white minds

第四章 青き武人ぶじん-3

 夢を見ていた。よく見る夢。あまりに繰り返されてきたから、これが夢であるとすぐに気がついてしまった。
 見下ろす先には小さな自分がいる。空から自分を見下ろすなんて、普通はない経験だ。だからこれは夢。そう理性的に事態を捉えることはできる。できるのだが、ただそれがあまりにリアルで、記憶にこびりついていて、幼い自分を笑うこともできなかった。
 視線の先、ほんのまだ二才ほどの自分が顔を上げる。
「おかあさまたちは、ここから出ていったの?」
 年の割にははっきりした口調で、小さな唇は言葉を紡ぎ出した。後ろには誰もいない。ある時を境にずっと傍にいたはずの祖母の存在は消えていた。それが亡くなったからなのだと気づくのは後になってからだが、それでも幼い自分は一人にされたのだと理解していた。だがすぐに追いかけてくる存在がいることも、その幼い子どもは知っていた。
 いつもそうなのだ。一人でいると、必ず彼女はやってくる。
「梅花ちゃん! そっちは危ないから、早くこっちにおいでっ」
 まだ大人になりきれてない少女が駆け寄ってきた。たぶん今の自分と同じくらいだろう。慌てたためずり落ちそうになる眼鏡に、手をやっている。
「リューさん、どうしてこっちはあぶないの?」
「別の世界とつながってるの。近づきすぎると飲み込まれちゃうよ」
 不思議そうに聞く自分を抱き上げて、少女――リューは答えた。小さな自分の体はすっぽりと彼女の腕に収まっている。その時の感覚は、今でもすぐに思い出すことができた。
「じゃあのみこまれたら、おかあさまたちに会える?」
 問いかけに、リューは凍り付いた。腕が強ばっているのが空からでもわかる。表情が硬くなり、返答に詰まっているようだった。
 ――リューさん、悩まなくていいよ。もう、私はそんな質問なんてしないから。
 梅花はそっとつぶやいた。空の上からでも声は通るのだろうか? 幼い自分もまだ少女のリューも上空を見上げたりはしない。だがリューの体から少しだけ力が抜けたように見えた。
 大丈夫。私は私の力で実現させる。
 だから悩まないで。もう、誰も困らせたりしないから。
 つぶやくと同時に、過去の自分たちの姿は次第にぼやけていった。目の前に暗闇が迫り、途端に周囲の気の感覚が戻ってくる。
「朝、か」
 梅花はゆっくりと瞼を開けた。見慣れた天井が視界に入り、夢から覚めたのだと実感する。
 寒い。
 彼女はゆっくりと体を起こすと、両手を抱え込むようにした。この夢を見た後は、いつもひどく寒気がする。季節を問わずだ。
「もう五時過ぎね」
 傍にある小さな時計に目をやって彼女は顔をしかめた。いつもよりは遅い方だ。そろそろ支度をした方がいいだろう。仲間たちが起き出す前に下準備をすませなければならない。
 彼女は軽く息を吐いてのびをした。『上』から支給された謎の特別車の中は異空間のようになっているので、とりあえず寝る場所と着替えの場所には困らないのが助かる。仲間たちは狭いと騒いでいるが、彼女にとってはそれがあれば十分だった。
「今日からなら、もう文句は言われないわよね」
 着替えながら彼女は口の端をかすかに上げた。
 仕事好き、というわけではないが、何もしないと色んなことが頭に浮かんでどうしようもなくなる。だからできる限り早く何かしたかった。不毛なことを考えなくて済むように体を動かしたかった。
 私は弱い。
 それを知っているからこそある意味では強くなれる。いや、そうであってほしいと願っていた。少なくとも知らないまま放っておくよりはいいと、彼女は自らに言い聞かせる。
「曇りか……まあまあね」
 車から外へ出ると、空には灰色の雲がかかっていた。風は軽く髪をそよがせる程度である。気温もそれなりに上がりそうな気配があった。
 その日の売り上げはほぼ天気に左右される。雨が降ればほとんど仕事にならないと考えた方がよい。売り上げが減れば食費を削らざるを得ず、そうなればようあたりがひどく不満を漏らすのは確実だった。それは避けたいところだ。
「最近は本職、こないしね」
 梅花は苦笑した。レーナたちの相手が優先なのだから当たり前だ。特別任務がなければ、シークレットにやることはないのである。
「今のうちに貯金しとくのも悪くないわね」
 曇り空を、彼女はぼんやりと見つめた。雲は形を徐々に変えながら、ゆっくりと流れていた。



