white minds

第七章 鍵を握る者-3

 うろたえる神たちを前にレーナは口角を上げた。だがその姿は彼らの目には映らない。ただ悠然とたたずむ青い髪の男が見えているだけで、彼女たちの姿は確認できないはずだった。
 合体とでも言うべきこの能力は彼らビート軍団特有のものだ。傍目からは彼女たちの姿が消え新たに男が現れるという、驚くべき事態。しかし彼女たちからすれば外界の把握に何ら変化はなかった。薄い膜越しに存在するはずの世界はそれまで通り見ることができる。ただ違うのは触れることができない点と、『統率する者』の動きにあわせて外界が変化する点だ。慣れなければひどい乗り物酔いのような状態に悩まされることになる。
「いつも通り体はアース担当でいいんだよな?」
「無論」
「で、精神はレーナで?」
「われはもとよりそのつもりだよ」
 会話が行われるもそれは『中』だけの話。『外』にいる神々には彼らの声は聞こえていないはずだった。ネオンがいくらこんな風に尋ねてこようとも『外』にいる者たちに気づかれることはない。そんな世界を彼女は一種の異空間なのだと認識していた。他の世界とは明らかに切り離された別空間は、端から見れば一人の青年に見える。その男や能力の名を一緒くたにして彼らはビートブルーと呼んでいた。由来はレーナが聞いた不思議な音からだ。
「う、うろたえるな! かかれっ!」
 いつまでたっても動きそうのないビートブルーに、神たちは焦れたように動き出した。そのかけ声にあわせて数人が構えを取り、手の平から拳大の火の玉を放つ。
 けれどもその動きはビートブルーにとってはのろのろとしたもので、難なく避けることができた。飛び上がった足下を幾つもの火の玉が通り過ぎ、地面に大きな穴をあける。耳障りな音と焦げ付いた臭いが辺りを覆った。
「くっそー! ちょこまかとっ」
 男の内一人が舌打ちするのが見えた。空高く飛び上がったビートブルーはそのまま文字通り飛んでいる。浮かぶだけならたいした精神消費がないためレーナにとっても苦はなかった。動きはアースに任せればいい。
「できる限り殺さないようにしてくれよ。後々が面倒だ」
「またそれか」
 それでも気になる点があり彼女はそう一言注意した。彼女を一瞥したアースは、一瞬眉根を寄せると相槌を打ちながらぼやく。殺さないでくれ、というのは彼らが出会ってからの彼女の口癖のようなものだった。やらなければやられる世界で生きてきたアースたちにとっては甘い発言。しかし今後を見据える彼女にとってはどうしても避けて通れない道だった。
「だが奴らは我々を殺しにきたのだろう?」
「そうだな」
「それなのにこっちは殺せないわけか」
「今回は絶対にとは言わないよ。神技隊相手ではないから」
 彼女はそう言って破願した。この戦いが厳しいものになるとはわかっているが、それでも譲れないものがある。しかしその理由を彼女は説明していなかった。だから言うたびに彼はこうして苛立つのだろう、何故なのかと。
「来るぞ」
 そして今回もまた訳を話さずに彼女は話を逸らした。下から放たれる水の矢へと注意を向けて、追究を封じ込めてしまう。
「数任せだな」
 急降下したビートブルーは矢を間をくぐり抜け、自らも矢を生み出した。ただし彼らとは違い炎の矢だ。一見でたらめな動きをするそれらは、四方八方から男たち向かって降り注ぐ。
「結界を!」
 男たちは結界を張り、向かってくる矢を全て弾き返した。威力をそがれた矢は地面に、木々にとぶつかり霧散する。だがそれは予想済み。矢が消えると同時に地へ降り立ったビートブルーは剣を手にしていた。鈍く光る剣は実はレーナ手製の物。精神を込めることで威力を上げる特殊な剣だ。
「遅いっ」
 次の攻撃へ移ろうとする男たちを、次々とビートブルーは薙ぎ払った。峰打ちで威力は殺してあるため死にはしない。だが精神の込められた攻撃は技の発現に影響するし、しばらく動きが鈍くなるはずだった。今はそれで十分なのだ。何せ相手の戦闘経験が乏しい。指揮を待っているだけでは間に合わないのに、彼らは自分で判断して動こうとはしなかった。戦ったことなどほとんど無いのだろう。無理矢理動員されたといったところか。
「ひるむな! 熱風を!」
 そこで接近戦では適わないとみたのか、指揮を執っているらしい男が声を張り上げた。すると援護のために後方へ待機していた者たちが、一斉に前へと手の平を突き出す。彼らの前には武器を携え倒れた者たちがいるというのに、お構いなしの様子だった。
「アースっ!」
 レーナは『中』で叫んだ。咄嗟にに頭をよぎったのは嫌な光景。彼らの本気をどこか予期していただけに想像するのは難くなかった。
「結界を!」
 彼女が声を上げるのと男たちが技を放つのはほぼ同時。彼らの手の平から強風が生み出され、それは周囲の茂みを揺らし木々をへし折った。いや、それだけではない。熱を含んだ風はじりじりと葉を焼いていた。結界のおかげでビートブルーには何らダメージはないが、周りは相当暑くなっているだろう。生き物がいれば肺を焼かれるような空気だ。倒れていた男たちはかろうじて結界を張り逃れたようだが。
「動物しかいないから、か」
