white minds

第六章 魔族-9

「アルティード様」
 目指した部屋の前へと辿り着いたカルマラは、一呼吸置いてからそう呼びかけた。真珠のように淡い光を纏った白い壁に、彼女の紅の服が映り込んでいる。その一部――否、扉が開き、彼女は一歩後ろへと下がった。部屋の中からふわりと嗅ぎ慣れた香りが漂い、自然と頬がゆるむ。
 ここへやってくると地球へ戻ってきたという気がするのだ。どこか冷たい印象のある宇宙とは違うと、心底感じられる。
「もう大丈夫よ」
 中からゆっくり顔を出したのは銀髪の女性だった。腰に届くその髪は緩く波打っており、それが身につけた薄水色の服とよく調和している。カルマラは微笑んで軽く頭を下げた。
「無理を言ってすいません。ありがとうございました」
 そうお礼を述べればアルティードはゆるゆると首を横に振った。その細い手がカルマラの肩へと伸び、労るように数度左右を往復する。
「これくらい何てことはないわ。彼女は大丈夫よ、もう。今は残りの六人に任せてるから」
 春を思わせる柔らかい微笑に、カルマラは安堵してうなずいた。彼女の笑顔を見る機会というのは最近では滅多になく、それだけに嬉しさも倍増する。だがすぐに自分の本来の仕事を思い出し、カルマラは顔を曇らせた。この地球へ戻ってきたのは何も結界を修復するためではない。伝えることがあったからだ。
 あまり口にはしたくはない事実を、アルティードに告げなければならない。
「アルティード様」
「ええ、わかってるわ。報告があるのでしょう? 重大な報告が」
 思い切って視線を上げれば、やや上に位置する彼女の瞳と視線がぶつかった。カルマラは息を呑む。それでも意を決するとおそるおそる口を開いた。やっとの思いで発した声は、ややかすれていたが。
「はい、あちこちでビート軍団について調べていたんですが、先週重大なことが発覚したんです。数カ所で確認しましたから間違いありません」
「それは?」
「彼らの出生についてです」
 アルティードの手がカルマラの肩から退いた。カルマラは真っ直ぐアルティードを見つめ、意をうかがうようにゆっくりと話し始める。
「彼らは……魔族に作られた者たちでした。彼らを作り出したのは一人の魔族の科学者――アスファルトという名の男です。魔族の中では有名な話のようですが」
 言いながらカルマラは肩をすくめた。実際アスファルトという名に辿り着いてみれば、どの魔族も同じことを口にしていた。それまで情報が得られなかったのが嘘のようだった。人間や神々が知らなかっただけで、魔族の内では暗黙の了解だったのだ。もっとも脅された魔族が『魔族殺し』などという言葉を口にするのは妙だったが。
「魔族に生み出された者たち」
 アルティードは困惑気味に眉根を寄せ、頬に手を当てた。瑠璃色の瞳は伏せられて、かすかに揺れている。
「それは困ったわね。本当はもう少し様子を見たいところなんだけど」
「はい、この星でいざこざを大きくするわけにもいかないですしね」
「そうなのよね。でもそんなことを聞いて黙ってないわよね、ケイルたちは。きっとすぐさま行動に出るわ。かといって隠し通せるわけでもないし」
 魔族。
 その名前を耳にして穏やかでいられる者はここには少なかった。誰もが何らかの感情を抱き、冷静な判断ができなくなる。それが後に災いするかもしれないとは考えることなく行動に出るのだ。仕方のないこととはいえ、ありがたくはない事実だ。
「アルティード様……」
「ええ、でも最悪の事態だけは防ぐように努力するわ。これ以上空間の歪みが強くなるのは、弱った巨大結界の穴が広がるのだけは避けなくてはいけない」
 しかしそれでもアルティードは毅然としていた。強い光をたたえた瞳を見上げて、カルマラは安堵の息をもらす。ここに彼女がいる限り大丈夫だろうという安心感があった。だからだろう、ここへ来ると不安が消え、時には危機感まで薄らいでしまう。そんな強い力を彼女は秘めていた。
「ではカルマラ、引き続き情報収集を頼むわね」
「はい、わかりました。任せてください! 私の得意分野ですから」
 カルマラは微笑むと踵を返して走り出した。頼まれたのならば一刻も早く、さらなる情報を集めなければならない。それが今アルティードに報いることのできる唯一の方法だった。
 だからためらうことなくカルマラは駆けた。先ほどの重い気持ちは、嘘のようにすっかり消えていた。



