white minds
第五章 心-5
ハイストのところへ行ってみても、知らされたのはやはりわからない、ということだけだった。不審な違法者のこと、レーナたちのこと、上の不思議な動きのこと。情報収集が得意なハイストに他の元神技隊をあたって欲しいと頼んだのだが、結果は不幸にも予想通りだった。
「わかってはいたけどがっかりね」
帰り道にカエリはもらす。いつもと同じ風景も雨の中くすんで見えた。傘に当たった水滴の音が耳に響く。
「そうだんべなー」
しかし同意してくれるのはミンヤだけだった。後ろにいる三人からは、悲しくもやはりのんきな声が上がる。
「そうか? いいじゃん。まー、何とかなるんじゃねえ?」
「大丈夫ですわ。今までだって何とかなってきたんですもの」
「そうそう。なるようになるだ。悩んでも仕方ない」
一様にそう言う三人を尻目に、カエリは深くため息をついた。これもわかってはいた、予想してはいた、覚悟してはいた。だが実際耳にすると頭が痛くなる。思い知らされてしまう、やはりこの中で事態を深刻に受け止めているのは自分だけなのだと。
いつからだっけ? こんな風になったのは。
傘の柄をぼんやり見ながらカエリは考えた。思い返してみればそれはラフトとヒメワが付き合いだした頃からだ。それまでは、少なくともラフトはもう少しは真面目だったし、ゲイニもその輪には加わっていなかったはずだ。
全ての元凶はヒメワか。
カエリはちらりとヒメワを見た。のほほんとした朗らかな笑顔を浮かべた彼女は、雨の日には似合わないひらひらの服を着て日傘のような傘を差している。
元凶は彼女だと、そのことを伝えようにも彼女自身はは全く動じないだろう。何よりもこの状態が続いてから二、三年は経つ。もう手遅れなのだ。今さらどうにかなるものではない。
後は、後輩たちにどうにかしてもらうしかないか。
他力本願だがカエリはそう自分に言い聞かせた。このメンバーで大事にあたるのは無理な話なのだ。日常的な業務さえ滞り勝ちなのだから。
「じゃあ、何か起こるまでどうするの? いつも通り?」
答えはわかりきっている気もするが、一応カエリは尋ねてみた。視線を後方へとやれば、不思議そうにラフトが首を傾げている。何度見ても幼く見える顔つきだ。
「ん? どうするって、何か起こらなきゃどうしようもないだろ?」
「あーそう、そうね」
無責任な答えに、脱力しながらもカエリは適当にうなずいた。ため息は大降りになった雨がかき消してくれるので、ミンヤも心配しなくてすむだろう。
「頼りになる仲間が欲しいなあ」
嘆くようなつぶやきは、やはり雨の音に混じって消えていった。
「梅花!」
雨の中かすかに聞こえてきたのは、自分の名を呼ぶ声だった。梅花は顔を上げて首を傾げる。くすんだ景色の中、傘を持って走り寄ってくる青年がいた。
「青葉?」
彼女は訝しげな顔でその男性を見つめた。時折傘に顔が隠れるが確かに青葉だ、間違いない。だがどうしてこんなところにいるのかとそれが不思議で仕方がなかった。まだシークレットの陣取った公園までは距離がある。
「どこ行ってたんだよ。急にいなくなって……!」
彼は傍までやってくると目を細めて声を張り上げた。怒りを含んだ声音は耳慣れたものですぐにわかるのだが、その理由がわからない。
「捜したんだからな。ったく、お前は聡いんだか疎いんだかわからないな、本当」
まるで逃げ出すのを恐れるように、彼の手が彼女の手首を握った。いつもなら振り払うところだが勝手にいなくなったのは自覚しているので、それも憚られる。だから彼女は唇を結ぶだけにした。
疎い? 聡い?
