white minds

第四章 青き武人ぶじん-10

 ピークスが住み込みで働く山田家、その門の外に梅花と青葉は立っていた。青い髪の男のことを報告するためだ。やはり口頭でないとこの状況は説明しがたい。
「へえーそんなことが」
 あらかたを聞き終えたところで、よつきはそんな声を上げた。気の抜けたような口調だが、それがいつもの癖なのだと梅花は理解していた。何度か顔を合わせればわかる。彼はのほほんとしているようでしっかりしていた。また穏やかなわりに冷静な目を持っていることも。
「でもそれでは、わからないことが一つ増えてしまったんですね」
 するとよつきの隣にいたジュリが残念そうな顔をした。頬へとかかった長い髪を横へはねのけ、困った風にため息をついている。それは梅花も同感だった。謎は増えていくばかりでなかなか解決への糸口が見つからない。それ故漠然とした不安、焦燥、そして苛立ちばかりがつのっていくのだ。
「そうなのよね。本当にわけのわからないことばかりで」
 梅花も小さくため息をついた。普段はあまり口にしない弱気な発言だった。ジュリと話すのは梅花にとっては気が楽だ。楽観的な仲間に告げるのと違い、彼女はすぐにこちらの意図をくみ取ってくれる。余計な気を遣わなくていい分肩の力が抜けた。
「隊長!」
 そこへ門の内側――庭から走り寄ってくる姿が視界に入った。この声の主はコブシだ。大柄なわりに弱気な彼は、よくよつきのことを隊長と呼んでやってくる。今も慌てた風だった。
「どうかしたんですか? コブシ」
「お、奥様が呼んでました。何だか気になることがあるみたいで」
「あーそうですか、じゃあ早く行った方がいいですね。では梅花先輩、青葉先輩、わたくしは失礼しますね」
 よつきは軽く会釈をすると柔らかく微笑み、踵を返して歩き始めた。こちらの世界で生活していくのも、神技隊にとっては重要な仕事のうちである。梅花も青葉も止めなかった。よつきの金髪が門の影へと入る。
「あ、梅花先輩」
 すると立ち去ろうとしたコブシが、梅花の顔を見て軽く手を叩いた。何か思い出したらしい。コブシとはほとんど話をしたことがなかったので、梅花は首を傾げた。用事でもあるのだろうか? 心当たりなど全くないが。
「先輩によく似た人を、昨日見かけましたよ。ものすごい似てたんで、びっくりしました。でもレーナとは違うみたいで」
 よく似た人。
 胸中で繰り返して梅花は拳を強く握った。だが顔には出さずに、そう、とだけつぶやいてコブシを見上げる。
 無世界にいる、自分とよく似た人。そしてレーナではない。頭の中では既にピースがはまっていたが、彼女はそれについては何も言わなかった。言う、必要がない。少なくとも今ここでは。
「会ってみないとなんとも言えないわね。似てる人って案外いるのかもしれないし」
 彼女が軽く微笑めば、コブシも安堵したように微笑した。レーナのことがあるため緊張していたのだ。だがそう、他人のそら似だって考えられる。見たのが一瞬ならなおさらだ。ぱっと見の印象だけかもしれない。
「それでは先輩、私たちも仕事に戻りますね」
 すると話が途切れたのを見計らって、ジュリがそう告げた。彼女の視線が一瞬屋敷の方へと向けられる。気になるのだろう。梅花はうなずき、できる限りの微笑みを浮かべた。
「ええ、時間を取らせて悪かったわね」
「いえ、こちらこそ対応できなくてすいませんでした。また何かあったら呼んでください」
 ジュリは小首を傾げて微笑んだ。人の心をほっとさせる暖かい笑みだ。梅花と青葉は首を縦に振る。この家の人に怪しまれてもまずいのだ。立ち話も長くは続けられない。
「では。今夜は少し寒いそうですから、体に気をつけてくださいね」
 そう言い残してジュリは踵を返した。彼女の後を追うように、コブシも小走りに去っていく。二人の背中が小さくなるのを彼らは見送った。
「じゃあ戻るか。サイゾウたちが待ってるし」
 その背中が扉の向こうへ消えるのを確認すると、青葉はそう口を開いた。努めて明るい声を出してる、そんな印象だ。
「ええ」
 小さく梅花は答えた。そして歩き出した。今の声は気づいてる。その可能性に気づいてる。そう胸中でつぶやきながら。
「おいっ、梅花!?」
 一人で歩き出した彼女を、慌てて彼が呼んだ。けれども彼女は歩をゆるめる気はなかった。ため息が聞こえて、走り寄ってくる足音がする。それでも彼女は何も言わずに歩調を早めた。
「梅花っ」
「何?」
「その……お前に似てる人って、ひょっとしてお前の母さん?」
 問いかける彼に、彼女は一瞥もくれなかった。ただ黙って歩き、口を結ぶ。しかしこのまま何も答えないわけにはいかなかった。帰るまでの道が長いと感じたのは久しぶりだ。どう答えるのが最善か、頭の中で何度も自分に問いかける。どうすれば彼が気にせず今後をすごせるか、どうすれば何事もなかったかのようにやり過ごせるか。彼女は瞳を細めた。
「わからないわ、見かけてもいないんだし。可能性としてはあるでしょうね」
 しばらくして、彼女は口を開いた。唇は震えていなかったし声もいつも通り淡々としていた。
 そう、いつも通りの私。
 それを心がけていた。それでも青葉は何か気づいたかもしれないが、黙っていれば追及はしてこないはずだ。口にしたのは冷静な言葉だったから。
「そうだよな」
 返ってきたのは、素っ気ない声だった。二人の間を重い空気が満たし、会話が途絶える。
 サイゾウたちのもとへ辿り着くまで、それから一切言葉は放たれなかった。
 ただ青葉の嘆息だけが、梅花の耳に残った。



