white minds

第三章 神聖なる武器-11

「そこまでだな、オリジナル」
 声とともに立ちふさがる影があり、梅花は仕方なく立ち止まった。突然現れたのは案の定レーナだ。その余裕ある姿を目にして、梅花は小さくため息をもらす。
「レーナ」
 梅花はつぶやくよう名前を口にして、ただ彼女を見つめた。何故だろう、彼女と向かい合うと戦う気が失せてくる。戦うべき相手ではないと、そう訴えかける声が聞こえる。
「どうした、オリジナル。ここを通らないと頂上へは行けんぞ?」
 レーナは挑発するように梅花を見返してきた。小首を傾げる仕草にあわせて、頭の上で結わえられた髪が軽やかに揺れる。
 だが何故だろう。悪戯っぽい瞳さえ、何だか優しく見える。それに悲しくも。それはあらゆる感情を内包しているかのようだった。内包しているのに、その片鱗しか見せてはくれない。
 だから彼女の意図が見えてこなかった。殺す気があるようには思えないし、かといって邪魔するだけとなると全く利点が想像できない。彼女が本当は何がしたいのか、梅花にはわからなかった。ただ何か隠しているのだと漠然と感じるだけで。
『どうしてあなたはそんなことをするの?』
 梅花がそう言葉を発しようとした時だった。
 奇怪な音を耳が捉える、と同時に鋭い痛みが足に走った。
 太股が焼けるように痛い。しかし痛いという声すら出せない。それでも頭の隅にある冷静な部分は事態を把握しようと懸命になっていた。これは何か、おそらく技による何かが貫いた時の感覚だ、と。何者かが攻撃してきたのだと。
「ど、こ……?」
 力の入らない足はいうことを聞いてくれなかった。その場に倒れ込んだ梅花は、技が放たれた場所を目だけで必死に探そうとする。
「お前は」
 するとレーナが低くつぶやくのが聞こえた。彼女の視線を追ってみれば、やや離れた坂の下の方に得体の知れない獣の姿が見える。それは異様な獣だった。神魔世界でも無世界でも見たことのない妙な獣だ。『それ』はうめき声とも取れないような低い音を発している。思い返せばリンが説明していた獣の外見と、完全に一致していた。
 まさかこの獣が?
 そう梅花が心中でつぶやいた瞬間、変化は起きた。
「お前は、まさかレーナか!?」
『それ』は叫んだ。人間の言葉で。
 くぐもってはいるがうめきとは違う、明らかに言葉を話していた。それでも信じがたくて梅花は瞳を瞬かせる。しかしレーナに動じる気配はなかった。彼女は地を蹴ると獣と梅花との間に立ち、荒い息をこぼす獣をにらみつける。
 え?
 それままるで梅花をかばうような態度だった。レーナが右手の指先を獣の方へと向けて突き出すと、無数とも思われる白い矢が放たれる。それらは獣めがけて音もなく突き進み、幾つかは避けられ幾つかは直撃した。すると獣はうめき声を大きくしながらのたうち回り、ついには咆哮する。
 だが獣は消えはしなかった。その周りを赤い光が包み、瞬く間に獣は姿を変える。
 人間の姿へと。
「まさか、まさか! お前に会えるとはな!」
 歓喜の極まった表情で、獣だった男は叫んだ。その黒い髪や黒ずくめの服は獣だった頃を彷彿とさせる。また瞳の赤さは異様な程で、ぎらついていると言っても過言ではなかった。
「見たことがある、確か……ラビゥエダだったか? 近くに潜んでいるのはわかっていたが、まさかこんな所に出てくるとは。多々ある結界のせいで感覚が鈍っていたか」
 彼は今にも笑い出しそうなくらい上機嫌だったが、対してレーナの声は非常に淡々としていた。背後からでは表情まではわからないが、おそらく声と同じくらい醒めているのだろう。
「お前が弱っていると聞いたんだ。お前を倒すのは今しかない! 奴の仇を!」
 ラビゥエダと呼ばれたその男はさらに声を張り上げた。恨みをたたえた瞳は飛び出さん勢いで、目の前に立つレーナをにらみつけている。
「われを倒す? それは無理な話だな。オリジナルを前にしてわれは、やられるわけにはいかないのだ。たとえ力が弱まっていてもお前にやられる程ではない」
 しかし声こそ変わっていないものの、彼女の様子は今までと一変していた。放たれる気の強さが、鋭さが今までとはまるで別人のようだ。
 どういうこと?
 梅花は内心で首を傾げた。意味がわからない。彼女が本気になる理由も、自分を守ろうとする理由も。あの男の正体も何故こんな所にいるのかも、全てがわからなかった。痛みと出血ではっきりしているのか否かかわからない意識が、答えを求めるも得られずに悲鳴を発する。
「オリジナル?」
 するとラビゥエダは梅花を見つめ、ケケケケ……と笑った。起き上がれない梅花はただラビュエダをねめつけることしかできない。危機感だけは感じているというのに。
 出血が多い、このままじゃあまずい。
 そのことはきちんと理解できていた。早く傷を塞がなければいけないのだけれど、けれどもそれをするのも億劫なくらい体に力が入らない。全て出血のせいだ。
「こりゃー運がいいぜ! それならそいつともども殺してやりゃー!」
 そう叫ぶとラビゥエダは右手を剣に変えて飛び上がった。彼はレーナへと向けて真っ直ぐそれを振り下ろす。思ったよりも素早い動きだ。
 しかし構えたレーナの右手には、いつの間にか剣が握られていた。彼女はそれで攻撃を受け流し、逆に隙をついて一歩踏み込み切り込む。
「すまない、巻き込んでしまった。われとしたことがこの程度の気配も察知できなかったとは」
 一旦後退するラビュエダを見据えたまま、レーナははっきりと言った。梅花は瞳を瞬かせながらそんな彼女をじっと見上げる。
「だがこれ以上邪魔はさせない」
 レーナの剣に白い光が宿った。
 かすんだ視界の中で、梅花はそれを見つめた。



