white minds

第四章 青き武人ぶじん-8

 空高く太陽が昇っていた。風は緩やかだが時折洞窟へと吹き込み、適度な気温を保っている。
「もう、こんな時間か」
 アースは空を一瞥してつぶやいた。つぶやいてからはっとして、隣に寄りかかって眠るレーナを見下ろす。だが彼女が起きる気配はなかった。眠りについてから一度も目を覚ましていない。規則正しい寝息が繰り返されるだけだ。
「だから無理するなと言っておいたものを」
 思わずため息がこぼれた。彼はそっと彼女の頬へと手を伸ばして、あごの輪郭を指先で辿る。それでも身じろぎ一つしなかった。複雑そうに眉根を寄せて彼はまた嘆息する。
 彼らがいるのは神魔世界だった。無世界では彼らの休む場所はないが、ここなら隠れる場所はいくらでもある。山間、海の傍には不思議な程洞窟が存在してるのだ。レーナに聞いたところでは昔の戦いの後だそうだが。
「戦い、か」
 声を潜めて彼は目を細めた。静かな風が吹き、長めの前髪をそっと撫でていく。この場に座り込んでから時の流れが止まったように思えた。気を張りつめる必要もない時間は、驚く程新鮮でかつ変化に乏しい。
 だがこんな時間も悪くない。
 彼は口角を上げた。少なくとも無意味に戦いを続けむなしい時を過ごしていたあの頃よりは、ずっとましなように感じられた。胸の奥に虚無感が残らない。意味のない苛立ちも生まれない。
 彼女に会ってから、何かが変わった。
 しかし決して彼はそれを口には出さなかった。誰にも言わずに心の中に秘める。ネオンたちにさえ言ってはいなかった。
 出せば壊れる、望めば消える、そんな気がしてならなかった。失うのが怖いのだ。こんな時を、当たり前に傍にいる時を失いたくはないのだ。後ろ向きな願いだとは思うが。
「お前は、何も話してはくれないのだな」
 目を閉じてどこか悲しそうな顔をしている彼女を、彼はそっと見下ろした。咎めても返事は返ってこない。静かな寝息が聞こえるだけで、やはり反応はなかった。
 彼女が眠りにつくのは、これで二度目だった。あの時も今のようにとても辛そうだったと思い返す。おそらく本当に辛い時にしか眠らないのだろう。本来は眠る必要がないから。
 あの時限界もしれないと言って唐突に倒れた彼女。信じがたい程に鼓動が跳ねたのを、今でもしっかり覚えている。ただでさえ白い肌が青白くなり今にも消えてしまいそうだった。
 あまりにも華奢だ。
 抱き留めた体はか細くて柔らかくて、壊れそうなくらい華奢だった。そんな体のどこにこんな力があるのかといつも不思議に思う。今見下ろして見てもやはり不思議だ。
 あの時以来だ。彼女が眠りにつくのは。
 彼は彼女の頭をゆっくり撫でた。また風が吹きその長い髪が緩やかになびく。彼はその一房を手ですくって指先に絡めた。
 しかしこの時間ももう終わりだ。ネオンたちが帰ってきた気配がする。ずっとこうしているわけにはいかない。
「そろそろ行くからな。お前は、ここで待っていろよ」
 そう囁くと彼は立ち上がった。だがもちろん、答える声はまだなかった。



 午前の修行が終われば、皆が待ち望んだ昼食の時間だった。昼食が終われば一時間の休憩だ。食べてすぐ動きづらいのもあるが、結界を維持するミツバの体調を気遣ってのことだ。いくら難しくない技でも、長時間は体に応える。
「でも休憩と言っても暇よねえ」
 既に食べ終えてしまったリンは大きく伸びをした。草原に座るのは気持ちがいい。ささやかながらも神魔世界を思い出すのだ。
