white minds

第五章 心-6

 どうしてこんなことになったんだべ?
 ちらちらと時計を気にしながらも、ミンヤはひたすらそんなことを考えていた。座り込んだ絨毯は心地よくて眠気を誘うが、時折上がる声が意識が落ちるのを遮る。
「うわあ、また負けた!」
「われの勝ちだな」
「まあまあーレーナさん、強いですわねー」
 再び発せられた会話を耳にして、やたらと凝った飾りの付いたソファをミンヤは見やった。癖のある銀髪をかきむしるラフト、頬に片手を当てて微笑むヒメワ、押し黙るゲイニ、そして得意げに口の端を上げるレーナがそこにはいる。
 どうしてこんなことになったんだべ?
 もう一度ミンヤは心の中でつぶやいた。隣に座り込んだカエリは膝を抱えたまま、ぼんやりと外の雨を眺めている。その横顔は諦めた者の表情だ。嘆くのも怒るのも悲しむのも疲れたらしい。
 レーナは突然、彼らフライングの住む部屋へと現れた。その時はカエリはもちろんラフトのゲイニも、もちろんミンヤも警戒したが、彼女は何をするわけでもなく緊張に顔を歪ませる彼らを楽しげに見つめているだけだった。
 しかし何より、驚くべきはそんなレーナへとヒメワがかけた言葉だ。
 遊びに来たんですの?
 などと正体不明の敵に声をかける者は、さすがのミンヤも知らなかった。カエリが頭を抱えたのを彼はよく覚えている。この世の終わりという顔だった。
 だが悲しいかな、そんなところかなと微笑みながらレーナは答えてしまった。肯定されてはカエリでさえ何も言えない。口をあんぐりと開けて瞳を瞬かせるだけである。
 それで結局ヒメワの提案通りトランプをすることになったのだ。何故か今ではラフトもゲイニも参加している。危害を加えるつもりがないとわかればあとは楽しむだけとでも言うのだろうか。ミンヤには解せない感覚だった。もっとも彼自身も警戒する気はもうなくなっていたが。
「じゃあ次は何をします?」
 また嬉しそうにヒメワが尋ねた。変わり者揃いと呼ばれるフライングの中でも、彼女は飛び抜けて世間ずれしていた。よく言えばマイペースでおっとりだが、周りにいる者にとっては迷惑きわまりない。とにかく常識が通用しないのだ。だがもうそれにも慣れたと思っていたミンヤでも、今度のは驚かされた。
 そもそもレーナが何をしにきたのか全くわからない。彼女たちは神技隊を『標的』としているのではないのか? それとも何か他の理由があるのか? 探りに来ているとか?
 色々考えてみたが、ミンヤにはどうもわからなかった。何か探りに来ているならこんな風に堂々と遊んだりはしないだろう。誘う方も誘う方だが乗る方も乗る方だ。
「そうだなあ、ん? ってもうこんな時間か。われはそろそろ行かなくちゃならないな」
 しかしそこでレーナはそうつぶやいた。時計を見上げてから外へと視線を移し、残念そうに目を細める。
「あら、まあ。もう行ってしまいますの?」
 同じくヒメワも残念そうに、寂しそうにそう問いかけた。その隣ではラフトが勝ち逃げかとぶつぶつ文句を言っている。ゲイニは押し黙ったままだ。
「ああ。まだまだ寄るところがたくさんあるんでな」
 言いながらレーナは音もなく立ち上がった。頭の上で結ばれた黒い髪が緩やかに揺れて、それがミンヤの目にひどく幻想的に映る。小柄な彼女は、しかしそこにいるだけで強烈な存在感があった。この無駄な程装飾の凝った部屋の中でも、まるで光でも纏っているかのように目を引くのだ。
「じゃあ、また今度ですわね」
「そうだな、また今度」
 ヒメワが名残惜しむと、レーナは言葉だけを残して音もなく消えた。目を瞬かせてもどこへ行ったかはわからない。消えたと表現するのが適当だった。その華奢な残像だけが網膜に焼き付いている。
 この次会った時どうなるのだろうか。
 そんなことを思いながらもどっと肩の力が抜けて、ミンヤはため息を吐き出した。
 隣ではようやく帰ったか、という顔をして、カエリがあくびを噛みしめていた。



