white minds

第四章 青き武人ぶじん-9

 舞うがごとくゆっくり降りてくる男を、リンは見上げた。風にのっているようなその様はふわりと音がしそうだ。相変わらず人間味の感じられない不思議な空気を纏っている。
「右から行くわよ、シン」
 だが毅然とした表情で彼女は言い放った。今なら戦える、そんな気がする。シンがうなずくのを彼女は視界の端で確認した。昨日の雪辱戦だ。
 彼女は地を蹴って右へと飛んだ。シンはそのまま正面で構え、男が降りてくるのをにらみつけている。
「二人の動きが止まるまでは手出しは無用ね」
「だな。そっちとは合わせてないし」
 視線を横へとやれば、やや後ろの茂みに梅花たちが下がっていくのが見えた。いざというときは手助けしてくれるのだろうが、今はその方がありがたい。梅花たちとの連係までは無理だ。口の端を上げてリンは風の短剣を生み出す。
「来る」
 風を切る音とともに男が降り立った。その右手には既に揺らめく炎の刃が握られている。火のはぜる音を瞬時に捉え、彼女は声を上げた。
「シン!」
 地に立つと同時に男はそれを振り下ろしたが、その一撃はシンによって受け止められた。いつの間か手にした剣がうっすらと光を帯びている。例の武器だ。青葉が放り投げでもしてくれたのだろうか。
「風よ!」
 リンはもう一方の手で風の刃を生み出した。それは男めがけて真っ直ぐ飛んでいくが、あっさりと弾き返される。しかしこれも計算の内。続けて彼女は光弾を放った。うっすら白く輝くそれは本当にただの光だ。けれども気を逸らすには十分。
 男がそれを手で振り払おうとしたその時――
「炎竜!」
 シンの手から青白い炎が吹き出た。言葉通り竜のような炎は、うねりながら男を包む。何とも形容しがたい、耳障りな音がした。
 だが彼女は音の正体を知っていた。結界と何らかの技がぶつかり合った時に生じるものだ。咄嗟に男が結界を生み出したのだろう。反応が早い。
 やはり戦い慣れしている。
 しかしそれにしては奇妙な点もあった。慣れているならば、光を振り払うよりも空へ飛び上がる方が楽に違いない。彼は空中戦も得意なようなのだから。
「リン!」
「了解!」
 シンの声にリンは答えた。炎が消えた時、男の姿はない。
 上だ。
 直感が告げる。彼女は手を上へと掲げた。
「風よ!」
 いつものように声を張り上げれば、手のひらから渦を巻いた風が生み出された。それは真っ直ぐ降りてくる男めがけて進んでいく。
 空中でバランスを取るのは至難の業。どことなくぎこちない動きに理由があるなら、彼は迷うはずだ。彼女は胸中でそうつぶやいた。
 そして確かに、男は躊躇した。右手に生み出していた雷の剣を引っ込めて、かわりに結界を生み出す。風の渦は結界に弾かれ霧散したが彼女は動じなかった。今は一人ではないのだ。案の定、飛び上がったシンが、勢いよく剣を振るう。剣の触れ合う嫌な音が響き渡った。男は左手に生み出した炎の剣で、シンの攻撃をかろうじて受け止めていた。
 困った時は炎か。
 心の中で彼女はつぶやく。
 昨日とは違い、彼女自身が冷静だった。咄嗟に生み出すのは炎。つまり彼の本来の得意な系統は炎系なのだろう。
 何度か剣を打ち付けあいながら、シンと男は降りてきた。耳障りな音が続く。技同士の触れ合いによるものだ。
「シン!」
 彼女は叫んだ。叫びながら走り、男の横へと飛び出した。シンが一歩下がり、地を蹴る。
「炎!」
「風!」
 二人の声が同時に上がった。シンは空中から、リンは真横から。透明な光弾と赤い光弾が男めがけて放たれる。
 男は一瞬迷ったようだった。結界を張るか、避けきるか。
 そして男は後者を選んだ。狙い通りに。
 本当は苦手なのよね、結界も。
 彼女は口の端を上げた。男は炎の剣で風の光弾をはねのけ、炎の光弾を紙一重で避ける。
「っ!?」
 だが続けて繰り出されたシンの剣をも、避けることはできなかった。振り下ろされた彼の剣が、男の腕を勢いよく薙ぐ。