 修行の効果は、思ったよりも早く出ていた。もともとシンとの相性は悪くないのだろう。しばらく彼の動きを見ていればそれなりにパターンが掴めてきた。その安堵もあってか気持ちはずいぶんと楽になっている。最初はどうなることかと心配だったが、この分ならばあの青い髪の男と対峙しても何とかなるかもしれない。
「そうだよなあ」
 隣に座りこんでいたシンがつぶやいた。滝たちは散歩と称してどこかに出かけてしまっていた。残っているのは彼女たちとシークレットだけだ。後ろにいるシークレットの男四人は何やら楽しげにお喋りをしている。ずいぶんと仲が良さそうな雰囲気だ。
「そう言えばさ、前から聞きたかったんだけど。シンと青葉って昔から仲良かったの?」
 そこで以前から抱いていた疑問を思い出して、彼女は口を開いた。シンは首を傾げて彼女の方を見る。その茶色い瞳を彼女は覗き込んだ。
「何でだ?」
「シンの喋り方からして。だって遠慮の具合が違うでしょう? シンって慣れない人だとすぐ気遣うし」
「そ、そうか?」
「うん、そう」
 笑顔で断言すればシンはうーんとうなった。自分では気づいていなかったらしい。しかしさすがに二年以上一緒にいればわかることだった。仕事でいない北斗たちとは違い、彼とはほとんどずっと一緒にいるのだ。
「まあ幼馴染みみたいなものだったからなあ」
 そう言いながらシンは後ろを振り返った。するとサイゾウと言い合っていた青葉が、視線に気づいて顔を向けてくる。別に、とシンは手をひらひらさせたが青葉は小走りで近づいてきた。本当に仲が良いのだと実感させるやりとりだ。リンは思わず微笑を浮かべる。
「なんすか? シンにい。ってか二人して仲いいっすねえ。羨ましいことで」
 傍までやってきた青葉は苦笑しながらそう言った。やや複雑な心境らしい。だがその理由をすぐに探り当てて彼女は口の端を上げた。これは出番だ。直感的に悟った彼女はすぐに辺りを見回し、目的の人物を発見する。そして笑いたいのを堪えて意気揚々と立ち上がった。
「リン先輩?」
「梅花ー! ほら、ちょっとそんなところで一人で難しい顔してないで。こっち来なさいよーっ」
 笑顔で声を張り上げると、気づいた梅花がこちらを見て小首を傾げた。後ろでは青葉が何故か慌てて、シンの肩を揺さぶっている。別にうろたえる必要はないと思うのだがかなり焦っているらしい。
「何ですか?」
 不思議そうにしながらも梅花はやってきた。声音からすれば渋々のようだが、先輩の言うことだから仕方なく、だろう。
「休憩なんだからお話ししましょう。情報交換。少しは仲間のことくらいわかっておかなくちゃね」
 人差し指を振りながら、もっともらしいことをリンは口にした。しかしそれでも梅花は訝しげにしている。こちらの意図が読みとられていなければいいが、そうか否かは定かではなかった。
「ねえ? シン」
「ん? ああ、そうだなあ」
「って何でシンにいまで!?」
 微笑みながらリンとシンは顔を見合わせた。青葉が慌てているのは疑問だが、そこは無視しておく。こんな時は先輩の権限だ。いや、先輩でなくても押し切っている気がするがこの際は意識の外に捨てておこう。
「ほら、誰と誰が知り合いだったとか。そういうのって知っておくと便利じゃない?」
「そうですかね」
「そうなのよ。梅花がジナル族でそんな地位だったってことも、聞かなきゃ知らなかったわけだしねえ」
 リンは強引に梅花の手を引くとその場に座らせた。逆らうのは無駄だと思ったのか反抗はしないようだ。リンは満足して微笑む。
「ほら、シンと青葉、あと滝先輩の関係とか気になるじゃない?」
「あー仲良さそうですもんね」
 そこでようやく梅花は青葉の方を見た。青葉は渋々とその場に座り込み、顔をしかめている。完全に機嫌を損ねたようだ。
