white minds

第六章 魔族-2

「お久しぶりね、と言っても人によってはずいぶん前のことだから忘れたかもしれないけれど」
 神魔世界へと辿り着いた神技隊らを待ち受けていたのは、ゲート傍に立つ一人の女性だった。明るい茶色の髪は頭の上でまとめられており、地に着かんばかりの衣服はすっぽり体を覆っている。その姿は広がる青々とした草原の中浮き立つかのようだった。全身が茜色なためかもしれないし、また別の理由かもしれない。
「私は他世界戦局専門長官のリューよ」
 彼女――リューはそう言ってほんの少し口の端を上げた。年の頃は三十程といったところか。役職は口にしたくない長さのものだが、端的に言えば神技隊の任命から派遣まで全てを任されている人のことだ。
 大変だろうな。
 そう滝は胸中で独りごちる。最近の異変だけを考えてみても苦労の絶えない仕事だということが容易に想像できた。彼女の目尻や気配からも疲れが感じ取れる。睡眠もあまり取れていないのかもしれない。
「ただ来てもらっておいて悪いんだけど、まだ詳しい命が上から下りてきていないの。魔光弾の復活を阻止するというのは確かなんだけど……具体的にはね」
 だがそう付け加えてリューはやや肩をすくめた。どうやら即集まれと言っているわりには上の方針も固まっていないようだ。念のためといったところか。
「もう少ししたら上から次の指示が来ると思うわ。それまでは休んでいて。ただし、緊急の時にはすぐに駆けつけてこられるように。もちろん、勝手に宮殿にも入らないように」
 リューはそう告げるとちらりと梅花の方を見た。そして近くでなければわからない程度の目配せをする。後は任せる、とでも言いたいのか。梅花がうなずくとリューはちょっと微笑んでから踵を返した。宮殿へ向かうのだろう。彼女の向かう先には神々しく周囲から浮き立つ建物があった。距離はあるがそのまま歩いて帰るつもりらしい。
「送らなくていいのか?」
 滝は梅花を一瞥してそう尋ねた。梅花は驚いたように顔を上げて、それからリューを横目にして苦笑する。
「それは必要ないです、そのうち迎えが来るでしょうから。たぶん宮殿へ直接戻るつもりじゃないと思います。誰もついてきてませんしね」
 梅花はゆるゆると首を横に振った。記憶によればリュー自身も技使いではあるが、それほど能力が強くはなかったはずだ。簡単な補助系くらいしか使えない。だから飛んで移動することも無理なのだ。
「そうなのか」
「ええ、きっと他にも面倒な仕事が残ってるんですよ」
 ならばただ神技隊に挨拶するためだけにここへ来たということか。つくづく面倒な役職だと思う。もっとも呼び出された彼らだってなかなか大変な立場ではあるが。
「なるほどな」
 答えながら滝は空を見上げた。どこまでも続くような澄んだ青空に、うっすらかかった雲がゆっくりと流れている。
 そして目の前に広がる草原。土の匂いが染み込んだ空気には、近代的な建物に囲まれた無世界では味わえなかった心地よさがあった。どれももう二度と目にすることはないと思っていた光景だ。彼方に見える煌びやかな宮殿も、空も大地も全てが懐かしい。
「では私は一度宮殿に戻りますね。直接状況を確かめてきます」
 そうやって滝が、皆が故郷の風景を味わう中、梅花の言葉が現状へと意識を引き戻した。そうだ、ただ目的もなく神魔世界へ戻ってきたわけでもない。彼らは魔光弾をどうにかしなければならないのだ。
「何かあれば私から皆へ連絡するんで、それまでは自由に行動しててください。宮殿に近寄らなければ文句は言われませんから」
 しかし続く彼女の言葉に滝は息を呑んだ。自由に動いてもいいとは予想外だった。技使いであれば移動するのも普通の人間より速いが、速いと言っても限界はある。
「自由にって、本当に大丈夫なのか?」
 彼は素直に問いかけた。そもそも神技隊に選ばれた者は、もうこの神魔世界から抹消されたような存在なのだ。何食わぬ顔でうろうろしてよいのかと疑問に思う。
「大丈夫です。相当早く招集されてしまったはずですし、まだ待機するための場所も用意されてはいないでしょうからね。連絡した時戻ってきてくれればそれで」
 梅花はそう説明するとほんの少しだけ微笑んだ。いつも無表情だからこそそんな微細な変化も目につく。気を遣っているのだろうか? 申し訳なく思いつつも、ありがたく感じた。やはり今故郷がどうなっているのか、誰だって気になるはずだ。
「たぶん夕方には何かわかると思います。それまでゆっくりしていてください」
 彼女は淡々とそう付け加えた。滝はうなずき、もう一度空を見上げた。



