white minds

第一章 異変-4

 まどろんだ意識の中でかすかに話し声が聞こえてきた。まだ若い、男の声だ。談笑してるのか何やら楽しそうな響きがある。
 でも青葉たちじゃない。
 梅花はそう思いながらここがどこかを考えた。いや、今まで自分は何をしていただろうか? 何故寝ているのだろうか? うまく思い出せなくて胸の内を焦燥が駆け抜けていく。
「うぅん……」
 目を開けようとしたが瞼が重くて、それもままならなかった。もうろうとする意識の中、それでも彼女は起きあがろうとする。だが頭の中心を鋭い痛みが通り抜けていった。思わず手のひらが額へと伸びていく。
「お! お目覚めみたいだぜ」
 声が、すぐ近くでした。
 無理矢理瞼を持ち上げると、視界に二人の男性が映った。少し髪の長い青年と、まだ幼い印象の少年だ。その先には白い天井がある。どうやら建物の中でベッドに寝かされているらしいと彼女は判断した。
「ダンが言える立場じゃないよね。自分が気絶させちゃったくせに」
「ちっ、何だよ。誰にでも間違いはある」
 何とか体を起こした彼女を無視して、二人はガヤガヤと言い合いを始めた。
 気絶。そうだ、誰かに後ろから頭を殴られて気を失ったんだ。
 彼女はようやく状況を思い出した。だがそれなら今目の前にいるこの二人は何者なのか? 気から判断するにどうやら技使いではあるようだが。
 一刻も早く現状を把握しようと、彼女は視線を巡らせた。痛みがまた襲い来るが、それを無理矢理飲み干す。そこはどこか小さなホテルの一室のようだった。
「ダン、ミツバ、少しうるさいわよ」
 すると右の方から少しあきれた顔の女性が一人、そう言いながらやってきた。あのとき路地裏にいた女性だ。となるとこの二人は彼女の仲間なのだろうか。
「あ、レンカ」
 二人のうち少年の方――ミツバが振り向いた。レンカというのが彼女の名前らしい。記憶の中からそれを引っ張り出しながら梅花はなるほどと、心中でつぶやいた。ストロングのレンカなら覚えている。ダンとミツバも、確かいたはずだ。
「まったく。だから状況はきちんと判断してから行動しなさいって言ってたのに。滝が話をしようとしてるときに殴りかかるなんて」
 そう言って、レンカは青年――ダンの頭を指で軽くつついた。一瞬顔をしかめたダンは、ごまかすように苦笑いを浮かべながらパタパタと手を振る。
「わりいわりい。早とちりって奴さ」
「何かあったらどうするつもりだったのよ? それこそ本当に私たち指名手配されちゃうんだから」
 だがレンカは容赦しなかった。へらへらするダンを、嘆息しながらにらみつける。
 どうやらこのダンという青年は、追っ手を排除しようと襲いかかってきたらしい。そう梅花は判断した。違法者がらみでなくてよかったと正直ほっとする。時々いるのだ。神技隊が近くにいることを知り、動揺して襲いかかってくる者が。
 そんなことを考えているといつの間にかダンがすぐ傍までやってきていた。彼女の顔を覗き込むようにすると、満面の笑みを浮かべる。
「ねえ君、名前は?」
「え?」
 それはまるで自分が何もやっていないかのような態度だった。彼女は閉口し、すっと視線を斜め下へ逸らす。
 馴れ馴れしくされるのは苦手だった。不用意に近づかれるのも、嫌いだった。
「梅花、だって。第十八隊、シークレットよ」
 だが梅花の代わりに答えたのはレンカだった。ダンの肩を掴んで押し下がらせると、彼女はベッドの脇に腰掛ける。
「ごめんなさいね、こんな仕方ない人で。ミツバに診てもらったら傷とかはないみたいだったけど。大丈夫?」
「あ、はい」
 レンカの問いかけに梅花は素直にうなずいた。正直まだ頭は痛むが、意識はもうはっきりとしていた。技には治癒に関わるものもあるから問題ない。この痛みも一時的なものだろう。