 基地の部屋で一人、滝は窓の外を眺めていた。梅花たちの報告を聞いてから数時間、もう日が暮れようという頃だ。
「駄目だな、オレも」
 口からもれるのはため息や愚痴ばかりで、思わず苦笑が浮かんだ。レンカが傍にいないことがこれほど寂しいことだとは思ってもみなかった。神技隊に選ばれる前は一年に一度会えたらいいくらいの感覚だったのに。それなのにほんの数時間隣にいないだけでこんなに不安になるなんて、実に妙なことのような気がしてならなかった。
 神技隊となってからずっと一緒にいたせいだろうか?
 そう考えると恐ろしくなってくる。慣れとはなんと恐ろしいのだろう。それまで平気だったことまで駄目にしてしまうなんて。彼は口元を歪めた。
 梅花たちから話を聞いた時は心臓が止まるかと思った。精神が足りなくて倒れるなんて、レンカに限っては起きるはずがないと思い込んでいた。彼女の精神容量は普通の技使いとは段違いのレベルだし、今までそんなことは一度も起こらなかったのだ。
 精神が少なくなり倒れた人を彼は見たことがある。無論それが危険な状態だとは知識としては知っている。しかしそれがレンカと結びつかなかった。だからだろう、聞いた時は一瞬頭が真っ白になった。理解できなかったししたくなかった。いまだに誰かと顔を合わせる気にもなれないのだから、かなりの衝撃だったのだ。
「滝、何か食べないのか?」
 すると不意に扉を叩く音がし、続いて問いかけるホシワの声が聞こえてきた。振り返った滝は扉へと近づく。どうやら心配して来てくれたらしい。滝は微苦笑を浮かべて小さくうなずいた。
「ああ、そろそろそんな時間か。わかった、今行く」
 いつ何が起こるかわからないのだからと言い聞かせて、彼はそう答えた。食事は簡素だが上が用意してくれたものだ。また着替えも簡易のものだが用意してもらっている。もっとも、五分か十分の洗濯時間の間しか着てはいないが。
 しかしともかく、大した物も持てずにやってきた神技隊にとってはありがたいことだった。
「元気出せよ、滝。上が直々に保護してくれたんだ。レンカは大丈夫さ」
 扉越しに気遣う言葉が続いた。確かにその通りだ。能力で言えばもっとも信頼できるところに保護されたのだから、その辺りの医者に任せるよりは安心できるはずだ。上の者が何とかできない程なら、誰に診てもらってもおそらく無理だ。
「ああ、わかってる。ホシワ、今向かうから先に行っててくれないか」
「ん? わかった」
 できるだけ明るい声で答えれば、ホシワの足音は躊躇することなく遠ざかっていった。その心づかいが嬉しくて滝は微笑む。心配しているいるのに奥底までは踏み込まない。その姿勢がありがたかった。神技隊に選ばれてから、こうした仲間の優しさに助けられている気がする。
「オレもしっかりしなきゃな」
 元気な姿を見せてやりたい。そう思って彼はもう一度窓から外を眺めた。まだ魔光弾はどこかで生きているのだし、レーナたちのこともあるのだ。のんびりとはしていられない。
「もう、日が沈むんだな」
 窓から見える景色は一面紅色に染まっていた。ここからはよく見える大河も、紅の陽光を反射してまるで炎のようだった。彼自身でさえも夕陽に照らされて赤く染まっている。
 赤、それは魔光弾の色。唐突にそんなことが思い浮かんだ。彼は今どこで何をしているのだろう。戦闘を嫌がって逃げた彼は、今は何を思っているのだろう。
 そして魔族とは一帯何なのか。何故ラウジングはあれだけ憤ったのか。
 尽きない疑問を胸に抱きながら、滝はじっと夕陽を眺めた。

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