white minds

第七章 鍵を握る者-6

 レーナとラウジングの戦いに、誰もが手を出せずに立ちつくしていた。二人の刃が交わるたびに耳障りな音が鳴り響き、周囲に不穏な空気を撒き散らす。
 そんな中、息を呑んだ青葉は傍にいる梅花の体を引き寄せた。普段なら軽く抵抗されるところだが、今回ばかりはいとも簡単に彼の腕の中に収まる。それは彼女の動揺を如実に表していた。目の前で起きている戦いが、レーナとラウジングの攻防が、彼女に相当の打撃を与えているのだ。青葉は梅花を一瞥すると、再度戦う二人へと視線を移す。
「何が起きてるんだよ」
 彼は口の中だけでそうぼやいて額に力を込めた。レーナとラウジングが戦っていた。それだけでも十分衝撃的だが、レーナがラウジングに刺されたという事実の方が胸に重かった。
 いや、刺されたはずのレーナが不敵な笑顔でラウジングを追いつめていることの方が衝撃か。ともかく信じがたい事態が今目の前で起こっていた。
「あいつ、どこにこんな力を隠してたんだ」
 驚愕のあまりつぶやいた彼は、ふらつく梅花の体を支えた。
 目の前で行われている戦闘は壮絶だ。腹部を鮮血に染めたレーナの剣は、エメラルド色に輝いている。それは軽やかな動きで繰り出され、ラウジングの体を何度もかすめていた。対してラウジングの短剣は彼女の体をかすりもしない。力のないはずの彼女の一撃の方が重く、その力に押されて彼は何度も後退していた。見た目と形勢が全く逆なのだ。だから違和感だけが胸の奥に巣くっている。
「何が起きてるんだよ」
 彼はもう一度繰り返した。加勢すべきか否か、その判断すら不可能にする戦いだ。消火してくれとアルティードに頼まれはしたが、まさかこんなことが起こっているとは聞いていない。ラウジングを助けるべきなのだろうか。しかし一歩を踏み出そうにも足が言うことを聞かず、ただ立ちつくすことしかできなかった。
「悪いが戦の神、そろそろ決着をつけさせてもらうぞ」
 すると不意に、レーナの凛とした声が戦場に響き渡った。薄煙の中見える彼女の姿はしなやかで力強い。溢れ出した血が足を伝っていなければ、彼女の圧倒的な勝利のようにも思えただろう。だが現実は違うのだ。だから何故彼女が平気な顔をして戦っているのか理解できなくて、現状を把握しようにもうまく頭が働いてくれない。
「な、に!?」
「少々の痛みは我慢してもらおう」
 レーナが大きく跳躍するのを、青葉の目は捉えた。踊るように軽やかに空を舞った彼女の剣が、ラウジングの肩口に突き刺さる。いや、その直前でかろうじて彼は体をひねった。彼女の剣は彼の肩と腕をかすめ、小さな悲鳴だけが漏れる。
「ちいっ」
「甘いな!」
 しかしレーナは口角を上げた。体勢を立て直そうとするラウジングに向かって、何も手にしていない彼女の左手が伸ばされる。その手の平が青白く光り、目を灼くほどの輝きが生まれた。それは球形を型取って彼の体へと叩き込まれる。
「ぐぅぅっ――!」
 耳にしたくない、くぐもった悲鳴が鼓膜を震わせた。けれどもそれで終わりではない。胸元を押さえてうずくまった彼にさらにレーナの剣は向かっていった。エメラルドの輝きが彼の左肩に突き刺さる。
「レーナ!」
 それ以上は止めてくれという思いで、咄嗟に青葉は叫んだ。ラウジングが苦しむのも見たくはないし、何よりこの状況をこれ以上梅花に見せたくない。それにこのままではラウジングの命まで危うくなる。梅花を抱く手に、青葉は力を込めた。
 するとレーナの動きが止まり、その視線が青葉たちへと注がれた。いつものように微笑むわけでもなく、彼女はただ曖昧な表情で彼らを見た。乱れた髪がその頬にかかるも、また風に揺れて踊るように舞う。
 その足下では、ラウジングが膝をついたまま荒い呼吸を繰り返していた。どう見てもこれ以上戦闘続行は不可能な状態だ。しかし幸いにも、彼女がそれ以上攻撃する気配もなかった。それを確認したのか、後ろにいたサイゾウとアサキがラウジングの方へと駆け寄っていく。静けさを取り戻した戦場に二人の足音が響いた。
「ラウジングさん!」
