white minds

第八章 魔の影-4

 朝日が辺りを照らす中、神技隊らは再び神魔世界の大地を踏みしめていた。早朝独特の冷たくも清々しい空気が、彼らの肺をゆっくりと満たしていく。この濃さは無世界の街では味わえないものだ。それを皆が感じている中、ゲートを閉じ終えた梅花はやおら振り返った。彼女は辺りの気配を探りながら、仲間たちの方へと近づいていく。
「まずは前回滞在していた基地に向かいます。そこでラウジングさんが待っているそうです」
 彼女がそう口にすると、皆が一斉に振り返った。ここからその基地までは少し距離がある。が、歩いていけない程ではない。彼女の言葉に、一同はうなずいて、誰からともなく歩き出した。この大人数が一団となるとそれはそれで一種の迫力を伴う。ひたすら続く草原の中を、彼らは真っ直ぐに進んだ。
 見える風景はしばらく変わらなかった。けれども歩き続けていると、次第に遠くに異質な建物が二つ見えてくる。一つは煌びやかな宮殿で、もう一つは彼らの目指す基地だ。その二つは三ヶ月たった今も、やはり異質な物としてそこに存在していた。
「ラウジングの調子はもういいのよね?」
 そこでふと思い出したように、レンカがそう尋ねてきた。彼女の視線を受けて、梅花は首を縦に振る。ラウジングの怪我はもう二ヶ月程前に完治していた。宮殿の廊下を彼が急ぎ足で通り過ぎるのを、実際に梅花は目撃している。その足取りには危なげなところはなく、怪我の面影は全く感じなかった。だから上からの情報に偽りはないだろう。
「ラウジングさんなら大丈夫でしょう。ただ見つかったという魔光弾が行方をくらまさないか、それだけを皆心配しているようでしたし」
「見つかったのはいつなの?」
「昨日の朝のようです。彼はまたリシヤの森に姿を現しました。今どこにいるかはわかりませんが、ラウジングさんが聞いているでしょう」
 レンカと言葉を交わしながら、梅花は基地の方を見やった。よく目を凝らしてみれば、その前方に誰かが立っているのがわかる。白っぽいゆったりとした服に緑の髪。気からもラウジングであることは明白だった。どうやらかなり待たせてしまっているらしい。隠しているのだろうが気からわずかにだが、焦りが感じられた。
「急ぎましょう」
 そう小さく言うと梅花は歩調を早めた。皆もラウジングの姿に気づいたのか、文句も言わず一緒にペースを上げてくれる。緊急事態なら走ってもかまわないし、飛んでいくという方法もある。だがラウジングが走り寄ってこないところを見ると、そこまでではないのだろう。ならば無駄な体力消費は避けたいところだった。一応皆荷物も持っているわけだし。
「神技隊」
 ある程度近づくと、ラウジングはそう言いながらゆっくりと近づいてきた。梅花は小走りで彼に近寄ると、軽く頭を下げる。肩から長い髪が落ちてきたが、気にせず彼女は真っ直ぐ彼を見上げた。
「遅くなりましてすいません。魔光弾の方は?」
「奴は依然としてリシヤの森にいる、んだがその中で移動しているらしい。逃げられては見つけて、を繰り返している」
「そうですか」
 梅花からわずかに視線をはずして、ラウジングはそう答えた。その間に皆も追いついてきて、口々にラウジングに挨拶を述べていく。するとラウジングはほっとしたように肩の力を抜き、軽くだが笑顔を見せた。安堵は隠せないようだった。梅花にはその理由がわかったので、あえてそこには触れずに一歩だけ下がる。そしてリシヤの方角へと双眸を向けた。
 彼が梅花を見ないのは、レーナを思い出すからだろう。彼が殺した女を、そして彼を傷つけた女を、思い起こさせるからだ。彼女とは別の人間だと言い張ったところで、想起するのを防ぐことなどできない。彼女たちは似すぎていた。瓜二つという程よく似ていた。ただおそらく彼にとっての唯一の救いは、梅花が笑顔を浮かべないという点のはずだった。レーナは笑顔の人と読んでも差し支えない程いつも微笑んでいた。そこが梅花とは大きく違う。
「それでは荷物を入り口に置いてすぐに行きましょう」
 挨拶が一通り終わったところで、梅花はそう告げると皆の方を見た。その背中にラウジングの視線を感じたが、彼女はあえて振り向かなかった。彼の傷をえぐるつもりはない。今はそれより魔光弾の方が重要なのだ。彼を刺激するべきではないだろう。
「ああ、また頼む神技隊」
 ラウジングの声は固かった。そしてそれは乱暴に放り出された荷物の音に、あっという間にかき消されていった。



