white minds

宮殿初参上‐2

 青葉たちと別れてしばらくもたたないうちに、滝の剣の修行は再び中断された。遠くから自分の名を呼ぶ声があることに気づき、彼は顔をしかめて振り返る。視界に入ったのは、珍しい来客だった。ニコバという男性。長のところでいつも働いている、三十代半ばの気のいい人だ。
「若長、長が呼んでいます。すぐに来てくれと。それと……」
 彼は滝のすぐ傍に走り寄ってくると、辺りを目だけで見回した。何かを探しているらしい。それが何なのかわからず滝が首を傾げると、ニコバは困ったような微笑みを向けてきた。草原を吹き抜ける風に、彼の黄土色の髪が揺れる。
「若長、今日はシン君と青葉君はいないんですか? 二人も呼んでくるようにと言われていたんですが」
 そうニコバが口にした名前は、滝にとっては予想外のものだった。彼が若長に選ばれてからは、長が二人に何かを言いつけたことは今のところない。逆に滝の仕事が増える可能性もあったが、しかし運良く大した事件も起こっていなかった。だから平和な日々が続いていたのだ。この辺りの住民が、そう思ってくれているかは定かではないが。
 あの二人はまた何かをやらかしたのだろうか?
 滝はその可能性を思い描いて、重苦しい気分になった。今回のは相当問題だったのだろうか? よくある『喧嘩』でも呼び出されていないことを考えると、どうしてもそういう考えに行き着いてしまう。
 だがそこまで考えたところで、それはないと滝は否定した。あの二人の行動なら滝がよく知っている。それは今までと何ら変わらないもので、ここ数日に限って何かあったとは考えにくかった。だから滝はニコバを見上げると、微笑んで首を縦に振る。
「わかりました、ニコバさん。オレがシンと青葉をつれて長のところに向かいます。ニコバさんは先に戻っていてください」
 滝がそう言うと、安堵したようにニコバは会釈した。あの二人を捜し出すことがいかに大変かを、ニコバはよく知っているのだ。もっとも二人の気に慣れ親しんでいる滝にとっては、苦もない作業なのだが。
「ではよろしくお願いします、若長」
 そう念を押して去っていくニコバの背に、滝は軽く手を振った。そして目的の気を捜すために、その場にたたずんだまま精神を集中させる。案の定、あっさりと二人の気は見つかった。滝はだいたいの方角を定めると、地を蹴って空へと飛び上がる。
 風を切って飛べば、見慣れた風景が視界を過ぎていった。彼が目指しているのは家から最も近い山――いや、丘と呼んでもいいかもしれない高さ――の麓だ。そこを一直線に目指していけば、体にまとわりつく空気の抵抗が強くなる。
 二人の姿は、すぐに見つかった。滝が地上目指して降下すると、四人の視線が一斉にこちらへと向けられる。そのまま地に降り立つと、彼は風で乱れた髪を軽く手で整えた。
「滝にい!」
「あ、滝さん」
 青葉とシン、二人の声がほぼ同時に放たれた。ついでシンの後ろからは京華が、青葉の後ろからは陸が顔を出してくる。まだまだ小さい、二人の妹と弟だ。その純真な双眸は滝の姿を捉えると、日差しを浴びた川面のように輝き始める。
「滝さんだー」
 その小さな子どもたちのうち、まず口を開いたのは京華だった。桃色に統一された服で可愛らしく着飾った、お人形のような女の子だ。少し人見知りしやすいのが悩みの種のようだが、滝にはもう慣れてしまっている。そのこぼれそうな程丸い瞳は、真っ直ぐ滝を見上げていた。
「本当だ! 滝兄ちゃーん、あのねあのね。今日はたっかーく飛べるようになったんだよ!」
 すると続けて残った陸も、飛び跳ねながらそう声を上げた。人懐っこくて無邪気な彼は、満面の笑顔で滝の傍へとてこてこ走ってくる。ついこの間技使いだとわかったばかりだが、青葉と同様その能力はかなり高い。それをコントロールするために、ここらで技の練習をしていることが多いようだった。今日もその真っ最中なのだろう。
 青葉と同じなのは、その素質だけではない。自分の力や威力をあまり理解していないようで、その点が危険だった。もっともそれを防ぐことができる者が、ほぼ四六時中一緒にいるからいいのだが。
「それで滝にい、どうかしたの?」
 はしゃぐ陸の頭をぽんぽんと叩きながら、青葉が不思議そうに首を傾げた。確かに、青葉やシンとは先ほど会って別れたばかりだ。怪訝に思うのも仕方ないだろう。滝は苦笑しながら相槌を打つ。
「ああ。長が何でだか、お前たちも呼んでるんだ」
 率直に滝がそう伝えると、青葉は息を呑んで眉をひそめた。ちらりとその隣を見れば、シンも不安そうに頬を掻いている。ただ京華と陸は、あまり意味がわかっていないのか、先ほどからずっと楽しげな声を上げていた。シンと青葉は顔を見合わせる。
「オレたち、何かしたかなあ? 滝にい、もしかしてさっきのこと?」
「いや、オレは違うと思うけど」
 長と聞いては、さすがの二人も動揺せざるを得ないのだろう。滝は首を横に振ると、不安そうな二人の肩を軽く叩いた。すると異変を感じ取ったのか、陸と京華が騒ぎ始める。
「ねえねえお兄ちゃーん、何かあるの? どこか行くの? どうしたのー?」
「お兄ちゃん、どこか出かけちゃうの?」
 二人の言葉に、青葉とシンは困ったように微笑んだ。それで仕方なく滝は片膝をつくと、彼らの代わりにその弟たちの顔を覗き込む。無垢で小さな二対の瞳が、揺れながら滝へと向けられた。
「シンと青葉はオレと一緒に長のところに行かなきゃいけないんだ。ちょっと用事があってな。だから二人は家に戻って待ってて欲しい。いいな? オレがいるから二人は大丈夫だから」
「うん!」
「はーい、わかった!」
 笑顔でそう話しかければ、京華も陸も大きく首を縦に振った。残念そうな表情ではあるが、安心はしたらしい。それだけ信頼されてるのかと思うと、何となく不思議な気分にはなった。滝は微苦笑を浮かべながら、ゆっくりと立ち上がる。
 ここから家へは一本道。途中まで送ってやれば、この二人なら何事もなく帰れるだろう。この辺りはよく知っているはずだ。
 滝は軽く伸びをすると、素直な二人の頭を撫でた。そしていまだ不安を隠し切れていないシンと青葉を、瞳を細めて見やった。



