white minds
第三章 神聖なる武器-8
森の中で立ち止まり、アースは空を仰いだ。生い茂った葉の間からはかろうじて曇った空が見えている。
「あいつ、戦っているのか?」
彼は顔をしかめてつぶやいた。もう五人はとっくのとうに倒してしまっており、傍には誰もいない。歯の触れ合う音に彼の声が混じるだけだ。
だがかといって殺したわけではなかった。止められているせいもあるが、弱すぎて殺す気も起きなかったからだ。標的も張り合いがなければ意味がない。少なくとも彼にとってはやる気を見いだす要素がまるでなかった。
「あれだけ休んでろと言っておいたのに」
彼はそうぼやきながら彼女の気をさらに探る。彼女、レーナの『気』は特有だ。しかも他の技使いと比べ物にならないくらいにとてつもなく強かった。もし彼女に隠す気がなければ、別の世界にいても感じることができるかもしれない。気を感じるのが得意でない彼でもそう思う程だ。
「本気を出してもいないが、隠す気もあまりない、か」
探り当てた彼女の気からアースはそう判断した。気を隠すにもそれなりの労力は使う。それは惜しいということだろう。
「仕方ない、様子を見に行くか」
彼は深く嘆息した。何もないとは思うが、もしもということがある。彼女の強さは認めるが、体がかんばしくないことも彼は知っていた。
心配、か……。
今度は苦笑がもれた。今までは自分には当てはまらない言葉だと思っていたが、最近はそんなことばかり考えている気がする。
「どうしようもないな、われも」
木々の間を、アースは走り始めた。
戦闘音は、まだ耳には届いていなかった。
ヤマト族で一、二を争う剣の使い手として、滝は有名だった。同じく彼と並ぶ実力で、シンと青葉も名高かった。
滝とともにいるレンカもそれ相応の実力の持ち主であるし、優秀な補助系の使い手であるジュリもそれなりの実力を持っている。
少なくとも神魔世界の技使いの中で、五人はかなりの上位に位置しているはずだった。
だがその五人が揃ったにもかかわらず、レーナには歯が立たなかった。
「当たらない……」
「このままじゃあまずいわね」
滝とレンカは背中を合わせながら言葉を交わす。目の前で余裕の表情で立つレーナは、息一つ乱していなかった。
誰の攻撃もレーナをかすめることはない。彼女は何もしていないというのに、体力が落ちていく一方だ。
「このままじゃやばいよな」
「なんとか反撃の糸口を見つけいといけませんね」
二人のやや後ろでは、シンとジュリが顔を曇らせている。レーナの動きはとてつもなく速かった。スピードではかなりのレベルだと自負していたレンカでさえ、全く敵わない。
「どうした神技隊。まだ一発も攻撃が当たっていないようだが? われは全く攻撃していないんだがなあ」
楽しげにレーナはそう言った。彼女の背後では、ネオンが口を開けてぽかんとした表情を浮かべている。
強い。
彼女の強さや予想以上だった。まさか一発もくらわせられないとは思わなかった。
唇を噛みながらレンカは思考を巡らせる。どうにかここを抜け出さなければ、武器のある頂上を目指すことはできない。
だが誰かを見捨てて行くことは考えられなかった。幸いにも今のところレーナには彼女たちを殺す気はないようだ。が、いつ気が変わるかはわからない。それは危険だ。
でも梅花とリンがこちらへと近づいてきている。
レンカは内心でそうつぶやいた。二人が来たからといって形勢が変わるかはわからない。ある意味わらにもすがる思いに近いが、それでも希望がないよりはよかった。
「くっそー当たらねー!」
青葉の放った炎の光弾を、レーナはあっさりとかわした。その赤黒い球はは地面に落ちると煙を上げながら瞬く間に消えていく。えぐれた土からは焦げ付いた臭いが漂っていた。
音もなく着地したレーナの髪が、風に乗って揺れる。
早く来て、リン、梅花。
レンカはそう懇願した。二人増えたところで事態は変わらないかもしれない。だが何かきっかけは掴めると、そう彼女は信じていた。
『オリジナル』
そうレーナは以前言っていた。梅花が来ればレーナの反応にも変化が現れるかもしれない。そうなれば機会も生まれる。
「どうする? レンカ」
低く構えながら滝が聞いてきた。レンカは小さくうなずきながら、視線だけはレーナへと固定する。
このままいけば梅花とリンに合流できるわ。それまで粘りましょう。
そう彼女が答えようとした時だった。
「レンカ先輩!」
声が、唐突に背後から降りかかった。
この気はリンと梅花だ。
しかし予想していたよりはずいぶん早いタイミングだった。気の感触では、先ほどまでずいぶん遠いところにいたように思えたのだが。
「ず、ずいぶん早いわね?」
喜びを声音に含みながらもレンカは率直にそう言った。走り寄ってきた二人はレーナの姿を認めて、どこか複雑そうに目を細めている。