「今――」
 しかし男へ駆け寄ろうとした彼女は途中で立ち止まった。男の体を強い光が纏い、そして次の瞬間周囲へと放射状に放たれる。目を灼くような白い光に、彼女は目をかばうように腕で覆って眉根を寄せた。
「えっ?」
 それでも彼の気を見失わないよう注意していると、異変が起きたことに彼女は気づいた。彼がもといた場所に、 別の気がある。それも四つ。どれも覚えのある気だ。
「何?」
 光が収まり手をのけると、そこにはアースたちの姿があった。膝をついたアースが舌打ちして、背後にいるカイキたちをにらみつけている。
「だから結界にしろと言ったんだ」
「だって、僕たちあんまり得意じゃないし」
「しょうがねえって、まだ慣れてねえんだよ!」
 アースの罵倒にイレイ、ネオンが抗議した。あまりのことにシンもリンも、そして後ろに控えていた梅花たちさえも動くことを忘れている。いや、梅花はどうやら外界への影響を抑えるために結界を維持していてくれているようだが。
 どうなってるの?
 混乱した頭でリンは何とか事態を把握しようとした。あの光は何だったのか? 何故突然アースたちは現れたのか? しかし答えは得られず、ただアースたちの動向を見守るよう本能が警告するだけだった。彼女は四人をねめつける。
「どうすんの?」
 すると不機嫌そうな顔でカイキが尋ねた。アースは立ち上がり、リンたちへ鋭い視線を送りながらカイキの肩を掴む。
「どうするもこうするも戻るしかないだろう。もう一度やる精神がお前たちに残っているのか」
 アースはさらに語気を強めた。カイキたちは押し黙り、顔をしかめている。
 少なくともこれ以上戦闘が継続しないことを理解してリンは内心ほっとした。動揺した状況で先ほどのように上手く戦えるかはまだ自信がない。だからその判断は嬉しかった。
「実験につきあってもらって悪かったな。もっとも、お前たちの方も色々問題があるようだが」
 すると突然アースは口の端を上げて、そう言い放ってきた。その言葉に込められた意味を感じ取り、リンは唇を噛みしめる。
 そう、連係が取れていないのは両者ともだったのだ。そのことを彼は、アースは最初から理解していた。
「次会う時にはもう少しましになっているといいな」
 アースはそう言い捨てると大きく地を蹴った。そしてそのまま空気へと溶け込むように消えてしまう。いや、結界を突き破って外へ出たのだろう。すぐに気が感じられなくなった。
「おいおい、待てよ! せっかちなんだから」
「僕たちも早く戻ろう。お腹空いちゃった」
「ったく、勝手だぜ」
 彼に続いてネオン、イレイ、カイキも姿を消した。走り出した彼らはすぐに視界から消えてしまう。残されたのは、事態についていけない神技隊だけだった。
「一体、何だったんだ?」
 静まり返った中、シンがぽつりとつぶやいた。その声が合図となり、皆はようやく張りつめていた息を吐き出す。周囲の空気が一気に緩んだ。
「実験、とか言ってたわね」
「そうだな。アースたちの新しい技か何かだったのか?」
 リンとシンは顔を見合わせた。何が何だかわからない。あの青い髪の男はアースたちだったのだろうか? だから人間味がなかったのだろうか? 波だった心は落ち着かなく、動悸が少し速まっていた。
「技、にしては妙でしたけどね」
 そこへ梅花が無表情のまま近づいてきた。結界は解いたらしい。周囲の音が次第に戻ってくる。リンは相槌を打ちながら頬をかいた。
「あ、滝にいにレンカ先輩」
 すると別の方から近づいてきた二人の影に青葉が気がついた。振り向けば、彼の声を耳にしたのかレンカが小さく手を振っている。
「遅いって滝にい。もうあの青い髪の男行っちゃったって」
「悪かったな。散歩の先で、ラウジングを見かけて」
「ラウジングさんを?」
 滝が口にした名前に、リンは小首を傾げた。
 ラウジングは『上』から案内人としてやってきた謎の男だ。しかしあれは武器のため特例であり、こんな日に無世界にいるのはおかしかった。妙な話だ。
