white minds

ヤマトの若長-2

「滝、話がある。こっちへ来なさい」
 扉越しに聞こえた父――ぎんの声に、滝は首を傾げた。それは雪崩の事件から二日後の、夕方のことだった。ひきかけた風邪を部屋にこもることで治した滝は、怪訝そうな顔で部屋を出る。しかしそこには既に銀の姿はなく、仕方なく彼は一階へと下りていった。
 銀がこうやって呼ぶ時というのは、大抵いい話ではなかった。嫌な予感を覚えた滝は、羽織った上着の裾を掴んで顔をしかめる。兄からのお下がりのそれは、重ね着した上に着てもまだ大きかった。
 何か悪いことをしただろうかと、滝はあれこれ考えた。だが山に行ったのは長の頼みだから仕方なくだし、最近は青葉たちにも破壊活動はさせてないはずで。だから怒られるような出来事に心当たりはなかった。
「あれ?」
 居間に行くと、そこにいるのは銀だけではなかった。ソファに腰掛けていたのは彼の母サヤと、兄のがいだ。そのことに違和感を覚えながら、滝は銀の眼差しに従って席に着いた。サヤと凱の顔色は暗い。その意味を推し量りながら、滝は真っ直ぐ銀を見上げた。
「話って何? 父さん」
 座ってもなかなか話を切り出さない銀に、仕方なく滝はそう問いかけた。銀にしては珍しい硬い表情に、自然と鼓動は速まっていく。何を言われるのだろうか? 考えれば考える程嫌なことばかりが浮かんで、滝は唇を噛んだ。この沈黙が痛い。
「落ち着いて聞いてくれ、滝。実はな、先ほど長のところに呼ばれて行ってきたんだが……次の長候補、つまり若長に、お前が選ばれたと伝えられたんだ」
 すると銀はゆっくりと、かみ砕いて説明するようにそう言った。滝はそんな銀を見上げながら、止まりかけた思考を働かせるよう瞬きをする。若長。その存在なら知っている。聞いたことがある。それは銀の言う通り次期長となる者のことだった。ただ一人だけ選ばれる、長候補だ。
 長の役割は多い。特にヤマトのように技使いの多い族では、長に期待される役目は非常に重かった。そのため、まず強い技使いであることが最低条件となるのだ。何か事件があった時にも対処できるよう、それなりの実力を備えていなければならない。もちろんそれだけではなかった。人間性も大切だし、それなりのリーダーシップも必要とされている。
「オレが、若長?」
 そうやって事実を確認しながらも、それでも現実が信じがたくて、滝はぼんやりとそう聞き返した。銀は神妙な顔でうなずく。その瞳を見ていられなくて、滝は斜め向かいにいる母と兄へと視線を向けた。泣き出しそうなサヤの顔に、苦痛を押し殺した凱の顔。それを認識すると滝は泣きたくなった。
 つまり、そういうことなのだ。若長に選ばれるということは、決して喜ばしいことではない。
「実はお前とシン君、青葉君が若長候補に選ばれていたらしい。しばらく前から、だそうだ。おそらく実力を考えてのことだろうな。しばらく前から妙な依頼が来ていただろう? あれはお前たち三人のうち、誰が最も長に相応しいか見極めるためのものだったらしい」
 銀は静かにそう続けた。滝はただ、その言葉を頭で繰り返しながら相槌を打った。
 そういえば昔に銀から聞いたことがある。長は強さを求められるため、適齢期が短いのだと。人によっては年老いても強さを維持できる者もいるが、そういう者ばかりとは限らないのだ。だから念のため早めに、若長を選ばなければならなかった。つまりもう、その時期に来ていたということだろう。長たちは焦っていたのだ。
「滝、大丈夫? ちゃんと聞いてる?」
 おそるおそるといった風に、サヤが声をかけてきた。滝は彼女を見上げると、何とか瞳を細めて首を縦に振った。若長に選ばれたのなら、それはもうたぶん断れるわけがない。それにもし断れたところで、その話はシンや青葉に行くだけだった。若長は必要なのだから、誰かがならなければならない。
「若長になれば、ほぼ確実に将来は長だ。その意味をわかっているな? 滝」
「……はい」
「今日の夜、お前を連れて長の所へ行くように言われている。そこで正式な決定が伝えられるだろう。大丈夫か?」
 問いかけられて、滝はゆっくりとうなずいた。心構えなんてなかったから、もちろん驚いてはいる。けれども不思議と頭の中はすっきりとしていて、色々なことを考えることができた。
 自分が得たいもの、失いたくないもの、譲れないもの。それらを思い浮かべれば、迷う必要などなかった。ただ選ばれたといっても自信などないから、湧き上がる不安を押し殺すことはできないけれど。
「いい子だ」
 銀は立ち上がると、滝の方へとおもむろに手を伸ばしてきた。久しぶりに頭を撫でられて、涙が出そうになった。そんなことできないと、無理だと叫べたらどれだけいいだろうか。しかし自分がそうできないことも、滝はよくわかっていた。
 彼は目の前の銀と同じで、こういう時不器用なのだ。でも守るべきものはわかっているつもりだ。
「大丈夫だ、お前ならできる」
「うん」
 滝はもう一度うなずいた。それでも強くて優しい大きな手が、今だけは無性に悲しかった。



