white minds

第九章 半魔族-2

「お、お前――!」
 ケイルは思わず声を上げたが、その目の前に制止するアルティードの腕が伸びてきた。喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ケイルは顔を歪める。
 こういう時のアルティードは冷静だ。それにはその七つの人格が関わっているのだが、自分が動揺していると自覚がある分だけ余計に気に食わなかった。
 しかし怒声を上げても仕方がないと、ケイルは唇を噛んだ。ただ苛立ち混じりのため息をつき、不快感だけは露わにしておく。レーナの視線が一瞬だけ、彼へと向けられた。
「どうやってここに?」
 それでも微笑んでいる彼女に向かって、アルティードは率直に尋ねた。神妙な眼差しのまま問いかける横顔には、地球神代表としての貫禄が見え隠れしている。彼がその立場に立たされてから、もうどれくらいの時間が流れたのか。かつての戦闘が頭をよぎり、ケイルは瞳をすがめた。あの頃の記憶はどれもが痛々しい。
「どうやってか……それは簡単だ。神に紛れて潜り込むだけさ。神や魔族は気を絶対視するからなあ、結構ばれないんだ」
 楽しそうに口角を上げる彼女に、ケイルのこめかみがひくついた。そう、彼女の気は紛れもなく『神の気』だった。普段感じている彼女の気とは、ほんの少しだけ違う。だが神が間違ってしまう程に、神の気の内に含まれていた。
 魔族や神、人間の気の違いは、彼らにとっては絶対的なのだがその差はわずかだ。音色にもたとえられることがあるが、その波長が違うとでも言うべきか。だから強さは変えられても、それを弄ることはまず不可能だった。しかし普段人間に近い波長を持つ彼女の気は、今は完全に神のものだ。
「ここで何をしている?」
「何って、書庫ですることは一つだけだろう? 本を探して読んでいたんだ。ここは他の神界よりも充実しているなあ。さすがは地球だ」
 続くアルティードの質問にも、レーナは躊躇うことなく答えた。聞かずとも上機嫌だとわかるその笑顔は、ケイルには余計に気に障る。握った拳に力を込めながら、彼は彼女を睨みつけた。
「お前、まさか他の神界でも同じことを?」
 押し殺した声で尋ねれば、彼女の双眸が彼へと向けられた。何を考えてるかわからない黒い瞳は、彼の姿を映し出すとやおら細められる。まるで全てを見透かされているかのような、そんな気分にさせられる眼差しだ。彼は息を呑むと眉をひそめた。
「そうだよ。ほとんどの神界、あとは魔族界にも潜入してずいぶん探したなあ」
 彼女はそう告げると、分厚い本を閉じて肩をすくめた。何を探していたのか、それは言わないつもりのようだ。手元の本からでは、その内容まではわからない。ただかなり古い本であることは、表紙の色あせ具合から判断できた。
「お前は神にも魔族にも敵対し、そして……歴史の全てを知ろうとしていると聞いた。それは本当か?」
 ついで放たれたアルティードの問いかけに、ケイルは一瞬耳を疑った。その前半はともかくとして、後半が信じがたい内容だった。
『歴史の全て』と神々が表現する時は、それは失われた歴史をも含むことを示唆する。闇歴あんれきと呼ばれる時代だ。それは誰もが手にすることを諦めた、全ての謎の鍵となるものだった。まさかそれを得ようとする者がまだいるとは、到底信じられない。
「我々はな、一人の魔族の科学者に作られたんだ」
 レーナは一瞬視線を彷徨わせてから、おもむろに口を開いた。その内容はどう考えても、アルティードの質問に答えたものではなかった。しかしアルティードはそれを咎める気もないらしく、神妙な眼差しを彼女へと向けている。静かな書庫の中に、得も言われぬ緊張感が漂い始めた。
「彼は魔族の中では『腐れ魔族』と言われている。それもそうだな、彼――アスファルトは魔族の中では異端者だった。力を持ちながらも、『魔族意識』が低かったんだ。彼は神との争いで自分を犠牲にすることも、勢力拡大のためにあらゆる手段を執ることも好きじゃあなかった」
 彼女は手にした本の表紙を撫でた。愛しさの込められた指先が、ゆっくりと青い背表紙をなぞっていく。その間、彼女の黒い双眸はどこか遠くへと向けられているようだった。過去を思いだしているのか、それとも何か思うことがあるのか。懐かしむというよりは慈しむ眼差しに、ケイルは違和感を覚える。
「だから精神集めもさぼっていたらしい。それでも無事でいられてのは、彼が五腹心にも匹敵する力を持っていて、それと同時に魔族でも一、二を争う科学者だったからだ。そんな彼が研究し続けていたのは、神でも魔族でもない存在を生み出すことだった。だから魔族側も、これを了承していた。戦力不足だからな」