 山々に半分程囲まれたなだらかな土地が、『ヤマト』の町の特徴の一つだった。町の中央には古びた学校のような建物が凛として存在している。そしてその周囲には様々な店が密集して並んでいた。町並みは無世界で言う村に近いが、規模はかなりのものだ。店の並ぶ商店街の周りには人々の住む家が建ち並び、その周囲を小さな草原が囲んでいる。またその草原の周りにも家があり、店があり、複雑な構造を作り出していた。
「久しぶりだなあ」
 滝の後ろを歩く青葉がぽつりとつぶやいた。商店街の石畳の感触が懐かしい。このざわめきも空気も懐かしい。滝も相槌を打ちながら歩いた。やはり自分が生まれ育った町にいる方が、帰ってきたという実感がわいてくる。長年暮らしてきたのだから当たり前だ。
「戻ってきたんですね」
 シンも感慨深げに声をもらした。滝は再度うなずいた。
 今彼らが向かっているのはヤマトの長のいる建物だった。それは町の中心に建っており、その存在をこれでもかと言う程主張している。長年に渡り長と呼ばれる者が住み続けていたせいか、そこは古くさくも凛とした空気をかもし出していた。滝にとっては自分が住むかもしれなかった場所だ。少しだけだが妙な気分になる。
「着きましたね」
「ああ」
 大きな扉を目の前にして、滝は立ち止まった。昔なら何も気にせず開けた扉だが、今はその資格はない。彼は扉傍にある小さな窓を開けて、そこから中を覗き込むようにして声を張り上げた。
「長! 滝です!」
 声は窓口から小さな通路を通じて反響した。何と言うべきか判断がつかなくて間抜けな言葉にしかならなかったが、しかしすぐに通じたらしい。入れ、という囁きのような言葉が中から聞こえてきた。滝は上体を起こして後ろを振り向く。シン、青葉がうなずいた。
 滝は重々しい扉を開き、中へと足を踏み入れた。古びた本独特の匂いがこの建物には充満している。けれどもそれすらも懐かしかった。自然と口元がほころぶ。
「長」
 滝は入り口すぐ右の小さな部屋へと足を向けた。専用の部屋は本当はもっと奥にあるのだが、長はこの小さな部屋にいることが多かった。その方が出かけるのが億劫でないという理由らしいが、本当のところは偉ぶりたくないからだと誰もが言っている。
「久しぶりだな、滝。それにシン、青葉」
 声は記憶にあるよりしわがれていたが、まだまだ元気そうな様子だった。長は大きな椅子に腰掛けている。部屋の中は大量の本と書類に埋め尽くされていて、やや埃っぽかった。その大半が宮殿から送られて来るものだと滝は前に聞かされていた。
「突然なのに、あまり驚かれませんね」
「滝、私を誰だと思ってるんだ? ヤマトの長だぞ。そんなことぐらいは知っている」
 長はそう言って笑った。昔と変わらない優しそうな笑顔に、それまでやや緊張気味だったシンと青葉の気配も若干緩む。滝は軽く苦笑した。
 そうだ、長のみが宮殿に出入りし、上から直接指示をもらうことができるのだ。神技隊の状況も彼には筒抜けなのだろう。今何が起こっているかも、全てではないが知っているのかもしれない。
「それにしても大変なことになったな。しかし、それに当たったのがお前たちで本当によかったと思ってる。お前たちなら安心して任せられる」
 長はそう続けてさらに笑った。恐ろしい重圧をかけているというのに、その重みを実感していないような笑顔だ。もっともそれがわざとであることは滝は知っているが。
「それにしても、お前たちはいい仲間を持ったな。陸もそういう者に当たればいいのだが」
 だが突然長が口にした言葉に、滝は目を丸くした。後ろにいる青葉が息を呑み、シンの気配が揺れる。
 陸。その名前は滝もシンも、青葉は言うまでもなくよく慣れ親しんでいた。陸は青葉の弟だ。彼とは五つ離れた人懐っこい弟。
「お、長。陸に何かあったんですか?」
 動揺を声ににじませたまま、おそるおそる青葉が尋ねた。長はそんな青葉を驚いたように見つめ、それからシン、滝へと目を移して頭を傾ける。知らなかったのかと、その深い瞳は問いかけていた。滝は唇を強く噛み小さくうなずいた。他にも問題が生じていたのだ。魔光弾のことだけではなく、こんな身近なところにも。その事実が三人を打ちのめした。
「陸は二、三日前に宮殿に呼ばれて向かったぞ。神技隊として招集されて」



