white minds

第三章 神聖なる武器-12

 体中を駆け抜けるおぞましい感覚に、リンは立ち止まりそうになった。だがそれを何とか堪えて手のひらから風の刃を生み出す。戦闘途中に動きを止めるのは死に直結だ。
「どうわっ!」
 一方、ネオンはその衝動に耐えきれなかったらしい。足を止めた彼の背へ見えない刃が突き刺さった。だが悲鳴だけでのたうち回らないところを見ると、服に何か施してあるようだ。ネオンを見据えながら彼女は目を細め、構えながら息を整える。
「何だ?」
 北斗が背後で声を上げた。ようやくこの異変に皆も気づいたらしい。背筋を冷たい指でなぞられたような、凍てつく川の中へ投げ込まれたような感覚。リンは唇を噛みしめた。
 すさまじい気がこの世界のどこかに突如現れた。しかも数は一つではない、二つだ。
 立ち止まってはいけないと思うのに、気づけば彼女も構えたまま動きを止めていた。先にネオンが棒立ちになっていたからこそ、何事もないのだが。
「気が、二つ」
「一つは、レーナだ」
 アサキのつぶやきに答えるよう、ネオンがそう声を上げた。だがその口調に自信はない。これだけ強大な気であればそれも無理もないが。今まで感じていたレーナの気はそれほどでもなかったのだ。
「あっちって、梅花や滝先輩が行った方よね」
 そのことに思い至ってリンは呆然と声をもらした。ここから頂上に向かう方向からその気は感じられる。となればレーナがいてもおかしくはない。だがもう一方は、もう一つは何なのだろう? 力を込めようにも拳が震えてどうしようもなかった。
 何か妙なことが起こっている。
「行ってみましょう、先輩」
 背後にいたよつきが前に出てきた。彼も青い顔をしているが、声音にはそれほど恐怖が感じられない。リンはうなずいたが、しかし彼らよりもネオンの方が行動は早かった。脱兎のごとく駆けだした彼を、慌ててリンは見やる。
「くそっ! 一体どうなってるんだよ、レーナ!」
 涙を堪えたようなネオンの叫びが、耳に痛かった。しかし幸いにもそれが彼女の活力となった。瞳を細めると彼女は自らを叱咤激励する。
 何が起きてるのか、確かめなくてはいけない。梅花たちに何かあってはまずい。手遅れになってはまずい。
「みんな、追うわよ!」
 ネオンを追うように、彼女は走り出した。



 滝の目に映った状況は予想を遙かに超えていた。立ち止まったままの彼は、もう一度現状を確かめるように辺りを見回す。
 森に挟まれた道の中で、二人の男女が相対していた。片方は見慣れない男だが片方はレーナだ。その二人が静かな森の中で互いをにらみつけるよう向き合っている。
 レーナは白い刃を構えて梅花の前に立っていた。輝く刃からはすさまじい気が放出されており、一般人が近づけばそれだけで気を失ってしまうのではと思う程だ。
 彼女のが刃を向ける先には、異様な男がたたずんでいた。右手を剣に変え、なおかつ体のあちこちを自由自在に伸び縮みさせた男。ある物は鞭のように、ある物は棘のように彼の体を覆っていた。また放つ気も異様な程強く、負の感情に満ちあふれている。
 レーナの後ろでは梅花が倒れていた。太股から大量に出血しており、動く気配がない。だが懸命に意識を保って治癒の技をかけているらしかった。
 とにかくまずは梅花だな。
 自らを落ち着かせるよう深呼吸すると、滝は梅花のもとへと駆け寄る。妙な男とレーナを警戒しながらも彼はその側に膝をついた。
「梅花、大丈夫か?」
 彼は彼女の上半身を抱えると顔を覗き込んだ。辺りの土は血を吸って黒く染みついている。それは事態の深刻さを物語っていた。
 かなり出血している。
 内心で彼は焦った。出血は技使いにとって致命的だ。これがなければ技ですぐ治癒することができるから、そう重傷には至らない。だが血は体中へ精神を運ぶ役割もしている。多量の出血は技の力をもそぎ落としてしまう。
「大丈夫です。もう、だいぶ、傷口はふさがりました。だから早く、武器を、取りに行ってください」
 しかし微笑を浮かべて梅花は囁くように言った。確かにもう新たな出血はないようだ。だがこのまま放っておいても大丈夫だとは思えない。彼は感嘆のため息をもらしながらレーナたちの方を見やった。
「だが……」
 レーナと怪しい男は戦い続けていた。しかし何故だか彼女は梅花を守るように立ち、そこから動く気配がない。器用に立ち回って男の攻撃をやり過ごしている。
 レーナは梅花を守っている。そして、見捨てない。
 そう思わせるような戦いぶりだった。先ほどレーナと戦った時は、彼女は縦横無尽に動き回っていたのだ。おそらくスピード重視の戦いが得意なのだろう。そんな彼女がその場を動かないというのは、それなりにリスクのある選択のはずだ。だが迷うことなく彼女はそれを選び取り、実行し続けている。
 レーナは梅花を見捨てない。
 その思いは確信へと近づいた。同じ顔の者が死んでは寝覚めが悪いということだろうか? しかし何にしても幸いだった。彼は梅花を道に横たえると、ゆっくりと立ち上がる。
「わかった、先に武器を取りに行く。だから無理せず、何もせずにここにいろよ」
 彼は決意するとそう梅花に声をかけた。
 ここの出方がわからない以上、目的である武器を手に入れるのが先決だ。しかも自分がいたところで、補助系の治癒が使えないのでは役に立たない。だったらできることをしなければ。
 今は、まず、武器を手に入れるんだ。
 もう一度戦いの様子を一瞥してから、彼は坂道を駆け上った。



