white minds

第五章 心-7

 予想もしなかった突然の来客は、コブシたちが末息子の相手から解放された時現れた。
 微妙な手加減をし続けた結果気疲れしたコブシは、たくとコスミとともに廊下の隅に腰を下ろしていた。見つかったら本当は怒られるところだが、今は体を起こすのも億劫で。
「ずいぶん疲れてるようだなあ」
 だから唐突にそう声をかけられて、叱られるのではないかと三人は慌てた。誰がそこにいるのか声から確かめることもせず、ぎょっとしてわたわたと立ち上がる。
「え?」
 そして傍にいる小柄な少女を目に入れて、コブシは固まった。一瞬何が起こったのかわからなかった。現実を受け入れようと理性は奮闘するが感情が追いついてこない。
 そこにいたのは敵であるはずの、少なくとも仲間ではないレーナだった。頭の上で一本にまとめられた髪はその動作にあわせてゆらりと揺れ、瞳は悪戯っぽく彼らを見つめている。くの字形の髪飾りはいつも通りだが、それ意外の服装はいつもとは違った。海を思わせる青いワンピースがその白い肌によく映えている。
「え、あ、あ――!」
 すると同じく思考停止に陥っていたコスミが、我に返って驚きの声を上げようとした。その口を素早く塞いだのはたくだ。大声を出せば屋敷の誰かに見つかってしまう。誰に見つかったとしてもレーナの存在は問題だった。不法侵入である。もっとも彼女が警察に捕まる様などは想像できないが。
「な、何しに来たんだ」
 何を口にするべきか混乱したコブシの頭はすぐに判断できなかった。それでもかろうじてそう言い放つと、一歩後退しながら彼女をにらみつける。
 どうしてこんな所に彼女がいるのか。どうやって入ってきたのか、いつからそこにいたのか。
 疑問ばかりがわいてきて答えが出てこない。鼓動が高まるのが彼にはわかった。この場によつきやジュリがいないことを心底悔やむ。
「何しに? もちろん会いにさ」
 けれどもレーナは臆する様子もなくさらりとそう言い切った。穏やかな愛さえ感じさせる声音、可愛らしい仕草には、こんな状況でもなければ頬がゆるむところだ。
 だがこいつは敵だ。
 コブシは胸中でつぶやく。彼女にとっては敵地に乗り込んでいるも等しいだろうが、その顔からは余裕さえ感じられた。好奇心に溢れた瞳は家の中を見回している。いいところで働いてるなあ、ともらしながら彼女は口角を上げた。
「そ、そんなことお前には関係ないだろ!」
「うん? まあそうだがな」
 たくは声を荒げたが、やはり彼女は動じなかった。それどこから視線をさまよわせるとおもむろに廊下を歩き始める。
「なっ!?」
 三人は慌てた。彼女が動くとはつまり誰かに見つかる可能性が高くなるということだ。しかも彼女が向かっている先は雅樹の部屋の方である。のんびり歩く彼女の行く手を阻もうと、コブシは前方へと回り込んだ。もし彼女が本気でどこかへ行くつもりなら絶対止められない。けれどもコブシにできることはそれくらいだった。
「ど、どこに行く気だ?」
 押し戻そうと必死になりながら彼は尋ねた。背は彼の方が断然――おそらく二十センチ以上は高いはずだが、不思議と見下ろされてる気分になる。
「どこにって、お前たちの仲間はもう二人いるだろう? 会いに行くんだ」
 彼女は足を止めると、当たり前だろうと言いたげに胸を張った。その態度には悪気すらなさそうでコブシはうろたえる。するとはっとしたたくが大きくうなずき、コブシへと目で合図してきた。
「ちょっと待ってろ、今呼んでくるから」
 たくはそう言い放ってコブシたちとは反対方向へ駆けだしていった。これまた屋敷の誰かに見つかれば咎められるが、レーナが見つかるよりはまだましだ。
「慌ただしい奴らだなあ」
 自分が慌ただしくさせていることは意に介さず、彼女はつぶやいた。その眼差しは窓越しに外を見つめている。まだ雨は降り続いていて、夜までは少し時間があるのにかなり暗くなっていた。地面を、屋根を叩く雨音が中にいても聞こえてくる。
 しばらく彼女は黙って外を見つめていた。そのことにほっとしてコブシは肩の力を抜いた。とりあえず歩き回られる心配だけはなくなった。あとは雅樹が暇をもてあまして外へ出てこないよう祈るだけだ。
「あ、来た!」
 しばらくすると、落ち着かなそうにうろうろしていたコスミが喜びに溢れた声を上げた。同時に廊下を急ぐ複数の足音が聞こえてきて、コブシも心底安堵する。
 よつきとジュリだ。二人が来てくれたらもう不安は何もない。レーナも彼らの方を振り返り、手をひらひらとさせた。急ぎ足でやってきたよつきはその様を見つめて眉根を寄せている。
 驚いているのか呆れているのか、それとも怒っているのか。コブシには判断できなかった。三人のうちいち早く傍までやってきたよつきは、レーナの真正面で立ち止まる。
「ああ、ようやく来たようだな」
「どうしてこんな所にあなたがいるんですか」
 レーナは嬉しそうにそう言ったが、対するよつきは大声こそ上げないが棘のある声音で言い切った。彼女は肩をすくめて悲しそうに小首を傾げる。それは親に素っ気なくされた時の子どもの仕草にも似ていた。
「そんなに恐い顔しなくてもいいだろ。別にわれは戦闘しに来たわけじゃないんだ」
「じゃあ用がないなら帰ってください。わたくしたちが迷惑ですから。今すぐ、ここを、出ていってください」
「迷惑? まあ半分はそれが目的だけどなあ。別に用がないわけじゃないし」
 しかし怒りを押し殺した目でよつきが言い放つと、レーナは小首を傾げたままとんでもないことを宣言した。それには黙っていたジュリでさえ目を丸くしている。もちろんコブシもコスミも、たくも声を失った。
 やはり彼女は悪い奴だ。
 コブシはそう確信した。どんな見た目であれ彼女は敵なのだ。自分たちに害をなす者なのだ。油断してはいけない。
「ん、ああもうこんな時間か」
 すると廊下にかかっていた小さな時計へと、彼女は目をやった。コブシには価値の判断できない木でできた由緒ある時計だ。あまり話ができなかったなあ、とつぶやいて彼女は目を細める。その顔は残念だと語っていた。夕方を迎えた子どもたちのよくする表情だ。
「ではしばしのお別れだな。また今度」
 彼女はそう言い残したが、もう二度と会いたくないとコブシは思った。特にこの屋敷では顔をあわせたくない。そんなことが繰り返されれば寿命が縮まってしまう。
「あっ」
 だが何か文句を言う前に、彼女の姿は一瞬でかき消えてしまった。まるで今までそこに存在していなかったかのような速さ。残像だけが目に焼き付いている。
 やはりただ者ではない。
 コブシの胸に嫌なものが残った。何を考えているのかわからない少女だが、その実力だけは確かだ。絶対に、流されてはいけない。
「やっと去ってくれましたか」
 よつきのつぶやきが、五人の気持ちを全て表していた。同時に漏れ出たため息が、廊下に染み渡った。



