white minds

第八章 魔の影-3

 神技隊らが無世界へと戻ってきてから、約三ヶ月が過ぎた。その間に大きな動きはなかった。一ヶ月後にラウジングの怪我が癒えたという報告だけが、梅花を通じて知れ渡ったくらいだ。それ以外には特に何の音沙汰もなかった。魔光弾も見つかってはいないらしく、無論レーナたちについての話題はいっさい出てきていない。
 それ故に神技隊らは以前と同じように、淡々と本来の仕事をこなしていた。まるでこの数ヶ月に渡る異変など、夢だったかのような生活だった。
 フライングはヒメワが当てた宝くじで相変わらずの悠々な生活、仕事。そしてストロングは相変わらずの神出鬼没で、スピリットは真面目に本業をやっていた。北斗たちは奇跡的にも仕事に復帰できたらしいので、そのおかげだろう。またピークスはそれまで通り山田家の屋敷で働きつつ、違法者の取り締まりに精を出していた。
 唯一それまでと違う生活を送っていたのはシークレットだった。彼らには上からの『特別指令』が来なかったため、他の神技隊同様に普通に違法者の取り締まりを行っていた。だがそれも今までの事件を思えば、些細な変化に過ぎない。
 だからそういった日々はある意味、とても平和だった。各々の胸の内に小さな違和感だけが残っているが、それを除けばおおむね世界は平和だ。嘘みたいに穏やかだった。
 しかし、確実に何かは流れている。彼らの知らぬどこかで、それはひっそりと動き出していた。ひたひたと背後から歩み寄るように、小さな流れが緩やかな斜面を伝うように。それは少しずつだが着実に、変化を重ねていた。
 そして九月五日、それは彼らの前に姿を現した。



「魔光弾が発見された!?」
 滝の叫びが、神技隊全員に事態を把握させた。梅花の呼びかけを通じて皆が集まったのは、いつも通りシークレット専用の『特別車』の前、見覚えのある公園の中だった。月も隠れた真夜中では、灯された明かりが唯一の頼りとなる。その光に照らされた皆の顔は、驚きと安堵が半々混じり合った顔だった。
 見つかって欲しかった、見つかって欲しくなかった。相反する二つの感情が、それぞれの胸の内を渦巻いていた。このまま全てをなかったことにするのは気持ちが悪い。かといってまた混乱の最中に放り出されるのも快くはない。それらが複雑に絡み合い、何とも言い難い表情を生み出すのだ。
 しかし見つかったとわかれば彼らに選択の余地はなかった。滝が確認するように視線を向けた先で、梅花は神妙に首を縦に振る。
「はい。ですからもう一度、神魔世界へ来て欲しいとの要請がありました。できるだけ早い方がいいようです」
 そう答えた梅花の声が、静まりかえった辺りに染みこんだ。次第に皆の表情が硬くなっていく。それは決意によるものか、それとも別の思いによるものなのか。だが何にしろ、この三ヶ月という期間は『違和感』を拭い去るだけの力は持っていなかった。それぞれの記憶はあっという間に三ヶ月前に引き戻され、その時の苦い思いが蘇ってくる。
 ただ梅花の対応が落ち着いているのは、この三ヶ月の効果のたまものだった。少なくとも見た目や声音には動揺の色は全くない。相変わらずと言いたくなる醒めた瞳が、ただそこにはあるだけだった。
「ですので明日の朝六時には出発したいと思います。集合場所はここで。時間までには必ず集まってください」
 梅花は淡々と言葉を紡いだ。薄暗い中浮き上がったその表情は、神秘的ながらにもどこか空恐ろしく、人間のものとは思いがたい雰囲気を纏っている。
 故に空気は神妙で硬く、どこか陰鬱としたものをはらんでいた。いや、彼女だけが原因ではないだろう。各々の感情がこの場の空気の重さに、確実に影響を与えていた。
「わかったわ、明日の午前六時ね」
「じゃあまた急いで準備しないといけませんねー。女の子の準備って面倒なのに」
 けれどもそんな中でも明るく振る舞える者たちがいた。繰り返したレンカに向かって、リンが気楽な声でそう言う。そして二人は顔を見合わせると悪戯っぽい笑い声を漏らした。その声によって、空気は一瞬で華やいだ。それだけの力を二人は持っていた。レンカの穏やかな笑顔には癒されるし、リンの朗らかな笑いにはついつられそうになるのだ。
 実際は、持っていける物は少ないのだから準備にそれほど手間はかからない。最低限の着替えと軽い日用品くらいだろう。こちらの文化に関わる物を持ち込むのは、どちらかといえば敬遠されていた。だから本当に必要最低限のものだけなのだ。
 だがそうつっこむ気にさせない力を、二人は持っていた。だから誰も何も異論を唱えはしなかった。くすりとつられ笑いが聞こえたくらいだ。
「そうだな。じゃあみんな明日の朝六時に遅れずに、ってことで」
 空気がゆるんだところを、最後に締めくくったのは滝だった。皆はうなずくと、重たい足を動かして散り散りになっていく。複雑なのは誰もが同じ。だがそれに押しつぶされているわけにはいかなかった。魔光弾は見つかったのだから、また事態は動き出したのだから。何が起きているのか、今度こそ目を凝らさなければならない。
「また知らないところで、何かが動いていなければいいわね」
 ぽつりとつぶやいた梅花の言葉に、答えられる者はいなかった。去っていく仲間たちと残された仲間たちの狭間に、それは染み入るように消えていった。



