white minds

第五章 心-12

 無世界から帰ってきたレーナは嬉しそうだった。少なくとも今まで以上に嬉しそうだと、アースには思えた。薄暗い洞窟の中小さな岩の上に腰掛けた彼女は、自らの髪をもてあそんでいる。長い髪を指で巻けば、その陰が岩壁に揺れながら映った。
「人間とは楽しいな」
 彼女はつぶやいた。いや、話しかけたのかもしれない。だがつぶやくような言いように、アースは何と返答したらいいのかわからなかった。だから座り込んだまま仕方なく眉根を寄せる。するとその変化に気づいたわけではないだろうが、飴玉を食べ終えたイレイが彼女の傍へと寄っていった。
「そう言えばさー、レーナは今まで何してたの?」
 飴に満足したためだろう、煌めくような笑顔を浮かべたイレイはそう問いかけて首を傾げた。彼の前では暖を取るための火がぱちぱちと音を鳴らしている。指先から髪を解放したレーナは、ゆっくり彼へと視線を移した。
「ん? そうだなあ、今日はスピリットとオリジナルのところに行ってきた。上着も返してもらったし」 彼女は当然のごとくそう告げると、自分の上着を指さしてみせた。無世界で言う和風に近い、つまり神魔世界では珍しい服だ。確かにそれをオリジナル――つまり梅花に貸していたと、彼女はこの間言っていた。イレイは納得したのかふーんと声をもらしながら相槌を打つ。
 だが納得しきらなかったアースはさらに顔をしかめた。何故上着を貸したのか、そもそも何故無世界へ行くのかわからない。また神技隊と会って何をするのかもわららなかった。すると同じことを感じていたのだろう、眉をひそめたカイキが彼女の方へと身を乗り出す。
「お前さ、神技隊のとこに行って、何してるんだ? 戦ってるわけじゃないだろ?」
 彼は訝しげに言った。彼女が出かけているのは無世界のため、何をしているのか気で判断することは不可能だ。確かに彼女の気は特殊で強いから『いる』ということはわかる。だが戦闘しているのかまでは判断できなかった。もっともむやみに戦闘するとは思えないのだが。
「もちろん戦闘はしない。われが行っているのは情報収集だ」
 彼女はそう答えると悪戯っぽい笑顔を浮かべた。次に聞かれることがわかっているような、不敵な笑み。
「だが情報収集と言っても人間関係とか、そっちの方だがな」
 そしてそう付け加えてぐるりと洞窟内を見回した。まるではぐらかしているようだなとアースは思う。しかし後にさらに説明が付け加わるだろうことも予感していた。しばらく一緒にいるおかげでようやく掴めてきた、彼女の話すパターンだ。
「そんなもの役に立つのか?」
「役に立つ、技使い相手ならな。確かに訓練されたただの兵士相手になら意味はない。だが技使いは別だ。彼らは主に精神を使う。そしてその精神を大きく左右するのが心だ。よって技使いを相手にするときはその心理状況が大事なのだ。その心理状況の基盤にあるのが人間関係。だからわれが欲してるのはその情報」
 問いかけるネオンに彼女はそう説明した。なるほどなと思うと同時に、そこまで重要なのかと疑問が生じてくる。そこまで心理状況が技の発現に影響するとは思えなかった。過去を振り返ってみても、例えば気持ちが沈んでいるからといって弱くなったような覚えはない。
「ねえねえ、それって機嫌が悪かったりすると弱くなるってこと?」
 そんな彼の疑念をいとも簡単にイレイは口にした。こんな時はひっそりと感謝したくなり、アースはほんの少し口角を上げる。
「まあ、そうだな。普通の技使いくらいなら大した差はないが、もっと強い奴となるとそれなりに違ってくる。特に減った精神の回復時間にはかなり影響するな」
 彼女は人差し指を立てると得意そうにそれを振った。イレイはまたふーんとうなずき、満足したのか岩壁にもたれかかる。
 何故こうも彼女は色々と知っているのだろう?
 アースは小さく息を吐き出し眉根を寄せた。疑問は次から次へとわいてくるのに、彼女はそれにいとも簡単に答えてしまうのだ。
 自分は何も知らないのに。自分のことさえ知らないのに。
 そう思うと気が重たくなった。だが結局彼はそのことを口にしないのだ。聞いてはいけないような気がして、聞けば何かが壊れるような気がして、彼女には問いただせないでいる。
「われは臆病なんだな」
 自嘲気味にもれたつぶやきは、揺らめくたき火の音に飲み込まれていった。