「滝先輩、お願いします」
 去りゆく滝の後ろ姿を見送り、梅花はつぶやいた。道は緩やかに曲がっているため、すぐにその背中は森の影へと吸い込まれていく。
 目の前ではレーナとラビゥエダの戦いが続いていた。体を変化させあらゆる武器で対抗してくる彼に、彼女はそれを器用に避けながら反撃している。
 彼女の方が優勢だった。
 ラビゥエダの攻撃が当たらないのに対して、レーナの攻撃はかなりのダメージを与えている。
 彼女は強い。
 それを再度見せつけられる戦いだった。とにかく動きが素早く、そして戦い慣れしている。避けるのにも反撃するのにも何するのにも迷いが感じられなかった。遠距離の技を使わず、またその場をほとんど動いていないというのに、彼女には余裕があった。
 しかも私を守っている。
 梅花は瞼が落ちるのを何とか堪え、レーナを凝視した。ラビュエダの攻撃は一つも梅花のところまでやってきていない。全てレーナの刃が弾き返している。どう解釈しても守っているようにしか見えない。
「どうして?」
 つぶやいた声は乾いた空気に呑まれていった。だが答えは出されないままに、二人の戦いはなおも続いている。
 突き出された刃をレーナは弾き返し、逆にその隙をついて切り込む。すると焦ったラビュエダは一旦後退する。しかしすぐさま体勢を立て直して彼は地を大きく蹴る。
 似たようなことがずっと繰り返されていた。時の感覚が消えそうになるくらい、同じやりとりが続いている。
「このおっ!」
 だが変化は瞬時に訪れた。焦れたのか大きく踏み込んだラビュエダが、鞭のように引き延ばした体の一部をレーナへと向けた。しかし彼女は慌てなかった。振り下ろされた鞭を刃で受け止め、切り裂くように薙ぎ払うと低く跳躍する。
「ひゃあぁっ!?」
 ラビュエダの小さな悲鳴が鼓膜を叩いた。
 彼女の刃は真っ直ぐ彼の胸板へと向けられた。だがその切っ先が触れようかという時、突然レーナは膝をついた。身を引こうとしていたラビュエダは一歩後退すると、目を見開いて立ち止まる。
「ちっ、こんな時にか」
 レーナの苦しげな声が梅花にも聞こえてきた。すると好機と悟ったのか、ラビュエダは口の端を上げて腕を振り上げる。
「死ねっ!」
 立ち上がる気配のないレーナへ、ラビュエダの剣が振り下ろされた。思わず目を覆いそうになった梅花は、その衝動を堪えて状況を見定めようとする。
 嫌な音がした。だが肉が切り裂かれる音ではなかった。かすんだ視界でもかろうじてわかる。レーナはその剣を左腕で防ぎ、歯を食いしばっていた。
 レーナっ!
 喉からもれかけた言葉を梅花は飲み込んだ。
 剣を受け止めた華奢な腕からは一筋の血が流れていたが、それが切り落とされることはなかった。技で強化しているのかとっさに結界を張ったのか、霞みかかった意識では判断ができない。
「レーナ、殺してやる、殺してやる!」
 斬りつけながらも狂ったようにラビゥエダは叫び続けた。それでもレーナは膝を着いて黙ったまま、その攻撃に耐えている。だが不思議なことに彼女の表情は、苦悶と言うよりも悲愴に満ちていた。まるでラビュエダを憐れんでいるようにさえ見える、不思議な瞳。
