white minds

第八章 魔の影-1

 基地に戻った神技隊らは、どうしようもなく苛立っていた。この期に及んで有無を言わさずに待機を命じられたためだ。ラウジングの怪我ことも気にかかるし、何故あの場にレーナたちがいたのかも気にはなっている。しかしそれを確かめる術はなかった。いくら睨んでも答えてくれない扉を一瞥して、滝はため息をつく。静かなモニタールームにそれはよく響いた。
「一体何がどうなってるんだ!」
 するとそれに触発されたのか、それとも黙っていることに耐えられなくなったのか、背後から壁を叩く音がした。この声はゲイニだ。振り返った滝はかける言葉なく眉根を寄せる。短気なゲイニにこの状況は酷だろう。いや、彼だけでなく皆が現状に嫌気が差していた。
「んな怒ったってしょうがないだろ? ゲイニ」
「そうそう、あんたのせいで私たちまでさらに苛立っちゃうわよ」
「うるさい。そういうお前たちは平気なのか!?」
「そりゃあ、むかついてはいるけど」
 ここで雰囲気がぎすぎすしてはフライングの責任とでも思ったのか、ラフトとカエリがゲイニの方へと近づいていった。しかしゲイニの機嫌が直ることはない。そのとげとげした口調にカエリの目も普段以上につり上がり、ラフトも顔をしかめた。事態はさらに悪化だ。
 そんな状況の中沈黙し続けることができず、仕方なく滝は向かいにいるレンカへ話しかけた。
「レンカ、『上』にいた時何か聞かなかったか? 噂とかでも」
 問いかければレンカは視線を上げ、その頬に細い指先を当てた。そして何か思いだそうと努力するように、眉根を寄せて小さくうなる。
「あーそうね、残念ながらそういうのは聞けなかったわ。起きた時はちょっと落ち着かない雰囲気だったけど、でも私ほとんど眠っていたし」
「そうか」
「ごめんね」
「いや、レンカの目が覚めた時にはもうあいつら動き出してたみたいだしな、仕方ないさ」
 だが彼女から得られた情報は少なかった。滝は首を横に振り苦笑いを浮かべる。レンカとてわけがわからないまま送り出されたのだ。目覚めて間もなく神技隊に合流したとなれば、状況など把握している暇がないだろう。
「梅花、お前は何か知らないか?」
 仕方がないと次に滝が話しかけたのは梅花だった。壁にもたれかかっている彼女は、呼びかけられてほんの少しだけ視線を上げる。
 皆が知らない情報も、彼女だけは持っているということが何度かあった。ならば今回もと希望を抱いてみたのだ。もっとも今回ばかりは彼女だってほとんど皆と一緒にいたのだから、彼女だけ何らかの情報を受け取ったということは考えにくいだろう。
「いえ」
 案の定、彼女は首を横に振って否定した。いや、予想と違うところがあった。その表情だ。元々彼女は感情表現が豊かではなく、常に無表情に近い仮面をかぶっている。が、今の彼女は虚ろとまではいかなくとも明らかに暗い影を纏っていた。その黒い瞳には力無く、顔も若干青ざめている。だからだろう、彼女の隣にいる青葉がしきりに心配そうな視線を送っていた。
 梅花から何かを聞き出すのは無理か。
 そう判断して滝は瞼を伏せた。彼女自身に何が起きているのかも、一つとして聞き出すことはできないだろう。少なくとも今は無理だ。滝はもう一度レンカと視線を交わし、互いに何とも言えない表情を浮かべた。
「ってことは、結局待つしかないんだよね、僕らは」
 するとレンカの隣に立っていたミツバが、大袈裟に肩をすくめてそうつぶやいた。つられるように次々と沸き起こるため息。その連鎖に逆らいながら、滝はひたすら自らに言い聞かせた。
 いずれ霧は晴れる。
 それがいつになるのかと問いかけたい衝動を堪えて、彼は沈み込む仲間たちを眺め続けた。



