white minds

第八章 魔の影-5

 帰ってきたラウジングが訪れた先は、アルティードの部屋だった。薄暗いそこには小さな明かりが灯されているだけで、一種独特の雰囲気を醸し出している。白いはずの床も壁も、今は淡く橙色に照らされていた。
「――という状況なんです」
 その中でラウジングは、伝えたくない事実を伝えていた。それ故言葉は不自然に途切れ、また声もかすかに震えた。それも仕方ないだろう。任務を失敗したどころか、とんでもない事態に遭遇したのだ。できれば口にしたくないことなのだ。だがそうも言ってられないため、こうしてやってきたのだが。
「それは本当に、レーナだったんだな?」
 珍しくも半信半疑に聞き返すアルティードに、ラウジングはうなずいてみせた。信じられないといった様子だが、無理もないだろう。実際に会ったラウジングとて、いまだに夢ではないかと思っているのだから。
 だが、彼女を見間違えることなどない。いや、何よりあの気は真似ようとしたところ真似られなかった。まさしく彼女だ。それは疑いようがない。だからラウジングは顔を上げると、きっぱりと言い放った。
「はい、はっきりと私の目の前に現れました。魔光弾と何やら話をしていたようですが」
 報告しながらその時のことを、ラウジングは思い出した。からかうような視線に余裕たっぷりの笑顔。それはいまだに頭にこびりついて離れなかった。しかもそのせいで魔光弾を取り逃がしたのだ。そう思うと彼女にはもちろん、自分にも腹が立った。もう少し冷静でいれば、もしかしたら何とかなったかもしれない。もっとも今となってはどうしようもない話だが。
「すみません、私が不甲斐ないばかりに逃がしてしまいまして」
 だからそう率直に謝ると、彼は頭を下げた。せっかく見つけたというのに、神技隊まで呼び寄せたというのに、捕まえられなかった。その事実は重く肩にのしかかってくる。どうやって償えばいいか? 幾度も考えたが、いい方法など浮かばなかった。もし唯一あるとすれば、次は魔光弾を取り逃がさないことだろう。
「気にするな。彼女が相手ではこちらはいつも後手なのだからな」
 しかしアルティードは優しい声音でそう告げただけだった。思わず顔を上げると、苦笑混じりの笑顔がすぐ目の前にある。淡い光りに照らされた瞳は、揺れながらもかすかに細められていた。これはアルティードが何か思案している時の顔だ。ラウジングは息を詰める。
「しかし彼女が生き延びていたとはな……。気は消えたと思ったのだが、隠していたのか」
 そこで視線を逸らしたアルティードは、小さくそうつぶやいた。確かに気になる点だろう。彼女の気がないことは、多くの神が確認しているのだ。だが彼女の言葉を思い出したラウジングは、慌てて訂正に入った。意味不明だが、彼女はそうは言っていなかったのだ。
「あ、いえ。そうではないようです。私にはよくわからないのですが、彼女はこう言ってました。確かにあの時彼女は死んだと。だけど今いるのも彼女自身だと」
 伝えながらわけのわからない話だなと、ラウジング自身も思った。死んだけれど生きているだなんて、まるで生き返ったと言っているようではないか。そこまで考えるとその空恐ろしい示唆に、ラウジングの背筋は凍った。もしそうだとしたら? 生き返ることができるのだとしたら? それでは彼女には絶対、勝てないような気がする。
「前から何かひっかかっていると思っていたんだが」
「……え?」
 このまま悪夢に囚われるのではと思った時、アルティードの声が現実へと引き戻してくれた。つぶやくような言葉に、ラウジングは気の抜けた声を漏らす。けれどもアルティードの眼差しは、何もない空を捉えたままだった。何か重大なことを、思い出そうとしているのだろう。
「そのような話を聞いたことがある気がするんだ」
「そ、そのような話?」
「魔族と神の狭間の存在。殺しても生きている、と思われている存在」
「え、ええっ!?」
 アルティードが唐突に告げた事実に、思わずラウジングは驚愕の声を上げた。心当たりがあるだなんて予想外だった。彼女のような謎の存在が、知れ渡っていたなんて。しかもそれを、ずっと地球にいるアルティードが聞いていたなんて。到底信じられるものではなかった。
「ほ、本当ですかアルティード殿?」
「昔そのようなことを……そう、シリウスが言っていた気がするんだ」
「シ、シリウス殿が?」
 突然飛び出してきた名を、ラウジングは聞き返した。その名前は、彼もよく知るものだった。今も宇宙で魔族の企みを潰して回っている、皆の憧れだ。そう、確かにシリウスなら彼女を知っていてもおかしくないかもしれない。そう思えるのが彼だった。ただし、知っていながら野放しにしている理由はわからないが。
「ともかく、レーナがいたのなら今後は注意しなければならないな。我々はそれを感知できなかったのだし」
「……はい、そうですね」
 しかしそれ以上、アルティードは話を続けるつもりがないようだった。思わぬ現実に狼狽えていたラウジングは、気を落ち着かせようと神妙にうなずく。だが波立った心は、しばらく落ち着いてくれそうになかった。ラウジングは漏れそうになるため息を、何とか飲み込んだ。



