white minds

第六章 魔族-1

「マコウダン?」
 問いかける滝に、梅花はうなずくことで肯定を示した。それからリューの言葉を脳裏に描き出し、口を開く。
「はい、魔光弾です。『奴ら』が生み出した者の一人らしい、とのことです。ですが残念ながらそれ以上の情報は」
 そして彼女は首を横に振った。
 神技隊は皆、シークレットのいる公園へと集まっていた。梅花が招集したためだ。人通りの少ない場所を選び、特別車の陰に隠れるように密集している。幸いにも日曜の朝のためか通りかかる人はまばらだった。妙だと思われる危険性は少ないだろう。
 急な集合をかけたのは全てリューから突然聞かされた魔光弾の話をするためだ。ある心づもりをしてもらうため。
「レーナたちだけでなく、今度はそんなわけのわからない奴が出てくるのか」
 皆の気持ちを代弁するように、シークレットの特別車に寄りかかった滝は額に手を当てた。
 レーナが情報提供者だったとう事実は、重要ではあるが衝撃は少なかった。今まであった疑問が一つに統一されただけだ。しかし魔光弾の話はそれとは全く別の問題を抱えていた。『奴ら』が生み出した者の一人が蘇る、それはそれまで予想だにしなかった未来を示唆している。
「こんなことを聞くのは何だが、そのマコウダンっていうのがいるのは、神魔世界だよな?」
「はい、おそらく。少なくとも無世界で妙な気が感じられることもありませんし」
「ってことは魔光弾のことで力を貸す、っていうのは神魔世界での話だよな?」
「そうですね。おそらく一度神魔世界に呼び戻されることになるでしょう」
 滝が確かめるように問いかけていくと、梅花は静かだがよどみない口調で答えていった。集まっていた神技隊にざわめきが広まっていく。
 そう、それが意味するのはすなわち神魔世界への帰還だ。
 もう二度と戻れないと多くの者が信じていた場所へ、一時とはいえ帰れるかもしれないという事実。
「そうか、そうだよな……」
 傍に立つ滝は車に背をあずけたままあごに手を当てた。彼にも思うところがあるのだろう。梅花はその横顔を見ながら今後の対応を考えた。
 リューから詳しい話が下りてくるのも時間の問題だ。神魔世界へのゲートを開くのはきっと梅花の仕事となるだろう。だがその前に彼らは気持ちを整理することができるだろうか? 故郷への複雑な思いが足を引っ張らないだろうか?
 彼女自身は何度も宮殿を訪れているし、またその場所への思い入れというのも特になかった。嫌な思い出しかないからだ。しかし普通は愛着を持っているだろう。親や兄弟、その他大勢の親しい者たちを残してきているはずなのだ。
 少しでも自由な時間が取れるだろうか? 気持ちの整理ができる時間が取れるだろうか?
 彼女はそれが心配だった。リューは心づもりと簡単に言ってくれたが、神技隊の持つ複雑な心境まで見抜いていたかどうかは怪しい。
「そんなわけですので、連絡が入り次第すぐに動けるよう準備しておいてください」
 けれどもそんな悩みは胸の奥へと押し込めて、淡々と彼女はそう告げた。きっとこの言葉も皆の心には冷たく響いていることだろう。しかしそんなことは関係ない。『その時』が来るまで自分で心の整理ができればそれが一番なのだ。万が一のために、彼女が裏で動いたとしてもそれは知らなくてもいいこと。
「わかった」
 答える滝の声音は硬かった。それでも彼女はいつも通り無表情のまま、吐息だけをこぼした。



 ただただ白い壁や床が続く中、小さなモニターが幾つも並んでいた。真珠を思わせる光沢の中に埋もれたそのモニターは、青々とした空を、豊かな緑を一面に映し出している。
 しかしその一つに目をやった青年は小さく息を呑んだ。目を瞬かせてもう一度確認し、それでも画面上の赤い点滅が消えていないことを目にして彼は声を上げる。
「結界が弱まっています!」
 その声はその場にいた者たちを一瞬で凍りつかせた。何の結界なのか、説明する必要さえなく皆が瞬時に状況を理解する。
「そんなっ」
「まさかこうなに早く!?」
「そうだ、こんなに早く弱まるなんてそんなことあるはずがない」
 動揺の言葉が口々に放たれ、周囲を騒然とした空気が覆っていった。慌てて立ち上がる者さえいる。しかしその中を悠然と一人の男が掻き分けるよう進んでいった。銀の髪に瑠璃色の瞳を持つ、三十には満たない青年だ。長い前髪に隠れがちな瞳は、しかし冷静な輝きをもってモニターを見つめている。
「落ち着け」
 彼が口にした一言で、一瞬にして皆は静まりかえった。危険を知らせる赤い点滅はまだ消えていない。だがそれが手遅れではないと示していることを、彼は知っていた。
「アルティード様」
 誰かがその名をつぶやく。彼――アルティードは小さく頷くと、辺りへと視線を巡らせた。それにあわせて銀の髪が、ゆったりとした白い衣服が舞うように揺れる。
「落ち着くんだ。結界が弱まることは予想済みだ。そのための見張りだろう? 問題はこれからどう対処するかだ。結界が破られるまではまだ時間がある」
 彼はそう告げながら口元に笑みを浮かべた。皆を安堵させる優しい微笑は優雅だが、同時に見た目以上の落ち着きを感じさせる。張りつめていた空気がほんの少し緩んだ。
「アルティード様」
 誰かがまたその名を呼んだ。それは期待と尊敬を含んだ、祈るような声だった。アルティードはもう一度頷いてモニターを見上げる。
 深い森に浮かんだ赤い点は、異様な輝きを放ち続けていた。



