white minds

第四章 青き武人ぶじん-5

 結界の中に取り残された神技隊は、とりあえず怪我の治療を優先させた。このままの状況で外に出れば一般人に不審がられるからだ。ここ最近妙な事件が多いためか、人々も警戒し始めている。
 そう、いくら街で技を使うことを許されたとはいえ、人目につくようなことはできるだけ避けなければならない。
 そんなことを考えながら、よつきは冷たい壁に背をあずけた。そしてやや離れた所に膝をついたジュリをぼんやりと見る。治癒の技が得意な彼女は、こういう時は誰よりも率先して動いていた。淡い光がその手からこぼれるように降り注ぎ、傷口を、痛みをあっと言う間に消し去ってしまう。
「はい、これで治りましたよ」
 彼女は座りこんだままのダンの腕を軽く叩いた。彼は顔をしかめたものの、もう一方の手を軽く振って礼を言う。
「ありがとな」
「いいえ」
 ジュリは首を横に振ると立ち上がった。これで全員の治療が終わったことになる。よつきは体を起こして中央辺りにいる滝を振り返った。現状を把握できない皆は、彼の周りを取り囲むようにしている。誰もが混乱の中にいた。何が起こったのか正確には理解できない。
「で、これからどうするんですか?」
 気難しい顔をした滝に、傍にいたサイゾウが尋ねた。
 実はシークレットは全員でこちらに向かっていたらしい。だが青葉と梅花のスピードに追いつけず、結局置いてきぼりになったのだ。彼らが現場に辿り着いた頃にはもう戦闘は終わってしまっていた。その時の呆けた顔を、今でもよつきは思い出すことができる。
「どうするって言われてもな」
 滝は肩をすくめた。
 あの青い髪の男が何者か、何故彼らを襲ってきたのか、まったく想像がつかない。今後もやってくる可能性はあるが、それがいつかもわからなかった。これでは対応の仕様がない。滝が言葉を濁すのも仕方のないことだった。
「あの男の正体は、全然つかめないものね」
 滝の隣にいたレンカも口を開いた。できるならばこの事態から目を逸らしたいくらいだ。
 けれどもまた襲ってきたら?
 よつきは自問した。
 あの男は強い。少なくとも普通の技使いよりもずっと戦い慣れしていた。先ほどみたいに不利な場所での戦闘ならなおのこと危険だ。この件をなかったことにする、というわけにはいかない。
「また襲われたら大変だしね。一般人の目もあるから」
 レンカはそう言ってため息をついた。
 一般人に見つからないよう結界を張り、かつ広い場所を確保する。それはなかなか難しいことだった。狭い場所で戦うなら、連係が重要となる。
 そう、全てはうまく連係できるかにかかっている。
「同じような事態を想定して、打破する方法を考えた方がいいな」
 滝がうめきながら相槌を打った。
 誰が前に出て戦うのか、誰がフォローに回るのか、誰が結界を維持するのか、武器を手渡すのか。
 彼らは何も決めていない。いや、そもそも互いが何を得意としているかすらわかっていないのだ。だから先ほどのような状態の時、どう動けばいいかわからなくなる。そして動揺し互いに足を引っ張り合うのだ。
「やっぱり連携ですよねえ」
 壁際でぼそりとリンがつぶやいた。よつきは心の中で激しくうなずく。声に出さなかったのは注目を浴びないためだ。
 そう、青葉と梅花ぐらいに連係して動くことができれば、たとえ突然襲われても対処できるかもしれない。それが今の彼らにとっての課題だった。あの青い髪の男の正体がわからない以上、できることと言えばそれくらいだ。
「とりあえず、このことを上に報告しなきゃいけません。どう対応するかはそれからですね。何か上が知っているかもしれませんから」
 その当の梅花は路地の隅で淡々とした声を放った。相変わらず醒めた表情だが、不思議とよつきには頼もしく映る。やはり先ほどの戦闘のせいだろうか? その細い体のどこにそんな力が眠っているのか問いかけたくなる。
「確かにそうだな」
「教えてくれるといいんだけどねえ」
 だが同時に放たれた滝とレンカの言葉が、狭い空間にずしりと染み込んだ。
 何かわかればそれに越したことはない。けれども大事な時に限って、上は当てにならない気がするのだ。
 よつきはこっそりと苦笑を浮かべた。いつの間にか自分の体にも不信感が染みついていたらしい。昔のように一方的に上を信頼することはもうできないのだ。おそらくこれからは永遠に。
「じゃあ一旦解散ということで、結界を解きましょうか」
 レンカの右手が、空へと掲げられた。



