white minds

ヤマトの若長‐1

「滝にいー! 天馬さんが呼んでるぞー!」
 騒々しい朝の始まりは、大概青葉の声からだった。今日もまた自分の名を呼ぶ声を認めて、滝は自室の窓へと向かう。着替え終わったと思ったらこれだから困る。滝はため息をつくと、窓に手を当ててそれを押し開いた。そしてそこから顔を出して目を細める。冷たい風が頬に突き刺さって痛かった。でもこれでも昨日よりは暖かいのだからまだましなのだ。風が強くないせいだろう。
「青葉?」
 滝の部屋は二階にあるから、普通は見下ろす位置に青葉はいるはずだった。しかしそこにはいないことを、経験的に彼は知っていた。真っ直ぐ前方よりやや右へと視線を向ければ、寒空の中ゆらゆら揺れながら飛んでいる青葉の姿が目に入ってくる。待ちわびているというよりは待ちくたびれたに近い表情だ。服をもこもこに着込んで丸くなった青葉へ、滝は瞳を細めながら口を開いた。
「何か用かー? 青葉」
「もう滝にい遅いってばー!」
「呼ばれてまだ三十秒もたってないと思うんだけどさ、オレ。で、何だよ?」
「だから天馬さんが呼んでるんだってー! 早くー!」
 朝っぱらから近所迷惑甚だしいのが青葉の特徴だ。いや、もうこの近所の日常の一部になっているのかもしれない。しかしさすがにこれ以上被害を広げたら後で兄に何を言われるかわからないから、滝はすぐに外へ出ることを決意した。部屋を飛び出すと一階へ下りて、上着を羽織ると玄関へと走る。
「滝にいっ」
「わかったから離せって青葉」
 外へ出た途端空から降りてきた青葉は、滝の傍に寄るとその腕を引っ張ってきた。風に乗って揺れる大粒の雪が、その黒髪にふわりと舞い落ちている。滝は青葉を引きはがすとそれを払ってやり、空へと視線をやった。
 天馬の気は、山の方にあった。滝が兄のように慕っている彼は、冬になるとよく朝早起きしては誰もいない雪原を走り回っている。が、山にまで行くことは滅多になかった。いくら技使いでも山は危険だからだ。
 滝や青葉たちは、ヤマトの中でもトップクラスだと言われる技使いグループの中にいた。子どもの技使いはたいていどこかのグループに属していて、その仲間で遊ぶことが慣例となっている。滝たちがいるのもそれの一つだ。万能とも思えるこの技を乱用しないよう、また暴走させないようにと、互いに食い止めるのがそういったグループの本来の役割だ。しかしこのグループの場合は、ほんの少し違った。
 彼らは普段数人で集まっては、空を駆け回ったり技を放って木を焦がしてみたりと、かなりやんちゃなことをやっていた。それも全て彼らの能力の高さ故のことだ。空を飛べる技使いはそんなに多いわけではない。しかもこんな小さなうちから飛べるなんてことは、普通は考えられないことだった。青葉などまだ六つだが、もう空を飛べるようになってから数年たっている。そんな小さな子の悪戯を止める手だては、少なくとも普通の大人たちにはなかった。
 そんなわけだから彼らはかなり自由にやっていた。やんちゃをしても、どうせ止められないと大人たちから放任されていた。けれども山には立ち入ることはしなかった。山の天候は変わりやすいし、気温が上がれば雪崩の危険性もある。そこをいくら能力の高い技使いだからといって、子どもが遊びに行くのは危ないことなのだ。夏なら話は別だが冬はまず行かない。
 しかしそこに今、天馬がいた。確かに彼の気を感じた。よく探ってみればその傍にはシンの気もある。二人は一緒にいるらしい。滝は思いっきり顔をしかめると、青葉へと視線を戻して口を開いた。
「青葉、天馬にいさんは――」
「あっちの山! 急いで来てって言われてるんだ。だから早く早くー! シンにいもいるんだってば」
「みたいだな」
 どのみち行ってみるしかないだろうと、滝はそう決意した。そして地を蹴って空に飛び上がる青葉の後を追い、雪の降る空へと舞い上がる。空を飛ぶことはもうそれほど意識しなくてもできることだった。冷たい風を纏わせて、滝と青葉は真っ直ぐ山を目指していく。
 誰の足跡もない地上は、白銀の世界だった。目指す先の山も白に覆われていて、所々から深い緑が顔を出している程度でしかない。だがしばらく進むと、その中に見知った姿が浮かんでいるのが見えた。気からすれば天馬とシンだ。二人は山の麓の細い木の上で、滝たちが来るのを待っているようだった。
「天馬にいさん! シン!」
「おー、滝っ」
「滝さん!」
 滝が叫ぶと、天馬とシンは笑顔でそう叫び返してきた。風がそれほど強くないので、その声ははっきりと滝の耳にも届く。すぐに二人の傍へと辿り着いた滝は、その場に浮かんで周囲の状況を確認した。他に誰かがいる様子はない。同じく浮かんだ青葉はきょろきょろと辺りを見回していて、もこもこの得体の知れない生き物がうごめいているようだった。ちょっとばかり可愛らしい。