「どうしてまたこんなにせっかちなのかしらねえ」
 魔光弾の話があったその翌日の朝、神技隊は再びシークレットの特別車のもとへと集まっていた。ただし前回とは違い、車は薄暗い裏路地に止めてある。まだ四時という時間のためか、空気は澄んでいてやや肌寒かった。
 集合がかかったのは昨晩遅くのことだ。梅花から明日神魔世界へ戻りますとの連絡に、誰もが驚きを隠しきれなかった。
「どうやら魔光弾の復活が早まってるようなんです」
 呼び出した当人である梅花はぼやくカエリへとそう説明する。梅花とて昨日の夕方突然呼び出されて神魔世界へと赴いたのだ。そしてそこで明日神技隊を神魔世界へ連れてきて欲しいと、突然言われたのである。あまりに性急で驚いたのは彼女も同じだが、今は既にいつもの無表情に戻っていた。
「本当迷惑な話」
 カエリのぼやきも、全て複雑な心境をごまかすためだろう。誰もがまだ心の準備を終えていなかった。普段はひょうひょうとしているフライングでさえ妙に深刻な顔をしている。他の神技隊は言わずもがなだ。
「では時間なのでそろそろ行きますね」
 そんな皆の様子を見回して淡々とした口調で梅花は言った。冷たささえ感じさせるその言葉は、迷う時間もためらう暇も与えない。
 梅花は真っ直ぐ前を見た。無世界と神魔世界を繋ぐゲートは幾つかあるが、その一つがちょうど今目の前にある。普段はあまり使われないゲートだった。小さすぎるためだ。そのため違法者が利用することも滅多になく、神技隊らも普段はあまり気にしていない。
 しかし大人数を通すならば、どのゲートだろうと無理矢理拡大するしかなかった。そしてそれは梅花に任された役割だった。リューはいつものごとくさらりとお願いしてきたが、面倒な仕事ではある。
 もちろん穴の大きなゲートの方が開きやすいに決まっている。しかしどうせ力を使うならば、後に差し障りの少ないゲートがいいだろうと判断し彼女はここを選んだ。ゲートが開きやすくなってしまえば、それは違法者の増加を引き起こしかねない。
「このゲートを開きます。フライング先輩から順に中に入ってください」
 梅花は一度振り返りそう告げた。フライングという名前に反応したラフトが、機械のように不自然な動きで首を縦に振る。
「わかった。じゃあ始めてくれ」
「では少し下がっていてくださいね」
 声にも緊張が滲み出していた。もう少し時間が欲しかったと胸中で嘆息しながら、梅花は前方へと視線を戻す。そして両手を胸の位置に構えて精神を集中させた。普段は目に見えない巨大な結界、そのほころびへと意識を伸ばす。
「こ、これが――」
 誰かのつぶやきが鼓膜を振るわせた。彼女は右手を前へと伸ばし、見えない割れ目に沿って撫でるよう指先を動かす。するとそこから白い光が溢れだし、同時に一気に黒い空間が顔を出した。
 いや、黒だと思ったのは一瞬のことだった。目を凝らせば薄ぼんやりとした闇の先に、どこまでも続くような草原の姿が見える。
「裂け目がもろくなると困るので、早めにお願いします」
 手を前に突きだしたまま、彼女は首だけで振り返った。ラフトはつばを飲み込んでから、裂け目へと一歩一歩近づいていく。乾いた足音が路地裏に響き渡った。
「じゃあな、先に行ってるぜ!」
 彼はそう言い残すと、一気に穴の中へと踏み込んだ。それまでの躊躇いようなど嘘のような、鮮やかな跳躍だった。その姿はあっと言う間に薄暗い空間へと溶け込んでいく。その気さえもすぐに感じられなくなった。その潔さに安堵しつつ、梅花はもう一度振り返る。
「次々とお願いします」
 答えの変わりに響いたのは、小気味よい足音だった。彼女は誰にも見えないように、ほんの少しだけ口角を上げた。

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