white minds

第二章 標的-5

 情報提供者の報告が入ってから一ヶ月が過ぎようとしていた。だが恐ろしいほど何も起こらなかった。
 いつものように違法者を元の世界に送り返す。そんな毎日が続く。
 そのことに安堵と違和感を覚えながら、よつきはため息をついた。
 おかしいですかね。
 自らの矛盾した感情に彼は苦笑を漏らす。何もないことはいいことなのだが、嵐の前のような静けさを感じるのだ。
 居心地の悪さとでも言うべきか。頭の片隅で情報提供者のことが引っかかったままなのである。
 しかしかといって本業をないがしろにするわけにはいかない。
 今もジュリとコブシが違法者の方へと向かっているところだった。小さな『気』から発見するのは大変なのだが、最近の違法者は動きが派手になってきているので見つけやすい。もう取り押さえている頃だろう。
 神魔世界から無世界への干渉を防ぐ。それが彼らがやってきた目的であり、使命なのだ。
 そのために彼らは家族を、故郷を捨ててきた。
 異世界にやってくる――つまり空間を渡るとそれ以上年を取らなくなってしまう、そう派遣の際に聞いた。それを境に彼らの体はそれ以上成長しなくなるし、老いなくなる。たとえ何年か後、何らかの理由で会えたとしても、彼らは以前の姿のままなのだ。神魔世界に残された家族らとは違って。
 そう、過ぎゆく時の中で、まるで一人取り残されたかのように……。
「まあ確かに若く見られる人が多いですけどね」
 上から受けた説明を思い返し、よつきは苦笑した。何故そんなことが起きるのかは、全く聞いていない。いつも彼らの説明は一方的なのだ。聞き返すことが許されない空気が、神技隊を圧倒する。
「まあ年を取らないって実感も、取ってるって実感もありませんけど」
 そう彼が小さくつぶやいた時だった。
「隊長ー! ちょっとこっち来てくださいっ」
 階段の下から、たくのわめく声が聞こえたきた。それはこの大きな屋敷の中でもはっきりと聞こえる。
 子どもじゃないんですから。
 そう思いながらも、仕方なくよつきは階段を降りていった。階下にいるたくはまるで救世主でも見るかのように、よつきを見上げている。
「何ですか? また奥様に叱られますよ」
「そ、それが……」
 たくの視線を追ってみると、そこには割れた皿とコップがあった。よつきは再度ため息をつく。彼はその綺麗な金髪をかきむしりたい衝動に駆られた。
 またわたくしが叱られるんですかね。
 思わず愚痴りたくなるが、そこはぐっと堪えた。
 その後落ち込んだたくがいじけでもしたらさらに大変だ。今は二人欠けているのだから、てきぱきと仕事を片づけなければならない。
 よつきたちピークスの五人は、泊まり込みの家政婦みたいなことをしていた。
 立派なお屋敷で三食付きという、ずいぶん割のいい仕事だ。それもこれもジュリがひどくその家の人に気に入られたおかげだった。足をくじいた奥様をお送りしたのに、相当感激したらしい。
 どこの神技隊でも、働きながら本来の仕事をしなければならないのは切実な問題だ。だが彼らはそれをいとも簡単に突破してしまった。
 もちろん、外出するのに言い訳が必要という問題点もあったが、それでも今までは何とか上手くやっている。
「どうしたの?」
 そこへ騒ぎを聞きつけて、この家の一人娘がやってきた。
 穏やかな顔立ちで、さっぱりとした身なりをしている。この屋敷には不釣り合いだったが、よつきたちとしては話しやすかった。彼は彼女の方を振り返り困ったように微笑む。
「いえ、すみません洋子さん。その、皿とコップを割ってしまいまして」
 彼はたくを一瞥したが、彼女は気にしていないようだった。相槌を打つと、笑顔で口を開く。
「そう、お母さんに言っておくわ」
 彼女は軽くそう答え、そのまま居間の方へと歩いていった。彼は去っていく後ろ姿を、ただ呆気にとられて見つめる。
 こちらの世界では物を壊してもあまり気にしないんですかね。まあ、この家だからかもしれないですけれど。
 とりあえず彼は安堵し、たくの肩を叩いた。
「さあ、片づけましょうか」
 その声には若干疲労の色がにじんでいた。




 違法者の取り締まりから帰ってきたコブシは、庭の掃除をしていた。
 ジュリは今頃そのことについて、隊長であるよつきに報告しているはずだ。
「大分暖かくなってきたなあ」
 そんなことをつぶやきながらほうきを動かしていると、そのすぐ側に何かが落ちていることに彼は気がついた。
 まるで空から落とされたようにぽつりと緑の中に浮かぶ白。どうやら紙のようで、四角くて薄っぺらい。
 彼は首を傾げながら、それをゆっくりと拾い上げた。
「手紙?」
 それは手紙のようだった。だが送り主の名前等は何も書かれていない。不思議に思った彼は表の宛名を見てみる。
 そこには見知った名前が書かれていた。
「ええとよつき様? 隊長にだ!」
 慌てた彼はほうきを投げ出して、よつきのもとへと向かった。体の大きい彼が走ると、静かな廊下に足音が響く。
「た、隊長ー!」
 声を出すと、廊下の奥にいたよつきが振り返った。ジュリとの話はもう終わったらしく、彼女の姿は見えない。怪訝そうな表情のよつきは頭を傾けていた。
「大きい声を出さないでください、コブシ。何回言ったらわかるんですか?」
 どうやらよつきは掃除用具を片づけているところらしかった。彼はそう咎めながら、ため息をつく。
「隊長宛の手紙です。庭に落ちてました」
「わたくし宛の手紙が庭に? おかしいですね」
 コブシは手紙を手渡し、そう説明した。
 確かに、よく考えればおかしな話である。この世界によつきの名前を知るものなど、神技隊くらいしかいない。
 しかし神技隊同士なら手紙など出す必要はない。万が一出していたとしても、庭に落ちているわけもない。
 手紙を開いたよつきは首を傾げていた。そんな彼を、コブシは心配そうに見つめる。
「どうしたんですか? 隊長」
 微動だにしないよつきへ恐る恐るコブシはそう問いかけた。頭をもたげたよつきは、顔をしかめたまま口を開く。
「ピークスの全員で、このすぐ近くにある公園に行け、って書いてあるんですよ。しかも今すぐにって」
 よつきは驚きを隠せないようだった。コブシも目を見開き、震えそうになる唇で言葉を紡ぎ出す。
「えっ、な、何でオレたちがピークスだって知って――」
「とにかく、行ってみましょう。ジュリたちを呼んできてください」
 コブシの声を遮ってよつきはそう判断し、息を吐き出した。
 慌てて大きくうなずいてから、コブシは廊下を小走りで駆けていった。

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