 リシヤの森は相変わらず独特の空気を持っていた。肌を切る程澄んだ空気とよどんだ空気。その両方を持ち合わせたここに、今は何とも言えない圧迫感が漂っていた。張りつめた何かが体に突き刺さるような、それでいて体を溶かしていくような。
 ここは息苦しい場所だと、梅花は思う。あまりに気が多すぎて、目眩がしそうだった。純粋なようで捻れている気配が、彼女の過敏な神経を刺激して止まないのだ。それが息苦しさの原因だった。しかも残念ながらその刺激が止むことはない。
 耐えきれずに思わず胸元に手をやると、いつの間にやら近づいてきた青葉が肩に手を置いてきた。それを振り払いたい衝動と安堵の気持ちに複雑になり、梅花は顔をしかめる。不用意に触れられるのは嫌いだった。ただ青葉が傍にいると息苦しさが軽減されるのも確かなので、甘受すべきなのかどうか迷うところだ。
「入り口に誰かいるはずだったんだが、誰もいなかったな」
 先頭を行くラウジングがそうつぶやいた。彼は必死に魔光弾の気を探っているようだ。しかしこの捻れた気に埋め尽くされた森では、それもなかなかうまくはいかないのだろう。彼の歩調には苛立ちが見えて、梅花は少しだけ不安を覚えた。こういう時は冷静な判断ができなくなるのだ。特にラウジングのようなタイプは。
「――いた!」
 案の定、気を探り当てたらしいラウジングは唐突に走り出した。神技隊のことなどおかまいなしだ。全力で木々の間を駆け抜けていく彼を、神技隊らは慌てて追いかけ始めた。ラウジングの足は速い。気を抜けば置いていかれる可能性もあった。
「ったく、ラウジングさんもこういうとき周り見えないんだからなあ、もう」
 隣を走る青葉が嫌そうに愚痴を漏らす。だが彼も周りが見えなくなりやすいという意味では同類だと、梅花はひっそりと思っていた。ただ今は見失っていないだけなのだ。
 あれ?
 しかし走り続けながら感じた違和感に、梅花は眉根を寄せた。ラウジングの向かう先からかすかに魔光弾らしき気を感じる。しかしそれは一つではないようだった。魔光弾を見張っていた者たちかもしれないが、どうも違うような気がする。
 何かが、上手く言えないが何かが違うのだ。もっと体に直接訴えかけてくる何かが、そこからは感じられる。
 途端、かすかに話し声が聞こえてきてラウジングの足が止まった。何かあったのだろうか? 梅花は訝しく思ったが、とにかくラウジングに追いつくことが先決だろうと立ち止まらなかった。さらに速度を上げた彼女たちはラウジングの横に並んだ。彼が立ち止まっていたのは、大きな茂みのその後ろだった。その先には倒れた巨木があり、それを中心にちょっとだけ開けた草原が広がっている。
 その巨木の端に、魔光弾が腰掛けていた。見えたのはその大きな背中だった。以前と変わらぬ赤一色の恰好に赤い髪が、この景色の中では妙に浮き立って見える。
 けれどもラウジングが立ち止まった理由は、それではなかった。聞こえてきた声だった。一方は男性のもの、一方は女性のもの。前者が魔光弾のものであることは明白だったが、問題は後者だった。聞き覚えがあった。ありすぎて心臓が止まりそうだった。完全に硬直したラウジングの代わりに、梅花は一歩前へと踏み出す。
「――レーナ?」
 彼女はその名前を呆然とつぶやいた。すると茂みの向こうでは、驚いたように魔光弾が振り返った。そのおかげでもう一人の人物の姿が露わになる。彼は、一人ではなかった。彼の大きな背中に隠れるように、もう一人少女が巨木に腰掛けていた。梅花と同じ黒い髪に黒い瞳の、笑顔の少女が。
「ああ遅かったな、みんな」
 そう言って手を振ってきたのは、紛れもなくレーナだった。こんな調子に気楽な様子で話しかけてくるのは彼女以外に考えられない。嘘みたいだった。あの時死にそうな顔をしていた彼女など幻だったように、元気そうだった。だから梅花は何と答えていいのかわからなくなる。聞きたいことは山程あるが、そのどれも言葉になって出てこなかった。次々と追いついてきた仲間たちもそれは同様なのだろう。誰もが何も言えずに、ただ静寂だけが辺りを満たす。
「久しいな、神技隊。三ヶ月くらいか? 会えなくて寂しかったよ」
 そんな中、レーナは小首を傾げるとそう続けてきた。結わえられた髪がふわりと揺れて、巨木の上を撫でていく。三ヶ月前に見た彼女と何ら変わりない姿だった。違いと言えば傍に魔光弾がいることぐらいだろう。彼はこの状況に戸惑っているようだったが、レーナはというとこの調子だ。
「き、貴様生きていたのか!?」