 滝はちゃんと辿り着けたかしら。
 体力も尽きて攻撃を避けるのが精一杯の状況で、レンカは頭の隅で考えた。皆が同じような状況だ。ジュリもシンも辛そうな顔で、それでも何とか立ち上がっている。
 ただ一人青葉だけが、どういう体をしているのか今もアースと戦い続けていた。底なしの体力とでも言おうか。疲れてはいるだろうに、それを感じさせない動きで戦っている。
 しかしそれはアースも同じのようだった。故に二人の戦闘が終わる気配はなく、ただレンカはその成り行きを見守るしかない。
「ちょっとはくらってみろっ」
「ふん、誰がそんな剣ごときを」
 憎まれ口をたたき合いながら、二人の剣は火花を散らしていた。だがアースにはどこか戦いを楽しんでいるようなふしがあった。そうでなければやられていたと思われる場面が何度かある。
 そう、彼はこの戦いを楽しんでいる。レーナがいなくなってからなおのことそれは顕著に感じられた。彼女がいる時は彼女を疲れさせたくないためなのか、手早く片づけようという意識があった。が今はそれもない。ただ強い者と戦えることが純粋に嬉しいようだ。
 つまり殺される危険性は少ないってことよね。
 レンカは胸中でつぶやく。それは幸いなことではあった。青葉は辛いかもしれないがもう少し辛抱してもらおう。何とか滝たちが武器を手に入れてくれればこの空間ともさよならできるのだ。そうなればこんな場所で戦う必要もなくなる。
 だからお願い早く。そう彼女は祈った。早く手に入れて欲しいと強く祈った。
 刹那、異変は起きた。
 突然アースは動きを止め、辺りを見回した。そのせいで勢い余った青葉は止まりきれず、地の上を一回転する。
「な、何だよ急に――」
 慌てて立ち上がった青葉は瞳を細めて口を開く。が、文句は半ばで途切れてしまった。その理由はレンカにもわかる。この異様な『気』がそうさせるのだ。アースが立ち止まったのもそのためだろう。そうさせるだけの気が、突如として出現していた。
「レーナが、あいつが本気だ。それに今までなかった気がその側にいる」
 つぶやくように、と言うよりはただ感じたことを確認するかのように、アースは言った。確かに、この気はレーナのものだ。だがそれだけではなく全く別の、異質の気がすぐ側にはある。
「何があったんだ? ……やめさせなければ」
 彼は目つきを鋭くすると、その場から一気に駆け出した。森の中へと消えていく背中を、慌ててレンカは目で追う。
「おいっ! アースっ!」
 青葉は叫ぶがもうアースの姿はどこにも見えなかった。レーナのもとへ向かったのだろう。だがとある事実に気がつき、レンカははっとした。
 レーナは確か、滝たちを追いかけていったのではなかろうか。ならばすぐ近くにいるのではないか。
「青葉、早く彼を追いかけて! レーナがいるなら滝たちもいるはず。何かあったら大変よ!」
 焦った彼女は声を大にして叫んだ。その切羽詰まった叫びに事態の重さを理解したのか、青葉は大きくうなずくと駆けていく。彼の後ろ姿を見送って彼女は唇を噛んだ。
 今の私たちでは走れない。
 それが彼女には悔しかった。けれども足手まといになるくらいならと思えば、その悔しさも飲み込むことができる。
「頼んだわよ」
 かすれかけた声で、彼女はつぶやいた。



 もうアースの姿はとうに見失っていた。その気を捜そうとしても、数多ある結界のせいか正確な場所は掴めない。
「大丈夫か?」
 誰にともなく青葉はそう尋ねた。
 レーナの側には滝が、リンが、そして梅花がいるはずだった。何もなければいい、と願いつつも鼓動は早くなっていく。
 もし、梅花に何かあったら。
 彼は走るスピードを上げた。足は疲労を訴えていたけれど、それも今は無視した。
 アースの気はわからなくても、この異様で巨大な気の居場所だけは何となくわかる。気に疎い彼でさえわかるのだから、ものすごい強さなのだろう。
 これがレーナの気。
 恐ろしいとしか言いようがなかった。だがどこかしら梅花の気とも似ていた。もっと近づけば結界の影響も少なくなり、確実な場所がわかるだろう。
「あれ?」
 けれどもどこか違和感がある。その理由を探し求めて彼は首を傾げた。いつもと何かが違う、決定的に違う。何か慣れ親しんできたものが確かに欠けているのだ。
 そこで青葉は立ち止まった。
「梅花の気を感じない」
 彼は愕然として瞳をさまよわせた。彼女の気が感じられないなんて、そんなことは初めてだった。少なくとも仲間になってからは、相当遠くにいない限り彼女の気は感じられた。神魔世界に赴く時以外はいつだって捜し出すことができたのだ。
 無論その理由も彼は知っている。
 彼女の気は普通の人より特殊で、しかもかなりの強さだからだ。彼女が気配を隠さない限り、その気が感じられないことはない。すぐに判別できる。
 確かにここは結界のせいで空間の歪みがひどく、いつもよりは気は感じられにくかった。しかしつい先ほどまでは確かにあったのだ。突然消えるなんておかしい。
「……急ごう」
 再び彼は走り出した。
 もう迷ってはいられなかった。

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