 洞窟から見える空は曇っていて、時折風が中へと吹き込んでいた。しかし雨の気配はなく、ただ空気には海の香りだけが含まれている。揺れる木々の葉を眺めながらアースは大きくため息をついた。自分でもそれが苛立ちにまみれていることがわかる。落ち着かない手のひらは石ころを何度も転がしては弾くという単純な動作を繰り返していた。
 馬鹿みたいだな。
 そう思っても気分が優れることはない。理由は簡単だ、レーナがいないから。
 あいつはどこへ行っているんだ?
 会いたい人がいると言って彼女が出ていってから、もう長い時間がたっていた。体調が万全ではない彼女を一人で行かせるのは本当は嫌だった。だが拒否されたから仕方なくこうして待っているのだ。
 どこへ行ったかわからない。気も感じられない。また倒れているのではないかと心配になるが、この広い神魔世界を探すわけにもいかない。
 アースは苛立ちを紛らわすためにぼんやりと洞窟の中を見回した。すると視線に気がついたのか、岩にもたれかかっていたネオンの肩がぴくりと震える。機嫌の悪さを感じ取っているからこその反応だ。しかしカイキもイレイも気づいてはいない。お腹が空いて待ち疲れたイレイは隅の方で寝転がっているし、退屈そうなカイキは気怠げに足を投げ出しながら鼻歌を歌っている。
「カイキ、その調子はずれの歌は何だ」
 できるだけレーナのことを考えないようにと、アースはとりあえず思ったことをそのままぶっきらぼうに口にした。へ、と間抜けな声をもらしてカイキが振り返る。
「ちょ、調子はずれとは失礼じゃねえか」
「では上手いとでも言うつもりか?」
「そりゃ、いや、別に、特別上手いとかは思わないけどさ」
「なら黙れ、耳障りだ」
 苛立ちを隠すこともなく、アースはそう毒づいた。カイキは一瞬泣きそうな顔をした後、渋々口をつぐむ。
 八つ当たりだと、アース自身もわかっていた。それでもいらいらして仕方ないのだ。彼女の帰りがあまりに遅くて、無事でいるのか、帰ってきた時何と言うべきかそればかりを考えている。
 遅い。
 彼は胸中でつぶやいた。ここまで機嫌が悪くなるのも久しぶりだなと心の隅では思っていたりする。冷静な部分もあるのだ。しかし感情をコントロールするまでには至らない。
 彼女に会うまではいつもこんな気持ちだったのだから、それよりはまだましだった。けれどもそれでもやはり腹は立った。
 会いたい人がいると言いながら教えてくれない彼女。何も話してくれない彼女。何を考えているのか全く教えてくれない彼女。
 ずっと溜め込んでいた思いが一気に吹き出したようだった。自分たちは彼女のことをほとんど知らない。こんなに傍にいるのに、一緒にいるのに全く知らない。
 何故この星に来たのか? あのオリジナルたちと自分たちとはどんな関係にあるのか? 簡単な話は聞いていたがそれだけでは解せないことが多かった。彼女はまだ隠しているのだ。しかし問い質してもいずれ、という答えしか返ってこない。
 お前は何がしたいんだ?
 小さな石を手のひらで転がしながらアースは空を見上げた。灰色の雲が空を覆って、先ほどよりもさらに暗くなっている。
 ネオンやカイキやイレイは何も思わないのだろうか?
 そんな疑問も心の奥底にはあった。だからなおのことあたりたくなるのかもしれない。レーナが何も喋らないのは当たり前、とでもいう空気が三人のうちにはある。
 自分たちは何者なのか。
 常に抱え続けてきた漠然とした不安は、今も晴れてはいなかった。レーナに会って明らかになるはずだった謎も、ぼんやりとしか見えてきていない。
 とにかく今は早く帰ってこい。
 もう一度ため息をついてアースは口の端を上げた。胸の奥のわだかまりでさえ彼女が目の前にいれば全て我慢できるのだ。彼女が微笑んで傍にいてくれればそんなことどうだっていいと思えてしまう。
 馬鹿だな。
 うっすらわかっていたことを自覚して、アースは思わず苦笑した。手にしていた石ころを、彼は外へ向かって放り投げた。

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