white minds

第四章 青き武人ぶじん-11

 一体どこで他人と自分ができあがるのだろう?
 家族というのは、親というのは他人として認識すべきものなのだろうか?
 では、人間とそうでないものの区別は一体何でするのだろう?
 わからない。
 誰に聞いてもきっと答えてはくれない。実のところ、それは誰にもわからないのだ。わからないから適当な基準を作って、それに当てはめようとする。
 全てが、揺らぎ続ける。
 自分の中に自分を冷静に見つめる自分がいた。本物はどれ? 誰が自分でどれが他人で何が偽りなのだろう。
 どうすれば強くなれる? どうすれば何事にも囚われず優しくなれる?
 やはり、答えてくれる者などいなかった。誰もが目を逸らしていく。でも自分は目を逸らしたくないから、悩み続ける。
 誰も傷つけたくなかった。困らせたくなかった。でもそうすると、一番傷つくのが自分だと、心のどこかで知っていた。
 何が正しい?
 むなしい気持ちだけが留まることを知らずに広がっていく。事実というのは時に残酷で、いくらでも人を傷つけることができた。
『愛』とは何だろう?
 自然に受けるもの? 生まれるもの? なければ生きてはいけないのだろうか?
 疑問は次から次ぎへとわき上がってくる。知らないことが多すぎる。何故皆は知らずに平気な顔をしているのか、それすらもわからなかった。
 誰かが答えをくれるのを、自分はただじっと待っているだけなのだろうか? それで、いいのだろうか?
 無力の実感は鋭い痛みとなって胸に突き刺さる。命ではない何かを少しずつそぎ落としていく、鋭利なナイフ。
 そのナイフが抜かれるのを、ひそかに待っていた。同時にそれが自分の命を落としかねないことなのだと、痛感していた。
 恐い。
 たった一言、なのに言えない。
 辛い。
 苦しみを誰にも打ち明けられない。
 自分は弱い。
 知っている。強くなりたいといつも思っている。弱くて無知で無力な存在、それが自分だ。
 そしていつか解放されたいと願いながら、その後の自由を生きていけるかと恐れていた。愚かだ。どうしようもなく、愚かで、小さい。儚い存在だった。
 だから誰にも迷惑をかけず、霧が晴れ行くようにそっと、消えることだけを夢見ていた。
 心の底で、その日が訪れるのを待っていた。



「一体何なのだ!」
 白い廊下を歩きながら、ラウジングは声を荒げた。それからはっとして辺りを見回す。だが幸いにも通りかかる者は誰もいなかった。混乱のあまり叫んでしまったが、聞かれれば訝しげに思われたことだろう。ほっとして、歩が緩む。
 混乱、いや、それはあまり的確な表現ではない。正確に言えば、大きな疑問とそれらに対するどうしようもない憤りだった。掴めない雲を目の前にして、焦燥だけがつのっていく。
「いや、怒っていても仕方ないな」
 ラウジングは細く息を吐き出した。できるだけ冷静になろうと努め、握っていた拳をゆるめる。
「まったく。あのビート軍団とは何なのだ」
 それでも声を出さずにはいられなかった。彼にだって不平不満ぐらいはある。それを言う機会がなかなか与えられないだけで、思うことなどいくらでもあるのだ。
「何なんだ、あの女は」
 今、彼の頭を支配しているのはビート軍団、特にレーナのことだった。
 彼女たちについて調べれば調べる程、彼はわけがわからなくなっていた。それなのに彼女は何かを握っている。彼が知りたかった何かを握っている。それは確かだった。
 大きなため息がもれた。
 実際に彼自身が、レーナたちに関する情報を探しているわけではない。それ故それがまわってくるには時間がかかった。一つ情報が増えたと思えば、その間に彼女たちは謎の行動を起こすのだ。疑問は増えるばかりで減ってはいかない。しかも、彼はそれをただ黙って見ているしかできなかった。
「本当に、何者なのだ?」
 魔族ではないと、それだけは断言できた。間近でその『気』を感じた彼だからこそ確信できた。あれは魔族ではない。
 だが彼女たちは、否、彼女は、十中八九こちらの正体に気づいているだろう。不公平だ。無知を嘲笑われているようにも感じる。悔しい。
 ラウジングはもう一度ため息をつくと、深緑の髪をかき上げた。するとふとレンカの顔を思い出す。先ほど、彼を追いかけてきたとんでもない技使いだ。
「してやられた、か。ほとんど話してしまったな」
 ラウジングは苦笑した。上のうるさい御老人たち――ラウジングはいつも心の中でそう呼んでいるのだが――が知ったらひどく叱られるだろう。どんな嫌みを言われるかわからない。長い小言が待っているはずだ。
 しかし、アルティード殿は何と言うだろうか?
 立ち止まり、ラウジングは顔を上げた。誰も通らない狭い廊下はどことなく冷たく感じられる。そこを満たす空気その物が生の空気を含んでいないからだろう。彼はかぶりを振った。
「いや、アルティード殿なら何も言わないか」
 彼は元々『ここ』だけが全ての情報を独占することに反対だったのだと、ラウジングは思い出した。ならば問題はない。何の心配もいらない。
 彼は再び歩を進めた。乾いた足音が狭い廊下に響く。
「もうそろそろ朝だな。神技隊が活動を再開する時間だ」
 仕事はしなくてはな、と彼はつぶやいた。憤りは、波が遠ざかるがごとく静まっていた。