「そう。それで怪しいと思って問いつめてみたら逃げ出しちゃったのよね。思わず追いかけちゃった」
 今度はレンカが説明して肩をすくめた。あの怪しい男を追いかけられるのもすごいと思うが、それをリンは胸にしまっておく。今余計な話はするべきではない。
「それで、結局何か聞けたんですか?」
 だからリンはすぐにそう問いかけた。ラウジングがこんなところにいるなんて、ひょっとしたらあのアースたちの能力とも関係があるのかもしれない。少しは謎が解けるかもしれないと期待がわき上がった。
「すぐいなくなっちゃったからね。ちょっとしか聞けなかったけれど。レーナたちのこと、ビート軍団って呼んでたわ。何だか彼女たちのこと調べてるみたいだった」
『ビート軍団?』
 だが聞けたのは全く別のことで。聞き慣れないレンカの言葉を、訝しげに皆は繰り返した。妙な響きだ。特に『軍団』というのがおかしい。少なくとも彼らに当てはまる名称とは思えなかった。
「そう、ビート軍団。彼ら五人で全員らしいんだけどね。ただ宇宙では色々と噂になってるみたい」
 皆の疑問が伝わったのだろう、付け加えてレンカは苦笑した。
 確かに五人で軍団は大袈裟だ。少なくとも彼らの知りうる限りでは聞いたことがない。いや、そもそも軍団などと呼ばれてるものも聞いたことはないのだが。
「一つの星を丸ごと破壊できる、とか、魔獣百体相手に余裕の勝利だ、とか。ラウジングは信じてないみたいだったけど」
 さらにレンカは言葉を続けた。だが突然飛び出した単語にリンは目を丸くする。
「魔獣、ですか?」
 そんな名前は聞いたことがなかった。ましてや見たことなんてなかった。ラウジングにとっては違和感のない言葉なのだろうか? さらに彼の存在が謎に包まれていく。
「ラウジングはそう言ってたわ。私は聞いたことなかったけれど」
「たぶん、『魔物』とか『魔族』とか言われているものだと思いますが」
 けれどもそこへ口を挟んだのは梅花だった。リンは眉根を寄せて彼女の方を振り向く。いつもの通り感情の読みとれない顔だが、梅花が嘘をつくとは思えなかった。冗談を言っているようにも聞こえない。
「聞いたことあるの?」
「聞く、と言うよりは読んだことがあるってだけですが。確か、地球以外の星で人間を苦しめていると。獣の姿をしていたり、人の姿だったり。強力な技を使える者だって」
 尋ねると梅花は頬に指先を当てて答えた。記憶を辿っているらしい。相変わらずすごい記憶力だとリンは感心した。読んだ本の内容全て覚えてるわけではないだろうが、それに近いのではないかと思う。
「そんな本があるの?」
「上の管理する図書の一部には。古文書のようなものです」
 答える梅花に、リンは再度は相槌を打った。そして空を見上げて目を細める。春の気配を纏った青空には薄い雲が幾つか浮かんでいた。のどかな光景だ。
 宇宙。地球以外の星。
 彼女は胸中で囁いた。その単語を、まさかこんなところで耳にするとは思わなかった。宇宙、それは彼女たちには手の届くようで届かない場所だった。技術力や『技』のことを考えれば、地球を出ることはそう難しくはないだろう。しかしそれは禁止されていた。上との約束らしく、ずっと昔からそう決められていた。理由はもちろん誰も知らないが。
「ということは、レーナたちは宇宙から来たのね」
 リンはつぶやいた。謎の多い者たちだとは思ったが、やはり地球出身ではなかったのだ。これで一つ疑問が解決されたように思う。
 いや、しかし青い髪の男のことはまだわかっていない。むしろわかっていないことの方が遙かに多かった。結局謎は残されたまま。
 春の陽気をたたえた空を、リンは見つめた。否、その先にある見知らぬ世界を思っていた。

◆前のページ◆  目次  ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む