 そこでようやく我に返ったのか、ラウジングがそう声を張り上げて数歩踏み出してきた。荒くかき分けられた茂みが悲鳴を上げる。しかしレーナには動じる様子もなく、立ち上がりさえしなかった。考え込むように反対側に首を傾げて、妙に可愛らしい仕草で頬に指先を当ててくる。
「生きていた? うーん、その表現は正しくないな。われは確かに死んだよ、あの時。だけど今ここにいるのも事実なんだ。われはレーナ、それ以外の何者でもない。疑わないでくれよ?」
 彼女はそう答えると実に楽しそうに微笑んだ。魔光弾はそんな彼女とラウジングたちを交互に見つめている。戦闘する気は、彼にはないようだった。ラウジングからはその気配がわかりやすくにじみ出ているが。
「……よくわからないが、しかしお前が魔光弾と密談しているということは、やはり魔族の手下なのだな」
 結局理解することを放棄したらしい。ラウジングはそう強調すると、低く構えて戦闘態勢に入った。その瞳は鋭くレーナを睨みつけている。しかし彼女の方は動かなかった。動きたいとも思っていないようだった。先ほどよりも余裕の表情で笑みを深めると、頬に当てていた指をそっと巨木へ下ろす。
「われが魔族の手下? それは勘違いも甚だしいな。そんなのあちらさんの方が嫌がるだろうに。そう、それに一つ忠告しておこう。魔族が一枚岩だなんて思わない方が今後のためだぞ。お前たち神がそうでないのと同じで、な」
 彼女の口調には悪戯っぽい響きが隠れていた。それは揶揄しているようでありかつ嘲っているようでもあり。だからだろう、構えたラウジングの眉間に皺が寄った。かなり怒りが増してきているらしい。梅花は彼の様子を横目にしながら、困惑に顔をしかめた。
 神、その名前なら梅花には聞き覚えがあった。もっとも無世界の人間が思い描いているような空想的な神、とはまた別物だ。それよりもっと自分たちに近しい存在。無論魔族についても同様に何度も耳にしていた。だからそこに疑問は感じなかった。ただその繋がりやそれを何故レーナが口にするのか、それが理解できなかった。ただラウジングやレーナにとっては、それは当たり前のことのようだったが。
「それでどうするのだ、戦の神。どうしても戦いたいのか?」
 レーナはそう問いかけながらおもむろに立ち上がった。やや細められた瞳からはその深淵がうかがえなくて。思わず梅花は息を呑んでラウジングを一瞥する。けれどもラウジングは無言のまま、構えをとく気配はなかった。それが彼の意思表示だった。
「どうやらあちらはやる気のようだが、魔光弾、お前はどうする?」
 するとそれを確認したレーナは、苦笑しながら今度は魔光弾へとそう尋ねた。巨木に腰掛けたままの彼は、立ち上がることなくため息をつく。その伏せられた横顔からは憂いと悲嘆が見て取れた。戦いたくないと、体全体で彼は語っていた。その点ではラウジングと同じだ。わかりやすさではラウジングの方が上だったが。
「むやみな争いは好きではないのだ」
「そうか、それを聞いてわれは安心したよ。じゃあお前は逃げてくれ。ここはわれがくい止めるから」
 あっさり告げたレーナは、そのまま数歩梅花たちの方へと近づいてきた。否、この場合はラウジングの方へ、と言うべきだろうか。梅花とて、できるならレーナとは戦いたくなかった。それより話がしたかった。死んだが生きていると、そう言われたところでわからないのだ。何が起きているのか、何が起ころうとしているのか。それがわからないまま戦うのはもう嫌だった。
「しかし今狙われているのは私なのだぞ?」
「それもそうだが、われがいるから話がややこしくなってるんだろう? まあ、われだって争いは好きじゃあない。だが誰かが無駄な争いを強いられているのはもっと嫌いなんでな。それを黙って見てるくらいなら自分が戦う方がましさ」
 目を見開く魔光弾へと、レーナは軽い口調で答えた。気張らない様子の彼女は、しかしそれでいて先ほどから全く隙を見せていない。ラウジングが構えたままなのはそのためだ。彼女の実力は彼もよく知っているから、うかつなことはできないのだ。また返り討ちにあってしまう。
「すまない」
 魔光弾が立ち上がった。そして一気に向こう側へと駆けだした。はっとしたラウジングが意を決して地を蹴る。茂みが揺れ、耳障りな音を立てた。だが神技隊は誰も動かない。いや、動けなかった。
「もう逃がしはしないっ」
 ラウジングの怒号が森に響き渡る。彼の右手から放たれた光球は魔光弾へと向かった。が、それはレーナが生み出した結界に弾かれあっという間に霧散した。辺りに光の帯を撒き散らしたそれは、おそらく雷系の技だったのだろう。
