white minds

第四章 青き武人ぶじん-4

 疑問を胸に抱えつつも、ピークスは走っていた。できるだけ人のいない道を選びながら、結界の張られた場所を目指して突き進む。
 結界? 一体どうして?
 胸中で何度も問いかけながら、よつきは真っ直ぐと前を見据えた。
 それらしい悪意の気は感じられなかった。確かに一瞬強い気が現れたような気もしたが、それもすぐに消えてしまった。結界の存在に気づけたのはジュリのおかげだ。彼女がいなければ何か変だな、で終わっていた可能性もある。
「何もなければいいんですけどね」
 ジュリの言葉に、よつきはうなずいた。コスミは風邪のため来ていないし、全員で仕事を放り出すわけにもいかず、たくも残っている。三人だけというのは心許なかった。本当、何もなければ問題はないのだが。
「よつき!」
 すると背後から名を呼ぶ声がした。驚いて振り返れば、それまでいなかったはずのシンとリンの姿が視界に入る。
「リンさんっ」
 嬉しそうにジュリがその名を呼んだ。彼らもおそらく結界に気づいてやってきたのだろう。これで戦力という不安な要素が一つ減った。よつきは心底安堵を覚える。
「先輩たちも結界で?」
 走る速度をゆるめると、すぐに二人は追いついてきた。シンはうなずいて顔をしかめる。この状況に不穏な何かを感じていると、そう告げているような表情だ。
「ってことはよつきたちも一緒ってことか。変だよな、突然結界だなんて」
 シンの言葉に、今度はよつきが相槌を打った。違法者を掴まえる時に結界を使うことはあるが、これだけ大規模というのは珍しかった。普通は人が数人入れる程度の大きさだ。その方が一般人に見つかりにくいからなのだが。
「あまりに大きい結界で、わたくしは見逃すところでしたよ」
「確かにな。気の気配も薄いし、これは上級者のって感じだな」
 よつきの苦笑に、シンも曖昧な笑みを浮かべた。少なくとも血迷った違法者の仕業、ということではないようだ。だとしたら一体誰が生み出したのか。
 そんな疑問を胸に抱きながらも、しばらく彼らは走った。幸いにも結界の場所はそれほど遠くないようだった。次第に近づいてくる気配に、自然と喉が鳴る。
「ここですね」
 結界の前、一見何の変哲もない路地の中央で彼らは立ち止まった。誰に言われるでもなく前へと出たジュリが、右手を前方へ突き出す。
「結界に、穴開けますよ」
 彼女は確かめるようにそう言うと、精神を集中させたようだった。その手が淡く輝き、目の前の空間がぐにゃりと揺らぎ始める。
 空気の抜けていくような音がした。同時に結界に穴が開き、その先にぼんやりと路地の向こうの様子が見えてくる。
「ス、ストロング先輩!?」
 よつきは叫んだ。一瞬だが、穴から見えたのはレンカの姿だった。慌ててそこへと身を滑り込ませれば今度ははっきりと見える。よつきの後ろからも次々と仲間たちが入ってきた。だが彼らは動けなかった。どうすればいいのか、一瞬判断ができなくなる。
 結界の中にいたのは、ストロングだった。ならばこの結界を生み出したのも彼らだろう。しかし驚くべきことは、それではなかった。
「あいつは……何だ?」
 シンが呆然とつぶやく。
 そこにいたのはストロングだけではなかった。見慣れない男と、彼らは戦っていた。神魔世界でも珍しい、綺麗な青い髪をしている。また格好も珍しく、一目で普通の奴ではないと判断することができた。一般的な違法者ではないと、即座に断言することができる。
 しかも驚くことに男の方が優勢だった。武器を手にしたストロングを相手に、無表情の男は傷一つ受けていない。
「青い髪の、男」
 コブシもつぶやいたが、つっ立っているばかりではいられなかった。だがよつきが駆け寄ろうとするより早く、ジュリとリンがその横を通り過ぎてゆく。
「ダン先輩っ」
 一番重傷そうなダンのもとへジュリが寄った。彼の左腕は赤く染まっていて、出血はまだ止まっていないようだ。
「レンカ先輩!」
 青い男と対峙するレンカの隣に、リンが駆け寄った。その後ろにシンがつく。よつきも辺りを見回しながら、とりあえず二人にならった。狭い路地故戦闘に参加できるとも思えないが、後ろにいるよりはましだろう。
「あいつは一体何者なんですか?」
「それがよくわからないのよ。急に襲いかかってきて、何にも喋らないし」