 リューは言葉を失った。驚きを通り越して呆れかえりそうになる。
 同時に目眩がして、足下の感覚が消えそうだった。重力の感覚がおかしい。白い床はすぐそこにあるというのにそれすら確かではない。無機質な会議室の壁も天井もぐにゃりと歪んだように思えた。
 好きにしていいとはどういうことだろうか?
 彼女は自問した。否、意味などわかりきっていたが、しかしそれを認めたくなかった。自分には口出しする権利はない。ただ『上』の意向を梅花に伝えるだけだ。
「ほ、本当にそれでいいんですか?」
 それなのに彼女はそう口にしていた。確認せずにはいられなかった。突如無世界に現れ神技隊を襲った謎の男、それを上は野放しにしろとでの言うのだろうか? どうしても信じられない。
「本当だ。その件についてはお前、もしくは神技隊自身に任せよう」
 けれども放たれたのは冷静で残酷な言葉で。それを告げるラウジングの口元をぼんやりと彼女は見つめた。何度か会っているはずなのに目の前の彼はまるで別人に見える。見慣れた中央会議室の様子さえ、ひどく冷たく感じられた。
 彼一人なのも珍しい。
 そうリューは胸中で思う。上でも何かが起きているのだろうか? 彼女に詮索する権利などないのだが、そんなことすら考えてしまう。だからそんなことを言うのか、と。
「少なくともこちらへの影響はない。そちらに任せよう」
「……はい。では、青い髪の男のことは神技隊に一任しますね」
 彼女がそう言うと、ラウジングは静かにうなずいた。深緑の髪が緩やかになびくのを、何となしに彼女は見る。
 近頃はこんなことばかりだ。
 いつもと違うと、何かおかしいと、そんなことばかり考えている。だがそれを梅花たちに気づかれるわけにはいかなかった。彼女たちに疑問を与えてはいけない。それは神技隊の上に立つ者としての勤めだ。この宮殿で働く者の、『上』に翻弄され続ける者の小さな抗い。
「ではよろしく頼む」
「はい」
 遠ざかる足音は乾いていた。リューは軽く、頭を下げた。



「本当に私たちに任せてもいいんですか?」
 怪訝そうな顔をして梅花は尋ねた。いつもはただ重苦しいだけの小さな会議室に、今は驚きの空気が満ちあふれていた。
 無愛想な部屋の中には梅花とリュー二人しかいない。それはいつものことなのだが、しかしいつもよりも外界の音が小さいように思われた。気のせいか廊下の人通りが少ない気がする。妙だ。リューの様子も変だが宮殿の様子も変だった。不穏な空気が流れているというのに、人々の動きが少なすぎる。
「本当よ」
 答えるリューの顔色は蒼かった。それは疲れているというよりは途方に暮れているようだった。梅花は心の内でほんの少しわびる。
 おそらく、上からの一方的な命令に振り回されているのだろう。最近は神技隊が難題ばかり報告するから、間に立つ彼女は大変なのだ。事情を知らされず現場も知らず、しかし命を下さなければならない役割は、リューの良心には痛いはずだ。
 でも大変だとは音を上げないのよね。
 梅花はほんの少し口の端を上げた。その辺りは自分と似ている。いや、この宮殿に住む者の癖とでも言おうか。弱みを見せることも悩みをうち明けることも滅多になく、ただそれぞれがそれぞれの上の命に従っていた。常に疑問を抱きながらも。
「理由は特に聞いてない、ということでいいんですね。とにかく勝手にしろと」
 そう言い切るとリューは片眉を跳ね上がらせた。 自分も不審がっているのに、いざ指摘するといつもこうなのだ。上は下の者を思って何も言わないのだと、そう信じたいと言わんばかりに。
 皆わかっているのに、誰もが目を逸らそうとする。現実から目を背けようとする。
 上はいつも勝手だ。状況については全く説明せず、ただこうしろああしろと命令ばかりしてくる。下もだ。その命を忠実に守り、疑問を口にしないように努力する。
 そんな理不尽の上に成り立つ仕組みは、一体どれくらい続いてきたのだろうか?
 まるで遙か昔の約束を、理由も知らずに守り続けているかのよう。不安定な関係の上に築かれた何かは、時折軋む音を立てながらも崩れ去ることはない。
「とにかく、その男のことはあなたたちに任せるわね」
 リューはとりあえず話を進めることにしたらしい。帰れと言わんばかりの口調に、梅花はわずかに口角を上げた。これ以上リューを困らせても仕方ないだろう。ここは素直に命令を聞いておくべきだ。
「わかりました。ではこの件はこちらで何とかします」
 答えながら彼女は自分の言葉を反芻してみた。するとおかしさがこみ上げてきた。無茶なことを言われて、そして受け入れてると思う。何とかすると言うだけならば簡単だ。実行するのは容易ではない。
 けれども、解決できなければ困るのは彼女たちだたった。リューたちではない。むしろ上が妙な制限をつけてこないだけましなようにも思われた。干渉してこないのなら好都合。自分たちの前の道くらい、自分たちで切り開く。自分たちのやり方で。
「それじゃあね、また会議があるから」
 肯定の返事に安堵したのかリューはそそくさと去っていった。その頼りない後ろ姿を梅花は見送る。小さくなる背中を、真っ直ぐと。不思議と心は落ち着いていて、また自然と口元に微笑が浮かんだ。
「リューさん。私は目を逸らしませんからね」

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