 神技隊らは再び基地に戻ってきていた。彼らにはやはり待機命令が下されていて、そこから動くことは許されていない。しかしもう待たされることに慣れたのか、文句を言う者は一人もいなかった。いや、それよりもレーナの存在が各々の心を奪っていたのだろう。死んだはずの彼女の登場には、誰もが驚きを隠せないでいた。
「やっぱり、レーナは戻ってきた」
 皆が集まったモニタールームで、ぽつりと梅花はつぶやいた。もっともその声はすぐ傍にいた青葉、サイゾウ辺りにしか届かなかったようで。事情を知ってる青葉はうなずいたが、サイゾウは怪訝な顔をしていた。だがそれを尋ねる気力はなかったようだ。サイゾウは顔をしかめたまま、嘆息するとぼんやり天井を見上げる。
 どういう意味かと尋ねられなかったことに、梅花はわずかに安堵を覚えた。説明できないわけではないが、少し内容はややこしいから。しかもこれだけの人がいるところで口にするのは、何だか憚られた。
 そう、室内には人数がいるにもかかわらず、妙な程の静寂に満ちていた。皆それぞれ今回の件について考えているのだろう。また、そうするだけの時間は十分にありそうだった。上から連絡が来るのは数時間後か、はたまた明日か明後日か数日後か。ともかく予想ができないのだ。しかし少なくとも上も落ち着くまでは、何も言ってこないだろうと思われた。
「それにしてもあいつ、この三ヶ月もの間何してたんだろ? それにアースたちは?」
 するとぼやくようにそう言って、隅にいたたくが口をとがらせた。梅花はそんな彼を視界の端に入れる。たくは無世界でからかわれたことを、どうやら根に持っているようだった。ずっと振り回されていることを考えれば、その気持ちもわからないわけではない。
「それはそうですよね。生きていたにしろ何にしろ、あれから三ヶ月たってますから」
 そこでそれに同意するように、たくの隣にいたよつきが疑問を口にした。そう、あれから三ヶ月がたっている。その間全く音沙汰なかったのが、どうにも不思議だった。怪我を癒していたのか? それとも別の何かを行っていたのか?
 考えてもわからないことだらけだった。いや、それは今に始まったことではない。彼女たちと出会った当初から、それは変わらなかった。レーナたちについては依然として謎が多い。
「まあわたくしたち、彼女については何も知りませんからね。今回のことだけじゃあなくて」
 だからそうよつきが続けた言葉には、誰もが何も言えなかった。彼女は何者なのか、何を目的としているのか、誰も知らないのだ。梅花はもちろんのこと、おそらくラウジングも、上も。
「まあ、このまま考えても仕方ないな。それじゃあ三ヶ月前と同様に、それぞれ待機につくか」
 するとこのままでは埒があかないと判断したのか、モニターを背にした滝がそう声を張った。彼の言葉には、何故だか他の者を引っ張る力がある。皆の視線が集まったのを確認して、滝は軽く笑顔を浮かべた。皆を安心させる笑みだ。
「まず、モニタールームの番はオレとゲイニ先輩、ヒメワ先輩で。入り口はローライン、青葉、サイゾウでいいな? 交代時間とかは前の通りで」
 てきぱきとした滝の指示に、反論する者は皆無だった。動き出した仲間たちを見て、梅花はその黒い瞳を細める。三ヶ月もたったというのに、また同じ日々が繰り返されそうだった。
 進歩のない自分たちに、事態に、思わず盛大なため息が漏れた。

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