white minds

第七章 鍵を握る者-5

 響き渡る地響きに、アースは顔をしかめた。地響き自体は何度か頻繁に起きているが先ほどのよりもさらに大きい。何かあったなと舌打ちすると、案の定遠くからカイキの悲鳴が聞こえてきた。その間の抜けた声の中に危機を感じ取り、アースは強く地を蹴る。
 崩れ落ちた洞窟の側には幾つもの岩石が転がっていたが、彼はそれらの隙間を縫いながら走った。背後から追いかけてくる神たちはどんどん引き離されているようだ。煙のせいで視界も悪く、戦い慣れしていなければ走るのさえ辛いはずだ。
「それにこの足場じゃな」
 つぶやいて立ち止まった彼は、辺りを見回した。カイキの気はこの辺りから感じ取れるのだが、その姿が見あたらない。岩という岩が、煙という煙が障害となっていた。これはやっかいだ。
「面倒な」
 しかし次の瞬間、一人の神が飛び上がったのを彼は視界の端に捉えた。白い服を身に纏った男が口角を上げている。その手が黄色く輝くのを見て、瞬時にアースは事態を把握した。男の相手はおそらくカイキだ。アースは右手に剣を構えると、大きく跳躍して空へと飛び上がった。
「とどめだ!」
「させるかっ」
 アースの声と男の声が重なった。男がはっとするも遅く、アースの剣はその胴を横凪に切り払う。くぐもった悲鳴が鼓膜を震わせ、血しぶきが頬にかかった。それを左手の拳で拭ってアースは眉根を寄せる。浅く斬り捨てたつもりだったが思ったよりも傷は深かったのだろう。仲間の到着が遅れればおそらくこの男は死ぬ。またレーナにとやかく言われると、心中で彼はため息をついた。
「アース!」
 すると下から歓喜に満ちたカイキの声が聞こえてきた。地へと降り立てば岩に足を取られたらしいカイキが、よろよろと立ち上がってくるのが見える。アースは彼を一瞥してあからさまに嫌そうな顔をした。本当ならばこんなところで足止めを食くらっている場合ではないのだ。レーナに一刻でも早く追いつかなければ、何が起きるかわからない。
「ネオンー!」
 だが今度はイレイの切羽詰まった叫びが聞こえてきた。今度はレーナが向かった先の方だ。引き返す形となったアースは、カイキを無視して走り出した。情けない声が背後から覆い被さってくるが、どうせそのうち追いついてくるだろうと気にもとめない。
「邪魔だっ」
 追いかけてきていた神を剣で切り払いながら、彼は小さく舌打ちした。ともかく神の数が多いのが問題だった。アースには並はずれた体力と回復力があるのでどうということはないが、カイキたちもというわけにはいかない。じわじわ体力を削られていくままでは勝機はどんどん遠ざかっていた。このままでは致命的な傷を負いかねない。
「来るな、イレイ!」
 そこでネオンの必死な叫びがアースの鼓膜を震わせた。再び揺れる地面に、相対していた神の一人がよろけて岩に手をつく。アースは跳躍するとその肩に飛び乗り、踏み台にして岩の上へと飛び上がった。そして煙の中に仲間の姿を探す。
「いた」
 けれども見つけたと同時に、イレイの姿は降り落ちてきた岩石の中に埋もれてしまった。神の放った土系の技によるものだ。結界を張っても防ぎきれなかったらしく、耳を覆いたくなるような悲鳴が聞こえてくる。このままでは圧死だ。
「イレイー!」
「さっさと立てネオン!」
 泣きそうな声を上げるネオンに、アースは怒号を浴びせた。そしてアースの存在に気がついた神へと、飛び降りて斬りかかる。レーナ手製の剣は切れ味が衰えることがない。精神がある限りかなりの効力が望めた。つまり死ぬ直前までということだ。
「嘆いてないでイレイを助け出せ、まだ間に合う。こいつらはわれが相手するからさっさとしろ」
「わりぃ」
 足をやられたのかふらふらと立ち上がったネオンは、自嘲気味な笑みを浮かべた。ネオンにもかなり限界が近づいてきている。額を伝う血に力無い腕がそれを物語っていた。いや、自分のせいでイレイを危険な状況へと追い込んだという自責の念が最も重いか。
「すぐにカイキも来る」
「りょーかい」
「……そう言えばネオン、お前はレーナを追いかけて先に行ったんじゃなかったのか?」
 けれどもそこで重要なことを思い出し、アースは問いかけた。
 迫ってくる神は問答無用で斬り捨てているうちに、接近戦では不利と悟ったのか踏んだのかじりじり距離をあけてくる。その様子を視界の端に収めながらアースはネオンの気配に気を集中させた。ネオンの足音がぴたりと途絶え、戸惑いの空気が伝わってくる。
 そう、確か神の集団を前にしてネオンだけ先に追わせたはずなのだ。もっともさらに神の応援隊が来ていたようだから、それに阻まれたのかもしれないが。
「そ、そうなんだけどよ」
「見つけられなかったのか?」
「いや、見つけるには見つけた。だけどなんか強そうな神が来てレーナと戦闘始めちゃってさ、見失ったんだ」
 強そうな神。
 その一言がアースの顔を険しくした。ネオンの体が縮こまるのがわかるが、それでも表情をゆるめることができない。アースは嘆息して強く剣を握った。
「だからいつも言っていたんだ」
 一人で動くなと。
 言葉尻を飲み込んで彼は瞳を細めた。何故だか彼女が狙われる存在であることは痛い程理解している。彼女はぎりぎりの状態でも倒れようとはしないし、いつも周囲の気配に気を配っていた。それに何気ない仕草や視線からも読みとれることだった。彼女は常に追っ手を気にしているのだ。ずっと彼女を見てきた彼が、気づかないわけがない。
「無茶するなよ」
 届かない言葉を、彼は口にした。そして構えた神たちに向かって不敵な笑みを浮かべた。