「たぶん結界のせいですね、途中で梅花が破ってきましたから。ここ、わけのわからない結界が多いみたいで」
疑問にはそうリンが簡潔に答えた。なるほど、結界が阻んでいたのだ。納得したレンカはまた微笑むレーナをにらみつける。レーナは立ち止まったまま梅花たちを見ていた。だからといって隙があるわけではないのが、残念なところだが。
「リン!」
「梅花!」
するとシンと青葉が同時に叫び、リンと梅花の方へと駆けよってきた。横目で確認すれば、嬉しげな彼らの姿が視界に入ってくる。
「シン、大丈夫? だいぶ疲れてるみたいだけど」
「青葉……そう、相手はやっぱりレーナだったのね」
リンの心配そうな声、梅花の複雑そうなつぶやきが耳に届いた。同時に青葉の小さなため息もかすかに聞こえてくる。わかりやすい反応だ。ここが戦場でなければレンカだって笑い声をもらしたいくらいに。
「あーあ、オリジナルか。あまり戦いたくはなかったのだがなあ」
そこでタイミングを見計らったように、もしくはまるで青葉の気持ちに呼応するように、落胆したため息をレーナはもらした。困ったように見せかけているのか本当に困っているのか、そのわざとらしい仕草では判別できない。
彼女のつかみ所のない笑顔をレンカは見つめた。顔は梅花と同じ。なのに浮かべる表情全てには余裕と揺らぎがあって、その真意を読みとることができない。得体の知れない何かが確かにそこにはあるのに。
頭の中で不思議な鐘が鳴り響く。警鐘ともとれる胸騒ぎが、体中を硬直させた。
彼女は何者なのか?
今さらながらにそれが気になって仕方がない。まるで強迫観念のようにその言葉だけがぐるぐると頭を巡っていた。何故だか息も苦しくなる。
しかしそのレーナはというと、梅花をしきりに気にしながら攻撃の手を止めていた。ためらいがちに口を開き、けれども結局言葉を発せずに吐息をもらしている。こちらに動く隙は与えていないのに、自身は動くのを躊躇しているようだ。
迷っている?
そう思える態度だった。表情はわざとらしいままなのに、それでもその瞳が戸惑いを伝えてくる。
「仕方ないな、攻撃するか。さくっと終わらせるのも手だしなあ」
だがそう言ってレーナの目つきが変わったときだった。
「っ!?」
威嚇するような鋭い気が、茂みの奥から感じられた。レンカの唇から声にならない言葉がもれる。この気は、少なくとも神技隊のものではない。
「やめておけ。お前が本気になったら洒落にならんだろう」
そこから現れたのはアースだった。苛立たしげな声音に呆れた顔つき。青葉と同じ顔のはずなのに圧倒感があるのは何故だろう? 彼はその場にいる面々をにらみつけると、固まったように立ちつくすレーナへと寄った。その後ろでは怯えたネオンがわなわなと震えている。
「アース?」
レーナはその名を呼んだ。立て続けの乱入者に、誰もが動けなかった。それはアースの放つ鋭利な気のせいなのかもしれないし、どう動くべきか図りかねているせいもあるだろう。成り行きを見守るしかないレンカたちは、息を呑みながら彼の動きを目で追う。
「本気出すなと言ったばかりだったな?」
「いや、そのアース。別に本気を出すつもりでもないんだが」
問われたレーナは言い訳なのか何なのか、まいったな、と言わんばかりの表情をしていた。戦闘の時の余裕の態度とは打って変わった様子だ。何故かこんな時だけ本当に困っているように見えるから不思議である。
「お前は下がっていろ、戦闘専門は我々だ。お前は最終手段だ、わかってるな?」
ずいぶん勝手なことをアースは言った。彼の視線に射抜かれたのか、震えるネオンはコクコクと首を縦に振っている。
「わかったわかった。下がっていればいいのだろう? ただ、約束は破るなよ」
レーナは頬に指先を当ててそう答えた。困り方といい仕草はやたらにかわいらしい。いや、見た目相応といったところか。
「今度の相手は彼ってことね」
小さくレンカはつぶやいた。レーナが戦わないのは好都合だが、アースの強さも計り知れないものがある。事態が好転したとは言い難いだろう。
「待たせたな、神技隊。今度はわれが相手だ」
どこからともなく取り出した刃を向けて、アースは言い放った。その黒い瞳が鋭い光を帯びる。辺りを瞬時に張りつめた空気が満たした。
「来るぞ」
滝が囁くように言う。
先に動き出したのはアースだった。大きく跳躍すると構えた滝めがけて剣を繰り出す。レーナ程ではないがかなり速い動きだ。その切っ先をすんでのところで滝はかわした。
強い。
滝から離れるよう跳んで後退すると、レンカは強く唇を噛んだ。今の動きだけでもアースの実力がわかる。隙がない。
このままでは、勝てない。
彼女の胸の内を不安が覆い尽くそうとしていた。噛みしめた唇からは、わずかに血がにじんでいた。