white minds

第九章 半魔族-1

 その気が現れたのは、まだ日が昇って間もない時間だった。よい一日が始まりそうなそんな予感さえさせる好天の中、それまで全く存在していなかったはずの気配が突然基地の前に現れた。
「な、何だ!?」
「まさか敵か!?」
 口々に皆が騒ぎ出すのを横目に、まず動いたのは梅花たちだった。違和感のある気を探りながら、すぐに外へと向かって走り出す。何が起こっているかわからないが、何かが起こっていることは事実だ。すると逆方向から駆け寄ってくる北斗の姿を、彼女の目は捉えた。
「青い髪の男が来た!」
 北斗は口早にそう叫んだ。彼はこの時間、入り口の見張りをしているメンバーの一人だ。となればこの異様な気配はあの青い髪の男のものなのだろう。梅花は息を呑むと、小さくうなずいて隣の青葉に目配せした。『彼ら』が何を考えてこんな所にやってきたのか、定かではないがいい知らせではないだろう。
 青葉はすぐに相槌を打つと、そのまま基地の外へと飛び出した。強い風が吹く中、その上着がばさりと音を立てる。
「本当だ、またあいつかよっ!」
 梅花もすぐに青葉の後を追った。草原に立っていたのは、見覚えのある青い髪の男だった。全身を青で統一したような、割と細身の青年。無表情なその眼差しからは威圧感を受けがちだが、彼女はさほど動じもしなかった。人数さえ揃えば、さほど苦戦はしないだろう。
 男は彼らを一瞥すると、手にしていた剣を掲げた。あまり特徴のない剣だが、その切っ先は陽光を反射して輝いている。それでも男の顔つきは仮面を付けたように変化しなかったが、どうやら戦うつもりのようだ。
 梅花は小さくため息をつくと背後を確認した。仲間たちは次々と基地から飛び出してきている。もっとも一度に戦える人数は限られるだろうが。
「やる気か!」
 青葉が叫ぶと同時に、青い髪の男は動き出した。剣を手にした彼は、もう一方の手で技を放ってきた。無数とも思える小さな火の玉が、神技隊目掛けて突き進んでくる。
 本来なら後ろへ下がればすむことだが、いかんせん人数が多い。仕方なくその場に止まった彼女は、手を掲げると結界を生み出した。薄い膜に弾かれた炎球が、地で爆ぜて黒い煙を上げる。焦げついた臭いが辺りに漂い、彼女は眉根を寄せた。
 基地の前で戦うのは、正直賢い手ではない。守る対象というわけではないが、仲間たちがいすぎるのも動きづらかった。特に広範囲の技を使われると対処法が限られてくる。こういう場合にはやはり、近距離戦の方が適していた。
「好き勝手しやがって!」
 同じくそう判断したのか、結界が消えた瞬間を見計らって青葉が地を蹴った。煙が立ち上る中彼は炎の剣を生み出し、男に向かってそれを突き出す。耳障りな音がした。青葉の剣と男の剣が、真正面からぶつかり合っていた。梅花は素早く辺りを見回すと、援護のためにと空へと飛び上がる。
 他のメンバーはおそらく手出しできないのだろう。緊張した面もちのまま、戦闘の行く末を見守っているようだった。大人数がいても互いに足手まといになるようでは意味がない。それは以前この男と対峙した時に証明されていた。もっとも今日は開けた場所での戦闘なので、また状況は違うのだが。
 青葉と男は、幾度も剣を打ち付け合っていた。互いに技量が近いのか、それとも牽制し合っているのか。
「いや」
 援護する隙をうかがいながら、梅花はそうつぶやいた。それはあの男が手加減しているからだと、そう直感が告げていた。以前とそれほど動きが違うというわけではない。もちろん急に青葉が強くなったわけでもない。しかし何かが変化しているのだ。それがどうしても、梅花にとっては手加減に思えてしまう。
 何がおかしいのだろう? 訝しがりながらも、梅花は右手を突き出すと白い光弾を放った。ちょうどそのタイミングを待っていたように、青葉が空へと飛び上がる。
 光弾は真っ直ぐ男を目指した。と同時に、男の青い瞳が彼女の姿を捉えた。そこに得体の知れない色を見たような気がして、彼女はさらに顔をしかめる。無表情ながらも何かを伝えてくるこの視線は何だろう? そしてこの異様な感覚は何だろう?
 男の左手が動き、結界を張った。それは光弾を弾き、瞬く間に霧散させてしまった。精神系だと瞬時に察知したのだろう。彼女はその動きを見つめながら、右手に青白い刃を生み出した。この男は以前、精神系の攻撃を嫌がるそぶりがあったのだ。ならばそれを使わない手はない。
「梅花っ」
 空から下りてきた青葉が彼女の隣に立つ。それを気配だけで感じて、彼女は相槌を打った。男の狙いはわからない。油断しない方がいいだろう。何よりこの違和感がとんでもない事態へと繋がらないように願いながら、彼女は低く刃を構えた。
 多くの仲間たちが見守る中、得も言われぬ緊張感が辺りを包み込んでいた。