考えてみても彼が怒る理由がわからなかった。それでも言葉の端々から、かろうじて彼が心配していたのだと理解する。
心配なんてする必要ないのに。
自分の身は自分で守れる。何より心配されるような人間ではないのだ。いつだって神童だの化け物だの色々と言われてきたが、案じてくれた者などほとんどいなかった。それは必要のないことで、必要ないのに心配するのは負い目を感じているリューとその両親だけで。だから彼の気持ちが理解できなかった。
「おい梅花、その、羽織ってる上着」
しかしそこで違和感に気づいたらしい。青葉の目が彼女の肩に掛かる白い上着に向けられた。彼だって見覚えがあるはずだからすぐに気づいてもおかしくない。隠す理由もないので梅花は小さくうなずいた。だらしなくぶら下がった袖をそっと指でなぞり、微苦笑を浮かべる。
「そう、レーナの。さっきそこの公園で会って、風邪ひくって言われて借りたの」
彼女は小声で言った。借りた相手がレーナでなければ不自然ではない状況だが、相手がレーナなのでどうにも信じがたい話だ。視界の端で青葉が眉をひそめるのがわかる。それはもっともな反応だった。
「聞きたいことはすごく色々あるが……とりあえず帰るぞ。ようたちも待ってるし、それに、このままじゃ本当に風邪ひくぞ」
けれども詳しいことは尋ねず、彼は彼女の手を引いて傘の下へと引っ張り込んだ。傘に弾かれる雨の音が近くなる。今さらながら濡れた髪が気になって彼女は顔をしかめた。首もとに張り付くのが気持ち悪い。
しばらく、会話はなかった。ボツッっと重い雨音だけが周囲を満たしていた。通り過ぎる人もまるで世界から切り離されたような感覚だ。
居づらいなと梅花は思う。隣から『感情』が突き刺さってくるようで苦しかった。昔はよく感じ取っていた感覚だ。それでも昔とどこか違うのは向けられるその感情の違いによるのだろうか。
「……もしかして、お前、母さんの所に行ってたのか?」
しばらくして、唐突に青葉は尋ねてきた。適当な言い訳も見つからず、梅花は無言のまま小さくうなずく。表情は変わっていないはずだった。体温が下がるにつれて心も醒めていたから、動揺も現れてはいないだろう。
「会えたのか?」
短く聞き返す青葉に、同じように彼女は小さくうなずいた。そうか、とだけ答えて彼はまた黙り込む。
空気を支配しているのは雨だった。
何を考えているのか互いにわからないまま、ただ雨粒の弾かれる音だけが世界を覆っていた。足音さえ雨音に包まれてしまう。
公園に入る前に、レーナの上着は脱いでおこう。
梅花はそれだけを決意して歩き続けた。少しでも早くこの時間が終わることを願いながら、ただひたすら黙って歩を進める。
結局その後も何も話さないまま、二人は仲間のもとへと戻った。帰りを待っていたようは文句の声を上げ、事情を知らないサイゾウは不満そうに毒づいていた。
ただアサキだけは――
「風邪ひかないうちに温まった方がいいでぇーす。昼食の前に銭湯に行ってきてくださぁーい」
と優しく言って梅花にタオルを手渡した。彼はいつもそうなのだ。まるで全てを知っているかのように優しい。それは彼女だけではなく他の者に対してもそうだった。だから彼女でもその好意を素直に受け取ることができた。アサキはそういう者なのだから、と。
「ありがとう」
梅花はかすかに微笑んでそう答えた。けれども隣にいる青葉があからさまに不満顔だったのを、彼女は知らなかった。
そしてその場を遠くから、そっとレーナが見つめていたことも。
雨は止む気配がなく、世界を包み込んでいた。
雨というのはピークスにとっても憂鬱だった。
山田家で家事などの仕事をさせてもらっているのだが、そのどの仕事にも雨は大敵だ。洗濯物はよく乾かないし買い出しにも行きづらいし庭の掃除もできない。
しかし何より彼らを悩ませているのは末息子の相手をしなければならないことだった。
「たく! 次はサッカーだ!」
十歳前後の少年がたくを急かす。はいはい、と投げやりに答えながら、たくは仕方なく彼の後を追った。
末息子の雅樹は雨の日になると外へ遊びに出られないため、ピークスを友達の代わりにするのだ。屋敷は十分な広さがあるため運動するのは全くかまわない。またそのための部屋も用意してあるくらいだった。けれども友達もさすがにこんな屋敷で運動するのは憚れるようで、だから代わりにピークスが少年の遊び相手をしなければならない。それはほとんど仕事の一部で、実際彼らに拒否権は与えられていなかった。
「ほら! コブシもこっちに来い!」
使用人とわかってるので雅樹の態度は大きい。断れないのも事実なので、最近はますます調子に乗っているようだった。
その点、ジュリはその年代の子どもの扱いに慣れていたのか苦労している様子はなかった。よつきも何だかんだ言いながらうまく言い逃れしているので、大体被害にあっているのはコブシ、たく、コスミだ。
「コスミ! お前はボール拾い」
しかも雅樹と一番背が近かったせいで、コスミへの態度は特にひどい。彼女は泣きそうな顔で渋々とうなずいていた。
「はいはい、わかりました」
答える声にも哀愁が漂っている。ジュリが長身のため――たぶん百七十以上はあるだろう――コスミだけが妙に小さく見えるのだ。だから彼女も雨の日が嫌いだった。たくもコブシも、嫌いだった。
窓の外では雨が降り続いている。まだまだ止みそうになく、今日明日はサッカーで仕事ははかどらないだろう。それは決定事項にも似た予想だった。
「雨、早く止んでくれないかなあ」
祈りにも似たたくの言葉は、早く早くと急かす雅樹の声に打ち消される。
灰色の重たい雲を恨めしげに、たくは一瞥した。