white minds

第五章 心-11

 シンは頭を抱えたい気分だった。いや、実際抱え込みそうになったが、すんでのところでそれを止めた。座卓に向かって横向きになった彼は、狭い部屋の中で盛大にため息をつくだけにする。
「なんで、こんなことになるんだ」
 ため息ついでに愚痴までもれた。ついでにどこかへ意識を飛ばしてしまいたい気もするが、起きた時どうなってるのか考えるのが怖いのでそれも止めておく。すると隣にいるリンも深々と嘆息した。やはり気持ちは同じらしい。それでも座卓にしっかり向かっているのが彼女らしいと言うべきか。現実と向かい合う気はあるようだ。
「本当。まさか、ここにも来るとは思わなかったわ」
 頬杖をついた彼女はそう言って、座卓の反対側にいる一人の少女をじっと見据えた。
 そう、部屋にはいるはずのない少女が居座っていた。一見しただけなら少し変わった格好の美少女。だがその放つ空気が、気が、ただ者ではないと如実に告げている。
「そうですねえ、驚きました。でも来てくださってわたくしは嬉しいですよ、レーナさん。美しい」
 しかし困惑する二人をよそに、台所の方から現れたローラインは朗らかにそう言ってのけた。シンはちらりと彼を一瞥し、どう答えたらいいものか迷いながら結局微苦笑だけを浮かべることにする。
 レーナが彼らスピリットのもとへとやってきたのは、つい先ほどのことだった。定例会議の後シンたちがアパートへ戻り、ちょうど一時間程したところだ。たまたま昼休みだったローラインが出くわしたのは、幸と言うべきか不幸と言うべきか。ともかく今彼らの間にあるのは敵意ではなく困惑した空気だった。会議での報告通り戦うつもりはないらしく、レーナは笑顔を浮かべながら座卓に向かっている。
「そんなに喜ばれるとは光栄だな。われも嬉しいよ」
 ローラインの言葉に彼女はそう返した。素直に喜ぶ様を横目にして、シンは脱力しそうになる。
 何を考えているかわからない。戦闘する気がないのは幸いだが、しかしそれなら何故こんな所へ来たのかわからない。まさかフライングのところのようにトランプをするわけでもなかろう。かといって仕事の邪魔というわけでもなさそうだった。
「それで、あなたは何しに来たの?」
 そこで考えるのにも飽きたのか、単刀直入にリンがそう尋ねた。するとお盆を手にしたローラインが、三人の前に一つずつ湯飲みを置いていく。どうやらお茶を入れに行っていたらしい。完全にもてなすつもりのようだ。
「ありがとう」
 レーナはその湯飲みを笑顔で手にした。こちらも完全にもてなされるつもりのようだ。だがリンの苛立った視線に気がついたのか、言葉を選ぶように小首を傾げる。それは外見に相応しい仕草だった。けれどもその実力を知っているシンにしてみれば、何となくわざとらしさを感じたりもする。いや、わざとらしく振る舞っているような印象もあるのだが。
「何しにって、そうだなあ。様子を見に、かな。情報収集とも言う」
 レーナは湯飲みに口を付けると、何でもないことのようにそう告げた。情報収集、とシンは口の中で繰り返す。そう言うわりに彼女が何かする様子はなく、それが妙に違和感をかもし出していた。
「これはどんなときにも誰にでも言えることだ。情報は大事だ。敵となる者のはもちろん、味方のもな。情報とはあらゆることを言う。例えば人間関係とか」
 そう告げると彼女はくすりと笑った。言い聞かせているようでつぶやいているようにも聞こえる言葉。シンはその意味を考える。ならば彼女はこちらの人間関係でも調べに来たのだろうか? だがそのわりには滞在期間が短い気もする。フライングの所にもシークレットの所にもピークスの所にも、長くて十五分くらいしかいなかったらしい。
「それで、あなたはお茶なんて飲みながら情報収集ってわけ?」
「ああ、まあそんなところだな。気が、表情が、動作や仕草が情報源となる」
「もっと効率的な方法があるように思うんだけど」