 それは久しぶりの呼び出しだった。いつものように会議室へと辿り着いた梅花は、リューの到着を待っていた。宮殿という閉鎖的な場所を体現したような殺風景な部屋では、たった数分が無限に続くように感じられる。
「そんなわけないんだけどね」
 彼女は口の端を上げた。ここへ来るとどうしても思考が悪い方へと向かっていくのだ。そんな自分に気がついてはいるのだが、染みついてしまっているためどうしようもない。
「あ、来る」
 だがすぐに彼女の耳はリューの足音を捉えた。扉越しにもかすかにだが、規則正しい乾いた音が聞こえてくる。
「待たせたわね。今日は重大な話があるの」
 扉を開けると、リューは息をつく暇もなく深刻そうにそう告げた。いつも通りきっちりまとめた髪に全身を覆うような衣服。けれども彼女から放たれる気が、いつもとは違う戸惑いを訴えかけてきていた。
 重大な話。梅花は胸中で繰り返す。リューがそんな言葉を使うのは珍しいことだった。たとえどんなに重要な問題でも、彼女はさらりと口にするのだ。
「重大な話、って何ですか?」
 梅花は単刀直入に尋ねた。扉を閉めゆっくりと近づいてきたリューは、梅花から数歩離れたところで立ち止まる。
「情報提供者のことよ」
 生真面目な顔を崩さないまま、リューは答えた。こうして真正面から見れば目元に疲れが滲み出ているのがわかる。彼女も色々と大変なのだろうと思うと梅花は申し訳ない気分になった。自分たちに関わっているばかりに、苦労が絶えないのだ。
「無世界に現れたって言ったわね? その情報提供者が誰だかわかったの。それはね――――」
 だがそこまで言ったところでリューは一旦言葉を切った。まるでためらうような、憐れむような瞳に梅花はひやりとしたものを覚える。予感が背筋を通り抜けた。
「あなたたちがよくご存知の、あのレーナよ」
 それでもリューははっきりと言いきった。梅花は小さく息を呑み、それから微苦笑を浮かべる。
 何となく予想はしていた。情報提供者が無世界で発見されたのと、レーナたちが神技隊のもとへやってきたのはほぼ同じ頃だ。意味深なレーナの行動といい、これを何も関係ないと断定する方が難しい。聞かされて今さら衝撃を受けることではないのだ。ただそれでも、レーナがと思うと複雑な気分にはなるのだが。
「この事実が私たちに知らされたのが、昨日。どうやらね、彼女はまた新たな情報を提供してくれたみたいなの」
「新たな情報?」
 けれども続くリューの言葉は想定範囲外だった。梅花は首を傾げ、自分より上にあるリューの瞳を見つめ返す。リューは神妙にうなずき、ずり落ちそうになった眼鏡の位置を正した。
「ええ、そうよ。ただね、これがあんまりよくないことなの」
 そう告げてリューは心底不愉快そうにため息をついた。これ以上の問題はごめんだとその表情は語っている。梅花も同じような気持ちだった。もっともそれが避けられないことだとも感じてはいたが。
「彼女は『上』に忠告したらしいのよ。魔光弾まこうだんがもうすぐ復活する、って」
 マコウダン。
 聞き慣れない言葉に梅花はさらに眉根を寄せた。だが復活などという単語が出てくるところからして、普通の生き物ではないのだろう。嫌な予感がひしひしとわいてくる。それでもその不安を押し殺して、梅花はきつく唇を結んだ。
「この魔光弾ってのは私もよくわからないの。ただ上の話だと『奴ら』が生み出した者の一人らしいんだけど」
 リューはそう説明を続けた。奴ら。それは最近こそ耳にしていないが、ここしばらく続いている異変の発端となった謎の存在だ。レーナたちの登場により影が薄くなっていたが、『奴ら』の情報を持ってきたのがレーナだとなると事はますます深刻となる。そこへ『魔光弾』という新たな存在が加わると――――
「それはまた、難題ですね」
 謎の解決はさらに遠ざかるだろう。いや、むしろますます事態は混沌としてくるかもしれない。梅花は大きく嘆息した。
「で、リューさん。その魔光弾のことですけど、どうするんですか?」
 しかし沈んでばかりもいられない。復活するというのをどうするのかなど皆目検討もつかないが、話が来るということは彼女たちも動かなければならないのだろう。尋ねればリューは肩をすくめて、ゆっくりと首を横に振る。
「今は調査中よ、何もわからないわ。けれどもそのうちあなたたちにも力を貸してもらうことになるはずよ。一応他のみんなにも言って、その心づもりをしてもらって」
 答えるリューに梅花は相槌を打った。心づもりの指し示すやっかいな事実が頭をよぎり、心底ため息をつきたくなる。
 何かが解決したらまた新たな問題が生じるのだ。
 そんなことを思いながら、彼女はほんの少し口の端を上げた。



 彼はその時を待っていた。
 暗い暗い闇、あらゆるものを内包する闇、黒々とした空虚な空間の中に彼は浮かんでいた。
 だが一人ではない。周りには同じ様な境遇の下級魔族が、そして彼のような半端な存在――半魔族が閉じこめられている。
 それでも彼は孤独だった。皆孤独だった。確かに一人ではない。しかしだからといって他の者と言葉を交わせるわけでも、その姿を捉えられるわけでもなかった。感じられるのは気、のみ。それは孤独であるのと同じだった。
 彼は待っていた。
 体を取り巻く結界が少しずつ弱まっていく。それにあわせてその気が徐々に弱まり、動きを封じる無数の見えない糸が一つ一つと減っていった。始めは指先が、次には手首がかすかに動くようになってきている。
 そう、もう少しなのだ。
 だから彼はひっそりと待ち続けていた。この結界が壊れ外の世界を目にする日が訪れるのを、固く固く信じていた。
「もう少し、なのだ」
 声も徐々にだが喉からもれるようになっている。瞳はまだ明るい世界を映し出さないが、しかし外の気でさえも今はほんの少し感じることができた。
「もう少し」
 だから彼はただ待っていた。
 その体を外界から隔離し、闇の中に閉じこめている結界。その結界がいつの日か破られるその時を。
 外へ出られるその時を。

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