「この山で子どもが遭難したって長から連絡が入ったんだ。オレとシンで先に探して、その間に青葉に滝を呼んでもらってたんだけど」
 すると木の枝を蹴った天馬が、滝の傍に来てそう説明してきた。子ども、だなんて言っているが天馬だってまだ十分子どもだ。滝とは一つしか違わないのだから、ようやく十歳になったところなのだ。
「また長から? 最近多いよなあ」
 滝はぼやくように言って相槌を打った。ここ最近はやたら頻繁にヤマトの長から依頼が来る。もともと要注意な技使い集団として長たちには目を付けられていたけれど、そんな風に色々と頼まれたことは今まではなかった。だが長からとなるとさすがに断れはしない。
「わかった。じゃあ天馬兄さんは麓の方を捜して。オレとシン、青葉で空から捜すから」
 そう告げると滝は小さくうなずいて、青葉とシンと目を合わせた。天馬は空を飛ぶのがどちらかといえば苦手なので、たいていの場合はこういうことになる。空を飛べた方が便利なのだが、それで何かあった方が危険だった。だから天馬にはいざというときの目印、司令塔になってもらうのだ。
「はい!」
「わかった!」
 すぐにシンと青葉が元気よく答えた。その声は山の風に巻かれてすぐに空気へと溶け込んでいく。山は寒い。今日はそれなりに気温が上がっているとはいえ、やはり何もなければ凍え死んでしまうだろう。技があるから何とかなる技使いなら話は別かもしれないが、普通はそう長くは耐えられないはずだ。
「じゃあ行くぞ」
 天馬が下の方へ降りていくのを確認しながら、滝は真っ直ぐ頂上付近を目指した。そこからまず気を探るのが先だ。それさえわかれば無駄な労力などいらないのだから。
「滝さん、やっぱり山は結構寒いね」
 すぐ後ろをついてくるシンが、辺りを見回しながらそう話しかけてきた。シンの頬は冷たい風に負けて赤い。青葉に比べれば薄着になるだろうから、少し心配だった。とはいえいざというときは結界纏ってみるなり何なり対処法はあるから大丈夫だろう。シンは三人の中でも、そういう微妙な調節の必要な技が一番得意だ。
「急いだ方がいいよな。……でもそれらしい気が見あたらないんだけど」
 スピードを緩めて辺りを見回せども、人の気らしいものは感じられなかった。少し目を閉じて精神集中してみるがそれでも無理だ。傍にいるシンや青葉の気が強すぎるせいもあるが、おそらくその遭難した子どもの気が弱いのだろう。動物たちの気配に紛れてなかなか捜しきれない。
「まいったなあ」
 適当に丈夫そうな木に降りたって、滝は眉根を寄せた。心配しなくても勝手についてきている二人は、同じように木の枝に着地すると白い息を吐いている。その顔は浮かない。
「仕方ない、手分けして捜すか」
 滝はそう決意すると二人の顔をもう一度見た。本当はばらばらになるのは得策ではないのだが、この場合は仕方ないだろう。彼らの気ならば見失うことはないだろうと、滝はそう判断した。
「じゃあオレこっちね、滝にい!」
「それじゃあオレは裏側行ってきます」
 すると滝が何かを指示する必要さえなく、青葉とシンは自発的にそう告げて飛んでいった。こういう時の行動力はすごい。まだ六歳と七歳というどう考えても保護が必要な年齢ではあるけれど、言動よりもずっとしっかりしていた。その二人の姿が白い山肌に消えていくのを確認して、滝は日の当たらない谷へと向かう。
 谷の方はひどい有様だった。雪崩の跡が残されていて、時折なぎ倒された木の残骸が雪から顔を出している。最近は水分を含んだ重めの雪が多く降っているからだろうか。下手な技は使えないなと心中でつぶやいて、滝は瞳を細めた。
「それにしても本当寒いなあ。早く見つけないとこっちも風邪ひく」
 飛びながら結界というのは少し面倒なのだ。それでも誰かを捜す必要さえなければ使ったかもしれないが、そちらに意識を向けすぎれば気の探索がおろそかになる。だから駄目だ。それで仕方なく地道に気を探りながら飛んでみたが、いっこうに遭難者は見つからなかった。諦めた一度合流すべきだろうか? 滝の頭をそんな考えがよぎる。
 風がひときわ強く吹いた。横から頬を叩く雪に、彼は顔を歪めた。だが次の瞬間、地割れのような嫌な音が響き、空気が震え始めた。慌ててその場で向きを変えた滝は、手近な木の枝にぶら下がると目を見開く。
「これは……雪崩? ――反対側!?」
 舌打ちした滝は、すぐさま音の方へ向かって空気を蹴った。ちょうどシンの向かった先と青葉の向かった先の中間だ。しかも二人の気がその方向からはっきりと感じられる。幸いにも一緒にいるらしい。
 何かあったのだろうか? それとも単に巻き込まれただけなのだろうか?