 長の部屋は、いつも以上に書類が溜まっていた。少しほこりくさい臭いは蔵書独特のもので。書類と本の隙間から顔を覗かせた机が、明るい日差しに照らされて鈍く光っている。
 それをぼんやりと見つめながら、滝は長の言葉を待っていた。椅子に深々と腰掛けた長は、懐かしそうに滝たちを見守っている。白髪の混じった髭を、彼は軽く撫でた。
「三人揃っては久しぶりだな、滝、シン、青葉」
 長が最初に口にしたのは、そんな言葉だった。とりあえず叱られる雰囲気ではないことを察して、青葉とシンから緊張の色が消えていく。滝も内心で安堵の息を漏らし、長へと眼差しを向けた。
「長、今日は一体どうしたんですか?」
 単刀直入にそう尋ねると、長は神妙な面もちでうなずいた。うっすら開いた口から低いうなるような声が漏れて、滝たちは思わず息を詰める。次に放たれる言葉は何なのか。待つ時間はそれほどではなかったはずだが、妙に長く感じられた。滝は手のひらに汗を感じる。何か重大な問題でも起こったのだろうか?
「実はな、お前たち三人に、宮殿へ行ってもらいたいのだ」
『宮殿!?』
 しかしそれは別の方向に予想外な話で、驚いた滝たちの声は見事重なった。宮殿は一般人は立ち入ることができない、未知の領域だ。この世界の中心の役割を果たしていると言われており、そこにはジナル族と呼ばれる者たちが住んでいる。とはいえそのジナル族も、彼らのいるヤマトと対して変わらないらしいとも聞いていた。
 だが滝がわかるのは、せいぜいそれくらいだった。あとは遠くに見える煌びやかな建物を、眺めたことがあるくらいか。
「ああ、そうだ。『上』の方たちがぜひお前たちに会いたいと、そう言っているんだ。何のためかはわからないがな。だが行ってもらうしかない」
 説明する長の声音は、単調で静かだった。そこには何の感情も見いだせない。しかしだからといって、滝に断る術は無論なかった。彼は大きくうなずくと、気を引き締めて口を開く。
「はい、わかりました。それで、いつ迎えばいいんですか?」
 まさか今すぐとは言わないだろう、そう思っての発言だった。なにしろ宮殿へ行く時、長は大抵念入りに準備してから向かうのだ。それは書類だったり衣服だったり何なりと様々だが。急な呼び出しの時でさえも、失礼のないようにと服装には気を遣っていた。
「今すぐにだ。すぐに来て欲しいという話なのでな。まったく、せっかちなことだな」
「……え?」
 だから長にそう答えられて、滝は間の抜けた声を上げてしまった。長にとってもそれは意外なことなのだろう。深い皺が刻まれた口元には、微苦笑が浮かんでいる。
 滝はちらりとシンと青葉を一瞥した。案の定、二人は渋い顔をしていた。小さな弟たちのことを考えているのかと、聞かなくてもわかることだ。特に陸を長い間放っておくのは、かなり心配なのだろう。しかしそれでも長の、いや、宮殿からの呼び出しを断ることはできない。
「わかりました」
 滝はできる限り落ち着いた声音で返事をした。相手がせっかちならば、早く行って早く帰ってくればいいのだ。それで双方満足できるだろうし、利害も一致する。すると長は口元を緩めて、一枚の紙を差し出してきた。しっかりとした厚い紙で、薄青色のものだ。
「宮殿の中央会議室へ行けば、話はわかると言っていた。これが宮殿へ入るための許可証だ」
 その立派な紙を、滝は両手で受け取った。確かにそこには許可証と書かれている。これがあれば外部の者でも入ることができるのだろう。これがあるということが、宮殿からの呼び出しがあるという確たる証拠なのだ。
「はい、では行ってきます」
 滝は答えて、もう一度シンと青葉を見た。うなずいた二人は、不満そうながらも反抗する気だけはないようだった。

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