white minds

第九章 半魔族-3

 レーナの気が近づいてくる。そう思って顔を上げると同時に、空から彼女は現れた。まるでどこからか飛び降りたかのような、それでいて悠然と降り立つ姿に、梅花は剣を構えたまま息を詰める。快晴の空を背にして、レーナは薄く微笑んだ。いつも通りの恰好をした彼女は、武器も何も手にしてはいない。
「すまないな、助かったよ」
 青い髪の男、その横に並んで立つと、彼女は柔らかい声音でそう口にした。男は無表情のまま軽く相槌を打つ。だが彼から放たれる複雑な気は、先ほどよりもずっと落ち着いたように思えた。川の乱流がなくなった状態とでも言うべきか。絡まっていた糸がほどけつつあるように、近くにいても違和感を覚えない程にはなっている。
 それまで戦闘はしばらく続いていた。様子を見つつも戦っていた梅花たちは、既に疲労が蓄積しつつあった。体力回復の早い青葉はともかくとして、持久力のない梅花には長期戦は辛いのだ。それでも後ろに仲間たちが控えているから、不安は少なかったが。
「お前たちのおかげで楽々と侵入することができたよ、ありがとう。実は少し心配していたんだが、ビートブルーの調子もよさそうだな」
 レーナがそう言って小首を傾げると、青い髪の男をまばゆい光が包み込んだ。以前無世界で一度見たものと同じ、その強烈な眩しさに梅花は手をかざす。
 しかしそれが長く続くことはなかった。目を細めながら手をのければ、既に辺りは元の明るさへと戻っていた。レーナの隣には案の定、アースたちの姿がある。これも以前と同様だ。
「何度も調整したしな、問題はない」
「動きやすかったみたいだよ!」
「そうそう、やっぱり慣れが肝心ってことだな」
「心配いらないって、何も支障はなかったから」
 レーナに向かって、アースたちは口々にそう告げた。こうやって五人集まっているのを見るのは久しぶりだが、改めて自分たちと同じ姿であることを梅花は実感する。どうにも不思議な感覚だ。
 それは青葉も同じなのだろう。隣に寄ってきた彼は、苦笑とも困惑とも取れない複雑な表情をしていた。それでもまだ口調が違うところが救いだろうか。
 レーナの口振りによれば、あの青い髪の男はビートブルーというらしい。聞き慣れない名だ。梅花は宮殿にて一般人が目にしないような書物まで読んだことがあるが、その名を目にした覚えはなかった。だがよく考えれば確かブルーというのは古語の一つで青い色を指すものだった。となれば何となく納得できる名前ではある。
「相手をさせて悪かったな、神技隊」
 すると神技隊らへと向き直って、レーナが微笑んだ。緩やかな風に揺れる黒髪とはちまきが、好天と相まって爽やかな空気を醸し出している。彼女の表情もまた、それを加速させているのかもしれない。
「ちょっと大事な用があったから、アースたちに目立ってもらってたんだ。でも大した怪我はなかっただろう?」
 そう言うとレーナは軽く頭を下げた。ただしその口調はどことなく悪戯っぽい響きを秘めていて、仲間たちの内から怒りを押し殺した嘆息が聞こえてくる。梅花はそれを耳にしながら手にしていた剣を下ろした。アースたちからはもう、戦う意思は感じられない。気からもそれは確かだった。
 あの青い髪の男――ビートブルーの動きに違和感を覚えたのは、このためだったのだろう。そもそも陽動だったのだ。あとはその調子を見るという側面があるくらいで、殺す気などなかったということか。もっともこの人数差では、彼らにも単純に勝機は少なかったのだが。
「あ、それと神技隊。われが色々やってきてしまったせいで、上の奴らが少し混乱してるかもしれん。何かあったときは率先して手伝ってやってくれ」
 レーナは小さく肩をすくめると、軽い調子でそう付け加えた。ということは彼女は『上』に行ってきたのだろうか? 背筋が冷たくなる感覚に、梅花は眉をひそめた。いい意味でも悪い意味でもとんでもないことだと、胃の奥が痛くなる。
「それじゃあ、我々もそろそろ退散しようか。万が一あいつらが下りてきたら大変だからな」
 アースたちに向き直ると、レーナはそう告げて歩き出した。その後を四人が追う。しかし止めるべきか否か、梅花には判断できなかった。必要もなく戦闘を長引かせるのは得策ではない。かといって翻弄されただけで終わるというのも、気分は悪かった。
「……追いかけても、たぶん無駄だよな」
 隣で苦笑混じりに青葉がつぶやく。梅花は相槌を打つと、後方を振り返った。苛立ちを抱えながらも皆同じことを考えているのか、動き出そうとする者はいない。捕まえられる気がしないというのもその理由だろう。無論レーナが口にしていた上の混乱についても、引っかかってはいる。
「……とりあえず基地に戻って、上に確認を取った方がよさそうね」
 それが厄介な仕事であることを予感しながら、梅花はレーナたちが去った方を一瞥した。予想通り、彼らの姿はもうどこにも見あたらなかった。



