white minds

第八章 魔の影-7

 緩く吹く風に葉が揺れて、悲しい声を上げた。それをきっかけとするように、木の上のレーナが小さなため息をつく。微笑はそのままに吐き出されたつぶやきが、梅花には聞こえなかった。だが彼女の感情がわかるような気がして、梅花はわずかに顔を歪める。
「これはまずいことになりそうだなあ」
 ついでそうぼやいたレーナの視線が、ラウジングへと向けられた。するとようやく正気に返ったのだろう、はっとしたラウジングが短剣を構え直す。けれどもレーナとの戦いを望まない梅花は、どうすべきか迷いながら様子をうかがった。
 皆に動く気配がないのは、レーナに戦闘する意思がなさそうだからだろう。ただでさえ混乱している頭は、不必要なことをするだけの余裕を持ち合わせていないのだ。
「レーナ、お前は一体何者だ!? 魔族とは一体どういう関係なんだっ!?」
 するとまるで堰を切ったかのように、ラウジングが疑問をぶつけだした。唐突なことだった。が、彼にもそれだけ余裕がなかったのだろう。その緑の瞳に揺らぎが見て取れ、呼吸も荒かった。しかしその疑問は梅花もずっと抱いていたものなだけに、思わず息を呑んで二人を凝視してしまった。止めようとは思えない。
 レーナの正体。魔族との関係。先ほど出てきたミセイセイブツブッタイとはどういう意味なのか、アスファルトとは何者なのか。わからないことだらけなのだ。彼女たちはほとんどレーナのことを知らない。悲しい程に知らなかった。
「そうだなあ、知らないということは辛いことだよな。別にそう隠すつもりもないし。聞きたいなら教えてやるぞ」
 しかし予想はあっさりと覆された。ラウジングの言葉を聞いた途端、レーナは微苦笑を浮かべて頭を傾けた。まさかそうあっさり承諾されるとは思っていなかったのだろう。ラウジングは間の抜けた声を上げて目を丸くしている。だがその気持ちは梅花もよくわかった。
 まさか、こうも簡単に教えてくれるとは思わなかったのだ。秘密にされていたように、そう感じていたのだ。しかしよく考えてみると、ただ聞いていなかっただけのようにも思える。尋ねても無駄だと思いこんでいただけだったのだろうか。
「神技隊も、知りたいのだろう?」
 レーナは風に乗るように、ふわりと舞うように地上へ降りてきた。そう率直に聞かれて、梅花は思わず右隣を見た。そこにはいつものように青葉がいて、同じように困惑した顔で彼女の方を見ている。何かの罠かと思う程に、すんなり話が進むのだ。
「先ほども聞いてたとは思うが、我々ビート軍団は俗に『未成生物物体』と呼ばれている。これはまあ魔族の中での通称のようなものだな。未完成で生物か物体かわからないもの、という意味らしい。変な略し方だとは思うが」
 話をし始めたレーナは、まずラウジングを見た。まだ驚きから立ち直っていないらしい彼は、その場に突っ立ったままただ彼女を真っ直ぐ見つめている。そこからは先ほど見せた憎悪も何も感じ取れなかった。ただ納得できない何かを抱えたまま、半信半疑な様子だ。きちんと呼吸をしているのかどうかも怪しい。
「というのも我々がとある魔族の科学者に作られたからだ。あいつらに言わせると彼は腐れ魔族らしい。まあ、そんなことはどうでもいいながな。とにかく彼はオリジナルたちの遺伝子をもとにして、我々を作り出した。これが我々の正体だ」
 レーナの説明は淡々としていた。魔獣弾の反応といい、どうも彼女たちは魔族の中では嫌われ者らしい。けれどもそれすら気にしていないという顔で、彼女は話をしていた。悲しんでいる風でもないし、ましてや憤っている風でもない。ただ事実をそのままに認識しているようだった。それが不思議でたまらなくて、梅花は瞬きを繰り返す。
 自分たちや自分の生みの親をひどく言われて、何も思わないのだろうか? それともそれが当たり前になってしまったのだろうか?
