white minds

第五章 心-1

 彼女の胸騒ぎはよく当たる。特に目覚めたときのそれは外れたことがなかった。
 だから嫌なのよね。
 梅花は心の中で小さく毒づく。目の前に並んでいるのは朝食だが、彼女は全く手をつけていなかった。もともとそれほど食べないのだがこんな朝は特に食べる気がしない。
 嫌な予感がする。
 冷たいのか熱いのかわからない、何か異物が内蔵を蠢いているような感覚だった。気持ちが悪くてどうしようもない。しかしできるだけ表情には出さず、彼女はひたすら無言を突き通した。
 そうでなければ、ばれる。いや、もうばれているのかもしれないが。
 彼女はちらりと青葉を見た。
 何があっても心情を表には出さない癖が、彼女にはついていた。素っ気ない態度も表情のない顔も普段からなので、黙っていても誰も何も思わない。具合が悪くても気分がよくなくても、誰も気づかないのだ。
 だが今は違う。
 梅花は青葉の顔を見て、小さく嘆息した。油断すれば即座に気づく人がすぐ傍にいる。それは今までにない状況だった。どうしたらいいものかと彼女は思案する。
「何だよ、梅花。人の顔見てため息つくことはないだろ」
 するとため息が聞こえたらしい、手を止めて怪訝そうに青葉が文句を言ってきた。しまったと思ったが顔には出さず、彼女は視線を逸らす。
「別に、何でもないわ」
 そして素っ気なく答えて、仕方なく朝食に手をつけた。
 最近――と言ってもここ一年弱だが――彼は彼女の微妙な変化にも気づくようになった。監視されているのではと思う程、ため息一つ聞き逃さないのだ。だから今はできる限り油断しないようにしている。
 従兄弟だからって気を許しすぎたかな。
 そう梅花は独りごちた。この秘密はまだ彼と彼女しか知らないが、二人はいとこ同士だった。青葉だって知ったのは神技隊になって少ししてからで、だから無論サイゾウもアサキもようも知らない。青葉の親も知らないはずだった。
 それも当たり前なんだけどね。お父様が勝手に家を飛び出してきて、お母様と出会って、それで私ができちゃったんだから。
 梅花は青葉に気づかれないよう目を伏せて、ほんの少し苦笑した。
 ジナル族には、そういう家族も少なくはなかった。半分以上は宮殿で育った者たちだが、残り半分は他のあらゆる『族』から何だかの理由でやってきた人たちだ。その宮殿で育った者たちだって、昔にそうやってきた人々の子孫だ。
 ジナル族は他の族から隔離されている。宮殿に入れる者は長かその関係者か、そうでなければジナル族の者に限られていた。だから宮殿の中のことは一般人は知らない。その中でどんな家族が新たにできていようが、知る術はないのだ。
「梅花、おかわり! ……していい?」
 するともう食べ終えたらしく、元気よく言ってから不安そうにようが尋ねた。食費を含め金銭管理は梅花の仕事だ。彼女は先月の売り上げを頭に思い描きながら、首を縦に振った。
「そうね、最近は余裕あるからいいわよ。それでも食べ過ぎないでね」
 彼女が了承を告げると、ようは嬉々として立ち上がった。おかわりを取りに行くようだ。無邪気な後ろ姿は本当に微笑ましい。彼女はその背中を横目に再び手を動かし始めた。
「梅花、調子でも悪いのか?」
「え?」
「いつもより進んでないだろ」
 だがそこで突然青葉の声が降りかかり、彼女は首を傾げた。向けられた彼の目には心配な色が含まれている。黒い瞳がかすかに細められていた。
 ああ、そうか。
 手元を見下ろして彼女は口角を上げた。進んでないとは食事のことらしい。これはごまかしようがなかった。彼女はちょっとだけなずいて困ったように彼を見上げる。
「別に。ただ食欲ないだけ」
「それを調子悪いって言うんだ」
「夢見が悪かっただけだから、本当気にしないで」
 それ以上は言わずに彼女は立ち上がった。案にもう食べないことを示しながら、さっと身を翻す。夢の内容まで追及されたくはなかった。心配されるのには慣れていないから、どうはぐらかせばいいのかよくわからない。
「梅花」
「それ、ようにあげといて。店の準備するから」
 振り返らずにそう言い残して歩けば、もう反論の声も上がらなかった。諦めたらしい。安堵に息を吐き出しながら、彼女は店代わりの車へと近づいていった。
 変な奴、というサイゾウのつぶやきだけが、静かな朝に染み入っていった。