 リンはぼんやりしながら座卓についていた。向かいにはいつも通りシンがいるが、普段と違うのはローラインがいることだ。普段は仕事な彼も、今日は久しぶりの休みだった。鼻歌を奏でながらお茶を入れる姿は、本当に嬉しそうだ。
「連係って、考えてみたことなかったなあ」
 考え事をしながら口をついて出たのは、そのことだった。
 特訓のおかげで力を合わせて戦うことはできた。だがそれは本職ではない。彼らは技が使えるからといって、戦うために無世界へ来たわけではないのだ。違法者を取り締まるのが仕事。いざというとき戦える、ただそれだけだ。
 しかし違和感はあった。だから彼女は考えていた。シンの不思議そうな視線を受けながら、彼女はさらに続ける。
「私たちってさ、考えみると結構強いメンバーよねえ。あ、別に自慢したいんじゃないけど、客観的に見て」
 そこへローラインがお茶を持ってやってきた。話を聞いていたのか彼は首を傾げていたが、シンは考え込みながら相槌を打つ。
「考えてみればそうだよな」
「でしょう? ストロング先輩の話を聞いてからより強く思うようになったんだけど、先輩以降のメンバーって、ちょっと強すぎると思うのよね」
 リンは言葉を選びながら説明した。何と表現すればこの違和感が伝わるのか、必死に頭をひねる。
「何て言うか、戦闘するための人員、というか。とにかく、それまでの違法者の取り締まりだけじゃあない感じなのよね」
 そう、『上』は自分たちを、戦わせるための人材として選んだのではないか。この違和感が胸に引っかかったままなのだ。
「否定はしないなけどな。でもそういうことは、梅花にでも聞いた方が早いんじゃないか?」
 しかし、シンはうなずきながらそう言った。彼の言うことももっともだ。梅花は選ぶ側にいたのだから、その辺りの事情だって知っているはずだ。
「そうなんだけど、でも梅花に聞いて素直に答えてくれると思う? 他人に話するの好きじゃなさそうだしさ。青葉ならどうかはわからないけど」
 彼女は言いながら顔をしかめた。自分の言葉に疑問が生じて、違和感があって、シンの方を見る。妙な視線を向けられたためかシンは首を傾げた。その隣では茶をすすったローラインが、目だけで疑問を訴えている。
「ねえシン。どうしてあの二人、仲いいんだと思う? 不思議じゃない?」
「あの二人って、青葉と梅花か?」
「そう。だって性格反対だし」
 青葉が梅花に話しかける理由はよーくわかっていた。だが梅花が青葉と話す理由がわからない。必要でなければ話などしないように思われた。だがリンは時折見ている。青葉に何か聞かれて、無表情のまま答える梅花の姿を。それも一度や二度ではなかった。
「……悪いけど、わかんないな。心当たりはない」
 考え込んだシンは、結局首を横に振った。彼は青葉と小さい頃からの知り合いだが、梅花はそうではないらしい。
「こんな身近なことさえも、わからないのよねえ」
 つぶやいた声は、静かな部屋に染み込んでいった。
 無力感が、辺りを覆っていた。

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