「え?」
 唐突に、彼女はむくりと立ち上がった。
 驚いたラビュエダは一歩後退した。そんな彼を見据えながらレーナはほんの少し微笑む。そして血まみれの腕など意に介さぬように、右腕を掲げた。
「まだそんな力が……」
 呆然とラビュエダはつぶやく。彼女の手に先ほどよりもさらに大きな刃が生み出されていた。あれだけ斬りつけたにもかかわらず平然とした様子だ。さらにラビュエダは一歩一歩後退していく。
 本能的な恐怖。
 彼はそれを感じていた。それが梅花にもわかった。レーナの放つ気に、体中の毛が逆立ったようになる。
 彼女は本気だ。
「すまぬが、殺す」
 静かな彼女の言葉と異様な音が、同時に耳に届いた。それは一瞬のことだった。彼女の刃が一秒もたたいないうちに、ラビゥエダの体を切り裂いていた。
 やはり、彼女は強い。
 ラビュエダの体が光となって消え去るのを、梅花はぼんやりと見守った。安堵したのか急速に視界が閉ざされていく。腕を動かそうにも力が入らず、意識を保つための痛みも薄ぼんやりとしか感じられなかった。
「……アース?」
 レーナの声が聞こえる。ほとんど真っ暗になりかけた視界の端に、かろうじてアースの姿が映った。レーナは彼の方を振り返ったらしい。声音と足音で梅花はそう認識する。
「レーナ、お前、本気になるなと言っただろう」
 言葉から、声から、アースの怒りが滲み出ていた。いや、心配しているのだろう。そうとわかる温かさがその内には含まれている。けれどもレーナは何も答えなかった。彼女の気配が近づいてくるのを、動けない梅花はただじっと待つ。
「オリジナル大丈夫か? 傷はふさがってるな、なら大丈夫だ」
 レーナの細い手が太股の辺りに触れた。もう視界には何も映らないが、音や感覚はまだ生き残ってるようだ。安心したのか息がもれて、彼女の温かな指がそっと離れていく。
「梅花!」
 するとアースがやってきたのと同じ方向から、青葉の声が突然聞こえた。慌てた息づかいと怒気の混じった声音。レーナが側を離れると同時に、青葉の気がすぐ側へとやってきた。
「梅花、大丈夫か?」
 上半身が抱え起こされたが、もう梅花には答える力は残っていなかった。声を出そうにも息がもれるだけで、まともな言葉を口にすることもできない。
「レーナ、お前がやったのか!?」
「われが? 馬鹿か、オリジナルを傷つけるわけないだろう」
 二人の言い合いが聞こえる。違う、レーナは助けてくれたのだ。そう言いたかったがそれすらも無理だった。先ほどよりもずっと声が遠いから、意識が落ちるのも時間の問題かもしれない。
「行くぞ、レーナ。今日のお前は戦いすぎだ。さっさと戻って傷を治せ」
「え? ってちょっとおい、アース! われは別に歩ける――」
 音はそこでぷつりと途切れた。ぐらりと体が傾いだ感覚があった。
 もう、駄目かな。状況説明しなきゃいけないのに。
 何かを掴んだ感触とともに、梅花の意識は完全に暗闇に飲み込まれた。

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