white minds

第六章 魔族-5

 太陽が沈むと神魔世界は程良い闇に包まれる。宮殿が煌々とした明かりに包まれる他は、家々に灯された小さな光しか存在しない。さらに加えるとすれば星々と月の光くらいだろうか。そんなささやかな明かりの一つに、ビート軍団のいる洞窟の火はかろうじて混じっていた。
「明日の早朝かな」
 たき火のはぜる音が満たした洞窟内を、レーナの小さな声が震わせた。赤く照らされたその瞳をアースは訝しげに見つめる。
 彼女は時折突然言葉を発する。それが頭の中で繰り広げられていた討議への結論なのか否か、彼にはいつだってわからなかった。しかし大抵それは決定事項に等しく、また四人にとってはすぐ理解できるものではなかった。だからだろう、隣にいるイレイは不思議そうに瞳を瞬かせ、カイキは頭をかきながら嘆息している。ネオンはというといつものことだとでも言いたげに苦笑していた。だがここで誰かが口を挟まねば一向に謎は解けないのだ。アースは冷たい岩から背を離して口を開く。
「早朝に何があるんだ?」
 尋ねれば振り返り、彼女は頭を傾けて微笑した。無世界への出入りを止めてからは、彼女はしばらく黙り込んでいた。何か考えていたことは確かなのだ。無論それが何なのかはさっぱり予想できなかったのだが、今の発言からするに明日のことなのだろう。
「早朝……いや、もう少し早いかな? われは出かけるから」
 しかし返ってきた答えは断片過ぎて、事態を理解するには不十分だった。出かけることはわかったが何のためにかがわからない。焦らされているような気分になる。
「何しに行くんだ?」
 それでも辛抱強く彼は聞き返した。彼女がこんな態度を取る時は気が進まない時かはぐらかしたい時か、もしくは説明する言葉を選んでいる時だ。今がそのどれに当てはまるのか。彼は推し量ろうと伏せられた横顔を凝視した。赤々とした光が白い肌を照らし、さらに黒い影を冷たい石壁に縫い止めている。震える程度にしか動かない唇は何か迷っているかのようだった。
「魔族が、魔光弾の封印が解けるんだ。彼の意向を確かめなくてはいけない。敵と見なすか否か、確かめなければならない。これからどう動くか判断するために」
 彼女はそう口にして再び顔を上げた。彼を見つめるその瞳はどこか辛そうで、それでいて神秘的な色を纏っている。彼は目を細めた。
「マコウダン?」
「半魔族の一人だ。魔族はわれのことを敵視しているが……イーストの配下だった彼がわれという存在をどう捉えるかはわからない。だから確かめにいく」
 答える声ははっきりとしていた。だが内容はアースにはさっぱり理解できなかった。
 半魔族という言葉に聞き覚えはない。また彼女が魔族から敵視されているというのは初耳だった。イーストという名も耳にしたことがない。
 何かがわかると同時に、わからないことも増えていく。
 これではきりがないなと彼は苦笑を漏らしたくなった。ならば考えない方がいいのかもしれない。もっとも彼女が魔族にそう認識されているというのは聞き捨てならなかったが。
 魔族は宇宙にのみいるのではないのか? ただ人間を襲っているだけではなかったのか?
 彼は胸中で自問した。知識にある限りでは、魔族や魔物と呼ばれるものは宇宙の星々に現れるやっかいな災難だった。ただ破壊のみを目的としているかのような存在。彼らが何か意志を持って動いているというのは――人間を苦しめるという点以外は聞いたことがない。
「だがこれはわれの問題だ。だからわれ一人で行くよ」
 しかしそう告げられて、彼は憮然と眉間に皺を寄せた。彼女を一人で行かせるなど、そんなことさせられるわけがない。いつだって心配だというのに黙って待っていろとでも言う気なのだろうか? 怒りにも似た感情がわき起こってくる。
「馬鹿を言え、お前を一人で行かせるわけないだろう」
 だからすぐにそう答えていた。彼女は彼を見つめたまま首を傾げ、それから不自然な微笑を浮かべて指先を頬へと当てる。嬉しいのか困っているのか判断しかねる表情だった。するとイレイが膝を立て、笑顔で勢いよく手を挙げる。
「僕も僕もー! もちろん行くよー!」
 そう陽気にイレイが叫べば誰も何も言うことはできなかった。不思議な空気が洞窟を満たしていき、火のはぜる音が一段と大きく聞こえる。カイキが仕方ないなあとつぶやき、ネオンが苦笑混じりに相槌を打った。そんな中アースはじっと彼女を横目で見つめていた。だから彼女の唇が音をもらさず動くのを、逃さなかった。
 ありがとうと、かすかに動くのを。



 鼓膜を叩くようなけたたましい警報に、滝はベッドから飛び起きた。時刻はまだ午前三時。日は昇っておらず外はまだ濃い闇に覆われている。雲の隙間から顔を出した月の明かりだけが、窓からひっそりと差し込んでいた。
「これは、まさか警報か!?」
 普段着とそう変わらないのをいいことに、彼は部屋を飛び出して真っ直ぐモニタールームを目指した。何か異変を知らせているのだろうか? この建物にこんな珍しい機能がついているとは知らなかった。ラウジングが口にしたという『基地』という表現もあながち嘘ではないのか。彼は走りながらそんなことを考える。
「上からの通信です。モニタールームに集まってください」
 するとどこからか梅花の声が降り注いできた。基地内放送といったところか。おそらく彼女は既にモニタールームにいるのだろう。あの無機質なパネルを叩いているに違いない。彼女は一階の部屋が割り当たっていたはずだ。
「何かあったのか!?」
 階段を駆け下りて目的の部屋へ飛び込んだ時には、もうスピリットとシークレットが集まっていた。他にはよつきジュリ、コブシ、ホシワがいる。部屋に近い順だろう。さらに扉の外からも駆け寄ってくる足音が近づいてきていた。梅花は振り返って首を縦に振る。その瞳が彼の姿を捉えた。
「たった今、上から連絡がありました。ついに魔光弾が復活するらしいです」
 端的な答えに滝たちは絶句した。まさかこんなに早くその時がやってくるとは思ってもみなかった。まさか一日も経たずに復活するとは予想外だ。一日でも遅れていたらどうなったことかと、背中をひやりとしたものが駆け抜けていく。
「ですから至急、リシヤの森の南西の入り口に向かえとのことです」
 そう続けて梅花は扉を見た。同時に足音が大きくなりレンカとミツバが入ってくる。さらに続けて数秒後にたくとコスミ、ダン、フライングが駆け込んできた。これで全員だ。やはり一日目ということもあり皆何があってもいいような心づもりだったのだろうか。集合が早い。
「魔光弾復活を阻止するために、リシヤの森へ行きます」
 皆が揃ったことを確認して、梅花はもう一度繰り返した。滝も胸中で反芻する。リシヤの森。それはリシヤ族が姿を消してからはほとんどの者が立ち寄らない場所だった。リシヤの者たちが空間の歪みに飲み込まれてからは、ずっと謎に包まれてきた深き森。
 その森で魔光弾が復活しようとしている。
 彼は深呼吸した。恐怖ではない。しかし心の奥底から得体の知れない感覚がわき起こっているのは事実だった。何か大切なことを見落としている気がしてならなくて。
 だが行くしかない。
 彼は顔を上げた。不安と決意が渦巻く中で、彼らは外へ向かって走り出した。止まない警報がさらに鼓動を早めていた。

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