 ミンヤは最近自分たちの行動に疑問を抱いていた。
 何でコソコソ調べなきゃいけないんだんべ?
 今まで聞いた言葉を反芻してみるが、答えは見つかりそうにない。カエリに聞いたこともあるが、堂々としてどうするという答えが返ってきただけだった。それでは彼にはわからない。難しすぎる。
 答えを求めるように、彼は目の前にある小さな背中を見つめた。見慣れた後ろ姿だ。もうこの四年以上、ずっと見続けてきている。
「ほら、ミンヤ! ボケッとしてないでさっさと行くわよ!」
 するとその背中の持ち主――カエリが振り返って声を張り上げた。聞き慣れた叱咤に、ようやく頭をぐるぐる回っていた疑問が脳の奥へと去っていく。
 そうだ、深く考えていても仕方がない。いつものように諦めが、頭に靄をかけた。
 だが反応が遅れたせいだろう、目をつり上がらせたカエリが指先を突きつけてきた。
「もう、だからのろまだって言われんのよ。ほら、早く! ハイスト先輩を待たせちゃいけないでしょう」
 カエリの言葉に、ミンヤは首を縦に振った。
 ラフトとゲイニとヒメワはいつも一緒にいるので、必然的にカエリとミンヤは行動をともにすることが多かった。行動をともにすると言っても、大体がカエリに急かされるミンヤという構図なのだが、ミンヤ自身はあまり気にしていない。
「今行くだんべ」
 ミンヤは答えて慌てて彼女へと走り寄った。広い部屋は玄関までもやや距離がある。
 この部屋も少し古いが高そうな家具も、全てヒメワが選んだものだった。神技隊の本拠地としては類い希なる豪華さだろう。他の隊のを見たことはなかったが、ミンヤはそう確信していた。
 彼らが働かずに生活していられるのは、全てヒメワのおかげだ。驚異的なくじ運の持ち主である彼女は、次々と宝くじを当てていた。そのおかげで彼らは働かずに生活していけるほどである。だからどれほど彼女好みの部屋になろうとも、誰も文句を言うことはできなかった。
「あのねー約束の時間まで後ちょっとなんだから、もう少し急いでよね。先輩たちに悪いじゃない」
 カエリはいつも通りの、怒ったような口振りだった。彼女はいつも苛立っているか怒っているか、もしくは呆れている。フライングはのんき者ばかりで疲れる、というのが口癖だ。
「わかっとるだんべ。今、行くさ」
 もっと彼女も気楽にしていたらいいのに。
 ミンヤはずっとそう思っていたが、口には出さなかった。一度出したことがあるが、誰のせいだと怒鳴り返されたのだ。
「ほら、早く」
 ミンヤはうなずくと、慌てて靴を履いた。カエリが怒りのあまりまた眩暈を起こさないよう、急いだ方がいいだろう。
 何故コソコソするのか。
 本当はミンヤは知っていた。だがそれを意識の底に押し込んでいた。
 上が信用できないからだ。無条件に信頼してきた上が、神技隊になってから全く信じられなくなったからだ。
 それでもまだ信じたくて、浮かんできた答えをまた奥底へ封じ込める。そして再び考えるのだ、何故コソコソしているかを。
「今度はうまくいってるといいわね」
「そうだんべな」
「でもハイスト先輩、無茶してないといいけど」
 扉を開けるカエリの後を、彼は追った。

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