white minds

第三章 神聖なる武器-4

「あれ、ここどこだ?」
 上体を起こしたラフトは、寝起きみたいな声で辺りを見回した。周りは鬱蒼とした木々ばかりで、どうやら深い森の中のようだ。傍には人影もなく、風に踊る草の囁きだけが聞こえてくる。
「ま、まさかオレ一人か?」
 慌てて彼は立ち上がった。ばらばらになるかもしれないと聞いていたが、まさか一人になるとは思ってもみなかった。一人というのは彼は苦手だった。急に不安がわいてきて、近くの気を探し始める。
「あっ」
 しかし幸いにも、その不安も長くは続かなかった。歩いて数分もかからない距離に見知った気が存在しているのを、気に疎い彼もすぐ発見する。片方は同じフライングのヒメワだ。もう一方が誰かはわからないが、おそらく神技隊の誰かだろう。
「オレってラッキー!」
 彼は走り出した。小枝が邪魔してなかなか進まないが、それでも追いつこうと懸命に駆ける。
 こんなところで一人で武器を探すなんてごめんだ。暗い森の中で迷うに決まってる。
 ラフトは心中でつぶやいた。目立つのは好きだが、取り残されるのは嫌いだった。一番前はよくても一番後ろは嫌なのだ。誰かの背中を見るのも、実は嫌いだった。
 だが走り続ければそんな思いをすぐに消え去っていった。深緑の中に、見慣れた後ろ姿が垣間見える。
「ヒメワー!」
 名前を呼ぶと金髪の女性が振り返った。ヒメワだ。すると彼女につられたように、その先を歩いていた青年――ようも彼の方を振り向く。
「オレの気ぐらいわかるだろう? 置いてかなくてもいいじゃねぇか」
 走り寄りながらラフトは口を尖らせてそう言った。いつも通りほわほわとした笑みを浮かべたヒメワは、その大きな瞳を瞬かせる。
「置いていくつもりなんてありませんわ。ようさんがお腹すいたというので、何か食べ物をと思いまして」
「ラフト先輩なかなかおきないしねー」
 ヒメワに続いてようがそう述べた。つまり二人はラフトがいたことを知っていたわけだ。なるほど、とうなずきかけて、だが何か引っかかり彼は首を傾げる。
「お腹すいた……って、まだ朝だろう?」
 尋ねると、ようは大きくうなずいた。別にラフトが何時間も眠っていたわけではないようだ。つまりこの謎の空間についてから、まだそれほど時間はたっていないはずで。
「でもお腹すいたんだもん。そろそろ朝のおやつの時間だし」
「マジかい、どんな生活してたんだよっ」
 何でもないことのように言うようを、ラフトは見つめた。あの特殊部隊シークレットは食事まで特別だったのだろうか。いくら優雅な生活をしているフライングでも朝のおやつというものはない。
「あら? あちらにまた別の気がありますわよ」
 そこで後方を振り返って、ヒメワがその先を指さした。言われてみれば、先ほどまでは気づかなかった気が感じられる。他の神技隊だろうか? やや遠いので誰か判別できる程はっきりとは感じられない。
「じゃあ食べ物探しついでに行ってみるか」
「そうですわね」
「賛成ー」
 三人は悠々と歩き出した。このとき既に彼らの頭から、武器のことは抜けていた。