 戦いはまだ終わらない。



 間合いを取ったレーナは息を整えた。背中の痛みも足の痛みも感じないが、しかし消耗した精神が体全体を蝕もうとしている。とにかく思い通りに体が動かなかった。そのため予期しない傷を受けることが多くなり、小さな出血が増えている。
「そろそろ限界だろう? 諦めておとなしくしていろ」
 すると地に降り立ったラウジングはそう告げて口の端を上げた。乱れた深緑の髪が風に揺れており、奇妙な服も土煙で汚れている。口調だけは余裕だったが、しかし表情には焦りの色があった。早く決着をつけたい、つけられるはずなのにうまくいかない。その思いが彼の瞳に如実に現れていた。それを認めてレーナは微笑する。
「諦めろなどとは陳腐なことを言うんだな」
 言ってレーナはくつくつと笑った。
 余裕は作るものだ。
 彼女は胸中でつぶやいた。体力もなく精神も足りない状況だが、彼女に諦めるという選択肢はない。最後まで粘らなければ今までの全てが台無しになることを知っていたから、絶望するわけにもいかなかった。
 諦めてもいけないし怯んでもいけない。そしてこの体を、能力を悔やんではいけない。その分の気持ちを今できることに注がなければならなかった。今できる最大限のことをなさなければ、『後の自分』と『前の自分』が嘆くことになる。それは、駄目だ。
 ラウジングの表情がさらに険しくなった。彼が剣を握り直すのを見て彼女は息を吸う。彼はすぐに向かってくるだろう。
「気合いで切り抜けるのは得意なんだ」
 つぶやいて彼女は辺りを再度確認した。薄れてきた煙の中でも、地面が割れ岩が転がっているのがわかる。神々はずいぶんと派手に暴れてくれたらしい。いや、今も時折地響きが伝わってくるところを考えると、暴れている、の方が正しいか。火が消えてもこの辺りに豊かな緑が戻るまではしばらく時間がかかるだろう。悲しいことだ。
「ならば私が諦めさせてやる!」
 するとラウジングが飛んだ。薄雲を背にした彼の姿は溶け込むかのようだ。が、その髪だけが異様に目立つ。それを一瞥してレーナは剣に精神を込めた。鈍い鉄色だった剣はエメラルド色の光を帯びて、重みまで消えたかのようになる。剣そのものが光と化したようだった。彼女は瞳を細める。
「今神に打撃を与えられれば――!」
 後を考えた決断。力が抜けそうになる体を叱咤激励して彼女は前へ出た。空から振り下ろされた短剣を剣で受け止め、いや、剣に纏わせた光でそれを押し返す。常識では考えにくい方向にかかった力に、ラウジングは吹き飛ばされた。だが着地した彼はすぐに体勢を立て直す。彼女は剣を携えたまま大きく一歩を踏み出した。
「何!?」
「時間を――!」
 ラウジングにとっては意味不明な叫びだっただろう。しかし彼女はかまわず剣を振るった。今彼女を突き動かすのは思いだけだ。過去への、未来への思いだけで、今あるはずの限界を先延ばしにしている。
「ちっ!」
 突き出されたエメラルドの切っ先は、彼の頬に傷を付けた。だが彼の剣もまた彼女の髪を一房もっていく。散らばった黒い髪が双方の頭上を舞い、風に流されて彼の目の前を通り過ぎた。
「このっ!?」
 焦ったラウジングの顔めがけて彼女の剣が突き進んだ。一瞬髪に気を取られたのか反応が遅い。しかしかろうじて短剣で受け止めた彼は、口元を引きつらせていた。レーナは微笑む。おそらく彼は剣から放たれる強烈な気に圧倒されているのだろう。力でも体力でも彼の方が勝っていたはずなのに、今は彼女の一撃の方がより重いのだ。その事実が彼を追いつめる。
 いける。この場なら乗り切れる。
 彼女は剣で彼の短剣を振り払うと上体を低くして体を反転させた。ついでに食らわせた足蹴りは彼の胴をかするだけ。が、その手の平から短剣がこぼれ落ちそうになるのが見えた。だからそのまま一回転した彼女はさらに剣を横凪にする。小さな悲鳴が彼女の耳に届いた。
「レーナ!」
 しかしそこで続けて聞こえた叫びに、彼女の動きは一瞬止まった。聞こえたのはアースの……いや、青葉の声だった。聞き間違いではない。彼女が聞き間違えることはない。
「なっ……」