「逃がすよ、絶対に」
 レーナの口の端がつり上がった。ラウジングは舌打ちすると、どこからか短剣を――この間彼が彼女との戦いで使用した物を――取り出して構える。魔光弾の姿は既にかなり小さくなっていた。だが幸いにも彼の特徴的な色合いが、緑の中ではっきりと確認することができた。彼を追うべきか否か、梅花は迷う。彼を追えばレーナと戦う羽目になるだろう。かといって逃がしていいとも思えない。
「神技隊っ」
 ラウジングの切羽詰まった声が上がった。するとその要請に従って、ラフトやダンが勢いよく駆けだし始めた。ラウジングにこの場を任せて、という考えだ。せっかく見つけた魔光弾を逃したくはないのだろう。しかし、そう上手くはいかなかった。レーナの右手が横に突き出されると、そこから光の帯のような物が生み出されて二人の足下を叩き付ける。
「うわっ!?」
 小さな悲鳴が上がった。帯が土を削り上げて、それが二人の目を襲った。慌てて飛び退けば何とか回避できるが、それが消えてくれたわけではない。土の上を跳ねる帯は、まるで生きているかのように神技隊たちを牽制していた。この帯の効果が不明な以上、触れるのは得策ではない。
「ちっ」
 すると神技隊では無理だと判断したのだろう、ラウジングが地を蹴った。また今なら彼女を突破できるとも考えたのだろう。彼は彼女へ向かって突き進むと短剣を突き出した。そしてそのまま体当たりする要領で、避けた彼女の横を通り過ぎようとする。
「甘いっ」
 けれども彼は足を取られて盛大に地面を転がった。その理由を求めて視線を向けると、その足首に白い光の帯がからみついていた。ダンたちを牽制しているものとは少し趣が違うらしい。触れても痛みのないそれは、しかし彼の歩みを止めるには十分な力を持っていた。それは彼女の左手から生み出されている。そして右手から生み出されたものはいまだに、二人を翻弄していた。
「われを誰だと思ってるんだ?」
 レーナの楽しげな声が空気を震わせた。その様を、梅花はたたずんだまま見ていた。
 やはりレーナは強い。いや、強くなっている。あの時ラウジングを圧倒していたように、彼女には余裕があった。こちらにはこれだけ人数がいるというのに、足を踏み出す気にならないのだ。また走り出せない理由は他にもあった。魔光弾の姿が既に見えなくなっているからだ。しかも不幸なことに気は先ほどから感じ取れていない。リシヤの森で気を探し出すのは困難なこと故、これは絶望的な状況だった。
 そのことはレーナもわかっているのだろう。すぐに彼女は光の帯を消すと、飛び上がって軽く後退した。立ち上がったラウジングは、威嚇するように彼女を睨みつける。何人かがそんな彼の横に並び、レーナと対峙した。その様子をもじっと梅花は見ていた。レーナはこれからどうする気なのか、それが気がかりだった。彼女と戦うという成り行きはあまり歓迎したくない。
「お前の狙いは何だ、答えろ!」
 ラウジングが短剣を構えて声を張り上げた。一方彼女の方はもう戦闘する気がないらしく、朗らかな笑顔を浮かべてそんな彼を眺めている。
「われの目的は……単純だよ」
 彼女は瞳を細めた。その声にはどこか儚さが含まれていて、梅花は正直どきりとした。胸が痛い。何故か息が苦しい。何に同調しているのかはわからないが、それは我がことのように体を蝕んでいた。口調も何もかもが普段と変わらないのに、ただその声に含まれるわずかな感情が痛いのだ。
「全てを知ることだよ、歴史の全てを」
 そしてレーナは、静かにそう告げた。途端ラウジングの動きが、不自然に止まった。
 歴史の全て、それが指し示す何かを梅花は知らない。だがラウジングには思い当たる節があるのだろう、目に見えて彼は狼狽していた。目が見開かれていた。それだけ驚いているのだ。するとその様子を一瞥したレーナの口元が、少しだけ自嘲気味に歪んだ。それは珍しい表情だった。  何故?  梅花は胸中でそう問いかける。が、無論それが届くはずもなかった。レーナは何も言わずに背を向けると、そのまま走り去ってしまう。あ、と声を出す暇もなかった。気づいた時には彼女の姿はなく、揺れる草の音だけが辺りを満たしていた。
 また、謎だけを残して彼女は消えてしまった。魔光弾も、いなくなってしまった。
 時間の流れから取り残された皆は、ただ動くこともできずにその場に止まっていた。

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