 帰ってきたアースたちを待ち受けていたのは、どこか楽しそうなレーナの笑顔だった。
 眠っていたんじゃないのか?
 アースは内心でつぶやきながら、洞窟の端に座り込む。ごつごつとした感触はもう慣れたもので、このひんやりとした空気にも馴染んでいた。自然と肩の力が抜ける。
「で、ビートブルーの調子はどうだったんだ?」
 椅子のように出っ張った岩石の上に座って、レーナは足を組んだ。促すように小首を傾げるのも何度か見かける仕草だ。彼は視線を逸らす。外にはもう月がうっすらと見えていた。深い藍色の空には星々も瞬いている。
「まあまあだな。軽く戦うには十分だが、どうも息が合ってない。ここぞというときに躊躇するのが問題だ」
「ふーん、なるほどな」
 彼女の方を見ずに答えると、適当な声が上がった。彼は眉をひそめて一瞥する。すると同時に到着したネオンたちが横に座り込んだ。イレイのもらす安堵の吐息が洞窟に染み込む。
「まあ、あれは難しいからな。意思の疎通もそうだが、自分と仲間の特徴を掴むのが面倒だ。でも慣れるまでは不便だろうが、慣れるとかなり心強い」
 視界の端でレーナはにこりと微笑んだ。
 励ましているつもりか?
 彼は独りごちる。彼女がいた時はそんな風には感じなかった。まるで何でもないかのように動けたし、自分の動きにあわせてちゃんと技が発動した。迷うこともためらうこともなかった。自分の体のようだった、と記憶している。
「ねえねえ、レーナはもう寝てなくていいの?」
 すると口を閉ざしたアースの代わりに、イレイが声を上げた。心配そうに彼女の顔をのぞき込もうとする様は、まるで子どものようだ。実際、半分は子どもだろう。
「ああ、大丈夫。先ほどのだって、これからのための栄養補給みたいなものだしな」
 すると彼女はごく当然のように答えた。その声の響きに強さを感じ取って、イレイは満面の笑みを浮かべる。彼女の言葉を信じて安心しきったようだった。
 これが怖い。
 アースは苦い笑みを浮かべた。
 彼女はどんなことでも当たり前といった表情で行動する。本当は辛くても、どれだけまずい状況でも、平気な顔をしている。そしてぎりぎりまで耐えるのだ。限界が近いのだと容易には周りに悟らせないで。
 アースは嘆息した。
 自分たちはどれだけ彼女に振り回されるのだろうか?  彼女が何を思っているのか、何を考えているのか全くわからない。それなのに彼女がいなければ何もできない。
「そう言えばオリジナルに会っていないなあ、元気になってるかな。あいつ無茶ばかりだからなあ」
 するとまるで旧友を懐かしむかのようにレーナはつぶやいた。完全に自分のことは棚に上げている。一番無茶なのはお前だと、できるならつっこんでやりたい気分だった。アースはさらに顔をしかめる。
「つい先日会ったばかりだろうが。何よりお前の方が重傷だ」
 だがそれとは別のことを彼は口にした。半眼でレーナを見つめてみたが、彼女は何も応えない。まるで聞こえていなかったかのように、自分の長い髪の毛を指先に絡ませた。苦々しい思いが広がって彼は目を逸らしたくなる。けれども逸らせなかった。どうしても視線が彼女の指先を追いかける。
「お前。何でそんなに髪長いんだ? 切れば?」
 するとその様を見てふと思ったのか、ネオンが不思議そうに尋ねた。彼女の髪は長い。艶やかな黒い髪は腰程まであり、どう考えても戦闘には邪魔だった。一本に結わえているのもそのためだろう。確かに前から疑問ではあったが。
「髪?」
 問われたのが予想外だったのか、彼女はきょとりとして首を傾げた。それからああ、と意味ありげに相槌を打って、朗らかに微笑む。
「切るなんて考えてもみなかったな。われはこの長さの方が強いんだ。それに長い方がいいって、ある人に言われたし」
 答えながら彼女は指先に絡めた髪を見下ろした。
 意味がわからない。長い方が強いとはどういうことだろうか? 何かの願掛けだろうか? だがそれは彼女にとっては当たり前なのだろう。それ以上説明する様子はなかった。
「ある人、か……」
 アースは小さく反芻した。どうも気分が良くない。それが誰かは知らないが、何故だか腹が立ってきた。先ほどまでの苛立ちとは別の感情がわき起こってくる。危険な感情だ。
「ひっ」
 隣のネオンが小さく息を呑んだ。十中八九、危険だとでも思ってるのだろう。彼はおそるおそる遠ざかったが、カイキやネオンはそれまで通りのほほんとしていた。いつもの光景だ。
「あーあ、お腹空いちゃった」
 イレイのよく通る声が洞窟内に響きわたった。アースは目を伏せて、苦笑を押し殺した。思いも迷いも、全て押し殺して、誰にも悟られないように、と。

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