 それがわからなくて、梅花は小さく拳を握った。気にならないわけはないはずなのだ。だがそれも気にならなくなる程の時間が、おそらくたったのだろう。
「まあ、今のわれはわけあって彼の研究所を出て、それからはずっと魔族の精神集めを阻止している。かといって別に神の味方をしてるつもりもないけどな。あ、これはわれの立場であって、アースたちは関係ないから」
 そう説明するとレーナは手をひらひらとさせて笑った。これで決定的だった。やはり彼女はアースたちと別の目的を持っているのだ。それがずっとビート軍団に感じていた違和感。アースたちが何を思っているかはわからないが、彼女は明らかに彼らとの間に薄い壁を設けていた。そう、梅花がそうしているのと同じように。
「そんな馬鹿な……魔族に作られたお前が、精神集めを阻止しているだと? 敵対しているだと?」
 すると呆然とした声音で、ラウジングがそうつぶやいた。見開かれた瞳は真っ直ぐレーナを捉えていて、その指先がかすかに震えていた。レーナは頭を傾けると何か言いたげに微笑む。その横顔が何故か切なげに映って、梅花は瞳を細めた。理由はわからないが、とにかく辛そうだ。
「こちらは敵対してるつもりもないんだけどなあ。まあ、でも下級魔族なら天敵くらいに思ってるかもな。散々邪魔しているから」
 軽く笑い声を立てたレーナは、仕方ないかな、と小さく付け加えた。その瞳が寂しげなのは気のせいだろうかと、梅花は自らに問いかけてみる。いや、気のせいなわけがなかった。今ここで最もレーナの表情を読みとることができるのは自分だ。
「それじゃあこれくらいでいいかな? そろそろ戻らないと、アースたちが待っているから」
 すると打って変わって満面の笑みを浮かべ、レーナはそう聞いてきた。誰に問いかけているのかが曖昧だが、おそらく全員なのだろう。しかし事態についていけてない神技隊が、答えを返すことはなさそうだった。また動揺を隠しきれないラウジングも何か口をしようとして、結局それを成功させずにいる。ただ魚のように口だけを開閉し続けていた。
「レーナ」
 返答がないのを答えとして、レーナは踵を返そうとした。だがそれを阻むように、梅花は声をかけた。ゆっくりと振り返ったレーナの、その黒い瞳が梅花を捉える。
 聞きたいことはまだある。言いたいことも色々ある。知りたいことは山程ある。しかしここで告げるべきことはただ一つだけだった。だから梅花は精一杯柔らかく微笑むと、一音一音に思いを込めるよう意識する。
「レーナ、また会えてよかった」
 そう伝えると、レーナは春に花が咲くように微笑んだ。自分にも同じ微笑みができるのかと不思議に思う程に、心底嬉しそうな笑顔だった。胸の奥からじわりと温かさが広がるような、そんな表情。レーナはそれを浮かべながら口を開いた。
「われもだよ、オリジナル」
 その唇が紡いできたのは、やはり温かな言葉だった。偽りを全く感じさせない声と瞳に、こんな時だというのに幸せを感じそうになる。梅花は小さく相槌を打つと、もう一度心の中だけでそっと囁いた。
 また会えてよかった、と。
 その言葉は不思議と彼女の心を満たしていった。何故か懐かしささえ覚えながら、彼女はレーナが背を向けるのを黙って見送る。一本に束ねられた黒髪が、生き物のように軽く跳ねた。
 そのままレーナが去るのを、止める者は誰もいなかった。そうさせない空気が確かに辺りには漂っていて。だから魔光弾たちと同じように、レーナの姿はあっという間にかき消えてしまった。ほんの一瞬のことだった。
「レーナ……」
 けれどもその背中が見えなくなっても、胸の内の温かさは消えはしなかった。梅花は小さくその名をつぶやくと、そっと自分の胸元に手を当てた。



「今夜は風が強いな」
 小さく燃えている火をぼんやりと見つめながら、レーナはそうつぶやいた。夜ともなれば冷たく透き通るような空気が辺りを満たしている。風はそれを巻き込みながら、洞窟の中まで入り込んできていた。その度に炎は揺れて、その命を危うくしている。
「ああ、そうだな。……寒くないか?」
 すると右隣から答える声があって、レーナは軽く目線を向けた。その主は黒ずくめの男だった。額のはちまきと首元の布ばかりが赤で、その他はひたすら黒に覆われている。彼のその黒い瞳を見上げて、彼女はくつくつと笑い声を漏らした。
「大丈夫だよ。この上着はちょっと特殊なんだ。何度も言わなかったか? アース」
 そう言ってやると、彼は少しだけ不満そうに顔をしかめた。それは普段あまり表情を変えない彼の、それでいて最近よく見かける表情だ。そうさせているのは自分だとわかっているので、少しだけ胸が痛む。
「そうそう、確かこれで十回は言われてるぞ」