 リンが問いかけると、レンカは大きく首を横に振った。大分疲れた様子だ。しかし技の使いすぎではないらしく、どうやら体力の方が先に落ちてきているように見えた。おそらく場所が問題なのだろう。仲間が多い分、狭い場所が災いして思うように技も使えないのだ。
「!?」
 すると突然、それまで様子をうかがっていた男が走りだした。彼らへと向かってくる姿に迷いは見られない。青い影があっと言う間に近づいてきた。
「避けてっ」
 レンカの叫びに、よつきたちは従った。レンカは一歩下がり、男の剣を弓の柄で受け止める。勢いを殺したため何とか持ちこたえたということか。脇へと避けたよつきは、どうフォローすべきか困惑に顔を歪める。
「これ武器!」
 そこへ上からミツバの声がした。慌てて振り仰げば、短い棒が幾つか振ってくるのが視界に入る。この間手に入れた武器だ。ミツバはケースを抱えながら邪魔にならないよう鉄の箱の上に乗っている。
 よつきはかろうじて棒を受け取ったが、動いたのはシンの方が早かった。レンカをかばうよう剣を繰り出すと、青い髪の男は一旦後方へと下がる。
「一度に戦えるのは二人が限界よ」
 レンカの言葉に、シンはうなずいた。しかも遠距離の技は厳しい。となると戦えるメンバーは限られてくるだろう。
 よつきはレンカの腕を取りながら後ろへと下がった。邪魔になってはいけない。だが傍観者になるわけにもいかず、気を張りつめながら戦いの行方を見据えた。
 男は、再び向かってきた。手に握られた赤い剣は炎系の技に違いない。熱気が辺りの空気の温度を上げ、汗が噴き出してくる。男の一撃を、今度はシンが剣で受け止めた。
「まずい」
 よつきはつぶやいた。
 シンと男、剣を交わらせた時間は短いが、よつきの目でも男の方が強いのが明らかだった。何より戦い慣れしている。こういった身動きの取りづらい場所での戦い方を心得ているようだ。じりじりとシンは押されていく。
「まずいん、だけど……」
 よつきの前でリンがうめいた。彼女が言いたいことはよくわかった。
 シンが負けるのは時間の問題だが、それでも援護することはできないのだ。敵ばかりか、シンの動きも読めない。こんな状態で技を放てば彼に当たる可能性がある。
 コンビネーション不足。これは致命的だった。しかしもともとそんなことは想定されてないし、神技隊になるまではほとんど赤の他人だったのだ。動く癖や得意な技など知っているわけなどない。つまりこれは当たり前の状況なのだ。が、それでも立ちつくしているしかない状況は悔しかった。
 どうすれば……。
 よつきは自分たちの無力を噛みしめ、拳に力を込める。シンと男の剣が交わるたびに耳障りな音が鳴り響くが、シンの動きには余裕がなかった。男は無表情だが汗をかいている様子もない。人間ではないのかと、一瞬思わせるような気配すらある。
「シンっ!」  そこでリンが名を叫んだ。剣で押し切られたシンが立て膝をつき、そこへ一気に青い髪の男が踏み込んでくる。だがその時――――
「炎!」
 空の上から聞き覚えのある声がこだました。はっとしたよつきは慌てて空を仰ぐが、同時に前方から金属音が鳴り響く。
「え?」
 よつきは首をかしげた。今聞いた声も感じた気も全て青葉のものだ。だが彼の気は上空から感じたもので、前方ではない。疑問を胸にもう一度前を向けば、青い髪の男が一旦後ろへ下がるところだった。彼の胸の辺りには焦げ付いた跡がある。
「う、梅花! もう大丈夫なの?」
 同時にリンの声が響き渡った。膝をついたシンの前にいたのは梅花だった。彼女の隣には、得意げに炎の剣を構える青葉の姿がある。梅花の手には剣――例の武器――が握られていた。ではシンへの攻撃を防いだのは彼女なのだろう。青葉は陽動といったところか。
 ちらりと後方を一瞥すれば、滝が苦笑しながら右手をひらひらとさせていた。どうやら梅花は彼から問答無用で剣を奪っていったようだ。そうでなければこのタイミングでは間に合わない。
「ちっ」
 後退した男が舌打ちする。ようやく感情のようなものが露わになった。機械というわけではないようだ。もっとも、機械に技が使えるのかどうかはよつきは知らないが。
 あれ?
 だが何か違和感があった。男の発した声に、聞き覚えがあった。
 誰の声?