 レーナは苦い笑みを浮かべた。近くに人間の気は存在していない。いたとしても小動物やら昆虫、もしくは植物ぐらいであろう。ここは空間の歪みがあるため普通人は立ち寄らないのだ。技使いでもない限り耐えられる環境ではない。だから彼らはこうも大胆な行動に出ることができる。
「レーナ、平気か」
「それよりアース、次来るぞ」
 心配そうに振り返るアースに、彼女は忠告した。先ほどの熱風が防がれることは戦闘経験の乏しい男たちでも予想がついたのだろう。彼らの攻撃はそれだけでは止まらなかった。彼らの手の平は今度は地面へと伸ばされる。
 地面が揺れ、無数の岩石が宙を舞った。地盤が崩されたためか背後の洞窟から耳をつんざくような音がした。崩落したのだろう。土煙が辺りへ広がる。
「もつのかレーナ?」
「ああ、まだまだ」
 さらなるアースの問いかけに彼女はうなずいた。彼女の精神が生み出した結界は、前方から突き進んでくる岩石を全て防ぎきっている。結界はそれなりに精神を消費するが、まだ限界にはほど遠かった。だがいつまでもというわけにはいかない。この事態を打開しなければいつかは限界が訪れる。
「次!」
 急げと言わんばかりの声が響き渡った。どうやら援護軍は遠距離系の技が得意な者たちのようだ。開けていない場所で相手が一人なら、それなりに有効な攻め方であろう。
「今度は何だ!?」
 揺れる地面に『中』でカイキが声を上げる。
「下だ!」
 レーナはそう叫ぶと足先へと精神を集中させた。それにあわせてビートブルーの体はふわりと浮き上がる。と同時にひび割れた地面から勢いよく水が噴き出した。背中をかすめたそれに、ビートブルーの体が一瞬傾ぐ。
「今度は水か!?」
「アース!」
 ネオンの切羽詰まった声が『中』に響いた。よく見れば吹き出した水の向こうから、この隙をつこうと武器を携えた男たちが数人向かってきている。そのうち何人かは次々と吹き上がる水柱に巻き込まれたが、それでも二人ほどはビートブルーの元へとたどり着いた。対応しようにも不規則に吹き出す水が邪魔だ。後退しようとしたビートブルーの肩口を、突き出された短剣がかすめる。
「こざかしいっ」
 しかしやられる一方では終わらない。体をひねってその勢いで肘鉄を食らわせると、左方から迫っていたもう一人の顎を勢いよく蹴り上げた。吹っ飛ばされた男は水柱に飲み込まれる。そこでようやく味方にも被害が大きいと気づいたのか、援護軍の攻撃が止んだ。ビートブルーは大きく後方へと下がり、一旦体勢を立て直す。
「数に任せてやりたい放題だな」
「それだけ必死なんだ、奴らも」
「何故?」
「我々が神と魔の申し子だからだろう」
「は? お前の言うことは意味がわららんな」
「今はわからなくともかまわん」
 アースの問いかけを適当にあしらって、レーナは口角を上げた。神が殺しにやってくるということはすなわち気づいたことに他ならなかった。知ってしまったのだ、彼女たちの秘密を。普通の神ならば許し難いと思うその秘密を。
「炎を!」
 すると状況をうかがっていたらしい指揮を執る男が、そう号令をかけた。水の次に炎かと訝しげにも思うが、先ほどの熱風を思うと嫌な感触は拭いきれない。レーナはさらに結界の強度を上げた。
 刹那、空気の色が変わった。
 正確に言えば男たちの生み出した炎が辺りを一瞬で赤く染め上げた。木々も草も全てが緋色に包まれ、結界越しにもその熱量が感じ取れる程になる。鼓膜にを震わせるはずのない草木の悲鳴が聞こえるようで、身震いがした。レーナは自らの腕を抱きしめて唇をかむ。
「逃げ場を防ぐ気か?」
「アース、消火するぞ」
「は? お前正気かっ!?」
「このままでは生き物が死に絶える。町まで火が広がるかもしれない」
「そんなことしてると死ぬぞ!」
 そんな苛立ったアースの声にもレーナは動じなかった。この炎を抜け出せばおそらく一斉攻撃が待っている。しかし消火したところでその行く先は変わらないはずだった。精神が消費されるだけ普通に考えれば無駄なこと。だが彼女には別の問題があった。
「馬鹿なこと言ってないで空へ逃げるぞ」
「駄目だ。アースが嫌ならわれ一人でもする」
 まなじりをつり上げる彼へそう告げて、彼女は強制的に『合体』を解いた。もともと彼女の精神によって維持されているようなものだから、それ解除するのは実にたやすい。
「レーナ!」
 叫ぶアースが慌てて結界を張るのを横目に、彼女は地を蹴った。火を避けるためか神たちの姿は見えない。が、おそらくそう遠くないところにいるのだろう。この炎を逃れる一瞬を狙っているはずだ。
「消火して、そしてどうする?」
 彼女は微苦笑を浮かべた。消火するのは別に良心が痛むからではない。命の悲鳴が彼女の心に共鳴し、残り少ない精神量に影響を与えるためだ。そうなれば結局は力尽きてそのうち殺される。
「悪いなアース、でも別に死に急ぐつもりはないんだ。ただわれがユズの難儀な性質を受け取ってしまっただけで」
 自嘲気味に詫びる言葉は、燃えさかる炎に飲み込まれた。けれども背後からはなおも仲間たちの声が、聞こえてくる気がした。

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