 フライングの五人が住むアパートはかなりお洒落なつくりのものだった。玄関だけでなく明かりや扉にもそれは表れていて。そういった扉の一つについたクラシックな取っ手を、カエリは無造作に手にした。それを押して居間へと入れば、くつろいだ様子のラフトとミンヤの姿が目に入ってくる。
 おそらく出発の準備はすんだのだろう。もともと必要な物など少なそうな二人だから、空にも近く見える荷物は軽そうだった。カエリは無駄に大きなソファに腰掛けると、そこにある可愛らしいクッションを膝に乗せる。全てお金を出したヒメワの趣味だ。だから少女趣味でも文句は言えないが、このクッションの手触りはカエリも好きだった。
「何でかわからないけど、気が重いわよねえ」
 続く沈黙の中、カエリはそうつぶやいてため息をついた。別に静寂に耐えられなくなったわけではない。ラフトが適当に見ているテレビからは馬鹿話が聞こえているし、ミンヤの方からはココアをすする音も時折聞こえている。
 けれども何か口にしたかったのだ。いや、胸の内に溜め込んでおけなかったのかもしれない。かつて反抗の意味で派手に染めた前髪をいじりながら、カエリはあーあともう一度嘆息した。別に返る言葉を期待しているわけではない。フライングの中でまともな会話が成立する確率は、考えたくない程低かった。だからもうとうに諦めているのだ。
「カエリにわからんことは、わいにもわからんだべさ」
 案の定、ミンヤからは色んなものを放棄した答えが返ってきた。ミンヤはいつもそんなことを言う。自分で考えることを諦めているような、そんな返答が多かった。それさえなければフライングの中ではまともな方だと思うから、非常に残念なことだ。
「それってさ」
 しかし、今日は何かが違った。それまで黙っていたラフトが、不意にそう声を発した。そこにはいつものおどけた調子が含まれていなくて、思わずカエリは目を見張ってラフトを見る。一人用のソファに腰掛けていた彼は、今は子どものように膝を抱えて座っていた。その眼差しはまだテレビに向けられているが、意識は向いていないのだろう。彼は癖のある銀髪を掻き上げてから、うーんと首を傾げた。
「やっぱりさ、あそこはもうオレたちの居場所じゃないから、とかじゃないか?」
 ラフトはそう続けた。それを耳にして意識してかみ砕いて、カエリは息を止めた。そのまま再開できないのではと焦る程だった。
 まともなことを言っている。あの、ラフトが。
 その事実だけでカエリは相当狼狽した。クッションを力強く抱きしめると、思わず傍にいるミンヤと顔を合わせる。ミンヤも同じ気持ちなのか、これ以上ないくらい目を見開いていた。趣味でかけているらしい自慢の眼鏡も、珍しいことに半分ずり落ちている。それを正す気も起きないらしい。
 そうだ、これは奇跡だ。あのラフトがこんな真面目なことを言うなんて。もし奇跡じゃあないとすれば病気だ。
 そこまで考えるとその可能性を忘れていたとばかりに、カエリはラフトを凝視した。そしてくいくいと手招きをする。
「ラフト、あんた大丈夫? 風邪?」
「きっと熱でもあるんだべさ。明日は朝早いんだし、すぐに寝た方がわいもいいと――」
「おいっ!」
 気遣うカエリとミンヤの言葉に、ラフトはむっとした様子で声を荒げた。からかってるのかと言いたげだったが、カエリもミンヤも真剣だった。それぐらい珍しいことだったのだ。ラフトがこんな真面目で繊細な話をするなんて、到底信じられない。
「オレだってたまにはかっこいいこと言ったっていいだろ!?」
「いや、だってねえ。あんたがそんな真面目なこと言うなんて……」
「そうだんべ。もうかれこれ二、三年はそんな発言聞いてないだんべ」
 立ち上がって主張するラフトに、カエリとミンヤは心底心配そうな顔を向けた。これは偽りのない感情なのだ。からかうつもりなど毛頭ないのだ。すると諦めたのか苛立ち混じりのため息をつくと、ラフトはもう一度ソファに座り込んだ。ぼふりと柔らかい布地が音を立てて、彼の体が沈み込む。
 どうやら拗ねたらしい。面白くもないテレビをかじりつくように見つめて、ラフトはこれ以上の会話を拒んだ。その横顔を見てカエリは苦笑を浮かべる。こういう子どもっぽいところはラフトらしい。しかし先ほどの彼の発言は、カエリの胸の奥底に楔を打っていた。
「居場所、か。私たちの居場所ってどっちなんだろうね。無世界と、神魔世界と」
 つぶやいて彼女はぼーっとテレビを眺めた。名前の知らない芸人が何やら馬鹿なことをやっている。それをただ視界に映すだけして、カエリは考えた。きっとどちらでもないから困るのだろうと。中途半端な存在なのだ、神技隊は。
「あ、そう言えばヒメワとゲイニは?」
 だがこう沈んでばかりもいられない。話題を変えようとそう尋ねたカエリは、その質問が失敗だったとすぐに気がついた。答えは分かりきっているからだ。ヒメワがいない理由もゲイニがいない理由も、ちょっと考えるだけですぐにわかった。
「あ、ヒメワはさっき寝るって言ってただんべ。ゲイニはタバコを買いに出かけただんべ」
 案の定、ミンヤの答えは予想を裏切ってはくれなかった。神魔世界にはないタバコが今のゲイニには欠かせないし、ヒメワに睡眠は欠かせない。何より重苦しい空気とは無縁の二人だった。それぞれやりたいことを好きなようにやるだろう。本当はタバコを持ち込むのだって敬遠すべきなのだが。
「本当相変わらずよねえ」
 カエリはそうつぶやくと、クッションをぽふぽふと叩いた。お気楽な仲間たちが、ちょっとだけ羨ましかった。

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