 しかしその疑問は答えを出されぬまま、戦いの渦に飲み込まれていった。後退したままの青い髪の男がさらに左手に水の剣を生み出す。その剣を目にしたよつきは息を呑んだ。そんなことはあり得ないと、つぶやきそうになるくらいだ。
「み、水系も使えるの!?」
 同じことを思ったのか、リンが驚きの声を上げた。
 先ほどまで、男は炎系の技しか使わなかった。普通の技使いが得意とするのは一つか二つの系統くらいだ。だがそれが炎と水という、かけ離れた系統であることは珍しい。それを両刀というのはさらに珍しかった。
「お前の相手はオレだっ」
 そんな状況で、先に反応したのは青葉だった。彼は大きく跳躍すると燃える剣を男へと繰り出す。男はそれ以上後退することもなく、青葉へと炎の剣を向けた。
 二人の剣は何度も交わり、耳障りな音を発した。しかしやはりよつきの目にも、男が優勢なのは明らかだった。無表情なのは相変わらずだが動きに隙がない。それはどこか優雅にさえ感じさせるものだった。
「えっ?」
 けれども、先ほどとは明らかな違いがあった。梅花だ。彼女は二人の戦いを見つめるだけではなく、しばらく目で追った後大きく地を蹴った。そして迷わず手のひらから小さな刃を複数生み出す。それらは真っ直ぐ二人の方へと向かっていった。
「危なっ――!」
 よつきは一瞬叫びそうになった。梅花の放った刃は幾つかは男の剣に叩き落とされ、そして残りは青葉に向かって突き進んでいった。だが青葉の反応もよつきの予想を超えていた。
「おうりゃっ!」
 半分反射だろう、振るった剣が小さな刃を弾き返す。それは思わぬ方向へと飛び散り、青い髪の男や梅花へと降りかかった。しかし梅花はそれさえ予想していたのか小さな結界でやり過ごす。よつきは目を丸くした。こんなことが可能とは思えない。
 だが予想外だったのは男も同じらしい。彼は顔をほんの少しゆがめると、地を蹴って空へと飛び上がった。どうやら少しは当たったようだ。出血などは見られないが。
「梅花、大丈夫か?」
「それより前っ」
 立ち止まった青葉は顔だけで梅花の方を振り返った。だが彼女はそれを遮るよう叫んで、注意を促す。その言葉通り、降り立った男は青葉の目前へと迫っていた。慌てた青葉は後退しようとするが、それでも男の剣のリーチ内だ。
「青葉!」
 が、間一髪。シンの打ち出した炎を避けるために、男は攻撃を踏みとどまった。おかげで青葉は難を逃れ、体勢を立て直す。
「ありがとシンにい!」
「油断するなよっ」
 よつきは息を呑んだ。先ほどとは違う。まるで梅花もシンも青葉の動きをわかっているようだった。自分たちが感じていた歯痒さなど、全く問題にしていないように見える。
 そういえば以前、青葉とシンは神技隊に選ばれる前からの知り合いだと耳にしたことがあった。シンが加勢できたのはそのためだろう。しかし梅花は青葉と会ってからまだ一年ちょっとしかたっていないはずだ。その間に青葉の動きを把握しきるなど無理な話である。
「まだ来るか!?」
 青葉が叫んだ。男は青い髪をなびかせながら飛び上がり、物置代わりの鉄の箱を踏んでさらに空を舞う。それを追うように青葉も飛び上がった。壁を蹴り上げて高度を上げると、右手を男へ向かって突き出す。
「炎、炎、炎!」
 そして彼は空中で炎の球を打ち出し続けた。乱雑に放たれたそれらを、しかし男はいとも簡単に避ける。辺り損ねたものは幾つかは霧散し、幾つかは地上へと降り注いできた。
「なっ……」
 よつきの喉から思わず声がもれた。しかしそれらが彼らへと命中することはなかった。跳躍した梅花が剣でもって炎球を上空へと弾き返す。その光景を唖然としながらよつきは見守っていた。
「す、すごいわ」
 リンのつぶやきに彼は同意した。やってることは簡単そうに見えるが、実行するのはとても困難だと身に凍みてわかっている。それをたやすくやり遂げてしまう梅花はとんでもない人材だろう。強いとは思っていたがこれは想像以上だ。
「くっ」
 弾き返された炎の球が一つ、男の体を直撃した。さすがの彼もこれは見抜けなかったのだ。だが男の動きはそれでも鈍らず、苛立たしげに繰り出された蹴りが傍にいた青葉の腹部に命中する。油断したのだろう、バランスを失った彼の体は地上へと落ちていった。
「危ないっ!」
 その下へと、何とかよつきは滑り込んだ。かろうじて両手で受け止めた格好となったが、衝撃はかなりのものだ。思わず肺から息がもれる。どこが痛いのか自分でもよくわからなかったが、迫る気配に気づいて彼は首を巡らした。
「青葉っ」
 梅花の声がする。青葉を追うように男は降りてきたらしかった。ようやく青葉が退けてくれたのでゆっくり上体を起こせば、二人をかばうように梅花が立ちふさがっていた。彼女は剣を構えて男と対峙している。
 え?
 しかし予想に反して、男は一瞬立ち止まった。彼女の攻撃が苦手なのだろうか? 戸惑いすら感じられる動きで一歩後退すると、何かを推し量るように目を細める。
 そして唐突に、踵を返すと飛び上がった。
 今度は空高く、肉眼では見えない程に遠ざかっていく。
「に、逃げたんですか?」
 よつきは呆然とつぶやいた。見えないのは仕方がないが気でさえ感じない。もう結界を破って外へと出てしまったのだろうか? どこへいったのかもわからなかった。
「何なのよ、一体」
 リンの言葉に答えられる者はいなかった。彼らは困惑したまま、その場に立ちつくしていた。

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