 すぐ近くで感じた待ちわびた気に、アースは勢いよく立ち上がった。訝しげにネオンとカイキが見上げてくるが、言わなくても気がついたのだろう。さっと表情を変える。
「あーやっぱりちょっと濡れたかなあ」
 そうつぶやきながら洞窟へと入ってきたのはレーナだった。だがいつもと格好が違う。すぐそこに見える青い海を思わせる上下繋がった服に、華奢な靴を履いていた。髪はいつもと同じで、くの字をかたどった髪飾りも普段通りだった。それでも服が違えば印象がまるで別人となる。アースは言葉を失ったまま立ちつくした。本当は聞きたいことなど山程あるのに喉から出てこない。
「ん? どうかしたのか?」
 するとそんな彼を訝しげに思ったのか、小首を傾げて彼女は尋ねてきた。それはいつも通りの仕草だった。言うこともやることも自信たっぷり余裕綽々なのに、仕草だけはやたらと可愛らしい。
「……無世界にに行っていたのか?」
 止まりかけた思考を叱咤激励して、かろうじてそれだけをアースは尋ねた。今まで気を全く感じられなかったこと、またこちらは雨など降っていないことを考えると結論はそこへと行き着く。
「ああ、そうだよ」
 彼女はためらうことなくそう答えて右手を軽く掲げた。そして、風、とだけ囁く。同時にそれまで存在していなかった空気の流れが彼女を中心に生み出され、その華奢な体を取り巻いた。熱をともなった風だ。見る見る間に濡れていた青い服が乾いていく。
 風系と炎系の技の応用だが見た目よりも難しいものだった。威力を調節するのが大変なのだ。だからアースはもちろんネオンもカイキも、ましてやイレイもやったことがない。
「いつもの格好じゃないね」
 そこでもそもそと起きあがってイレイが口を挟んだ。お腹を空かせすぎた彼は今まで寝ていた。服に付いた小石を払いながら、彼はぼんやりとレーナを見上げている。
「まあな。上着はオリジナルに貸してしまったし」
 彼女はイレイへと視線を移して何のことはないと告げるようにそう答えた。だが同時にアースの片眉はぴくりと跳ね上がった。オリジナルということは梅花で、それはつまり神技隊のところで。どこまで心配かければ気がすむのだと段々腹が立ってくる。
「お前、神技隊の所に行ってたのか?」
 怒気こそ含めないものの、やや尖った声で彼はそう問いかけた。再び彼を見上げた彼女は困ったように眉根を寄せる。
 まただ。
 彼は内心でため息をついた。そんな顔で見つめられれば彼は何も言えなくなるというのに、彼女は戸惑いがちに瞳を揺らすのだ。怒らないでくれと訴えるように。
「駄目だったか?」
「……いや、お前が無事なら別にいい」
 だから彼にはそう答えるしかなかった。そう答えれば必ず彼女は嬉しそうに微笑むだの。初秋に咲く花のように、柔らかい光を浴びて咲き誇る花のように、つられて微笑みたくなるような笑顔を見せる。
「ねえねえレーナ、その手に持ってるのって何?」
 そこで言葉に詰まったアースに代わり、目敏く何かを発見したイレイが声を上げた。彼女はイレイの方を振り返る。細い手に握られていたのは紙袋だった。薄茶色の簡素な包みからはほんの少しだけ、意識しなければわからない程度にいい匂いが漂っている。
「これか? これはちょっとしたお土産だ」
「お土産!? も、も、もしかして食べ物っ!?」
 イレイの瞳は輝いた。今までの疲れはどこへやら、飛び出さんばかりに立ち上がって駆け寄る姿をアースはうろんげな目で見つめる。
 無意識なのか意識的なのか。
 ともかくも彼女に振り回されていることだけを、彼は自覚した。



