white minds

第六章 魔族-8

 リシヤの森の入り口にいたのは予想通りラウジングだった。木々を背にしてたたずむ彼はいつものようにやや風変わりな服装で、肩程ある髪はそよ風に揺れている。
 だがいつもと違うところもあった。それは彼の隣に立つ女性の存在故だった。彼女はラウジングの腕を無理矢理ぶらぶらとさせて遊んでいる。どちらかと言えば整った顔立ちの愛くるしい女性だ。
「あ、来た! おっそーい、待ちくたびれちゃったじゃない」
 二人の方へと近づいていけば、その女性は梅花たちの方を振り向くなり文句を言った。空気を含んだふわふわとした髪は短く揃えられ、陽光を反射して赤茶色に輝いている。またこの季節にしてはやや肌寒そうな格好をしていた。風変わりと言えば風変わりだが、ラウジングとはまた違った意味でということになる。
「すいません、カルマラさん」
 歩きながら梅花は軽く頭を下げた。その女性を梅花は知っていた。おそらくレンカたちは見かけたこともないだろうが、幼い頃から宮殿で生活していた梅花は数度顔を合わせたことがある。するとラウジングが怪訝そうに眉根を寄せた。当のカルマラは片目を閉じて微笑んでいるが。
「カールを知ってるのか?」
「まあ一応」
「まさか宮殿でも悪さをしてたのか、こいつは」
「ちょ、ちょっとラウ! 何でいきなりそういう発想になるのよー!?」
 梅花が苦笑混じりに答えれば、ラウジングはあからさまに嫌そうな顔をして額に手を当てた。カルマラはその様子にムッとして唇を尖らせている。また話がややこしくなりそうだと、知り合った理由は口外するまいと梅花は決めた。ラウジングの予想通りカルマラの悪戯が原因だが、それを言えばしばらく口喧嘩が続くことになるだろう。何となくだがわかる。
「梅花の知り合いってことは、上の人ってことよね?」
 そこでレンカが小声でそう耳打ちしてきた。梅花はうなずき、もう一度ラウジングたちの方へ目線を移す。するとどうやら幸いにもラウジングはカルマラの気を静めることに成功したようだった。不服ながらも相槌を打ったカルマラは、梅花へと顔を向けてくる。梅花は一歩二人へと近づいた。
「お久しぶり梅花ー、元気だった? あ、初めましての人もこんにちは! 私はカルマラ。カールって呼んでねっ」
 同時にカルマラは片手をひらひらとさせてそう自己紹介した。元気溢れる声にこぼれんばかりの笑みが、この現状にはややそぐわない。だからだろう、ラウジングは一度咳払いをしてからカルマラの前に出た。
「カールが無駄口を叩かないうちに用件について説明しておこう」
 彼はそう告げると一度梅花たちの顔を順繰りと見た。集まっているのは精神系の使い手であるレンカと梅花、そして補助系の使い手であるヒメワ、ミツバ、ジュリの五人だけだ。補助系が使える者ならばほぼ全員となるのだが、補助系の使い手と制限を付けてくるくらいだからそれでは駄目なのだろう。だがそれでももう少しくらい連れてくればよかったかと梅花は思い悩んだ。彼女たちを見たラウジングの顔が曇ったからだ。
「今日お前たちを呼んだのは結界の修復をしてもらうためなんだ」
 しかしラウジングはすぐに説明を始めた。彼は森を一瞥し、険しい顔で口を開く。ゆるゆると吹いた風がその緑の髪を揺らした。
「実はこの森には無数とも言える結界があるのだが……それが最近弱まりつつあってな。そんなところを魔光弾が復活して、しかも空間を裂いて逃げてしまった。そのためにここにある結界がさらに弱まってしまったのだ。お前たちにはその修復を手伝ってもらいたい。その中で幾つかある大きなものをな」
 梅花は森の中へと眼差しを向けた。この森に結界が多数あることは無論彼女も知っている。何度か修復したこともあるくらいだ。しかし人数を確保しようとするくらいなのだから、その結界はよほど大きいのだろう。
「ではついてこい」
 ラウジングは歩き出した。カルマラや梅花たちもその後をついていく。草を踏みしめる音と葉の囁きが辺りを満たし、時折風のうなる声がそれらに混じった。
「あーあ、本当嫌になっちゃう。復活だなんてさ。魔光弾ってなんかこうでかくて無愛想な感じなんでしょう? 私ごついのって好きじゃないのよねえ」
 そして時折つぶやくように文句を言うカルマラの声が、皆の苦笑を促した。ラウジングとは真逆で口数が多い。相変わらずだなと胸中で考えながら、梅花は足を運び続けた。カルマラは上の中では珍しい程の人懐っこさを兼ね備えている。それに対抗できる上の者は、梅花は一人しか知らない。
「あ、ここは」
 しばらく行くと辺りを見回してミツバが口を開いた。木々の隙間から差し込む陽光が、彼の淡い金髪を一瞬照らす。
「魔光弾が復活した場所の近くですね」
 ミツバに続けて梅花はそう答えた。あの時空間が裂けた光景はいまだに脳裏に焼き付いている。同時に感じた空間の歪みも、生々しい感覚として体に染みついていた。
「ここにある結界を修復してもらいたい」
 するとラウジングはそう告げてすぐ側にある巨木を見上げた。彼の視線にあわせて梅花たちも顔を上げ、その巨木へと神経を集中させる。
「普通に結界を張る容量でいい。が、結界全体を意識しながら気を注ぎ込んでくれ。かなり巨大だからな、一部に集中していたのでは穴が移動するだけでうまくいかないのだ。まあ一人ではないから大丈夫だとは思うのだが」