 オリジナルがいる。咄嗟に頭をよぎったのはそのことだった。限界を超えかけていたから気づかなかったのだ、周りの気配に。
 この場にオリジナルがいる。
 瞬時に頭の中を様々な未来像が駆け抜けていった。見せたくない未来と、まだ気づかせたくない事情。だがどうするべきか結論はすぐに出された。辛い選択だが仕方がない、痛みを堪えてそれを選ぶしかない。
 ただその瞬時の間さえ、戦闘中には致命的だった。
「――レーナ、危ないっ!」
 梅花の叫びに無意識に体が動く。レーナは一歩後退したが、それでもラウジングの一撃を避けるには不十分だった。持ち直された短剣が腹部に深々と突き刺さる感触。激烈な痛みが走り、同時に熱い何かが体中を駆けめぐっていった。『あれ』が巡っていったのだとわかり、背筋だけ冷たくなる。痛みは慣れたものだが、これは全く別の悪寒だった。
「レーナ――!」
 梅花の悲痛な叫びが胸を打った。だからその場に倒れそうになるのを堪えて、彼女は梅花の方を見た。煙の中でも梅花たちオリジナルの姿ははっきりと見える。梅花の隣には青葉と、そしてサイゾウが立っていた。その後ろにアサキとようの姿も見える。つまりシークレットの五人だ。彼らに見つめられてどうしたものかと迷い、結局レーナはいつも通り微笑んだ。困ったとき微笑むのは彼女の癖で、それは場をごまかすときにもかなり有効な手だった。
「神技隊!?」
 短剣を手にしたラウジングも、動きを止めていた。それは彼女にとっても幸いだった。このままこの場でとどめを刺されるのだけは避けたい。できる限り梅花を動揺させたくはなかった。これ以上彼女の心に傷をつけたくはない。
「どうしてここに?」
 立ちすくんだラウジングは、シークレットへと呆然と問いかけた。おそらくこの状況は彼にとっても見られて困るものだったのだろう。戸惑いが全身から伝わってくる。
「それは……」
 青葉が口ごもるのを横目にレーナは膝をついた。溢れ出す血が服を、地面をぬらしていく。意識を保っていられるのが不思議な程の出血量だった。それなのに体中が熱くて仕方がない。口から漏れる息にも熱がこもっているようだ。
「アルティードとかいう人の命令で」
 代わりに答えてきたのはサイゾウだった。ラウジングの体がこわばるのがわかる。その名前にはレーナも聞き覚えがあったから、口角が上がった。神側にも色々と事情があるらしい。これは不運ばかりではなかった。
「アルティード殿が」
 ラウジングのつぶやきには、かなりの動揺が含まれていた。それを確認して決意したレーナは剣を支えによろよろと立ち上がる。だがラウジングの視線はまだ神技隊に固定されたままだった。相当うろたえているのだろう。
「まいったな、これだけの出血となると毒が回ってしまう」
 立ち上がった彼女は微笑みながらそう口にした。その声にようやくレーナの存在を思い出したのか、慌てたラウジングがやや距離を取る。彼の肩には先ほど彼女がつけた傷が残っていた。そこから溢れるほどではないにしろ鮮血が、音もなくこぼれ落ちている。
「お前、まだ……」
「こうなったからには毒は気にせず本気で行くしかないなあ。本当困ったことをしてくれるよ、本気でアースに怒られてしまう」
 支えである剣を構え直して、彼女は軽い口調でそう言った。重苦しい空気は全くない。梅花たちが呆気にとられているのを確認しながら、彼女はもう片方の手をひらひらとさせた。まるでこんな傷なんでもないとでも言いたげに。
「お前には悪いが戦の神、もう少し相手をしてもらうよ」
 彼は神の即戦力だろうから、深手を負わせることができれば時間ができる。そう胸中で付け加えて彼女は不敵に笑った。今できること、それは後々の可能性を広げることだけだ。すなわち時間を稼ぐことだけ。
「悪いなオリジナル」
 つぶやいて彼女は前へと大きく踏み出した。大事な人にこの一幕を見せること、その痛みを意識の奥へと押し込めながら隠しながら。血だまりを飛び越えて彼女は剣を振るった。
「な、に――!?」
 エメラルド色の光は、いっそう輝きを増した。

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