 ほんの少し俯いた彼女の頬へと、長い前髪が落ちた。彼女の言葉は時折こうして途切れる。それでも、ケイルもアルティードも黙って聞いていた。
 反応する必要がないというよりも、反応できなかったからだ。魔族にそんな異端者がいたなど、ケイルは全く聞いたことがない。もっとも、神の中にも一人だけそういったはみ出し者がいたのは記憶しているが。
「だが五腹心は、正格に言えばその一部は、後々に後悔することになる。何故なら彼が作り出した我々――ビート軍団は、人間をもとに神と魔族の技術、知識を統合して生み出されたものだったから。お前なら聞いたことがあるだろう? アルティード」
 そこで顔を上げたレーナは、口の端を上げながらアルティードを見た。はっと息を呑んだケイルは、アルティードの方を振り返る。その話なら一度だけ、アルティードから聞いたことがあった。神の中の異端者の話だ。『彼女』は確かに、アルティードと親しくしていたはずだった。それももう、ずいぶん昔のことになるが。
「未来から度々やってきていた、一人の神。汚いやり方に反発していた、一人の女神。彼女はある時魔族の科学者と出会って、次第に彼に協力するようになった。その知識のおかげで、滞っていた彼の研究は大きく前進した。こうして我々は生まれた。時代を超えて採取した技使いの遺伝子をもとに、神の知識と魔族の技術で生み出されたのが我々だ」
 彼女は悪戯っぽい笑みをアルティードへと向けていた。その女神のことを、アルティードはよく知っているからだろう。ケイルを含め昔からいる神ならば、直接会わずとも聞いたことくらいはあるはずだった。最近こそ顔を出していないが、一部では有名な神なのだ。
「だから魔族側は我々を認めようとせず、未成生物物体と呼び続ける。未完成であり、生物か物体かわからないものと名付けて、我々の存在を消したがる。なあ、これでわれが神にも魔族にも組みしない理由がわかっただろう? すごく単純な話だ」
 彼女は本を抱きかかえると小首を傾げた。頭の上で一本に結われた髪が、軽く揺れてその背中を撫でる。彼女の声が書庫から消えると、痛い程の静寂が辺りを包み込んだ。動悸の音が響き渡るようにさえ思えて、彼は握った拳に力を込める。
 そこまできてようやく、彼もその女神の名を思い出していた。確か彼女はユズと呼ばれていた。強い力を持つしんの神。もしかしたらアルティードは、魔族の科学者――アスファルトというらしいが――についても知っているのかもしれない。
 ともかく何にせよ、これで彼女の正体についての疑問はなくなった。もちろんこれだけでは、『全て』を知ろうとしている理由はわからないが。
「あ、そうそう」
 すると突然思い出したように、彼女は本の表紙を叩いた。軽やかな音が辺りに響き、ケイルの視線も彼女の手元へと吸い寄せられる。その右手は本を離れると、ケイルたちの方へと伸ばされた。そして軽快に人差し指が立てられる。
「われが生きてたとか死んでたとか憶測立てられるのも面倒だから、正解を言っておこう。あの時われは確かに死んだ。それは間違いない。そのせいで、アースたちもあれから一日以内には亡くなったはずだ。そして今ここにいるわれは――二十五代目のレーナだ」
 彼女は立てた人差し指を陽気な調子で振り、笑顔のまま踵を返した。それは予想していなかった行動だった。翻った長い髪が、白いはちまきが、優雅な軌跡を描く。
 慌てたケイルは手を伸ばすが、それだけでその動きを止められるわけもなかった。技でも放てればまだ何とかなるかもしれないが、ここは書庫だ。この狭さでは棚に当たる確立の方が高く、うかつなことはできなかった。
「な、待てっ!」
 同じく動揺したアルティードの声が周囲に響き渡った。無論、それで彼女が待ってくれるわけもない。彼女は振り返ることなく、右手をひらひらとさせて別れを告げてきた。
「ではな、邪魔した」
 声のみを残して、彼らが駆け寄るより前にその後ろ姿は消え去ってしまった。おそらく転移てんいの技を使ったのだ。神や魔族のみが使用できるものだと思っていたが、彼女にもそれは可能なのだろう。正体が知れた今となっては納得できることだった。
「……行ってしまったな」
 まだ頭に霧がかかったような状態で、ケイルは自嘲気味につぶやいた。逃した、と言う方が正しいかもしれない。きつく握っていた拳を解いて、ケイルは目の高さまでそれを持ち上げた。爪の後が残る手のひらに、さらに苦笑が漏れる。
「ケイル、急いで書庫を調べてくれ。他にも何か取られているかもしれない」
 アルティードはため息をつくと、そう指示を出した。疲れの滲み出た横顔だ。だが今日ばかりはその気持ちもよくわかり、ケイルは素直に首を縦に振った。

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