「そうかもな。だがわれはそれを選ばない、ただそれだけのことだ」
 リンとレーナの言い合いはしばらく続いた。レーナは涼しい顔で湯飲みを手にし、リンは不満そうに軽く頬杖をついている。
 すましたレーナもそうだが、動じる気配もないリンもまたすごいとシンは感嘆した。この目の前にいるとんでもない人物を相手に、ずばずばと質問を投げかけるのだ。
 しかしその後はしばらく沈黙だけが続いた。お茶をすする音とお代わりはいらないかというローラインの問いかけのみが、時折聞こえてくるのみだ。
 リンが何もしないのは、おそらくその情報とやらを出さないためだろうとシンは推測する。が、ひょっとしたらそういった態度でさえレーナにとっては情報なのかもしれない。そう考えると気が重くなった。少なくとも彼女がいる限りは心の平穏は訪れないのだ。
「おっと、いつの間にかこんな時間だな。そろそろ次の目的地に行かねば」
 だがそうやって気をもむ時間も、長くは続かなかった。来てからせいぜい十五分程だろう。時計を見上げたレーナは、そうつぶやくと湯飲みを座卓へと置く。そして穏やかに微笑んでシンたちの顔を順繰り見回した。
「すまないな、ごちそうになって。それではわれはこの辺で」
 彼女はそう言い残すと音もなく立ち上がった……と思った瞬間には消えていた。
「え?」
 リンが気の抜けた声をもらす。シンも同じような心境だった。それまでレーナのいた空間は、まるで何も存在していなかったかのように空虚だ。来る時も唐突だったが去る時もまた唐突だった。そんな芸当をこなす者を彼は見たことがない。いや、一度は似たようなこともあった気がしたが思い出せなかった。
「……本当わけわからない子よね」
 リンが脱力しながら座卓に突っ伏す。その横をローラインが擦り抜け湯飲みを片づけ始めた。シンはその様を見つめながら肩をすくめる。どっと張りつめていた何かが切れたような気がした。
「だよな。本当わけがわからない」
「ですが美しいです」
「は、はあ?」
 しかし彼の同意の言葉はローラインの意味不明の発言によって打ち消された。シンとリン二人の視線が、部屋の中立ち上がったローラインへと向けられる。
「美しい、って」
「ええ、美しいです。あれだけキラリと輝くもの、なかなか見られませんよ」
「は、はあ」
 聞き返してみたが、予想通り意味の飲み込めない言葉が返ってきた。だがよく考えてみれば『美しい』というのはローラインの口癖だった。何が彼にとって美しいのかはわからないが、聞かない方がいいというのがシンたち四人の見解だ。それ以上尋ねるのを諦めたシンは、突っ伏したままのリンと軽く視線を合わせる。
「それではわたくしはこれを下げたらまた仕事に戻りますね」
 そう宣言する楽しげな声が、部屋の中に響いた。何も答えられない二人は、ただ口元に苦笑を浮かべることしかできなかった。



 シークレットの五人はいつも通り大きな公園の隅で店の準備を始めていた。午前は定例会議があったため、早めの昼食を取ってからの仕事となったのだ。
「あーあ、いい天気だ」
 空を見つめながらサイゾウがつぶやく。青葉はその様を横目にしながらテーブルを拭き、そしてちらりと梅花の様子を盗み見た。ある程度両親との一件が一段落したためだろうか。彼女の周りに暗い影はなく、無表情には変わりないが機敏な動きが戻ってきたように思えた。動きを止めて思案することが少ないからだろうか。
 よかった。
 青葉は胸中でつぶやいた。しかし完全に気持ちが晴れたわけではなかった。彼女の悩みが一つでも減ったのならそれはいいことのはずなのに、それなのに妙な不安が、不満が奥底で渦巻いている。
「梅花! それ取ってくださぁーい!」
 そんな彼の前でいつも通り、独特の口調でアサキが準備を進めていた。アサキの横にはようがいて、いつも通り嬉しそうな顔で梅花に指示をもらっている。
 いつも通り?