「それならよかったわ」
 その返答にレンカは微笑んだ。春のような柔らかさのある、人を安心させる微笑みだ。
「せっかくの協力者だもんね」
「もう私のこと信用したんですか?」
 梅花が聞き返すと、レンカはくすくすと笑い声をもらした。その傍ではダンとミツバが不思議そうな顔をしている。
「だって『上』に要注意と言われるような人物ですもんね。なのに切り離されない、優秀な人材」
 その言葉に梅花は一瞬眉をひそめた。
 言葉自体にではない、何故それを知っているかということがひっかかったのだ。そんな風に言われていることは昔からよくわかっている。が、それをそのまま神技隊の一員に話すとは考えられなかった。彼らは部外者には口が堅いのだ。命令を聞かない、ぐらいだけなら話はわかるが。
「よく知ってますね」
「あら、本当に自分が何て言われてるか知ってるのね。派遣される時に立ち聞きしたものよ」
 一瞬驚いて、しかし優しく目を細めてレンカは相槌を打った。ちらりと視線をやれば、ダンとミツバは顔を見合わせている。何がどうなっているのかわからないといった様子だ。実際今の言葉だけでは到底わかるはずもないのだが。
「えーっとね」
 するとレンカはそんな二人へ視線をやり、頬へ手を当てた。言葉を選んでいる顔だ。どうにか説明する気らしい。
「つまり、上から捕まえろと命令されてはいそうですか、って従う人じゃないのよ。だから大丈夫かなって」
 そんな彼女の言いように、梅花は苦笑するしかなかった。全くその通りなのだが、面と向かって言われると不思議な気分である。ダンとミツバは納得したようにうなずいた。
「あの、そろそろ事情説明してくれませんか?」
 そこで梅花はそう口を挟んだ。
 実際聞かなければならないのはそんな話ではない。信用してくれたのならなおさら教えて欲しかった。
 彼らが逃げている理由。
 そしてそれを捕まえようとする『上』――神技隊を派遣した者たちの意図。
 何も知らないままでは彼女は動けなかった。第十六隊ストロングを連れ戻せ、などという命令を上がするなんて、異常なことだった。その奥には何か異様なことが潜んでいるに違いない。少なくとも梅花は黙ってその命令を聞く気にはなれなかった。
「あ、そうね。でも結構長い話になるから、仲間の所に一旦戻った方がいいんじゃない? あれから何時間かたつわよ。心配してるんじゃない?」
 だがレンカは梅花へと双眸を向けた。ちらりと時計を見上げれば、もう五時にもなろうとしている。
 心配?
 ……されるのかしら、私が。
 彼女は内心で首を傾げた。
 けれどもよく考えれば食事ができないと騒いでいる可能性はある。特にようなどは、わめき散らしているかもしれない。
「……わかりました。とりあえず一度戻ります」
 しばらく黙ってから梅花はそう答えた。ベッドから足を下ろし、忘れ物がないかどうか視線をさまよわせる。
「じゃ、そうね……明後日の午前七時頃なら大丈夫かしら。あの路地裏で会うってことでいい? 今度はお仲間も一緒に」
 その間にはあえて何も言わず、レンカはそう提案した。梅花は小さくうなずき、立ち上がる。いつのまにかとかれていた長い髪が肩を滑り落ちた。
「はい。でも、その間にいなくならないでくださいね」
「大丈夫よ、そんなことしないから」
 レンカも立ち上がり、ダンたちへと目で合図した。二人はそそくさと動き出して扉の方へ向かう。
「じゃあ明後日にね」
 そう確認する声を背中に受け、梅花は部屋を出た。
 早く戻らないと。
 彼女は足早に廊下を駆けていった。

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