white minds

第二章 標的-3

 梅花が帰ってくるとにわかに公園は活気づいた。彼女が持ち帰った『重要な紙袋』がその原因である。
 だが今、彼ら五人は白い華奢なテーブルに向かって深刻な表情をしていた。
 そう、とてつもなく深刻な。まるで街で戦闘を決意するか否かを決めているかのようである。
「このまれにみる珍しい補助金を、どう有効に活用するのか……」
 テーブルに置かれた紙袋を、サイゾウがにらみつけた。その眼差しは獲物を逃がさんとする野獣のようである。彼は視線をはずさずじっと見つめている。
 意気込んでるわね。
 そんな彼を梅花はちらりと見やった。彼がこれほど真剣な目をしているところを見たことがない気がする。少なくとも無世界に来てからはなかったはずだ。
 二度強調するあたりにも、彼の心境は現れていた。
 こんなことは滅多にないのだ。否、彼らシークレットが派遣されてからは一度たりともなかった。だからこそこの機会を無駄にしてはいけない。サイゾウの目が燃えているのも仕方なかった。
 わーわー遠くから聞こえる子どもの騒ぎ声も、彼の耳を抜けていっているようだった。学校帰りなのだろうが、いつもならやかましいと苛立っているところだ。だが獲物を目にした彼にはどうでもよかったらしい。思わず身を乗り出したせいで、安っぽい椅子ががたりと音を立てる。
「む、難しいでぇーすねぇー」
 独特な口調でアサキが答えた。
 援助してくれと願っていたわりに、それが急に現実になるとうろたえてしまう。それだけの異常事態とも言えた。
 でも……。
 しかし梅花は複雑な表情でテーブルに置かれた紙袋を見つめた。上の状況を知っている彼女としては素直に受け取りづらかった。その裏にある意図を読みとってしまうのだ。
「なんで急に補助金なんて出るんだ?」
「馬鹿だな青葉、そんなことどうでもいいんだよ。オレらはこれを有効利用できればいいの」
「おい、馬鹿ってのはないだろっ」
 だがそんな彼女の心中は知らず、目の前で青葉とサイゾウが口喧嘩を始めた。これは日常茶飯事なことだったが、放っておけばいつまでも続くやっかいな面もある。彼女はため息をつき、アサキへと視線をやった。それに気づいたアサキは慌てて両手ををバタバタとさせる。
「やめるでぇーす! とにかくこれをどうするか考えなぁーくては」
「そうだよな。えーと、金額ってこっちじゃ……いくらだ?」
 慌てたアサキが口にした仲裁の言葉に、そうサイゾウは我に返った。
 しかしその時、妙な感覚が梅花を襲った。腕に違和感を覚えて彼女はおもむろに顔を下に向け、そしてそこにある腕時計の脇がまた赤く光っているのを目にする。見間違いはない、現実だ。顔が曇りそうになるのを何とか堪える。
「ま、また呼び出し? 一日に二度も……」
 しかし怪訝な言葉を飲み込むことはできなかった。同時に突然横風が吹き、彼女の長い髪を撫でていく。
「は? さっき帰ってきたばかりだろ!?」
「ま、まさか! 補助金は返さないでぇーす!」
「何、そう言うことか! 絶対返さん!」
「お腹すいたー!」
 彼女のつぶやきを聞き、四人が思い思いの台詞を発した。心配どころはそこらしい。そんな四人は意に介さず、梅花は眉根を寄せる。
「それはないと思うけど……一応、行かないとね」
 紙袋を抱きしめるサイゾウを、彼女は一瞥した。またあそこに行かなければならないのかと思うと憂鬱になった。しかも立て続けとなると緊急の話に違いない。何でもなければいいなと祈る。
「そうか、それならいいんだけど」
「とりあえず言ってくるわ」
 彼女は素早く立ち上がると手をひらりとさせた。
 前代未聞は続くものだと、嘆息したかった。




 梅花がその会議室をざっと見たところ、先ほどと変わるところはなかった。殺風景な室内は今も冷たい空気を漂わせている。
 ただリューの様子は、何かに動揺しているのか珍しく落ち着かなかった。いつもと違い慌てた様子で、しきりに視線をさまよわせている。
「今回は急な用件だから手短に話すわね」
 決心したのか、そうリューはおもむろに言った。用件が長かったことなどなかったような気がしたが、とりあえず梅花は聞き流すことにする。うなずく彼女を見てリューは口を開いた。
「知ってるでしょう? あの情報提供者のこと。その人が、つい先ほど確認されたわ。それも、この世界ではなく、今あなた方が住んでいるあちらの世界に」
 リューはたっぷりと間を取って、頭に染み込ませようとするようにゆっくり告げた。けれども一瞬、梅花はその意味がわからなかった。
 情報提供者……それはつまり『奴ら』の復活を上に告げた謎の者のことだ。
 それが何故、神魔世界ではなく無世界にいるのか?
 あまりに想像できなくて言葉が出てこなかった。彼女は固唾を呑んでリューを見つめる。これだけでは何も判断できないので、続きを待つしかなかった。リューは一度深呼吸をするとまた口を開く。
「何を考えているのか、正体すらわかっていないわ。他の神技隊にも説明して、厳重に警戒しておくように伝えて」
 梅花の視線に促されて、やっとのことでリューは言い終えた。再び大きく息を吐き出し、ずり落ちそうになった眼鏡を正している。
 神魔世界ではなく、無世界に。
 梅花は滅多なことでは動じない性格だったが、この報告は衝撃的だった。もともと白い顔なのに、今はさらに青ざめているだろう。鏡があれば確かめたいくらいだ。
「厳重に警戒しておいてね」
 そうリューはもう一度同じことを言い――よほど慌てているのだろう――そそくさと部屋から出ていった。今は落ち着きたいと、その背中は語っているようだ。ばたんと音を立てて閉まる扉を、梅花は見据える。
 なんだか気分が悪い。
 梅花は一人、取り残された部屋で思った。静まりかえった室内に妙な気配が漂っている気がする。冷たいだけではなく、もっと重い何かがここを満たしている。
 きっと、これから大変なことが起こる。いつも以上に、嫌な予感がする。
 窓から見える景色が揺らいでいる気がして、彼女は深く目を閉じた。
 時計の音が強く、耳に残った。

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