「連絡が入っています!」
 そう叫んだのはピークスのたくだった。モニタールームでの待機組だった彼は、パネルの明かりを確認すると後ろにいるホシワへと視線を送る。
 ついに上から次の指示が来るのだ。
 その事実は喜ばしくもあり、だが同時に不安をも含んでいた。引き続き待機を命じられた場合、自分たちの心は耐えられるのだろうか? おそらく裏切られた期待は、予想以上の痛みを伴うだろう。それならば聞かなかった方がよかった、と。
 だから振り返ったたくの肩はかすかに震えていた。しかしホシワにその不安はなかったらしい。彼は小さくうなずくと、すぐさま隣にいたヒメワに目で合図した。彼の小さな瞳が力強い光をたたえている。
「ヒメワ先輩は滝たちのところへお願いします」
「はい、わかりましたわ」
 答えるヒメワの声も冷静だった。先輩たちの頼もしさに安堵しながら、たくは急いでパネルを叩く。言われなくても仕事をするくらいでなくてはいけない。いつもよつきに注意されていることだ。操作を終えた彼は、黒一面だったモニターを黙って見上げた。すると虫の音のような小さな音がして、そこに一人の男性の姿がぼんやりと映り出す。
「アルティード、さん?」
 たくに聞こえるか聞こえないかといった程度の声で、ホシワがつぶやいた。モニターに映し出されていたのは、この前彼らに出撃命令ならぬお願いをしてきた、一人の男性だった。名は確かアルティードとかいうらしい。艶のある銀の髪から瑠璃色の瞳を覗かせた、落ち着いた印象の男だ。
「しばらく待たせてすまなかったな、神技隊」
 モニターが鮮明な映像を描くと同時に、その中にいるアルティードは開口一番謝罪した。それだけで抱いていた不安は霧散するというもの。たくは安堵して肩の力を抜くと、近づいてきたホシワを一瞥した。背の高いホシワの顔は、たくからでも見上げる位置にある。彼は真っ直ぐモニターを見つめ、ゆるゆると首を横に振った。
「いえ、こうして連絡していただけるだけでありがたいです」
 ホシワはそう言って破顔した。大人の対応だ。たくも同じ気持ちだと伝えるように相槌を打ち、アルティードの言葉を待った。画面の向こうでアルティードは口角を上げ、瞳を細める。
「我々も色々と話し合っていてな、伝えるのが遅くなってしまった。重要な事項を話そうと思うのだが、準備はいいかね?」
 彼がそう問いかけるのと同時に、モニタールームの扉が開いた。そこからヒメワ、続いて滝たちが駆け込んでくる。それを確認してホシワが首を縦に振った。
「はい、大丈夫です」
 ホシワの傍へと滝、レンカが近づいてきた。たくは一歩下がって場所を譲り、それからもう一度モニターを見上げる。アルティードも滝たちの姿を確認したようだった。彼は表情を引き締めると一度視線を逸らし、言葉を選ぶようにして口を開き始める。
「ではこれから言うことを心して聞いて欲しい。検討の結果、少なくともしばらくの間は、お前たちにはこの神魔世界を出て、また今まで通りの仕事に戻ってもらうことになった」
 何度も言葉を切りながら、アルティードはそう率直に告げてきた。その内容に皆は絶句する。
 今まで通り。それはつまり違法者を取り締まる仕事に戻れということか? 何故ここ神魔世界へ再び足を踏み入れたかを考えれば、それは奇妙なことだった。まだ魔光弾は死んでいないのだ。
「今まで通りということは……魔光弾のことは?」
 皆を代表するようにそう滝が問いかけた。何とか動揺を押し殺そうとしているのだろう。握った拳に不必要な力が入っているのが、たくの目でもわかる。画面の中のアルティードは、そんな彼らを見つめながらゆっくりうなずいた。
「魔光弾の消息は今のところわかっていない。現在も調査は続いているが、どうやらそう簡単によい報告はできそうにないのだ」
 なるほど、つまり魔光弾は彼らから逃げ回っているのだ。ならば少なくとも当面は問題ないという判断だろう。それならば話はわかると、滝たちの体から少し力が抜けた。だが次の一言が、別の衝撃を彼らに与えることとなった。
「情報提供者であるレーナの死によって、痛手はあるが我々にも少し余裕が生まれたのだ。故にとりあえずお前たちがいなくとも、我々だけで何とかできるだろうと判断した。だからとりあえずは魔光弾が見つかるまで、通常の任務にあたって欲しい」
 それは聞き流してしまいそうになるくらい、さらりと告げられた。けれどもよくよくかみ砕いてみればとんでもない事実を示していて、神技隊らの顔は徐々に青ざめた。
 何故青ざめる必要があるのか、それは彼ら自身にもわからなかった。何故なら『彼女』は敵だったのだ。変な奴らではあったが、決して味方ではなかった。なのに何故その死にこれだけ動揺しなければならないのか。その理由がわからないまま、それでも彼らは衝撃を受けていた。冷静ではいられない。
「レーナが――死んだ?」
 恐ろしい事実を確かめるがごとく、こわごわとした口調で滝が繰り返した。するとその反応が予想外だったのか、画面の向こうでアルティードが不思議そうに首を傾げる。銀の髪がさらりと白い服の上を滑った。
「お前たちは知らなかったのか? 確か、致命傷を負ったところをシークレットが見ているという報告なのだが」
 アルティードの声も、彼らの耳を半分は素通りしていた。だがわかることもある。あの戦い以降シークレットの様子が、特に梅花の様子がおかしかった理由だ。見ていたのだ、彼女たちは。そしておそらく感づいていたのだ、その事実に。誰のものかわからない息を呑む音が、室内に染みこんでいった。
「だがそうだな、確かに誰も最後の瞬間までは確かめていないな。しかし彼女の『気』はもう完全に消えている。それは確かだ」
「そう……ですか」
 かろうじて返答した滝が、機械のような動きで首を縦に振った。気が消えた。ならばレーナは本当に死んだのだ。得体の知れなかった彼女は、謎を抱えたまま消えてしまったのだ。たくは震える拳に力を込めて太股に強く当てる。
 あれだけ引っかき回しておいて、結局何も明らかにすることなく消えるなど卑怯だ。
「とにかく、わかりました。他のメンバーにも伝えておきます」
「ああ、詳しいことは後でリューあたりにでも伝えさせよう。ではこれにて失礼する」
 最後にそう言い残すと、アルティードは気遣わしげな瞳のまま通信を終了させた。再び黒一面に戻った画面を、神技隊たちは言葉なく見つめる。すぐに何かを口にできる者は、少なくともその場にはいなかった。
 何がおかしいのか、何がこんなに辛いのかわからなかった。わからないまま彼らは立ちつくしていた。しかしずっとそうしているわけにもいかない。最も立ち直りの早かった滝は、ゆっくりとした動作でホシワへと眼差しを向けた。
「ホシワ、皆を集めてくれないか? ここに」
 だが彼の声にも抑揚はなかった。頼まれたホシワは黙ってうなずき、早足で扉へと向かっていく。その足音が部屋の向こうに消えると、痛い程の静寂が辺りを包んだ。
 気が重い。重力が強くなったように、体自身の重みさえ支えきれなくなっている。陰鬱とした空気の中、彼らはただ残りの仲間たちが集うのをひたすら待った。

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