「ちょっと、それってどういうことー!?」
 家に着いて兄――リュンクから話を聞くなり、リンは声を張り上げた。
「サホもあけりもすずりもいないの!? 全員、だなんてそんなのないわよっ」
 彼女は頭を抱えながらその場に座りこんだ。久しぶりに会うかわいい後輩たちがどうしてるだろうかと、心配しながらも楽しみにしていたのだ。がっかりすると同時に、この異様な状況に嫌な予感がしてくる。どうやっても動揺は隠しきれなかった。おかしい、おかしすぎる。どう考えてもおかしい、と。
「ああ。だから、三人とも神技隊として宮殿に招集されたって」
 リュンクはもう何度目になるかわからない台詞を口にした。玄関口に座りこんだ妹を、呆れるというよりは心配そうに見下ろしている。リンは眉根を寄せて彼を見上げた。すると奥の方から母――ミャンランの小さな悲鳴と皿の割れる音が同時に聞こえてきた。聞き慣れた甲高い皿の断末魔だ。
「あーあ」
「やっちゃった」
 その時ばかりは動揺する事実も忘れて、リンは思わず苦笑した。リュンクと重なった言葉も昔の通り、呆れ混じりだ。きっと片づけようとして落としてしまったのだろう。そういったドジをミャンランはよくやっている。
「大丈夫ですか!? お義母かあさんっ」
 そこで続けて聞こえてきたのは少女の声だった。こちらは聞き慣れたものではないが、それも仕方あるまい。彼女――京華きょうかがこの家にやってきたのは、リンが神技隊に招集される直前のことだった。だから親しくならないうちにリンは無世界へと旅立ってしまったのだ。年も近いことだし本当はもっと仲良くなりたかったのだが。
「京華ちゃん、大丈夫ー?」
 リンはすぐに立ち上がり、台所の方へと小走りに駆けていった。そこでは予想通り、見事に木っ端微塵になった皿を前にしてミャンランが泣きそうな顔をしている。その隣では京華慌ててほうきを動かしていた。彼女はリンを見上げると苦笑しながらうなずく。どうやらミャンランのドジの後始末にも慣れたようだ。
 京華は無世界で言えばリュンクの嫁に当たる。もっとも神魔世界では結婚に該当する概念がなく、一緒に住むようになればパートナーとして認められる程度でしかない。それでも大体町の規則により色々な権利が認められ、それほど不自由はしなかった。
「おい、リン。ジュリちゃんが来たぞ」
 すると後ろからついてきたリュンクがリンの肩を軽くつついた。リンは振り返り、はっとしてまた玄関へと走り出す。ミャンランのドジのせいで最初の衝撃が薄れていた。おそらくジュリが駆けつけてきたのはサホたちのことについてだろう。
「リンさん!」
 慌てて扉を開けると目の前にはジュリがいた。同じウィン族出身で小さい頃からずっと傍にいて家も近かった。そのためよくこうしてジュリはよく駆け込んでくる。どうやらそれは大きくなってからも変わらないようだった。
「リンさん、聞きましたか!?」
「ええ、サホたちのことでしょう? さっき聞いて驚いてたところ、どうなってるのかしら?」
「私にもわかりません。メユリに聞いてもわからないそうで」
 ジュリは首を横に振った。メユリとはジュリの妹だ。まだ十歳くらいの少女だが、しっかり者で家事でも何でもこなせる。リンはジュリの肩を軽く叩いた。気持ちは同じだった。
 何が起きてるのかわからない。だが何かが起きている。それもよくないことが。
「梅花は何も言ってなかったわよね。でも一度合流した方がいいかしら。シンたちにも連絡して」
「そうですね。ひょっとしたら他の所でも同じことが起きてるかもしれません」
 リンとジュリはうなずき合った。また得体の知れない何かが動き出している。そう感じた時の嫌な気分には慣れてしまいそうだったが、しかし胸の奥底からわき出る不安は押し殺せそうになかった。リンは振り返り、台所から戻ってきたリュンクへと軽く手を振る。
「じゃあ私ヤマト寄ってから戻るから。お兄ちゃん、お母さんのことよろしくね」
「ヤマト?」
「シン……えっと仲間と合流するから。じゃあね!」
 彼女はそう言い残してすぐにジュリとともに走り出した。だからリュンクの発したつぶやきを聞き取ることはできなかった。
「あれ? シンって……確か京華の兄ちゃんもそんな名前だった気が」
 その事実を知るのは、まだ先のことだった。

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