「またあの正体不明の男か? 一体あいつは何なんだ?」
 中央司令室のモニターを眺めながら、ケイルは苛立ちを隠さずぼやいた。椅子に腰掛けたまま頬杖をつけば、モニター前でパネルを操作している青年たちが身を縮めるのが見える。彼はずり落ちそうになった眼鏡に手を掛け、大きくため息をついた。
 一面白の世界で唯一、目まぐるしくその色を変えているのがモニターだった。今その中では、神技隊が青い髪の男と戦闘をしている最中だ。多くの仲間たちが見守る中で、数人が男と剣を交わらせている。
 まさかあの男が、神魔世界に来てまで暴れるとは思わなかった。だが神技隊が相手をしてくれているうちは大丈夫だろう。少なくとも死人が出ないような状況では、ケイルたちが動き出す必要はない。様子見をしていればいいだけだ。
 癖のある髪を掻き上げて、彼は周りの者たちを一瞥した。この部屋にいるのは皆戦闘向きではない『若者』たちばかりだった。いざ何かが起こった時、対処できる力はない。そういう点を考えれば、あの男が神技隊らの所へ直接行ってくれたのはありがたいことだった。
「ここにいたのか、ケイル」
 不意に聞き慣れた声がかかり、彼は座ったまま振り返った。乾いた足音が室内に響く。背後から近づいてきていたのは、笑顔を浮かべたアルティードだった。長い前髪の隙間から見える瞳が、真っ直ぐ彼を捉えている。
 近くまで来ているのは気でわかっていたが、まさか自分に用があるとは思っていなかった。どうせまたラウジングらへの指示でもするのだろうと、それくらいに考えていた。
 ケイルはかすかに口の端を上げて、ああ、と一言まず返す。爽やかに微笑むとまではいかないが、だからといって無愛想にするのは大人げないという自覚はあった。
「アルティードか、お前がここに来るとは珍しいな。何か急ぎの用事か?」
 ケイルが立ち上がると、周囲の空気が一瞬で凍りつくのがわかった。アルティードとケイル、二人の意見がいつも食い違うことを知らない者はいない。そのせいで静かな言い合いが繰り広げられるのも、おそらく周りにとっては見慣れた光景となっているはずだった。
 だからといって、これほどわかりやすく緊張しなくてもよいとは思うが。別にケイルは周囲に当たり散らすつもりはない。
「書庫の方で何か気配がするとの報告があったのだが。何か知らないか? あそこの管理はお前だろう」
 アルティードの視線が一瞬扉の向こうへと注がれた。その横顔を見ながら、ケイルは思い切り首を傾げる。そこは確かに彼の管理下になっていて、許可なく立ち入れないような仕組みにしてある。だがいくら記憶をたどれども、この数日に申請があった覚えは彼にはなかった。
「まさか。あそこは厳重に管理してあって中には入れないはず。誰かが閲覧するとも聞いていないが?」
 ケイルは軽く鼻で笑うと、書庫へと意識を集中させた。ここからはやや離れている上、あそこには何重にも結界が張ってある。だから誰かがいたとしても、ここからでは意味のない行為となる。それでもそうしてしまうのは、気で何事も判断しようとする癖の一種だろう。
「侵入者だー! 侵入者がいるぞー!」
 何かの間違いだろうと、そうケイルが口にしようとしたその時だった。部屋の外から響く誰かの声に、辺りは一気に騒然となった。慌ててケイルが走り出そうとすると、それより早くにアルティードが扉へと向かい始める。急ぐ後ろ姿を追いながら、ケイルも中央司令室を出た。
「侵入者だと?」
「書庫だ」
 追いついて横へと並べば、短くアルティードはそう答えた。気の察知についてはアルティードの方が上だ。となればその言葉に間違いはないのだろう。だがまさかそんなところに侵入者がいるとは、到底ケイルには信じられないところだった。
「しかしそうだとしても、まさか書庫に潜り込むなど……神であったとしても不可能に近いものを」
 思わずそうぼやきながら、ケイルは足を進めた。頭を抱えたい気持ちになるが、だからといって立ち止まってはいられない。書庫へと続く道は次第に細くなっている。ひたすら白に包まれたその中を、二人は黙って走った。飛んだ方が速度は出るのだが、狭すぎてむしろ危険だ。
「気配は、あまりないな。神の気に思えるが」
 アルティードのつぶやきが、ケイルの耳にも届いた。どうやらこの距離まで近づいても、アルティードにも侵入者の有無は確かではないらしい。となると侵入者に気づいた男はとんでもなく気の察知に優れた者ということか。
「ケイル、結界を」
「ああ」
 書庫の前まで辿り着くと、アルティードはケイルへと視線をよこした。それにうなずいて、目の前の扉へと彼は手を掲げる。真珠のように様々な色を内包しながらも輝く白いそれには、何重にも結界が張られていた。それらは全てケイルの手によるものだ。それを解くのは当人がやる方が断然手っ取り早い。
 ケイルは結界へと精神を集中させた。手のひらから淡い光が漏れ、すぐに結界が解かれた気配がする。彼はすぐに扉に手を掛け力を込めた。鈍い音を立てながら、巨大なそれは中へと押し開けられていく。
 部屋の中には、ひたすら本棚が並んでいた。わずかに黄色みを帯びた棚の中には、数え切れない程の書物が保管されている。とにかくここは広いのだ。侵入者がいたとしても、どこにいるか探し当てるのは至難の業だろう。
「アルティード?」
 しかしアルティードの足取りに迷いはなかった。部屋に入り無言で歩き出したその後を、慌ててケイルは追っていく。左へ真っ直ぐ進む彼には躊躇いもない。そう思って気を探ってみれば、確かにその方向に一つだけ存在していた。隠しているのかそれはわずかしか感じ取れないが、神のもののように思える。
「ここか!」
 アルティードはとある棚の前で立ち止まった。その横に並んだケイルは、眉をひそめながら棚と棚に挟まれた通路を覗き込む。そして息を呑んだ。
「ずいぶん早かったなあ」
 そこにいたのは、ケイルも見たことがある人物だった。長い黒髪を一本にまとめた、小柄な少女。楽しげに微笑むレーナが、分厚い本を手にしたまま二人を見ていた。

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