 だが青葉は首を捻った。いつも通りのはずなのに何かが違った。その何かというのがぼんやりとしていて、喉元でひっかかっている。
「はい、アサキ」
「ありがとうでぇーす」
「ねえねえ梅花、これはこれは?」
「えーと、それはね」
 けれどもしばらく考えたところで、彼はその違和感の原因を見つけだした。見つけだしてある意味喜び、ある意味愕然とし、ある意味自己嫌悪に襲われる。
 梅花がいつもより優しい。
 テーブルを拭く手を止めて、彼は細く息を吐き出した。
 彼女は前から気は利いていたが、それは影でのこと。表だってそのような素振りを見せたことはほとんどなかった。けれども今ように向ける視線もアサキへと布巾を手渡す仕草も、素っ気なくはないのだ。表情は相変わらずなのに仕草が違う。そこにはそれまで内に隠されていた優しさがにじみ出していた。
 その変化は些細なことだが喜ぶべきことでもある。しかし青葉は素直に喜べないでいた。彼女の優しさが仲間たちへと向けられることに、何となく不満を覚えるのだ。
 つまり、嫉妬しているわけだ。その優しさを自分にだけ向けて欲しいわけだ。
「馬鹿だろ、オレ」
 彼は小声でつぶやく。自分自身に対する失望で頭がぐらぐらしそうだった。まさかこんなことで一喜一憂するとは思わなかった。あまりにも格好悪くて情けなくなってくる。
「ずいぶんと悩んでるな、青葉」
 しかし彼が再び手を動かそうとした時、痛い一言が背後から突き刺さった。ぎくりとするが同時に声に聞き覚えがあり、また違和感を感じる。
「あれ?」
 青葉は慌てて振り返った。今のは確かに梅花の声のはずだが、彼女は背後にはいない。となるとそこにいるのは――
「レーナ!?」
 そう、レーナだ。彼は一歩後退しながらその名を叫んだ。彼の声に驚いたのかそれともレーナの気に気づいたのか、準備にいそしんでいた四人が振り返る気配がする。
 いつの間にかそこに存在していた小柄な少女を、青葉は見据えた。こうやって近くで見れば本当梅花とよく似ている。格好と髪型さえ変えたら見間違うのではないかと思う程だ。いや、実際は表情が違うからすぐわかるのだが。
「お仕事大変そうだなあ。考え事なんてしてていいのか?」
 楽しそうに彼女は笑うと、並べてある椅子の一つに腰掛けた。立ちつくしたままの彼は、それを制止することさえできない。ただじっと威嚇するように見据えるしかなかった。飛び跳ねた鼓動が少しずつ落ち着いていき、気を張りつめようと彼は努力する。
「レーナ」
 すると背後から落ち着いた声が聞こえ、彼の横に梅花が並んだ。彼女の視線は真っ直ぐレーナを見据えている。レーナは彼女を見上げると、ひらりと手を振った。
「そうそう、この前の上着まだ返してもらってなかったな」
 レーナはそれだけを口にした。そして他の用はないとでも告げるように、黙って軽く小首を傾げる。梅花は相槌を打つと踵を返し大きな車の方へと向かっていった。上着を取りに行くのだろう。青葉はその様子を一瞥してからもう一度レーナを見る。
 彼女は微笑んでいた。梅花の背中を見送る視線は優しげで、まるで全ての事情を見透かしているかのようだった。いや、本当に見透かしているのかもしれない。そうでなければあのタイミングで梅花に上着を貸すなど無理な話だろう。つくづく謎が多くわかりにくい奴だと青葉は思った。そんなことをする意味もよく理解できない。こうやって意味深な態度を取る理由も、無論わからない。
「はい」
 そんなことを考えているうちに、梅花はすぐに戻ってきた。手にした上着を差し出せば、立ち上がったレーナはゆっくりそれを受け取る。風に揺れてその長い髪が舞った。
「うん、確かに返してもらった。それに元気そうで何よりだな、オリジナル。われも安心したよ」
 レーナは上着を抱きしめるようにすると花が咲くように微笑んだ。何度も見た微笑だが、今回のはどこか嘘っぽくない。強気でもなく不敵でもなく本当に嬉しそうだった。青葉は何だか直視しがたくて視線を逸らす。
「あっ」
 すると同時にレーナの気がかき消えた。慌てて目線を戻せども、そこにレーナの姿はなかった。隣には瞳を瞬かせる梅花がいるだけで、まるで彼女の存在などなかったかのように綺麗に消え去っている。普通の技ではできないようなことだ。困ったように嘆息して、梅花がちらりと彼を見上げてくる。
「行っちゃったわね」
「……そうだな」
 つぶやきは、すぐさま澄んだ空気へと溶け込んでいった。青葉は空を見上げて、盛大なため息をついた。

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