white minds

第二章 標的-2

「で、今度は何ですか? リューさん」
「ここでは長官と呼びなさい、梅花。誰かに聞かれでもしたら、また色々と言われるわよ」
「規則じゃないですから」
「……相変わらずね。ま、別にいいんだけどね」
 そこは会議室だった。宮殿の中心より少し左に位置する、狭い部屋である。置かれているのは机などの必要最低限の物だけだ。無機質な印象、という表現がぴったり当てはまる。
 そこに梅花と、リューと呼ばれた長官がいた。
 梅花と向かい合うように立つリューは、長身の女性だった。茶色い髪をまとめて、薄い眼鏡をかけている。神魔世界で眼鏡をかける者は少ないため、それだけも十分目立った。
 その彼女が今は、仕方がないと言いたげな苦笑いを浮かべている。
「別に難しい用件じゃないわ。ただ今後現れる違法者たちを、全部調べてまとめておいてほしいの」
 リューは軽く机に手を置いて、そう言い切った。も一方の手はずれた眼鏡へと伸びてその位置を正す。
 ……十分大変じゃない。
 リューを見据えながら梅花は心中で苦笑した。真面目な顔をしてさらりと言ってくれる。人使いの荒い者たち、その筆頭だった。
「もちろんやってくれるわね。梅花だもの」
 そして何の根拠もないその言葉。
 だがそれもある程度梅花の性格を見抜いてるからに他ならなかった。ほとんど生まれてからのつきあいである。断らないことなどわかっているのだろう。
 梅花はため息をつきそうになるのを何とか堪えた。
「それともう一つ、上の方々から補助金が出てるわ。第十五隊から第十九隊まで配っておいて」
 しかし次にリューが放ったのは予想外の言葉だった。梅花は小首を傾げて眉根を寄せる。補助金などまず滅多に出ない。ということは何か考えがあると思っていいだろう。
「珍しいですね。深く追究するなってことですか?」
「……梅花、あなた、何でそういう風に考えるの? 上の方たちがそんなことするわけがないでしょう」
 梅花は一つの可能性に至ってそう口にしたが、リューは心底困ったように顔をしかめてそうたしなめた。その言葉の響きを、目を伏せて梅花は聞く。
 何故そんなに彼らを信用できるのだろう? 彼らはあんなにもたくさんのことを隠しているというのに。何を考えているかわからないというのに。
 そう思うと同時に、無条件に信じられるというのが羨ましくもあった。
 ただ信じて従っている方が楽なのだろう。実際わかっていても安楽な道へ身をゆだねている者たちを、彼女は何人も知っている。疑いながら従うことは辛いのだ。
「とにかくよろしくね。ちゃんと渡すのよ」
 そう念を押すリューに梅花はうなずいた。
 手渡された紙袋が、妙に重く感じられた。




 会議室を出ると梅花は真っ直ぐ自分の部屋へと向かった。
 何の陰影もない白い壁が、拒絶感を与える。廊下の空気は研ぎ澄まされた氷のようだった。背中をひやりとさせる何かをそこに含んでいる。
 彼女は部屋へ入ると、真っ直ぐ自分の机へと向かった。ほとんど使われていないそこには埃が積もっている。誰が掃除してくれるわけでもないのだから当たり前だ。
 顔をしかめてため息をつくと、彼女はその引き出しを開けた。そこには白いノート型のパソコンがしまわれていた。無世界にあったのを、上の者がいつだったか持ち帰った物だ。色々調べていらなくなったようだったので、彼女が引き取ったのだ。
 若干の改良が加えられ、技に対応できるようになっている。もっともそんな物を必要とする仕事を押しつけられるのは彼女くらいだったが。
「これも持っていかないと駄目よね」
 彼女はまた深く嘆息した。
 こちらで言いつけられた仕事をする際に便利だからと置いてきていたのだが、そういうわけにもいかなくなってしまった。リューに妙な仕事を与えられたから。これがないと苦労するだろう。
 彼女はパソコンを抱えると、今度は壁際へと向かった。そしてそこに掛けてあった袋から、ゆっくりとその中身を取り出した。
「これがあれば、まあ何とかなるか」
 入っていたのは銀色のディスクだった。それを確かめるよう一瞥すると、彼女はその袋を手にしてパソコンを入れる。その後ディスクを戻し、胸元に抱えた。さらに冷たさが体に染み込んでくる。
 驚く程静かな部屋を、時計の音だけが満たしていた。備え付けの時計は、住人がいない間も律儀に役目を果たしていたらしい。止まってはいない。
「まあ暮らしてた頃だって大していなかったけどね」
 彼女はぽつりとつぶやいた。あの頃だって食事と就寝以外はほとんど使っていなかったのだ。故に最低限の家具しかそこには置かれていない。
「これでもう、この部屋に来る必要もないわね、来たくもないし……」
 囁くようにつぶやいたその言葉は、あっという間に部屋に吸い込まれていった。
 何もない部屋。
 いや、嫌な思い出なら山のようにあり、この空間に巣くっている。その証拠に、今もここの空気は重く、苦しかった。
「そろそろ戻らないと、また何か言われかねないわね」
 彼女は音も立てずにその部屋を出ていった。




 梅花が宮殿を出た頃、中央会議室では会議が行われていた。
 思い思いの表情をした男や女が、円卓に向かっている。弱い明かりしかつけていないため室内は薄暗かった。いや、それ以上に彼らが発する重々しい空気が、辺りに影を落としている。
「本当か?」
 沈黙の後、しっかりとしているがやや若々しい声が放たれた。周囲の視線が彼へと集まり、緊張感が漂う。
「はい、確かに確認されているとのことです」
 別のところから重々しい声が答えた。それに伴い周囲がざわつき、動揺が広がる。
「どうなってるんだ」
「私もわからん」
「一体誰が?」
 そんな声があちらこちらで飛び交った。
 皆が動揺していた。否、たった一人を除いては。ざわめく中で一人だけ静かな空気をたたえた者がいる。
「リュー長官、すぐに神技隊に伝えるんだ」
 騒然とする者たちの中で、ただ一人銀髪の青年が真っ直ぐな目でそう言った。
 声はそれほど重々しくないが、それでいて威厳を讃えている。見かけは二十代後半だろうか。しかし上に立つ者の輝きを、彼は帯びていた。
「はい、わかりました」
 その意志に答えるかのように、凛とした声音でリューは答えた。彼女の返答に次第に周囲の動揺も収まっていく。
「いつも悪いが、よろしく頼む」
「ええ大丈夫です、彼らもわかってくれることでしょう」
 とどまることを知らない異変が、確実に世界を飲み込まんとしていた。

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