の本人は気にもかけず短い髪をかきむしった。嫌な沈黙が辺りを包み込む。それまで和やかだった空気が、一瞬で霧散してしまった。
「あ! そう言えばちょっと前に!」
「今度は何だ、よう?」
 その沈黙を破ったのはようの叫びだった。青葉は傍目にわかる程苛立ったまま、言葉の続きを催促する。しかしその尖った視線をもろともせず、ようは得意満面の笑みで胸を張った。
「うん。なんだか、新しい命令を受けてたみたいだったよ」
「なっ!? それを早く言えっ! だからお前はとろいって言われるんだ!」
 だが青葉にどつかれ、ようは涙目で彼を見上げた。情報を提供したのにひどい扱いだと言いたそうだ。実際、ひどい扱いではあるのだが。
 どうして何も言わずに行くんだよ。
 青葉は不機嫌な瞳で、また一人で出かけてしまった彼女を捜すかのように辺りを見渡した。



「ちょっとそこの二人! 止まってください!」
 店に挟まれた路地裏で梅花は叫んだ。狭い道を吹き抜ける風に、彼女の黒く長い髪がふわりと揺れる。
「あ? オレたちのことか」
「みたいね」
 立ち止まる二人。その顔にはとらえどころのない笑みが浮かんでいた。
 整った顔立ちの男女だった。茶色く長い髪、身長百六十五センチ程の女性。焦げ茶色の髪に、身長百八十センチ代の男性。一見したところではただの若者だ。しかし、彼らから発せられる気は一般人のものではなかった。
「第十六隊、ストロング先輩ですね」
 梅花はゆっくりとそう問いかけた。二人の動きが一瞬止まり、その視線が交差する。
 相手が何者であるか、彼女は知っていた。以前資料で見かけたことがあったのだ。だから顔も知っているし名前も知っている。だから尋ねるというよりも断言する声音だった。
「……なるほど、うわさのシークレットか。捕まえに来たってわけだな」
「なかなかできそうね。どうする?」
 彼女に正体を見破られて驚きつつも、二人は気を抜かなかった。浮かべた笑顔はそのままに、余裕の物腰だ。
 彼ら自身、おそらく追われていることもその理由も知っているはずだ。だからいずれ特別任務を受ける部隊――シークレットがやってくることも予想していたのだろう。
 二人の隙のない眼差しと、梅花の静かな視線がぶつかり合う。
「あなたたちについて話は詳しく聞いてません。それによっては、私は任務を放棄するつもりです。事情を話してください」
 だが続く梅花の言葉は、二人にとっては予想外のようだった。
 シークレットは『上』の命令を遂行する特殊部隊だ。そこに任務拒否などという選択肢はないし、ましてや放棄などして許されるわけもない。二人は顔を見合わせる。
「まさか見逃してくれるとでも言うのか?」
 冗談のつもりで男はそう言ったようだが――――
「はい、そうです。場合によっては」
 梅花はあっさりとそう答えを返した。二人は瞳を瞬かせて、彼女を見つめる。一瞬の間が、そこに生まれた。
「おいおい、一体どういうつもりだ?」
 男は首を傾げてそうもらした。気合い十分、いつでも逃げ出す準備をしていた彼らにとっては全くの計算違いのようだった。
 油断させて捕まえる、という可能性も考えているのだろう。だが梅花は一人で来ていた。狙いがそれなら近くに誰かが潜んでいるはずだが、それらしい気配は無論ない。
「本当に、話を聞くつもりなのか?」
 男は再度尋ねた。信じたい気持ちと信じがたい気持ちがその瞳には表れていた。梅花は小さくうなずくと、手のひらを掲げる。
「任務を勝手に放棄するのは常習犯ですから」
「は?」
「私の名前なら、たぶん聞いたことがあると思いますよ?」
 表情を変えないまま梅花はそう言った。二人はまた顔を見合わせて、怪訝そうに首を傾げあっている。
「梅花、という名前に聞き覚えありませんか?」
 その名前に、女の方の表情が変わった。やはり覚えがあるのだと、梅花は内心で複雑な気分になる。わかっていても知らないところで噂されるのは、やはり気分の良いことではない。
「梅花? あなたが?」
「そうです」
「知ってるのか?」
 男が驚きに目を丸くした。女は小さくうなずくと、柔らかに微笑む。そんな二人を梅花はじっと見つめた。逃げ出されないよう集中力だけは維持しながら、表情は変えずにただ見据える。
「聞いたことあるわ。でもそれなら、確かに話を聞いてもらえるかも」
 女の言葉で、張りつめていた空気がふっと穏やかになった。男の表情も和らぎ、安堵した息がもれる。
「そうか、じゃあとにかく話を――」
 しかし彼がそう口にした時だった。
 梅花の後ろから突然別の気配が現れた。はっとした彼女は体をひねるが、狭い路地故身動きが取れず背後を取られてしまう。
「っく!」
 その男は、彼女の後頭部を強打した。
 何とか横にかわそうとしたためにそのまま壁にぶつかり、彼女は地面に崩れ落ちる。ひんやりとした路面に指先が触れた。
「おい!」
 誰かの叫びが彼女の耳に残った。しかしそれを確かめることもなく、その意識は深い闇へと落ちていった。

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