 自室へと戻ったアルティードは、浮かない顔をしたケイルを振り返った。書庫の状態を調べた結果妙なことが起きていることがわかり、大勢の前では話ができなくなったためだ。
 薄暗い部屋の中には夕日色の明かりが灯されていた。それが揺らぐたびに、またケイルの顔に落ちた影も形を変えている。率先して口を開こうとしないケイルを後目に、アルティードは深く嘆息した。そして今度は後方にいるラウジングを一瞥する。ラウジングも同様に、俯き気味な様子で額に皺を寄せていた。
「もう一度確認するが、奪われたのはそれらだけだったんだな?」
 静かに問いかければ、顔を上げたケイルが神妙にうなずいた。打ちひしがれているようにも見えるが、そうではないことが気からわかる。消えていた書物は、彼らが予想していたのとは全く違う類の物だったからだ。それ故に疑問の方が先に立ち、怒りも嘆きも沸き起こってはこない。
「妙ですよね。なくなっていたのが全て魔族に関する書物だなんて。あれらは情報不足だったり抽象的すぎたりして、何の役にも立たない気が……」
 だからそうやって背後でラウジングがぼやくのも頷けることだった。本来ならこういった重大な件は、アルティードとケイルのみで処理すべきところだ。しかし事態が事態なだけに、そうも言っていられなかった。故にレーナと直接対峙した回数が多い彼に、手伝ってもらっている。
「時間が足りなかった……というわけではなさそうな様子だったしな。あれが本当に狙いだったのだろうか?」
「変ですよね」
 書庫に現れたレーナの様子を思いだし、アルティードは顔をしかめた。魔族に関する書物だけを持っていくというところが解せない。他にも重要な書物はあるはずなのだ。
「あれ?」
 だがそこで、不意にラウジングが素っ頓狂な声を上げた。それはこの場には似つかわしくないもので、怪訝に思ったアルティードはラウジングの方へと目を向ける。頭を傾けて目を見開いたラウジングは、頬を掻いていた。
「どうかしたのか?」
「いつだったか、こういう妙な事件のことを聞いた気がしまして」
「妙な事件?」
「書物が消えるという事件です。確か宇宙での話で、シリウス殿が口にしていたような……」
 首を捻るラウジングの言葉に、アルティードははっとした。確かに、そう言われてみれば何となく似たような話を聞いたことがあった。失われた物が魔族に関する書物だったかは定かではないが、重要そうでもない物ばかりが消えるという事件があったと。しかもそれは、幾つもの神界にて起こった出来事だった。
「そうだ、以前にシリウスがそんなことを言っていた。妙なことが宇宙で時折起きていると。そしてその犯人と、会ったことがあるのだとも」
 何故それを今まで思い出さなかったのか。歯噛みしたい気持ちを堪えて、アルティードは相槌を打った。内容だけ聞けば些末な事柄だが、その時のシリウスの様子が印象的だったから覚えている。
 妙な奴に出会ったのだと、あの男は話していた。口の端を苦笑とも微笑とも取れない微妙な角度で上げ、それでもどこか浮ついた様子で語っていた。妙な奴を利用したことがあると。
「ケイル。すぐにシリウスを呼び出してくれ。確か今頃は……ネオン連合のどこかに加勢に行っているはずだ。すぐに見つかるだろう」
 すぐさまアルティードはそう指示を出した。と同時に自分の発した単語に違和感を覚えて、眉をひそめた。今彼は深く考えずに神の連合名を口にした。ほぼ使われなくなった呼び名だが、よく考えればそれは全てビート軍団の名前と一致していた。ネオン、カイキ、イレイ、レーナ。そして連合と呼ぶには相応しくない、この星を含むアース。
「アルティード殿……」
 同じことを思ったのか、それとも連合名が記憶になかったのか、ラウジングがおそるおそるといった調子で彼の名を呼ぶ。アルティードはうなずくと、自嘲気味に口角を上げた。
「よく考えてみれば、失われた連合名と彼らの名は同じだな。彼らの出生がわかった今となっては納得できるものだが。どうして気づかなかったのだろうな」
 それとも無意識に気がつかないようにしていたのだろうか? あのユズが関わっているということを、認めたくなかったのだろうか?
 彼は瞼の裏に一人の女性を思い浮かべた。茶色い髪をなびかせていた自信家の神。彼女はころころと表情を変えながらも、彼の前ではよく笑っていた。そして度々、未来を変えるのだと口にしていた。
 ビート軍団の名を付けたのも彼女だろうか? 魔族が作り上げた者に神に関する名を与えるとは、強気な彼女らしい。
「アルティード殿」
「ああ、気にするな。シリウスが戻ってきた時、また詳しい話をすればいいだろう。それまでこの件は内密にしておけ。いいな? ラウジング」
「はい」
「ではアルティード、私はシリウスと連絡を取ってくる」
 ラウジングが頷くと同時に、ケイルがそう言って踵を返した。部屋から出ていくその後ろ姿を見送り、アルティードは瑠璃色の瞳を細める。ケイルの足音が次第に小さくなると、部屋に静寂が訪れた。
 シリウスが戻ってくるまでに、大事が起きなければいい。そう願っている自分に気づき、彼は笑いたいのを堪えて瞼を閉じた。『神』と呼ばれる者が一体何に対して願いのだろうか? そう自問しながら、彼は既に答えが用意されていることもわかっていた。神や魔族が祈る先は、時に対してのみだ。
「早くシリウス殿が来てくれればいいですね」
「そうだな」
 皮肉な笑みを浮かべる同志を、彼は脳裏に描いた。これだけ再会が待ち望まれるのは、久しぶりのことだった。

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