 サイゾウの不安げな声が前方から聞こえた。ラウジングの傍に膝をついた二人は、その体を支えるようにして顔をのぞき込んでいる。その様をレーナは黙って見下ろしていた。今も彼女の腹部からは血が溢れ出しており、それが地面に徐々に血だまりを作り出している。その光景はどこか遠い世界の出来事のようだった。それが現実なのだと教えてくれるのは、辺りに漂っている煙と血の臭いだけだ。
「レーナ……」
 腕の中で小さく、梅花がその名を呼んだ。当人が答えられる距離ではないので、代わりに青葉は彼女の腕を掴む力を強くする。彼女が倒れてしまわないように、壊れてしまわないように、とにかく必死だった。これだけ華奢だと思ったことは今までなかったかもしれない。だから今、この手を離すわけにはいかなかった。
「レーナ!」
 すると背後から、耳をつんざくような呼び声が聞こえてきた。慌てて首だけで振り返ろうとすると、その横をアースがすり抜けていくのが目に入る。
「アース!?」
 青葉は思わずその名を叫んだが、無論彼は振り返らなかった。誰もが動けない中アースは真っ直ぐレーナの傍に駆け寄る。そしてそのか細い肩を強く抱き寄せた。一瞬ふらついたレーナはそこまでされてようやく、アースへと眼差しを向ける。
「ああ、よかった。アースか」
「お前馬鹿だろうっ。どこの誰がこんな状況で戦うっていうんだ!?」
「ここにいるわれ」
「せめて止血しろ!」
 自分の首元の布を引きちぎるよう手でのけると、アースはそれを彼女の体に巻き付けた。元々赤いそれは彼女の血を吸ってさらに深い赤を呈する。彼が眉根を寄せるのが、青葉にもはっきりと見えた。
 この出血量で立っているのはおかしい。それは青葉にもわかることだった。そういった方面に詳しくなくとも直感でわかることだ。これだけの怪我を負って意識を保っているのは、異常としか言いようがない。
「悪い、アース」
 すると不意に、レーナの体から力が抜けた。傾いた彼女の体を慌ててアースが支えるのが見える。安堵したため気を失ったのだろうか? この距離では確かなことは言えないがそう思えた。レーナの気が急に弱くなったのもそのためだろう。
「だから言ったものを」
 そう吐き捨てたアースの視線と、青葉の視線が一瞬混じり合った。互いに言いたいことは山ほどあるが、今口にすべきでないことは理解できる。今はそれよりもずっと優先すべきことがあるのだ。互いに大切な者を放っておくことなど論外としか言いようがない。
「先輩!」
 すると今度は、別の声が背後から聞こえてきた。再度首だけで振り返れば他の神技隊たちが走り寄ってくる姿が見える。今の声の主はよつきだろう。その後ろにジュリがいることを確認し、青葉は安堵した。ラウジングのためにも傷を治せる者が必要だ。ジュリの腕ならきっとラウジングの命も助けてくれる。
「あの、この状況は……」
 現状に戸惑う仲間たちは、青葉のすぐ後ろで立ち止まった。最初にやってきたのはピークスの五人だが、その後ろからフライングの五人が走ってくる姿もある。じきに皆辿り着くだろう。消火はほぼ終わったようだ。
「説明は後でする。とにかくラウジングさんの怪我を何とかしてくれ」
 青葉はそう告げると、もう一度ラウジングたちの方を見た。けれどもそこに、先ほどまでいたはずのアースとレーナの姿はなかった。驚いた青葉は瞬きを繰り返す。まるでそれまで存在していなかったかのように、二人は音もなく消えていた。ただ地面に残された血だまりだけが、確かに彼女たちがいたことを示している。
「あ、あれ?」
「レーナならアースが連れていったわ」
 思わず首を傾げると、答えは梅花が口にしてくれた。しかし抑揚のない声で告げられた返答に青葉は軽く唇を噛む。感情が読みとりにくいのは同じだが、普段にはない何かが感じられて不安になった。今何を思っているのか、何を感じているのか問いかけたくなり、彼は眉根に力を込める。
「一体、何が起こってたのかしら」
 かすれかけた声で放たれた彼女のつぶやきが、全てを物語っていた。答えを持たない彼は、ただ黙って血だまりを見つめた。

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