 そこへ茶々を入れるように同意してきたのは、にやにやとした顔のネオンだった。アースと同じく黒を基調とした服装で、ビート軍団に特徴的なはちまきは明るい水色をしている。彼の恰好には、それと同じ差し色が他にも使われていた。そのためかアースの服装よりは幾分か明るい印象がある。
「そんなことより、僕お腹空いちゃったー」
 すると今度はイレイが駄々をこね始めた。聞き飽きたような台詞を口にして、彼はぐったりと洞窟の壁に背をあずけている。その山吹色のはちまきが揺れて、くすんだ金髪に紛れた。レーナは彼を一瞥すると微笑んだ。もう何度も同じ説明をしたはずなのに、それなのにイレイはお腹空いたを繰り返している。もうほとんどそれは癖だ。
「お前はいつもそればっかりだよなー。オレたちは何にも食わなくたって生きていけるの。レーナに何度言われたと思ってるんだ?」
 そこで彼女の代わりに、カイキがその台詞を口にしてくれた。膝を立てた彼は、そこに肘をつくとけだるそうに目をすがめる。そんな彼の服装こそが、黒ずくめに近かった。黒と濃い灰色ばかりの中では、唯一深緑のシャツだけが色を差してくれている。
「でもお腹空くのは本当なんだもん!」
「まあ食べてはいけない、というものでもないしな。ただ食べ物を調達する手段も限られてるんだ。量だけは考えてくれよ?」
 それでもなお主張を続けるイレイに、レーナは微苦笑してそう答えた。途端イレイの瞳が輝いて、その首が何度も何度も縦に振られる。まるで何かの反射のような動作に、カイキとネオンがどっと笑い声を発した。レーナは自身の髪を一房手に取ると、それを指に絡めながら瞳を細める。
 黒を基調としたビート軍団の中でも、彼女だけが一人白かった。白い上着に薄紫のスカートは、遠目には白ずくめにでも見えるだろうか。かろうじて黒いのは髪くらいなもので。そう、いつだって彼女は一人離れていた。女だという点だけでも違うのに、目覚めたのも一人遅かったのだし。
「同じなのにな」
 小さく、誰にも聞こえないようにレーナはつぶやく。一人だけ違うのだって、昔からそうだった。こんなやりとりも、つい数ヶ月前から繰り返されていることだった。少しの寂しさを覚えるのも、それも変わらない。
 だが、違うのだ。聞こえる声も傍にいる者たちの姿も同じなのに。だけど決定的なところが違う。あの時の彼女たちは死んだのだ。だから今いるのはまた別の自分のはずで、そして今目の前にいるのも確実に別の仲間たちのはずで。同じではあり得ない。
 静かに、彼女は瞳を閉じた。何度も繰り返しているはずなのに、この痛みは消えない。幾度味わっても慣れない痛みに、隠しているはずの傷がうずいたように感じた。彼女はそっと瞼を持ち上げる。
「明日、われは動こうと思う」
 迷いにも似た思いを振り払うように、唐突に彼女はそう宣言した。その瞬間洞窟内の空気は一変して、四人の視線が彼女へと注がれる。そんな彼らを一人一人順に見つめて、彼女は破顔した。
「だから明日は少し時間が欲しい。……手伝ってもらえるか?」
 控えめな声で尋ねれば、四人はほぼ同時に首を縦に振った。準備を始める前にも一度聞いたことがあるが、また確かめたかったのだ。もともとは一人でやろうとしていただけに、手伝いたいと言われてもどうしても気が引ける。もっともその大きな原因は、胸の奥にある罪悪感かもしれないが。
「ったく何度言わせるんだよ。当たり前だろう?」
「もちろん! 僕早くレーナの手助けがしたかったんだー。いつもは一人でいなくなっちゃうし」
「ようやく腕試しってところだよな」
「異存はない、お前のためなら」
 答え方はそれぞれ違ったが、四人はすぐに了承の意を述べた。レーナはくすぐったさとわずかな痛みに眉根を寄せながらも、口元に薄い笑みを浮かべる。外からはざわざわと、風の立てる音が聞こえてきた。洞窟へと吹き込む緩やかな風に、長い前髪が揺れて頬を撫でる。
「すまないな、本当に。お前たちには世話になるよ」
 本当にすまないと、彼女はもう一度胸中で繰り返した。彼女がもっと強ければ、彼らを巻き添えにすることなどなかったのだ。もう少しだけでも力を取り戻していれば、巻き込まずにすんだはずだ。
 彼女は静かに視線を逸らすと、洞窟の外を見つめた。風はその強さを増しているようだった。草木は根こそぎやられないようにと、その流れに身をゆだねている。だが空に浮かぶ月の明かりは妙に白く、藍色の空にくっきりとその姿をさらしていた。夜の散歩には意外と適しているかもしれない。
 明日は何も考えずに目的だけを遂行しよう。そう決意すると彼女はまた瞼を閉じた。素肌に感じる冷たい風が心地よい。洞窟独特の湿った空気は、ざわめく心を落ち着かせてくれた。
 不意に、風のか細い鳴き声が聞こえた。燃え続ける火はまたその命を危うくしているように、彼女には感じられた。

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