 銭湯から戻ってきた梅花はいつも以上に無口だった。雨のため今日の仕事はもう無理だ。だから特別何かやる必要もなく車の中で待機している。すると手持ちぶさたなためか、いつもより余計に彼女のことが目に入ってきて仕方なかった。何か考え事をしているらしく、時折桜色の唇が動いてはため息がもれている。
 何かあったんだ。
 それは青葉も確信していた。母親と会えただけではなく何かあったのだ。けれども彼女は何も話してくれない。いつも通り一人で悩んで嘆息している。
 少しは話してくれてもいいのに。
 青葉は内心の苛立ちを押し殺して首の後ろをかいた。教えてくれれば少しは助けになるかもしれないのに。ほんの少しでも気を楽にすることができるかもしれないのに。
 それが楽観的な考えであるとはわかっていても、恨めしく思わずにはいられなかった。
「何?」
 すると視線に気づかれたのか、梅花が怪訝そうに問いかけてきた。どう答えるべきか迷いながら、結局彼は適当にはぐらかすことにする。
「いや、寒そうだから大丈夫かなあとか思って」
「そう? 別に大丈夫だから気にしないで」
 しかし予想通り、彼女に一蹴されて彼はほんのちょっぴり落ち込んだ。つれない。もう少し何か言葉を選んでくれてもいいはずだ。もう一年以上仲間をやっているのだし、二人はいとこ同士なのだから。
 オレも彼女を救えたらいいのに。
 彼は胸中でつぶやきながら窓から外を眺めた。心配することしかできない自分が悔しい。彼女はたった一瞬で自分を救ってくれたというのに。
『そんなの当たり前じゃない。理解してもらおうと努力もしてないのに、理解されるわけないでしょう? 悩むのなら努力してから悩まないと』
 父親の非情な態度と弟の理想とにもまれて苦悩していた彼を、彼女はたった一言で解決してくれた。それは冷たい言葉のようだったけれど、確かに内に何か温かいものを隠し持っていた。
 答えは単純で、けれども誰も口にはしなかった言葉。わかっているのに誰もがはっきりとは言わない。滝もシンも答えてはくれなかったこと。
 努力してもわかり合えなかった時の、その衝撃が大きいからだ。それを恐れるあまり人は時折努力その物を放棄する。そして指摘して指摘され返されるのが怖いから、誰も口にはしない。
 彼女は努力する以前に相手から拒絶されてきた。化け物だと人外だと、別の世界の生き物のように扱われてきた。無論努力しても叶わなかった。だから言えたのだ、拒絶されてないのに何故努力しないのかと、嘆くのはそれからでも遅くないと。
 そうだ、オレは彼女を理解したい。救いたい。
 彼女は拒絶されることに慣れすぎて理解を求めることをもう諦めてしまった。ある意味では彼と同じで、でもどこか根本的に違う。
 だからこそ少しでも力になりたかった。
 俯く彼女の横顔を、彼はただじっと見守った。

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