 雪崩は山最大の敵の一つだった。吹雪と同じくらいに怖い。いくら技使いとはいえ彼らは子どもで、雪に押しつぶされたらおしまいなのだ。実力は大人並みでも体がまだできあがっていない。
 風のせいなのか雪崩のせいなのかそれとも両者か、辺りは雪の煙で視界が利きづらかった。こういう時頼りになるのは気だけだ。目的の二人を目指して滝は真っ直ぐに飛んでいく。体を切るような風の冷たさも、今は特に気にならなかった。
「滝さん!」
 全速力で飛んだからだろう、しばらくもしないうちにシンの声が聞こえてきた。けれども舞い上がった雪の煙の中ではその姿が見つけられない。何とか目を凝らして辺りの様子を確認すると、一本の木の上にシンらしき姿があるのがわかった。青い上着が目印になる。
「滝さんっ、青葉が一人で止めてるんだ!」
 シンはそう叫ぶと右手の方を指さした。その先を見ながらシンへと近づけば、その小さな背中には彼よりずっと年上の――おそらく十歳くらいの少年が背負われていた。シンは落ちないようにしているのがやっとという状態だ。
「うわー、もーう!」
 そんなシンが指さした先では、青葉が一人結界を張って雪崩を止めていた。それは白い雪煙の中でも何とか見えた。はっきり言ってこれは無茶無謀を越えたレベルだ。雪崩の勢い、重量を考えれば一瞬でも止めるのは相当辛いはず。しかも青葉は結界があまり得意ではない。シンと役割が逆にならなかったのは、たぶん青葉では少年を背負えないためだろう。
「滝さん、オレ一人じゃこの人運べないんだ。見つけた途端雪崩が起こって、でも青葉がすぐに駆けつけてくれたんだけど」
 シンはまくし立てるようにそう説明した。その顔には焦りがあって呼吸が速い。確かに危険な状況だった。雪崩の規模としてはまだ小さい方かもしれないが、しかしこの木に直撃すればあっという間に終わりだ。
「わかった、じゃあオレがその人を運ぶ。だからシンは青葉のところに行って、タイミングを見計らってここから脱出するんだ。オレのことは気にしなくていいから、すぐに下の天馬兄さんの所へ!」
「う、うん、わかった!」
 滝はシンの傍に寄るとその背中から強引に少年の体を奪い取った。幸いにもその体は軽くて、滝なら何とか運べそうなぐらいだった。ただ寒さでもう意識が遠のきかけているのか、ぐったりとした体は簡単に重心をぐらつかせる。油断すると落っことしてしまいそうだった。
 それでも慎重に抱え直してシンの方を見やれば、その姿はもう青葉のすぐ傍にあった。白い風の吹く中、その青い上着がもこもこと並んでいる。滝はゆっくりと空へ向かって上昇した。下からはシンたちの声がかすかに聞こえてくる。
「シンにいっ」
「青葉、せーので飛ぶからな!」
 さらに空高く上昇すると、もう二人の声は聞こえなくなった。ただその気が天馬のいる方へと移動するのが、はっきりと感じられる。無事脱出できたのだ。滝の口から安堵の息がこぼれ、寒さで強ばっていた体から少しだけ力が抜けた。頬の筋肉も少しだけ緩む。
 これでもう大丈夫だろう。二人が天馬と合流できれば、後の指示は天馬がやってくれるはずだ。だからその間にこの遭難者を運んでおくべ気だろう。滝はそう判断した。このまま体温が下がるのはかなり危険だから、できれば治癒が得意な技使いのいる所へ連れていった方がいい。そう考えていけば、最も適しているのは長の所だった。
 急がなければ。
 焦る心を抑えて、滝は懸命に長のいる建物を目指して飛んだ。

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