 とにかく目指すは頂上よね。
 決意すると、リンは小道を颯爽と歩き出した。
 気づいた時には誰もいない森のすぐ傍に立っていた。近くには仲間らしい気もなく、森があるというのに動物の気配すらない。だから中に分け入ってみる気にはなれなかった。妙すぎる、怪しい。
 この空間がどうなってるのかも、あの案内人ラウジングは何も説明しなかった。つまり迷い込めば出てこられないという可能性も否定できないのだ。道があるならそこを通る方が安全だろう。いつの間にか森の中、という妙な空間でさえなければ大丈夫のはずだ。
「誰かには会えるわよね、歩いていれば」
 一人だったが心細くはなかった。彼女は辺りを警戒しながらなだらかな坂を上っていく。
 いつだって彼女は先頭を歩いてきた。道を切り開き、強い風に逆らいながら進んできた。頼られることが当たり前で、前に誰かがいることを期待したことはなかった。
 だから一人でも不安にはならなかった。
「そりゃまあね、シンあたりがいてくれたら楽なんだけどねえ」
 ぽつりともれた本音は、誰にも聞き取られることなく空に溶けていく。彼女はもう一度立ち止まって辺りを見回した。が、やはり誰の気配も音も感じられなかった。仕方なくまた無言で歩き出す。
 彼女は昔から、小さい頃から頼られた。気づいた時にはウィン族の『旋風』と呼ばれていた。『族』といっても種族名ではなく、単なる地域の呼称である。自治区の意味も兼ねているため、族ごとにやや決まりや風習が違っていた。彼女は多くの技使いがいるウィン族の出身だ。
 そのウィンの中でも、彼女は飛び抜けて能力が高かった。異名もそのためであるし少なくともウィンで彼女の名を知らない技使いはいなかった。だが同時に、それ故彼女の隣に立つ者はほとんどいなかった。ジュリたち一部の技使いぐらいだろう。残りの多くの技使いは、いつも彼女の背後にいた。
 まあ、仕方ないんだけどね。
 彼女は内心でため息をつく。頼れる者は欲しかったが、望める状況ではなかった。だから仲間と呼べるものができた時は、言葉にはしなくても嬉しかった。
「あ、今は一人か」
 苦笑すると彼女は立ち止まる。感傷に浸ってる場合ではない。今、気配があった。
 しかもそれは明らかに神技隊のものでも人間のものではなかった。今まで存在していなかった場所に、妙な気がある。
 彼女は振り返ると、咄嗟の勘で右へ飛んだ。同時に地に降り立つ何かの足音がする。
「え?」
 低く構えた彼女が見たのは、黒々とした獣だった。
 それは熊と虎を足して二で割ったような姿をしていたが、無世界でも神魔世界でも見覚えがなかった。彼女が元いた場所に立ちはだかり、うなり声を上げている。
 避けていなかったらあの爪の餌食か。
 勘は正しかったのだ。獣の爪は地面に食い込み、その鋭さを如実に語っている。
 こんなものがいるなんて聞いてない。
 内心で毒づきながらも、体は臨戦態勢を取っていた。もはや無意識に近い。目の前に獣が危険であると察知しているのだ。
 獣は低くうなりながら様子をうかがっているようだった。隙を見せたら飛びかかってくるだろう。彼女は真正面から獣をにらみつけた。
 するとじれったくなったのか、獣は一気に跳躍した。噛み殺そうとでもいうのか、口が裂けそうな程牙を見せて飛びかかってくる。
 リンは後ろへ飛び、右手を前につきだした。迫る獣へと精神を集中させて、慣れた言葉を唱える。
「風よっ」
 彼女の手のひらから風の矢が次々と放たれた。見えないそれらは獣へと向かい、その黒々とした体に容赦なく突き刺さる。
 勝負は、呆気なくついた。
 うなり声を上げた獣は地面に落ちて倒れた。一度だけ痙攣すると、そのまま動かなくなり――――
「消えた……?」
 言葉通り、消えていた。
 獣が存在していた跡すらなく、そこにはただ土がむき出しになっていた。彼女は呆然と立ちつくす。
「消えるだなんて、そんな話聞いたことがないわよ。まあ、こんな所自体、聞いたことなんてないけど」
 とにかくわけがわからなかった。現れた時も突然だったが、まさか消える時もそうだとは。この空間もやはり安全ではないのかもしれない。ラウジングは何も言っていなかったが、気をつけた方がいいだろう。
「リン先輩」
 そこへ背後から急な声がして、慌ててリンは振り向いた。
 気をつけようと思ったばかりだったのだ。だが今まで全く気配がなく、前触れとなる足音さえしなかった。咄嗟に構えてしまい苦笑を漏らすと、彼女は髪をかき上げる。
「ちょっと梅花、驚かせないでよ。というかよくそこまで気配消せたわねえ。全然気づかなかった」
「まあ、気配を消して行動することが多かったんで」
 背後からやってきた声の主は梅花だった。相変わらずの無表情だが落ち着いた様子だ。リンは照れ笑いを浮かべたが、それでも表情に変化は表れない。
「妙な獣を見たんで追ってきたんです。倒したの、リン先輩ですか?」
 すぐに梅花は端的に尋ねてきた。なるほど、それならわざわざ気を隠し足音を立てないのも納得ができる。リンはうなずくと、獣がいた場所へと視線を向けた。
「まあね。でも変なのよ、倒れたらそのまま消えちゃって……」
 彼女と同じように、梅花もその方を見た。表情はほとんど変わらないが、どうやら怪訝に思っているようである。軽く頭だけが傾けられていた。
「そうなんですか。とりあえず、他の仲間を探しながら頂上を目指した方がよさそうですね。ここにも何か危険があるようですし」
「同感」
 二人はうなずき合うと、足早に歩き出した。
 音のない森には嫌な空気が、たちこめているように思えた。

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