「何? 本当か、レンカ?」
「ええ、確かに」
 滝の問いかけにレンカははっきりとうなずいた。
 太陽が真上に来る頃、ストロングは裏路地で話し込んでいた。『上』から逃げる生活が続いたため、人目に付かないところで話をするのが癖になっているのだ。身を隠すよう固まった五人は壁に背をあずけている。
「確かに強い気を感じたの。間違いないわ」
「だとしたら、やっぱりレーナたち?」
「それしか考えられないよな。でも本当にそんなに強かったのか?」
 だがレンカの言葉にミツバとダンは首を傾げていた。疑っているわけではないがどうにも腑に落ちないのだ。けれども二人の疑問はもっともでもあった。その強い気を感知したのは彼女一人で、他の四人は全く気がつかなかったのだ。自分の感覚を頼りに生きている者にとってみれば、やはりそれは信じがたい事態だ。
「ええ、そうよ。私はかなり強く感じたはずなんだけど……でもみんなは気がつかなかったんでしょう?」
 だからレンカは顔をしかめた。彼女も自分の感覚を信じる者の一人だった。しかし四対一ではやや不安にもなる。問いかけに四人は次々とうなずいた。
「じゃあ私の勘違いだったのかしら……」
「いや、レンカに限ってそれはないだろう。むしろ、異空間の狭間からとか、そっちの可能性が高いんじゃないか?」
 しかし彼女が視線を落とすと同時に、滝がすぐさまそう声を上げた。
 異空間の狭間。
 通常はあまり耳にしない単語にミツバとダン、ホシワが眉根を寄せる。そして説明を求めんばかりに滝を見た。その様子に気づいて、滝はあー、とつぶやき額に手を当てる。
「この話はしてなかったか。ほら、レンカはずっとリシヤの森にいた、ってのは前に話したよな? あそこは空間の歪みが激しいから、普通の技使いはなかなか正確に気を感知できないんだ。だが住んでいたレンカは違う」
 彼は言いながらちらりとレンカを見た。顔を上げたレンカははっとしたように瞳を瞬かせている。その可能性があったか、とその顔は語っていた。滝は同意するように首を縦に振る。
「前にもそんなことがあったんだ。オレが感じられなかった気を、レンカはすぐに見つけだした。まあオレが気の察知苦手だってこともあるかもしれないが」
 気は一般人にはわからないが、技使いなら誰でも感じられるものだ。少し集中するだけであるかないかははっきりする。ただやはり得手不得手があり、ほんのわずかな気でも察知できる者や、強い気でないと気づかない者がいた。レンカは前者の中でもかなり敏感な方だった。
「滝が気づかないんなら僕らだって気がつかないよ」
「あーそうだよな。オレら一般的な察知能力しかないし」
 するとミツバとダンは口々に言った。滝の言葉に納得したらしい。ホシワも苦笑しながら相槌を打っている。
 だがもし滝の推測が当たっているならば、その気が空間の歪みの近くから出ているならば、なおさらその気が誰のものなのか不明だった。心当たりが全くない。あまり嬉しくない事態だということはわかるが。
「その、レンカが感じた気っていうのは一つだったのか?」
 そこでホシワが思いついたように尋ねた。確かに数も問題だ。彼へと視線をやると、レンカは困ったように微笑しながら小首を傾げる。長い髪風に吹かれてさらりと揺れた。
「うーん、それが微妙なのよね。一人ではあんな複雑な気は出せないと思うんだけど。でも何か絡み合ってる、というか何というか。とにかく不思議なのよ」
 レンカは曖昧に答えながら頬に手を当てた。表現のしようがないようだ。結局やはり妙なことが起こっているとしかわからないが、注意すべきではあるだろう。
「一応、他の奴らにも連絡しとくか?」
 ダンの言葉に、皆はとりあえずうなずいた。それ以外にやるべきことは少なくとも今は見つからなかった。一段落した空気が辺りを流れ始める。
 が、刹那――――
「来る!?」
 レンカの切羽詰まった声が路地裏に反響した。
 彼女が空を仰ぎ見ると同時に、視界に青い点が映った。薄い青の中に濃い青い点が一つ、次第に大きくなってくる。
「何だっ!?」
 ダンたちもそれに気がついたらしく、慌てた様子で顔を上げた。強い気が近づいてくる。それは真上から信じがたい速さで接近して、そして地上に音もなく降り立った。
「だ、誰だ!?」
 うろたえた声でダンは叫んだ。見慣れない、いや、それだけではない、妙な男だった。真っ青な髪に青系の色で統一された服装。そんな男は神魔世界でも珍しい。纏う空気も浮世離れしていて、どことなく無表情に思えた。
 しかもその男は、ダンの問いかけにも答えなかった。右手を前に突き出すと、その手のひらに赤い剣を生み出す。炎系の技だ。ごく一般的なものだが、それが意味することの方が問題だった。
「た、戦う気かっ」
 滝は半ば疑いながら叫んだ。何者かはわからないが敵だということか。こんな狭い場所でという思いと、一般人がすぐ側にいるのにという焦りで、表情が険しくなる。男と対峙しながら、ストロングは息を張りつめた。
「結界を張るわ。ミツバ手伝って」
「う、うん。わかった」
 そんな中、いち早く役目を思い出したのはレンカだった。彼女は彼から視線をはずさずに精神を集中させる。しかし幸いにも男にそれを邪魔する気はないらしく、難なく結界が辺りを覆った。
 周囲と隔離された空間には人の声も気配もしなかった。外界からの影響を、また外界への影響を遮断するためだ。あとは誰かが間違って結界にぶつかれなければいいと願うだけである。
 男はそのタイミングを待っていたかのように、剣を携えたまま向かってきた。動きに隙はない。狭い中とにかく最初の一撃をかわして、滝は声を張り上げた。
「ミツバ、武器を!」
「わかった」
 彼のかけ声とともに、ミツバはケースを取り出した。武器がある方が戦いやすいが、時間がかかるのが少々やっかいだ。彼が武器を取ってくるまで、誰かがケースを守らなければならない。しかしこの狭い場所を考えればやはり武器は必要だった。
「ケースはオレが! レンカはそっち頼む」
 叫んでダンがケースを抱えた。ミツバの姿はもうどこにもない。ケースの中、亜空間へと入り込んだのだろう。滝はダンをかばうよう背にして男と対峙する。
 一体どうなってるのだ?
 皆の思いは一つだった。だが答えは得られぬまま、彼らの戦いは続いた。

◆前のページ◆  目次  ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む