 ラウジングは言葉を続けた。その間も梅花は結界の全体を掴もうとしていた。なるほど、これは確かに周囲にある結界よりも大きい。いや、『結界』という単語ですませてよいものかどうか悩むくらいだった。その大きさ故かそれとも別の理由からか、結界は周囲の空間を歪ませてさえいる。これも何かを封印しているのではないかと疑いたくなるような上級のものだ。
「やってもらえるか?」
「もちろん、そのために呼んだんでしょう?」
 誰も何も答えないためだろう、彼がやや不安げに口を開くとレンカが微笑んでうなずいた。同時に皆の眼差しが一度結界からはずされる。タイミングを合わせたかのごとく顔を見合わせた彼らは、軽く首を縦に振った。早めにすませた方がいいと本能が何故かそう訴えかけてきている。
「では行きますね」
 梅花は囁くように言うと軽く目を瞑って精神を集中させた。広がる結界を映像として頭に描き、その隅々までそっと包み込むような感覚で深く息を繰り返す。同時に自分を包み込む気が膨れあがったような気がした。いや、実際そうだろう。瞼を開ければ淡い光が体を覆っているはずだ。
「すごいな」
 ラウジングのつぶやきが鼓膜を震わせる。それが何に対する言葉なのか、顔も見ていない梅花には判断できなかった。ただ声音から感心しているということだけは読みとることができた。彼が滅多に出さない類の感情だ。
 しかし、他の誰もがそのことなど気にかけていなかった。今皆はこの巨木の結界へと神経を集中させている。その途方もない規模を何とか把握しようと懸命になっていた。
 尋常ではない。誰がこんな結界を生み出したのか、何のために作り出したのか。聞きたくても聞けない疑問はやはり今まで通り、胸の奥底に埋もれていった。答えを得る確率はかなり低い。それでもいずれは何かがわかるだろうという気が今はしていた。根拠はないのだが。
 あれ?
 だが突如違和感を覚え、梅花はそっと瞼を押し上げた。今何か妙な気が生じたように思えた。それまで周りを取り巻いていたのとは別種の、言い様のない圧倒感のある気が一瞬だけ顔を覗かせたように。
「レンカ!?」
 そして次の瞬間、ミツバの悲鳴が鼓膜を叩いた。はっとして振り返ればレンカが崩れ落ちる姿が視界に入る。咄嗟に梅花は手を差し伸べて、その体が地面へと倒れるのを何とか防いだ。意識を失った体は重く、支えきれずによろけて地に膝がつく。
「どうかしたのか!?」
「レンカ先輩っ」
 慌てたラウジングの声と不安げなジュリの声が重なった。駆け寄ってきたジュリはレンカの額に手を当てて、何が起きたのかを必死に探ろうとする。梅花はそのまま座り込み、レンカの上体を抱えたままそっと地面に座らせた。
「ど、ど、どうしたのさレンカは」
「わかりません。でもこれだけは確かです、精神が足りません」
「ええーっ、何で急に!?」
 小走りで近づいてきたミツバは、おろおろしながら眉根を寄せた。顔を上げたジュリは梅花と目を合わせてうなずき合う。生きていくのに必要最低限の精神というものがあるのだが、その限界に近づいた時人は意識を手放すのだ。つまりこれは危険な兆候。
「ラウ、このままじゃこの子危険だわっ。えーと……そうだ! アルティード様の所へ運びましょう! アルティード様ならすぐに何とかしてくださるわ」
 するとそれまで黙り込んでいたカルマラが声を張り上げた。レンカを支えたまま顔を上げれば、彼女の提案にラウジングは目を見開いている。しかしそんなことは意に介せず、カルマラは彼の腕を掴んだ。
「ほら、早く! 急がないとこの子死んじゃうかもしれないのよ!」
「し、しかしいきなり人間を連れて行くなど――」
「そんなの私のせいにすればいいじゃない! ほら、早くっ」
 カルマラはラウジングの手を引いて梅花の傍までやってきた。そこまで来るとようやく彼も諦めたのか、渋々と倒れたままのレンカを抱きかかえる。
「じゃあ梅花、今日はごめんだけど続きはまた今度ね。すぐ連絡するから」
「はい、レンカ先輩をお願いします」
「任せてって」
 そう言い切るとカルマラとラウジングはすぐに駆け出した。人一人抱えているとは思えない速さだ。すぐに二人の後ろ姿は森の中へと消えていき、梅花はそっと瞳を細めた。
「レンカ、大丈夫かなあ」
「心配ですわねぇ」
「ええ、そうですね」
「でも今はカルマラさんたちに任せるしかないですね」
 四人は不安の中顔をつきあわせた。同時に梅花は今後を思って顔を曇らせる。この事態を残っている神技隊へどう伝えるべきか。何が起こっているのかわからない中説明するというのは非常に骨が折れる。
「あれ?」
 だが頭をもたげた梅花は、巨木を見上げて首を傾げた。先ほどまでとは決定的に違う何かが、彼女の意識を強く呼び寄せていた。妙な違和感がある。
 何?
 彼女は再度目を細めてそれが何かを探ろうとした。そしてすぐに見つけだし、驚嘆した。それは考えられない事態であり、かつ喜ばしいことでもあった。自然と目が見開いていく。
「結界が……」
「え?」
「修復されている」
 梅花はつぶやいた。広いながらも所々穴があいたように弱まっていた結界が、今は見えない綺麗な膜を張っていた。どこまでも続くかに思われる膜が巨木を中心にできあがっている。間違いない、修復されているのだ。
「これはどういうこと……?」
 疑問のつぶやきは、緩やかに吹く風の音に打ち消された。四人はただ呆然としながら、その場に立ちつくした。

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