「別に、単なる小さい頃からの知り合いです」
「オレたち滝さんの後ついてったようなものだからなあ。ほら、滝さんはヤマトの元若長だし」
 青葉とシンは口々に言った。その様を見てリンはうなずいてにこりと微笑む。これで暇つぶしの心配はなくなった。皆の観察もできそうだし、からかいがいのある後輩も見つかった。
「そうよねえ、元若長だもんね。さすが頼りになる!」
「そう言うリンはウィンの旋風だろう? ジュリが色々言ってた」
「え? ジュリが?」
 けれども反撃はすぐにやってきた。シンが口の端を上げて腕組みをするのを、リンは驚いて見る。
 神魔世界には幾つかの『族』とよばれる地域があったが、ヤマトやウィンは技使いが多いことで有名だった。その中で異名がつくというのはかなりの実力ということだ。
 何でそんなこと喋ってるのよ、ジュリ。
 この場にいない彼女をリンは小さくののしった。もっとも面と向かって言っても、朗らかな笑顔で流されるだけなのは目に見えているが。
「ええ、そうよ。ウィンじゃあ有名ね。色んな意味で」
 リンは諦めて肩をすくめた。今考えてみれば妙な異名だと思う。いくら風系の使いだからといっても、旋風はないだろう。しかし誰がつけたのかはもう覚えていなかった。あまりに小さい頃のことだから記憶にはない。
「ウィン出身は他にはいないんですか?」
「ジュリくらいかしらね、今活動してるのは。私が知ってる人って年下ばっかりだし、選ばれるとしたらこれからじゃないかしら」
 青葉の問いかけにリンはため息をついた。今頃彼女たちはどうしてるかと思うと心配になる。離れてから二年以上だ。神技隊に選ばれてからは相当ばたばたしていたから、色々言い残し損ねてきたことも多かった。
「そっかあ。確かアサキはジンガー族だし、サイゾウはザンで、ようはガイ族だったよなあ」
 続けて青葉が口にしたのはどれも技使いの多い族だった。やはり人数が多い方が神技隊に選ばれる確率も上がるのだろう。リンは相槌を打ちながら、向こうでお喋りに興じるアサキたちを一瞥する。青葉が抜けても楽しそうだ。
「ラフト先輩やゲイニ先輩もジンガーですね。ミンヤ先輩はガイ族で、ダン先輩とミツバ先輩はザン族です」
 そこへ梅花が口を挟んだ。詳しいなと思ってよく考えてみれば、彼女は神技隊を選ぶ立場だったのだから当然だ。それにしてもいまだに細かく覚えているのはすごいと感心するが。
「あ、そう言えばローラインもジナル族よね」
 そこでリンは思い出した。確か最初自己紹介し合った時、彼はそう言っていたはずだ。珍しいと思ったのを記憶している。ジナル族と会う機会は滅多にないから、こんな風変わりな人ばかりなのかと当初は心配したものだ。
「ええ、そうです。まあローライン先輩は不思議な方みたいでしたけどね。ほとんど庭で花ばかり育ててたそうです」
 すると梅花が苦笑した。なるほど、彼の異様な花好きなそのためなのかとリンは納得する。ジナル族全員がこうだったらどうしようと悩んだ時もあったのだ。それだけローラインの花好きは印象的だった。
「あとはディーン族やアール族出身の人がいるくらいでしょうか」
 だがそう梅花が続けた時だった。
 今までなかった強い気が、突然現れた。けれどもこの気には覚えがある。そう、つい昨日感じたものだ。
 まさか。
 気の場所を求めてリンたちは上空を見上げた。結界に覆われているはずのそこに浮かんでいたのは、見覚えあのある青い髪の男だ。
「来た」
 立ち上がった彼らは顔を見合わせた。胸にあるのは、決意だけだった。

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