 長の所から帰ってきた時は、既に日付が変わろうという頃だった。銀に就寝の挨拶を終えた滝は、のろのろと階段を上っていく。
 一歩一歩進むごとに、心は重くなっていった。頭に浮かぶのは長の言葉ばかり。あらためて自分の肩にのしかかった責任の重さを知り、滝は潰されそうな気分だった。ヤマトを支えるなど無理だ。彼はただちょっと強いだけの子どもで、ちょっとしっかりしてるだけの子どもで、決して完璧な人間ではないのだ。それなのに若長なんて務まるわけがない。
「滝、ちょっと」
「え?」
 けれども突然かけられた声に、滝の思考は現実へと引き戻された。もう寝ているものとばかり思っていたが、凱の部屋の扉が開いている。そこから顔を覗かせて、凱は小さく手招きをしていた。
「兄さん?」
「いいからちょっと来いって。部屋入れよ」
 二階まで上がると強引に、滝は凱の部屋へと連れ込まれた。引っ張られた腕を怪訝そうに見下ろしながら、滝は何度も首を捻る。凱がこんな風に呼び止めてくることは、少なくとも最近はなかった。滝とは七つも違うのだ。さすがにもう兄弟喧嘩をする年でもなくなったし、話も合わなくなっている。
「若長、やっぱり正式に決まったのか?」
 滝がベッドに腰掛けるのを待って、凱は気楽な声でそう尋ねた。滝はうなずいてから真っ直ぐ彼を見上げた。久しぶりにまじまじと見る兄の顔は、思っていたよりもずっと子どもっぽい。背丈はもう銀に届くか届かないかというところなのに、だ。けれども凱の考えてることは、やっぱりわからなくなっていた。昔はすぐに読みとれたのに。
「まったく、お前はどこまで上り詰めるつもりなんだ? んなことされたらオレの肩身が狭くなるだろう? ったく、とんでもない奴だよなあ」
 凱はぼやきながら滝の隣に座り込み、音が出る程強く肩を叩いてきた。はあ、と間の抜けた声をもらして、滝は顔をしかめる。それは沈んでいる弟に向ける言葉としては、どう考えても不適切だった。だが怒りながら笑っている凱を見上げていると、何だか滝も体の力が抜けてきた。全てが馬鹿らしくなってきて、どうでもよくなる。
「でもオレ、自信ないよ兄さん。いきなり若長だなんて言われたって」
 だからだろう、すんなりと弱音が口からこぼれてきた。そしてその勢いで泣きそうになるのを堪えて、滝は不安を押し殺すよう唇をとがらせた。自然と顔は俯く。けれどもそのまま落ち込むのを、凱は許してくれなかった。ぐりぐりと力強く頭を撫でられて、滝は慌てて凱から体を離す。
「に、兄さんっ」
「何言ってるんだお前は、最初から自信満々な奴なんているわけないだろう? っていうかそっちの方が心配だと思うぞ、オレは」
 凱はわざとらしくそう言うと、にひひと笑った。さすがにそう言われたら反論の言葉もなく、仕方なく滝もつられたように笑う。しかし不思議なことに、先ほどまでの重たい気持ちはいつの間にか消えていた。そのかけらさえない。今はむしろ何かを吹っ切った後のような、清々しい気分だった。
「ま、大丈夫。お前ならできるって。何てったってオレの弟だからな」
 そんな悪戯っぽい凱の言葉に、滝は小さくうなずいた。凱に励まされたのなんてどれくらいぶりだろう。少なくともここ数年の記憶にはなかった。そう思うとどこかくすぐったくて、滝は頭に置かれた手を何とか引きはがした。それでも凱はにやにやとしている。それは完全に、小さい頃からかってきた時と同じ表情だった。
「まあ、でも修行は怠るなよ。ぼやぼやしてるとシンや青葉に追い抜かれるからな。そうなったら若長の面目丸つぶれ」
「そんなのわかってるって」
 言い合った二人は、顔を見合わせると同時に笑い合った。それは今日のうちで唯一、心底からの笑顔のように滝には思えた。

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